「あなたたちの中には私立に行く人もいるけれど、葉瀬中に行く人が多いでしょ。だから、六年生の時に、スポーツやゲームで、一小、二小と交流を持ったらどうかということで交流会というのが、各小学校持ち回りであるのよ。」
担任は粛々と話しました。この辺りは私立受験の子が結構いて、交流会はいつも今一つ盛り上がらない傾向がありました。やらなくてもいいのじゃないかと言われながら、だらだら続いている催しなのです。
「時間のある人はなるべく出てくださいね。ことしの会場は二小よ。」
「交流会なんて来なければよかったよ。」
あかりはぶつぶつつぶやきました。
先生が、当然のように、私やヒカルの顔を見るんだもの。参加名簿に名前を書いちゃったんだよね。書いたのに、まみちゃんは行かないって。お父さんの転勤で中学は静岡なんだっていうし。さやかはもともと私立志望だしね。ヒカルは連合運動会のリレーの練習で来れなくなっちゃったし。
一緒に来た友達は大縄跳びをやると、さっさと帰ってしまいました。
あかりも帰ろうと思ったのですが、ヒカルが、時間があったら来るかもしれないと言ったのを思い出して、まだぶらぶらしていたのです。知らない子といきなり話なんてできないよねと思いながら。
あれっ?教室でも何かやってるのかな。
よくみると、教室でゲームをやっていますと張り紙がしてありました。
ゲームってなんだろう。時間つぶしになるかもと思って、あかりはその教室を覗きました。
一つの教室は人でいっぱいでした。
もう一つの教室は、十人ぐらい人がいるだけでした。
あかりがちょっと覗くと、よく来てくれたと言わんばかりに、歓迎されて、引っ張り込まれてしまいました。
あかりは向かい合って碁を打っている子たちを見つめました。
「碁ですか?」
「そうなんだ。でも敬遠しないでちょっとでいいから、遊んでくれると嬉しいのだけれど。」
中学の制服を着た男の子が言いました。
この人、OB?
「良ければこれに名前だけでも書いてくれる。」
一小、二小、三小の欄がありました。
藤崎あかりと書くと。「もしかして、あかり?」
傍にいた女の子が言いました。
あかりが見ると何となく見覚えがあるような、ないような子でした。
「覚えてないかも、あたし津田久美子。幼稚園で一緒だった。」
「くみこ?うん、覚えてるよ。久美子って二小だったんだ。」
「うん。でも二年で転校して、この二学期に戻ってきたばかりなの。」
「で? 久美子、ここで何してるの? 久美子も碁を打つの?」
「ううん。打ったことないよ。でも担当にあたったの。お世話係の。」
それから、久美子は、碁盤を囲んでいる子たちを指して、そっと教えてくれました。
「窓の傍で打ってるのが、一小の三谷君って子と二小の土呂君って子なの。それからこっちで打ってるのが夏目君っていってやっぱり一小、で相手の金子さんは私と同じクラスなんだよ。あとは碁石を使ったゲームをやってるの。それ教えているのが、水田先生っていうの。」
「少ないんだね。」
「うん。隣の将棋は多いのにね。ちょっと見に来て少しゲームやって帰った子も何人か、いたけどね。そういえば、三小は誰も来なかったよ。あかりが初めてよ。」
「先生、縄跳びやドッチボールのことは言ってたけど、碁の話はしてなかったから。聞いてもやる人がいるのかは分からないけれど。」
中学生が言いました。
「藤崎さんていうんだね。良かったら少しルール教えてあげるからやってみない。意外と面白いんだよ。」
「私、ルールだけは一応知ってるの。そうだ。久美子に教えてあげてください。私、受け付け変わりますから。」
「藤崎さんは強いの?」
「全然。ちっとも勝てないけど。でも久美子、ルール覚えたら、今度一緒にやって遊ぼうよ。ねっ。」
あかりはさっさと二人を空いている机に座らせました。
中学生は丁寧に優しく教えていました。久美子は熱心に聞いていました。
あかりはそれを見るともなく見ていました。
「ありません。」そう言って、土呂君という子が投了して、そこで行われていた碁は、すべて終わったようでした。
その時、あかりは初めてヒカルがその対局を熱心に見ていたことに気が付きました。
「ヒカル?いつ来てたの?」
「さっき。でも、もうドッチは終わってたよ。最も、俺、くたくただからやるのは無理だったけどね。二時間も走らされたらもうダメ。あかりが待ってるといけないから、迎えに来たのに、お前いないじゃん。で、ちょっと見たら教室で何かやってたからさ。覗いたんだ。」
その時でした。三谷という子が言いました。
「俺、もう帰る。夏目はどうするの?」
「僕も帰るよ。」
中学生が慌てて言いました。
「中学に入ったら、ぜひ囲碁部に来てね。楽しみに待ってるから。」
「考えときます。」
そう言って二人は帰っていきました。
「先生。もう片付けますか。」
金子という女の子が言いました。
「一つだけ出しておいて、後は片づけてくれるかな。」
「私も手伝う。」
久美子も立ち上がり、慌てて手伝いを始めました。
それを眺めながら水田先生は中学生に言いました。
「筒井君。来年は何とか囲碁部できそうじゃないか。金子さんも土呂君も入るよね。」
「僕は葉瀬中行くかわからないから。」
「あっ。そうか。」
「時々で良ければ。私、中学じゃ、バレーボールやりたいんです。」
その時、ヒカルが言いました。
「筒井さん、どうしてここにいるの?中学生なのに。」
「進藤君が創立祭で言ったから僕も考えて、来年進学する小学生を勧誘することに決めてね。水田先生にお願いしたんだ。隣の教室には加賀もいるよ。でも、君が来ると思ってたのにいなくて、がっかりしてたんだよ。」
「へえ、そうなんだ。すごいんだね。筒井さん。碁が本当に好きなんだ。俺、連合運動会出ることになって、今日もリレーの特訓させられてたんだ。それでくたくた。」
金子と土呂が居なくなった後、久美子はまだ教室に残っていました。
「ヒカルって、あの進藤君だよね。」
「うん。ヒカル、久美子、覚えてる?幼稚園の時よく一緒に遊んでた津田久美子ちゃんだよ。」
「名前は何となく。で、津田、お前って碁をやるのか?」
「全然、何も知らないよ。二小だから、ここの担当で雑用係なの。」
そう言っていると、加賀が覗きました。
「筒井。少しは効果あったのか。将棋部は来年も盛況だぞ。結構打てる奴もいて。」
それからヒカルに目を向けました。
「お前、確か、どっかであったな。」
「創立祭で。」
水田先生がその時言いました。
「さて、まだ時間があるから、一局打つ?筒井君は少しは腕あげた?」
「相変わらずです。打つ人がずっといなくて。」
「筒井さんの碁って見てみたいな。」
「見てもしょうがないぜ。こいつのはへぼ碁だからな。勉強にはならん。」
そこで、水田は加賀に聞きました。
「君は将棋部でしょ。碁もやるの?」
「加賀君は強いです。口惜しいけれど、憧れちゃいますよ。」
「じゃあ、一局お相手してくれる?このところ、碁を打ってくれる子がいなくてね。」
加賀は、意外にも素直に水田と打ちました。
面白いよ。二人ともなかなかいい手を繰り出すよね。
加賀って、将棋の方が好きなのかな。碁をずっと打っていれば、いいところまで行ったのに。
水田先生は、泉さん程には打てないけど、結構慣れてるな。加賀より上手だとは思うけど。
あっ、そこはダメだよ。加賀の思うつぼだよ。
「これは。」
水田は言って、投了しました。
「本当だ。加賀君は結構強いね。助っ人で、囲碁部に来てくれれば、いいのにねえ。筒井君。
ところで、そこの君は。熱心に見てたけど、碁って面白いでしょ。やってみないか。ルールだってそんなに難しくないし。」
ヒカルは少し困りました。
「はあ。俺、少し打てるんですけど。」
「じゃあ、打ってみるかい?」
「うーん。あかり。お前、先生に打ってもらったら。三子置とか。」
これって、白川先生のいう対外試合というか、そういうのになるのかな。そういうのやると、破門なのよね。
「はい。お願いします。」
あかりは、水田の前に座りました。
「あかりって、大丈夫?」
久美子が心配そうに言いました。
「私って負け慣れてるから。先生にはもちろん勝てないけど。」
「先生についているの?」
「駅前の初心者教室にちょっと通い始めて。もうすぐ一年ぐらいになるかな。」
あかりは、素直な碁を打ちました。いつも上手の人に導かれていたので、気持ちいい手です。
そうか。最近あかりの対局、まともに見たことなかったけど。ちゃんと上達してるじゃないか。
「ありがとうございました。」
あかりは頭を下げました。
「藤崎さんだったっけ。金子さんといい勝負になりそうだね。これで、津田さんが碁を覚えれば、女子も大会に出れるんじゃないの?」
「大会?」
あかりが不思議そうに言いました。
「中学の大会。団体戦ていうのがあるんだ。三人一組で、二人勝てば、次に進める、トーナメント戦。」
水田は楽しそうに、ヒカルに向かって言いました。
「君も藤崎さんに習ったら?藤崎さんと打つと勉強になるんじゃないかな。」
ヒカルは何と答えたものかと、戸惑いました。
筒井をちらと見ると、筒井が可笑しそうな顔をしていました。
俺が前に言ったこと覚えてるんだな。フォローしてくれてもいいのに。人が悪いな。
「私。ヒカルには、たまに九子置で打ってもらってます。」
あかりは恐れ気なく、爆弾発言をしました。
水田は少し驚いた顔をしました。
筒井が言いました。
「僕は進藤君とは一度しか会ってないんですけど、去年の中学の創立祭で。確かプロの先生に弟子入りしてるって聞いてます。囲碁部に来てもらって、打ってもらえるのを楽しみにしてるんです。」
「君は院生か何かかい?」
「院生ではありませんけど、大会とか対外試合は出られません。」
水田は泉より粘着質かもしれません。
「進藤君。暇があったら僕と打ってくれる?君の腕前を見たいよ。」
ヒカルは気乗りしませんでした。ヒカルはヒカルなりに、いつも忙しいのです。
「駅前の碁サロンなんかどう?」
「あそこはちょっと。」
「塔矢君が来るなって言ったからよね。」
あかりが、あっさりと言いました。
「塔矢君って、塔矢アキラを知ってるの?」
「ただの知り合いなんだけど。」
そこに加賀が口を挟んできました。
「お前。塔矢アキラとケンカしてるのか?」
「碁のじゃないよ。ただの小学生同士の口げんか。だって、塔矢は俺が碁を打てるって知らないと思うから。」
ヒカルは不機嫌に言いました。
「お前、ちょっと座れよ。打ってくれ。」
加賀にしては珍しいことでした。
「何子置くの?」
ヒカルは仏頂面して言いました。
「俺様に置き石をさせる気か。互戦に決まってるだろ。」
加賀が握り、黒を持ちました。
打ち合いながら、ヒカルはぼんやりと感じていました。加賀の碁に対する屈折した思いをです。
加賀は強いのに、何で将棋やってるのかな。きっと碁より将棋が好きなんだろうな。でも何で筒井さんにちょっかいを出すのだろう。
創立祭で、筒井に絡んでいた加賀を思い出しました。
何か嫌な思い出でもあるのかな。そんなの忘れて、碁そのものを好きでいてほしいな。
こんな面白い碁を打つんだから。
加賀は思いっきり打ってきました。それは水田と打っていた時とは、また違った感じでした。
あかりのとは違った意味で真っ直ぐな碁を打っていました。
何かの思いが溢れている。だから俺はそれを思いっきり受け止めてみよう。きれいな模様を作ろうぜ。二人で。
正直、加賀じゃ力不足だけど、でも手は絶対抜かないからね。
とても静かな時間でした。
「ありません。」
加賀が投了しました。
「すごいよ。」
筒井が呟きました。水田も頷いています。
「進藤君はいったいどのくらい打ってきたの?」
「俺?一年半かな。」
その言葉に水田も加賀も固まったようでした。
「その前に少しは打ってたんだよね?」
「ううん。ちょっとしたことで塔矢と知り合いになって、碁サロンで石取りゲームを教わったことが最初。それから初心者教室でゼロから教えてもらって、今その先生に個人指導受けてるってとこかな。」
俺帰るから。
石を片づけると、そう言いながら、ヒカルは、あかりと帰りました。
「久美子も一緒に帰ろうよ。」
あかりが言うと久美子も頷きました。
教室には水田と筒井と加賀の三人だけ。しばらくは沈黙が支配しました。
「筒井君。進藤君は囲碁部を手伝ってくれるのかい?」
「たぶん。いえ、絶対頼みます。」
その時でした。
「ははは。」
思いっきり、からっとした嬉しそうな笑い声でした。
加賀は、初めて中学生らしい年相応の笑い声を出していました。
「あいつ、全く手を抜かなかった。しびれたぜ。楽しかった。」
憧れるぜ。ここまで打てる奴に。あいつ、全然上手なのに、でも俺の力をすべて受け止めて、バシッと思いっきり返してきやがって。
おかげで、思いっきりすっきりした気分だ。何か、いろいろなことにこだわってたのが馬鹿らしくなった。
碁も悪くないよな。将棋が一番だけどさ。碁もたまにはな。
加賀は立ち上がりました。
「さ、俺も帰る。筒井、今日は誘ってくれてありがとうな。」