女体化上杉君が天涯孤独になって中野家に預けられる話 作:悠魔
中野丸男の登場は突然だった。
二乃が料理をしだす夕方頃に、ふと、静けさを身に纏ってやってきた。
姉妹達が顔を上げる。
「あれ?帰ってくるなんて珍しいーーでもないか。最近は多いもんね」
「ああーー少し、用事があってね」
彼の視線を感じて、用事とは私にあるのだろうと察する。
自分の部屋ーー何もない部屋に彼を招き入れると、少しばかりの沈黙が流れる。彼の家であるはずなのに、営業先にやってくるサラリーマンのような可笑しな空気感が漂っていた。
「ーー調子はどうだい」
「御心配おかけしました。家庭教師の仕事は続けられます。少しずつですが、あの子達の勉強も再開していっています」
「それは結構。だが私が聞きたいのは君自身の事についてだ」
「…………」
「五月君から聞いたがーー突発的に睡眠する事が多いそうだね。医学的な観点から言わせてもらうと、それは過分なストレスが要因なのではないかと推測できる」
「……精神的ストレッサー、ですよね。対人関係で生じる、心身にストレス反応が出ている状態のこと……」
「よく勉強しているね。そしてそのストレスを感じると睡眠抑制ホルモンが働き、寝付きが悪くなったり、夜に寝れなくなってしまう事が増える。自覚はあるかい」
「………ええ、まあ」
単純な話、夜に寝れない分、昼に寝るというだけだ。
この間の一花や四葉の一件といい、自分でも夜に出歩く事が増えていると思う。
だがーーその度に、得も言われぬ窮屈さを感じるようになった。ここは三十階の高層マンションの天辺だ。景色もよく、生活環境に不便はない、がーーあまりにも外界とかけ離れすぎている。
この窓から下を見下ろす度に、ここが鳥籠のように思えて仕方がなかった。
「ここをーー君の家だと思ってくれて構わない。と言っても、直ぐには無理かもしれないがーーここは君達を守る為の家であって、既に家庭教師の仕事場ではない。居心地の良さは、保証する」
「ーーーええ、ありがとうございます」
二人の歯車は、どこか空回っていた。
お互いに回り続けてーーしかし噛み合ってはいなかった。
▽▽▽▽▽▽
無言で家を出ようとする父の背中を見つけると、二乃は咄嗟にその影を追いかけた。
「待って。もう行くの?」
「ーー仕事があるんだ」
言葉の中に感じる、出来合いのーー作り物のような違和感。確証はないが、それが真実であるとは思えなかった。
「ねえ、パパ。ーーなんで最近、家に帰って来るようになったの?それに急に上杉を引き取るだなんて、そんなーー」
ーーーパパらしくない。
その言葉を喉元に抑えた。ーー思い出したからだ。彼の事を何も知らない事に。
「ーー彼女の父親とは、実は昔から交流があってね。彼が死んだ時、自分に近い者がいなくなる恐怖を思い出したんだ。ーー君達もふと、いなくなってしまうかも、と」
「ーーーー」
「上杉君を引き取ったのも、彼へのーーなんというか、情、と言うべきかなーーそういったようなものがあったからだ」
「パパ………」
彼の一端に触れた。
それはとても深く、穏やかなものだった。
未知は既知へと変わる。
「独りよがりなのかもしれない、がねーー私がいると、君達の居場所を壊してしまっているような気分になるーー」
「壊す、というなら。もうとっくに私達の世界は壊れているわ。家庭教師を雇うって決まった時点で私達の生活は変わらざるを得なくなってしまった。あの子がこの家に住み始めて、その変化はより大きい物になったわ」
「………」
「私達の世界はいつも動いてる。だから、私達自身も変わらなきゃいけないーーそうでしょう?」
「……そうだね。では、私はこれで」
行く。行ってしまう。
父親は父親らしくなく、どこまでも、一人の孤独な男だった。
彼も、またーー。
「晩ごはん。食べて行かないの」
自分の口から出たとは思えない発言。以前なら言う事は絶対に無かったであろう言葉に驚いたのは、他ならぬ自分自身だ。
彼女の父親は少しばかし目を開いてーー
「いきなり食事はハードルが高い」
「…………」
ヘタレた。