ヒカルは、平八の家に行きました。
「じいちゃん、いる?」
「おう、ヒカルじゃないか。なんだ。」
「これお菓子。お母さんが持って行けって。」
「そうか、ちょうどお茶にしようかと思っとったんだ。」
ばあちゃんとじいちゃんとお茶飲み話に花を咲かせるヒカルでした。
「ヒカルはこの頃、小遣いをせびらなくなったの。」
「せびったほうがいいの?」
「いやいや。この頃ゲームはしとらんのか。」
「してるよ。でも盤ゲーム。」
「盤ゲーム?なんじゃ。それは。もしかして野球盤でもしとるのか?」
「いやですね。おじいさん、人生ゲームとかモノポリーとかいうんじゃないの?今の流行は。」
ヒカルは嬉しそうにもったいぶって言いました。
「実は俺、碁を始めたんだよ。」
平八は食べかけのお菓子を喉につまらせそうになりました。
「何、碁ぉぉだとぉ。」
「うん、まだ始めたばっかだけどね。でも一応打ち方は分かったんだ。」
平八は隣の部屋にヒカルを引っ張って行きました。
平八の碁盤が置いてあるのです。
並べていた石を片付けると平八は言いました。
「九子置いてみろ。」
ヒカルは不思議そうな顔をしました。
教室ではまだそういう打ち方をしているわけではなく、初心者同士、打ち合っているだけでした。
言われるままに星に置き、対局が始まりました。
平八は軽く唸りました。
「なかなか、打てるじゃないか。一体いつから始めたんじゃ。」
それが三か月前と聞いて、平八はまた唸りました。
「むむ、ヒカルはわしの血を受けついどるんじゃな。」
「じいちゃんの血ぃ。やだな。」
「何を言っとる。」
そこに、ばあちゃんがお茶を持ってきて、のんびりと聞きました。
「どっちが勝ったんですか。」
平八のこめかみが、ぴくぴくっとしました。
「わしにきまっとるだろう。ヒカルはまだまだ初心者じゃ。そうだ。わしが鍛えてやる。明日から毎日打ちに来い。」
そんなこんなで、ヒカルが平八と打つ毎日が始まりました。
教室も五か月目に入った時、夏休みの頃でした。
今やヒカルは白川のクラスで、二番目の実力者になっていました。
とはいっても、初心者教室のですが。
「進藤君は本当に力が付いたねえ。」
「うん、じいちゃんとしょっちゅう打ってるんだよ。前は九子だったけど、今はもう六子になったよ。」
「おじいさんと一体どんな碁を打ってるのかなあ。見てみたいね。」
「じゃあ、並べて見せるね。昨日打った奴だけど。」
「進藤君? 君、打った碁を覚えてるの?」
「当たり前だよ。自分が打ったんだよ。覚えてるに決まってんじゃん。」
それを聞いて白川は微妙な顔をしました。
それからヒカルが石を並べた碁盤を眺めました。
ふーむ。進藤君のおじいさんはかなりの強者だね。阿古田さんの敵ではないな。
「それにしてもよく覚えてましたね。」
「大したことないよ。俺さ。さっき、先生と阿古田さんが打ったのも、並べられるぜ。見てたから。並べて見せようか。」
白川はその言葉にあっけにとられて、それから急いで言いました。
「進藤君。そうだとしたら君はすごい才能があるよ。でもそんな碁は覚えなくていいから、覚えるんなら、もっとちゃんとした碁を覚えた方がいいよ。」
「先生。わしの碁はちゃんとしてないっていうんですかね。」
阿古田が、横からねちねち迫ってきました。
「あは、いや。ちゃんとというのは、プロの対局っていう意味ですよ。タイトル戦のような。この教室では阿古田さんの碁は皆さんのお手本ですけどね。」
阿古田が、納得して引き下がると、白川は、こっそりため息をつきました。
”阿古田さん”。 それが、白川にとって今、最も憂鬱なことでした。
「というわけで、今日はここまでです。」
阿古田が帰ったのを確認してから、白川は、帰りがけのヒカルを呼び止めました。
「進藤君に、棋譜の本を貸してあげるから、勉強してみるかい。分からないことは教えてあげるけれど、おじいさんもいることだし、役に立つかもしれないよ。」
白川は思っていました。
本当に覚えられるのかわからないけれど、覚えるんだったら、まずは現代の碁がいいかな。
試しに、これはどうかなあ。
たまたま持っていた、薄い棋譜のパンフレットをヒカルに貸しました。
十局ぐらいしかないものでした。
ついでに棋譜の見方も、教えました。
「今度詰碁の本も貸すからね。とりあえず、こういうのを知っておくのもいいかな。」
翌週のことです。帰りがけにヒカルは言いました。
「先生、あれ全部、見ないで並べられるようになったんだけどさ、並べればいいだけなの?それだけでいいの?」
「し、進藤君、本当に全部かい?」
「うん。なんで?」
「一体どうやって?」
「ほら、いつも打ってる友達がいるって言ったろ。あっ、言ったよね。それであの本見ながら。並べてみたんだよ。初めは俺が黒、相手が白。それで俺は手順を覚えたから試しに、次は俺は本を見ないで白で、友達の方は本を見て黒。それで、OKってわけ。だって10個くらいしかなかったから、楽だったよ。」