創立祭は盛況でした。
三年生は受験を控えているから、一、二年が主体なのでしょうが、結構な人出でした。
「この中学って、一小と二小と三小から来るでしょ。だから生徒の人数が多いんだって。」
ヒカルが通っているのは、三小、葉瀬第三小学校でした。
それだけいれば、碁を打つ子も何人かは居る筈だと、思うのですが、見渡したところ、囲碁部はありません。
「囲碁部って、お店とか出す感じじゃないのかもね。」
「うん、そうだな。」
碁サロンみたいにしたってしょうがないもんな。
たこ焼きを食べていると、あかりが言いました。
「あそこ、茶道部はあるね。」
「俺、茶道部なんて入んないぜ。中学で。」
「そうだね。私、中学生になったら、まだやったことないことをしてみたいな。」
「あかりー。」
少し先の方で、あかりの友達が手を振っています。
「さやかたちだわ。」
「行って来いよ。たこ焼喰ったし、俺、もうちょっとしたら帰るからさ。」
「うん。じゃあ、そうするね。」
あかりが行ってしまうとヒカルは将棋部と出ている看板の方に歩いて行きました。
その近くで中学生が一人、ビラを持って立っています。
「おい。そんなとこで何やってんだよ。」
「何って、勧誘。」
「生徒に配らなきゃ、意味ないぜ。ま、配ったところで誰も入んないだろうけどな。碁なんて止めちまえ。」
ヒカルの耳に碁という言葉が飛び込んできました。
「今年からこの地区でも中学の大会が開催されるんだよ。囲碁部のある中学が増えたからだよ。葉瀬中でも三人集まれば団体戦出れるんだ。」
「出てもお前のへぼ碁じゃ勝てないぜ。どっちにしても諦めるんだな。」
「ほっといてくれ。」
中学にも阿古田さん並みに意地悪いのがいるのかな。
ヒカルは二人のやり取りを眺めていました。
その時ビラを持ってる子がヒカルの方を見ました。
「ビラいる?君は葉瀬中に進学する子?」
そう言って、一枚くれました。
「そのつもりだけど。」
「君は碁を打つの?」
「うん、まだ一年たたないけどね。」
「じゃあ、もし中学生になったら、囲碁部に入ってくれないかな。」
「そりゃ、いいけど、でも俺まだ五年生だよ。囲碁部って、お店出してないの?」
「囲碁部なんてないんだよ。将棋部ならあるぜ。」
もう一人が言いました。
「僕は囲碁部を作りたいんだ。でもやってる人がいなくてね。」
「やったことなくてもやりたい人って居ないの?こういう時にお店を出して、初めての人を呼びこまなくちゃいけないんじゃないの?」
これはまた、ヒカルのなかなかの発想です。
逆行したおかげか、ヒカルは囲碁の普及という大問題に挑戦しているのでしょうか。
「おい。筒井よ。このガキの言うのが最もだな。勧誘のビラ配りじゃなくて、何かすべきだったな。がはは。」
そう言って将棋部の子は、行ってしまいました。
筒井はヒカルに言いました。
「彼は加賀っていうんだ。将棋部なんだけど、碁も打てるんだよ。もしあと一人いたら、団体戦出れるんだけどね。」
「団体戦って?」
「うん、大会にはね、三人一組で、そのうち二人勝てば次に進めるトーナメント戦があるんだよ。僕は、団体戦に出たいんだ。」
「えっと、筒井さんていうんだよね。筒井さんの小学校には囲碁部はなかったの?」
「うん。なかった。でもクラスに一人、碁を打つ子がいたんだ。その子は私立に行ったから。君はどこの小学校?」
「三小。」
「僕は二小なんだ。加賀は一小だから将棋と囲碁を一緒にした部があったんだって。でも実際は将棋しかやってなかったらしいけど。」
ヒカルは筒井に中学に入ったら、囲碁を一緒にやろうと約束しました。
家に戻りながらヒカルは呟きました。
部活を作るって冗談なんかじゃないのか。でもすげえな。
ヒカルには、やりたいことをやるために、一人で頑張っている筒井の存在は、驚きでした。
学校というのはヒカルにとって、初めから存在するものという観念がありました。
要するに大人が作ったものです。それに子どもが口を出して部活を作るなどということは考えたこともありませんでした。
大体、ヒカルは学校には仕方なしに通っているようなところがありました。
逆行前、一応中学三年まで過ごしていたのですから、その感覚はどこかに残っているのかもしれません。
正直、ヒカルにとって、学校は、かったるいものでしかありませんでした。
何か忘れていることを探すのがヒカルのひそかな一番の目標でした。
それに今は、碁が大きな比重を占めていました。
学校へ行く時間がもったいない、そんな気持でした。
ヒカルの弟子としての時間は、週二回から始まって、どんどん増えていきました。
早めの夕食の後、出かけるというそれは、塾に行く感じかもしれません。
受験する子は五年生でも九時十時に塾から家に戻りますが、ヒカルも夜の一時を白川のもとで、碁の相手をしてもらいました。
プロとの一局毎の対局で、ヒカルは佐為に磨いてもらった力をしっかり、がっちり取り戻していきました。
白川は、ヒカルにプロ棋士というものを分からせることにも時間を使っていました。
そういう意味で、白川は、なかなかによき師でした。
ヒカルは、逆行前プロ棋士として、少々の時間を過ごしてきた頃よりも、ずっと深く物事を見れるようになっていました。
年齢的には小五で、中三よりは若いのですが、でも考えたら、逆行した二年生の時から数えて、四年間を足した分だけ、人生経験は積んでいるのかもしれません。
さて、ヒカルを弟子にした白川ですが、彼は絶好調でした。
もちろん彼もずっと期するところがあって頑張ってきたのですが、プロになって十年余り、覇気を失っていたかもしれません。でも今は少し違います。
進藤君は本当に信じられない伸び方をしている。
そんな進藤君と打つと、僕にも力が湧いてくる気がするんだよな。
いや確実に力を貰っている。
僕は今回は、リーグ入りできる、絶対に。確信がある。
こんなに調子がいい時にリーグ入りできなかったら、いつリーグ入りできるっていうのか。
ヒカルが弟子になってから、白川は、幾つかの棋戦の予選を順調に勝ち進んでいました。
それはそれとして、進藤君はプロになりたいとなぜ言わないのだろうか。
院生になることを勧めるべきか。だが、彼は今はもう院生上位の力がある。
そして五年生の終り頃には、ヒカルの棋力はプロ試験を受けた頃ぐらいになっていました。
「進藤君は、プロになりたくはないのかな?」
白川は、初めてそう切り出してみました。
俺がプロ?
それはヒカルが、何となく心にはあっても、あえて考えないようにしていたことでした。
限りなく逆行前の棋力に近づくにつれ、ヒカルには、なぜか躊躇いのような感情が芽生えていました。
何に対する躊躇いなのか、それがよくわからない、躊躇いなのです。
厄介なものです。
もしかして、これって、俺が忘れた何かと関係ある?
そういう気がしました。
「先生。中学生になって決めたら、遅いですか。」
「いや、そういうことはないよ。」
もしかして、親御さんが反対するのかな。
碁をやることには反対しなくても、プロになるのは賛成しない。そういう親もいるけれど。
あるいは、進藤君は、自信がないのかな。僕としか打たないから。きっと、そうかもしれない。
彼は、もっと、多くの人と交わる必要がある。
とにかく進藤君を育てるのは僕の使命だ。