八つ当たりだとわかっている、それが最低だと知っている。ならどうしてかなど、教えてくれるならば知りたいほどだ。
いつかなど、今度など、遥か彼方のもので叶う時なぞある筈もない。叶えることができるのならば、今のような俺なぞ存在しない。
駄目だ、眩しすぎて目でも潰れてしまったのか。張り裂けんばかりになる胸を、握りつぶすかのように握ってみても意味はなく。
俺の事が好きだから等と、簡単に言ってくれたものだ。嫌なのか? まさか、そんなことある筈もない。嫌なのは何処まで行っても俺自身。
俺はあいつの事が好きだ。当然、燐子さんの事もそうであって、その先がある。
ああいや、先なんて表し方は不健全。でも、でも、先としか表せない程に熱されている。
もしこの熱を晒けだしてしまえば嫌われてしまうかもしれない。予想だ、どうかは知らぬ、もし俺が同じことを言われたら? さぁ、どうだろう。
引いてしまう嫌悪してしまう。まさか、そんなことある筈がない。戸惑うだけか、きっと、奥底では舞い上がってしまうのか。
「……気持ち悪」
キスだとか、その先を思い描いて浮かぶのは罪悪感。だけならいい、それならいい。そうでないから嫌になる。
世の中順序というものがあって、守らねばならぬものがある。誰だって結果を知れてから過程を変えれるのならば苦労はしない。
だから期待など抱くべきではない。それはまだではなく、いつまでも。子供のような希望論、恐らくではあるがきっと俺は、そこらに溢れ読み疲れたような関係に憧れていて。
ああ、こんな考え、心の奥底を覗いてみれば嫌じゃない。
嫌じゃないからこそ、嫌になる。
「元気無さそうだね」
「色々あってな」
リサに呼び出され、開口一番そんなこと。鏡なぞまじまじと見ないからどんな風だか知らないが、見てわかるならばそれは相当。
電話やメッセージで済ませられないのかと聞いてみたら、できれば直接がいいなんて言われたものだから断ることもできずやってきたが、どこか恐ろしい。
別にリサの事が怖いというわけではなく、言ってしまえば勘のようなもの。ぞわぞわと引きずられるかのように背筋が伸びる。
「それで、わざわざ何の用なんだ?」
だけれども、勘というのは案外馬鹿にならぬものでこれまでの経験からそういう風な連想をしているというだけ。
連想、リサからとなれば音楽の相談はあれ、直接とならばそれは……
「友希那にさ、何かしたの?」
ほら、こうなった。
指の先から踵、歯の奥までもが浮き上がったかのように落ち着かなくて。
パキリと、指を鳴らしていた。
「……何もしてねぇよ」
「嘘つかないでよ」
「嘘って、俺が何かできると思ってるのか?」
「思ってないよ。思ってないから聞いてるの」
好意を無下にしてしまったこと、最低な人として真っ先に上げられるような行動をしたと、自覚はある。
後で謝ろう、なんて先送りにしても何か変わるわけでもなく、後悔が消えてなくなるわけでもなく、本当に意味がない。
「じゃあさ、何があったの」
「何がって、何の事だ?」
「全部だよ。友希那との事、それに燐子との事と蒼音の事」
付け足されたのは、今最も問われたく無かったこと。
黙秘であれ、逃走であれ、回避する手段はいくらでもある。あるけれど、ため息と共に壁に寄りかかった。
「……見てわかるものなのか?」
「今の蒼音の事を見れば誰でもわかるよ」
嘘は、得意じゃない。正直者であるという自覚はないけれど、人一倍程度であればそうなりえる。
駄目な時に大丈夫だと言うようなやつは嫌いだ、何かあってもないと言うやつも嫌いだ。馬鹿らしい、今の俺に全部当てはまる。
人間何処まで行ってもこんなもの。身体の中全てを吐き出すかのように長く息を吐くと、苦しさから咳き込んだ。
「……言いたくねぇよ、こんなこと」
「酷いことでもしちゃったの?」
「そんなこと……」
ない、とは言いきることかできなくて。
答えることが出来ないならば、歪んだ形に持ってしまったならそれはきっと酷いこと。
すれ違うならば、行き違うならば、きっと何処かで間違えてしまって。
「……あぁ、しちゃってるな、最初から」
何を間違えたのではない、全部間違えたのだ。あれもこれもそれもどれも、思ってみれば全てのこと。
……でも、嫌だな。そんなこと、思いたい筈があるわけもなく。
「……何を、何で悩んでるのか、アタシにはわかんないけどさ。でもさ、安心したよ」
「……何でだよ」
「悩めるなら、きっと心から考えてるんだろうなって、二人の事」
当然、むしろそれ以外あらゆるものが細事と言って差し支えない。
なのに、二人を思う気持ちが自分で何より許せなくて。
「でもさ、蒼音は自分の事も思って上げた方がいいと思うよ」
「……思ってるよ」
自分の事などどうでもいいと、口では言える、頭では復唱できる。なら、心の内ではどうなのか。
人間とは、ああいや、それは言い訳か。俺は、きっとどこまでも自分本位で、自分勝手だ。
悩みも、出来事も考えも、全てが俺が悪いことで、俺由来のものだから。
またため息。欲も、血も、思考の根元から何もかも吐き出すことでも出来ればいいのに。なんて、出来もしないことばかりを考えて。
「それと、一つだけ言っておくけどさ」
何事かと思えばいつにもなく真剣な表情な様子のリサ。気圧され、ごくりと喉を鳴らしてみれば、立てられた指が目の前にやってきて。
──友希那も、燐子も、悲しませたら許さないから。
「……わかってるよ」
「ならよし。ああそれと、一応教えておくけどさ」
「なんだよ、改まって」
指を戻され、常識を述べるような風に言われたその言葉は、なんとも信じがたいものだった。
「蒼音が二人に思う事って、二人もきっと蒼音に対して思ってることだよ」
じゃあね、と告げると同時にその場を離れ始めたリサを目線だけで追っていく。
求めているものは何か。説明、訂正、それらを得ることは叶わなくて。
「……なわけねぇだろ」
どうあって欲しいかさえもわからない。修行僧でもないのだから、俺は二人には好きであっては欲しくて、嫌われなどされたくなくて。
愛されたいと、求められたいと、思ってしまっているのだろうか。
「言ったら、怒られるんだろうな」
嫌われたくないなど、友希那に聞かれてしまえばどうなるかなど知れたこと。
それこそ不機嫌ですと、わからせるように見せつけてくる。
「言ったら、悲しまれるんだろうな」
好きであってほしいなど、燐子さんに聞かれたらどうなるかなど知れたこと。
それこそ悲しいですと、辛くなるほどにわからされる。
……馬鹿らしい。
わかっていて、でも逃げる。リサの言っていたことがどういう意味で、どういう事なのか理解できている。
なら何を悩むのか。それはどうせ、俺の願望だ。
こうあって欲しいと願って、押し付けて、気持ち悪いったらありゃしない。
だが確認する術などなく、そうあって欲しいと考えることでしか乗り切ることはできなくて。
「……燐子さんは」
彼女は、何を思ったのだろう。
行動以上の理由もない、もしくは俺みたいにうじうじと悩んでしまっているのだろうか。
軽く唇に指を滑らせると、無意識的に眼を閉じていた。
偶然とは、不思議と運命的なものばかりである。最も、起こらなかった運命的な事象が山のようにある中でたった一つだけ叶った、などという現実的な考えをすればそれは当然の事。
だけれどもこんな風なこと、望む望まぬどちらにせよ運命的といわずにはいられない。
「……こんにちは」
その声を耳にした瞬間、身体が飛び跳ねた。
服の中に氷を落としたかのような、ぞわぞわと何かが背中を駆け巡る感覚。実際には跳ねてはないと思うが、さて、もしそうだとしたら恥ずかしい限りである。
バクリと一つ、大きく鳴った心臓は少し足りとも収まる気配はない。
身体中が一瞬にして熱くなり目線が落ちて、それを無理矢理上へと矯正し、しかし瞑ることによってようやく事なきを得た。
「久しぶり、な気がしますね」
「……はい。そんな、気がします」
ゆっくりと開いた瞳の先に彼女の姿は移さない。人と話す時は目を見ろと言うし、知っていて、わかってはいるが、遥か遠くを眺めていた。
久しぶりとは言ったもののたかだか三日四日。それだけではあるが、そわそわと、慣れないことをするかのような落ち着きの無さが止まらない。
俺の視線が自らに向いていない事に気がついたのか、燐子さんは後ろを振り返ってみるがそこには何もありはしない。
「…………」
会話など、振れる筈がない。
それは俺だけなのか、彼女はそわそわとしてはいるがいつもとそう変わらない、気がする。
気づいていないだけなのか、気にしているのが俺だけなのか。彼女は、まるで何とも思っていないのか。
一歩、燐子さんに向けて歩を進めた。
「謝りたいことがあるんです」
「謝りたい……こと?」
ごめんなさいと、言うだけならば簡単なもの。内面も、外面も、これで変化など怒る筈もなく。
身体を屈めて地面に頭を付け、なんてことで解決するならば苦労はなく、どれだけの事をしようと自己満足。ほら、今彼女を目の前にして、罪悪感と、そして他にも何かはあって。
何について謝ったのか、決して口にはしないけれど。
「そ、それなら私も……謝りたいことが」
対抗でもするかのように、しかしじわじわと消え入るようにして彼女が発したものは、それより先は告げられることはなかった。
なかったが、伝わらないというわけではない。消え入るようなくせをして、それとは反対にゆっくりと顔が赤くなっていく。
内容など、それ一つで充分。
指先が震えるのは寒さからか。情けなくて、隠すように身体の後ろで手を組んだ。
「一つ、聞きたい事があるんですけど」
「……なんでしょうか?」
蛇足。その伝え話を馬鹿にはすれど、人間とはそうしてしまうもの。
だから俺が問いたそれも意味のない、そして必要のないものであったことなど、自分でも馬鹿らしいほどにわかっていた。
「どういうこと……でしょうか?」
「……いえ、忘れてください」
唇を噛む。強く、強く、その色が滲み出して流れ出るように。
この問いは何度目か。学ばないやつ、理解しないやつ、でも不安で、俺の事をどう思ってるんですかなどと、聞かぬ方がいいとわかりきっていることを聞いてしまっていた。
「わからないん、ですか?」
「わかってます」
わかっている、わからされた。でも、だから怖いのだ。
「燐子さんが思ってる程……俺はいい人じゃないです」
ここまでして、それでも胸の内に隠し込む。かっこつけて、よく見せているだけで、ほら、暴いてみれば録なものじゃない。
ここまでして、この行動には理由がない、意味がない、必要がない。嫌われたいわけでも、懺悔でも、彼女の想いを否定したいなどもってのほか。
本当に、蛇足というやつだ。
「……それなら、私だって蒼音さんが思ってるよりずっと、悪い人間……です」
「そんなこと……」
「あります」
だってと彼女が呟くと、俺は無意識に一歩退いていた。
「今蒼音さんが悩んでいること全部、元を辿ってしまえば私のせい……ですから」
「…………」
否定しろ。
悪いのは俺だ。
気持ち悪くて移り気で、サボり癖があって嘘つきなくせに正直者。そう、そうだ、悪いのは全部俺で。
「私は、蒼音さんの事になるとちょっとだけ、我が儘になっちゃいます」
チカチカと目眩がする。
「あなたの事が好きで」
キリキリと、締め付けられるかのような頭痛がして。
「あなたに好きであって欲しくて」
吐いてしまいそうな身体を、何とかして支える。
「また、我が儘を言っていいですか?」
「……なんでもどうぞ」
今、なんと言われたら断れるのか。ああいや、なんでも受け入れてしまいそう。それこそ手を繋げでも、キスをしろでも、なんでもだ。
ペットとかそんな風な、従順にでもなってしまった気分で彼女の言葉を待つ。
「自分に、嘘をつかないでください」
お願いですと、告げられた。
それだけを残し、今日はもう遅いのでと帰る彼女を後ろから眺める。少しだけ手が伸びて、だけれど足が動かない、声が出ない。
空を見上げてみれば、随分と身体が重たいことに今更ながら気がついた。