女体化上杉君が天涯孤独になって中野家に預けられる話   作:悠魔

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三話

世界に置いていかれたような感覚。

皆んなは脇目も振らず歩いていくけれど、私一人だけが変われずに、その場で足踏みをしていた。

それでいいと思っていた。私はいつか役に立つ人間になれればそれでいい。勉強さえしていれば、いつだって私は前に進めるはずだって。

だけど、私は過去からやってくる鎖に絡め取られて、身動きが取れなくなってしまっていた。暗いのは怖い。不確定な未来は何が起こるか分からない。だから、目を向けていたくない。

過去に縛られ。

未来を恐れて。

私はただ、放棄という名の停滞を繰り返しているだけだった。

 

「上、ーー上杉ーー」

 

不意に声がした。

今はそれすらも煩わしい。目を開けてしまえば、現実を見なくてはいけなくなる。

夢想に逃避してしまえば、あとは楽だ。何も考えずに揺られているだけでいいーー

 

「ーーー上杉」

「………ッ」

 

ぱっちりとした瞼。輪郭のある鼻。同性から見ても魅力的な顔立ち。

何度も見た顔がすぐ近くにあった。

しかし、この子達に限ってはーー何度、顔を見ようとも、顔だけでは誰かが分からない。少し離れて見ると、腰まで伸びたロングヘアと、頭についた黒い蝶のリボンが目に入る。ーー二乃だ。

中野家の五つ子は、こういう小物でしか判別がつかない。ーー至極面倒くさい。そしてこの苛立った口調から推察するに、おそらくまた面倒な事になりそうな気配。

 

「ーー何度も呼びかけたんだから、すぐ起きなさいよ」

「…………ん」

「まあ、いいわ。今からご飯作るけど、何か食べたい物とかある?」

「……別に、ない」

「あっそ。じゃあこっちで適当に作っとくから、荷物運んでくれた四葉に礼でも言っておくこと。いい?」

「……………」

 

首を微かに動かす事で返事した。

二乃が溜め息をついてキッチンに向かうのを見ると、伸びをしてーー身体が動かない事に気がついた。

ソファに沈み込んだお尻が離れない。長いことここに座っていたからだ。

 

(ーー寝すぎた。疲れてたんだ……人の家で寝るなんて、私ったら………いや、もう私の家なんだっけ)

 

夜の空に散りばめられた星を見て、もう夜なのかと呆けた頭は認識した。星を数えている内に、意識は覚醒していく。やらなければならない事が沢山ある。年金や保険証などの手続きにも行かなければならないし、定期テストも受けていないので追試に向けて勉強せねばならない。優秀な成績、かつ止むに止まれぬ事情ということで、ほぼほぼ形だけのテストだと言われたけれど。

ーーー明日からでもいいか。

 

「家庭教師、どうするの」

「んー……?」

「パパがね、あんたを引き取る時に言ってたの。家庭教師の仕事は強制しない、って。もし辛いようなら辞めてもいいし、それであんたを追い出すような事はしないって」

(………………)

「あんたが休む、ないし辞めるんならその時は別の家庭教師をつけるって言ってた。……だから、結局はあんたが続けたいかどうか、ってわけ」

 

随分と良い条件だ。

寧ろ、ここまで良くしてもらっていいのだろうか。彼の鉄仮面の下に詰まっていたのは意外にも優しさだった。

……バツが悪い。勝手に恨んで、勝手に感謝して、自分の子供っぷりにほとほと呆れ返る。しかし、素直にその優しさを全て受け入れるほど、単純な子供でもなかったが。

自分は捻くれたガキだ。

中野丸男にここまで良くしてもらっても、どうしてもあの男が純粋な善意ではなくーー贖罪のために奔走する咎人のように思えてしまう。

 

(同族嫌悪、かな。罪といえば、私もーー)

「じゃあ伝えたから。……あとね、上杉」

「何?」

「問題集、役に立ったわ。あれのおかげで前より良い結果が出せた。全教科赤点回避とはいかなかったけれど。……ありがとう。私達への迷惑とか、気にしなくていいからね」

「……………………」

 

しばらくの間、その言葉をただの音としか捉えられていなかった。それを意味として理解したのは、もうしばらくしてからだった。

ごちゃごちゃ考えるのが面倒臭くなって、自分に充てがわれた部屋に入っていく。もともと大して物を持っていなかったので、中は簡素なものだ。

 

(ーーずっと欲しかった個室。私だけの、どれだけ散らかしても、どれだけ汚しても誰も文句を言わないーー個室ーー)

 

皮肉なものだ。

家族を失った代わりに孤独を手に入れた。

いくらお金を貰おうとも、いくら良い生活をしようとも、満たされることは無い。

心の穴だけは塞がりはしない。

死体安置所に行った時、既に父親と妹は死体として扱われていた。

青白い皮膚が恐ろしく冷たかったのをよく覚えている。あちら側とこちら側に存在する、どうしようもない隔たりに気付いてしまったのだ。

ただそれだけだ。

死んだ人は生き返らない。その事実を突きつけられた瞬間、これでもかと心が抉られーー大きな風穴が開いてしまった。

 

この穴は、未だ埋まらず。

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