神の気まぐれ(ヒカルの碁逆行コメディ)     作:さびる

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37.オチ、付かないのが落ち着かない

アキラの新初段戦は、一柳棋聖との組み合わせでした。

棋聖位を早々防衛した三月の初めに行われました。

囲碁界のかつての栄光を求めてやまない事務局の坂巻は、塔矢アキラに過大な期待を寄せていました。

以下は坂巻の好みが反映した個人的な感想です。

 

ひとつ。

最高のスターを手に入れた。見栄えもいい、しかも最近の若者のような浮ついた格好をしていない。

制服のある私立の小学生ですし、休みの時も単に明子の趣味の服を着ているだけでしたが、明子と坂巻はファッションセンスが一致しているのでしょうか。明子がそれを知らないのは僥倖でした。

ひとつ。

挨拶にもそつがない。そもそも11歳でプロ試験に全勝合格したのだし、実力も十分、しかも四冠を維持している塔矢先生の息子さんだ。

坂巻の頭には、輝ける未来が見えていました。新初段戦の組み合わせが、決まると、早速一柳に挨拶に行きました。

 

棋院で坂巻に「新初段戦よろしくお願いします」と呼び止められた棋聖は、「ははん」と思いました。

坂巻君が塔矢さんの息子に並々ならない肩入れをしていると聞いているけれど、まさか新初段戦についてまで口出しかい?それはどうしたものかねえ。

私の門下が聞きこんできたところによると、彼は、何でもプロ5段ぐらいの棋力はあるらしいけどね。ミニ塔矢行洋というところなのかね。

 

うちのかみさんは言ってたんだが。子どもが棋士にならなくて、本当によかったって。一柳ジュニアは一流かいなんて言われてぽしゃったらいやだとか。まあ、それは私が言ったことだけどね。

塔矢さんは、抜かりないからね。子どもがぽしゃるなんてことは、まず無いだろうけどねえ。

 

私は内緒だけど、実は新初段戦なんて、くだらないからやめちゃえばいいと思ってるんだけどねえ。

それを作った頃は、プロ試験に受かったばっかりのは、すべてひよっこばかりという頭があったんだろうけどね。確かに、今までは実際ひよっこばかりだったがね。まあ、ショウなんだから、楽しく面白くでいいんじゃないの。でも上の棋士がポカして、ボケかますっていうのも毎回じゃあ、どうかとは思うけどね。

いっそ塔矢さんと父子対局にすればいいんじゃないの?盛り上がるよね。

 

一柳の頭の中では言葉がポンポン溢れていましたが、実際には一言、言ったきりでした。棋聖に相応しくない反応でした。

「そうだねえ。盛り上がるといいねえ。」

坂巻は少し拍子抜けしました。

あの一柳先生がどうしちゃったんだろう。

 

その一柳の頭は、どうでもいい新初段戦ではない、全然別のことでいっぱいなのでした。

この前、緒方君を思いっきり、からかっちゃたからねえ。緒方君、よっぽど頭来たのかもしれないが。でも私は、桑原先生程じゃないのにねえ。緒方君もしつこい男だねえ。江戸の仇を長崎でとか何とか、とにかくネット碁で、対局を申しこまれちゃったのよ。

 

それが三日前のことでした。

相手は、アマチュアですが、是非、指導してやってくださいと。でも緒方君のことだ。何かあるに違いないとは思ったが、負けちゃったよね。

全く、軽い気持ちで打ち始めたのがいけなかったよ。相手は序盤から思いっきり飛ばしてきたねえ。

ありゃ、私の勘だが、緒方君より断然筋がいいよ。アマチュアだということは、プロになったらどうなるのかねえ。

相手が新初段戦で当たったら、やだねえ。逆コミだなんて。それじゃあ、楽しめないよ。

 

まあ、次の日緒方君を呼び出して聞いてみたはいいけれど。あの相手は、間違いなくアマチュアだっていうんだよね。プロでああいう感じの碁を打つのは全く知らないしね。そう、なんというか、新感覚とでもいうのかな。この先実力のある若手の間で、はやりそうな手になるかもしれないよ。

緒方君、あの時、一言、言ったんだよね。「アマチュアだろうと、子どもだろうと侮れませんよ。」

もしかして緒方君もやられた口かねえ。

それで、もしやと思って、あれは塔矢さんの息子さんかいと聞いたら、「試験に受かった時点で、私はプロだと思ってますよ。」だってさ。要するに違うんだね。

「言ってくれるねえ。会ってみたいねえ」と言ったら、「そのうち、プロにでもなったら、いやでも対局できますよ、そう、タイトルリーグで、すぐにでも」と、きたもんだ。

 

だからさっき、塔矢さんに会った時に聞いてみたんだ。

緒方君は、ネット碁に嵌ってるのかねと。

何と塔矢さん、私が打った碁を知っていたんだね。緒方君が教えてくれたらしい。

 

緒方君は会わせてくれないんだけど、塔矢さんどう思うって聞いたら、良く知りませんがチャットとかいうのがあるそうですから、聞いてみたらいいのじゃないですか。私はどうもパソコンとかそういうのは苦手でと。

そういや、塔矢さんは、携帯電話も持っていないんだってねえ。

ということはやっぱり緒方君の嫌がらせかなあ。そう呟いたのよ。

 

そうしたら塔矢さん、いやいや、こんな対局を経験されるなんて一柳さん。ネット碁というものは案外いいものじゃないかと思いましたよ、私もやってみたくなりましたよ、だって。いうんだよねえ。

今度は思いっきり手を抜かず、打ってみたいねえ。

私もそう言ってしまったよ。

で、早速緒方君に聞いてみたんだ。あの相手と、どこで会えるのか。

そうしたら、何でも有料のサイトがあるんだと教えてくれたよ。

あまり、ワールド囲碁ネットには現れないらしい。

私はちょっとは遊ぶけど。そこまで、ネット碁、詳しくないんだよね。

でも早速そのサイトに申し込んだよ。

そうしたら、件(くだん)のあいてがいるんだよね。

緒方君の言い方じゃないが、本当にリーグ戦みたいな対局よ。凄い碁を打ちあってたのよ。

私は早速申し込んでみたよ。

相手はしっかり私の名前を憶えてくれてたんだね。嬉しいねえ。

そりゃ楽しい経験をしたよ。私もまったく、タイトル戦を戦っているような気持ちで打っちゃったねえ。

勿論私が勝ったよ。いや、勿論はなし。とにかく斬新な手を体験したよ。私は、そこまでで、かなり地合を稼いでいたからね。正直、かろうじて勝ったという気もしたよ。

 

で、チャットをしようとしたら、何と何と。英語しか受け付けないんだってことが分かって。あれは日本人なのかねえ。

でもきっと緒方君は、あそこで英語でチャットをしたんだね。で、子どもだって分かった。子どもって言ったって、何歳なのかねえ。プロになるのかねえ。緒方君に少しさぐりでもいれないとねえ。気になってしょうがないよ。

 

 

「進藤君に一柳先生をけしかけたんですね。」

緒方は白川にとっつかまり、思いっきり、苦言を聞かされたのですが、澄ました顔で言ったものです。

「私は、ただ、ネット碁で強い相手を紹介したまででね、それ以外は何も言ってませんよ。一柳先生も進藤の素性なんて一切知りませんから、いいじゃないですか。進藤には良い経験でしょう。」

 

白川はそれとなく一柳棋聖の様子を窺ったのですが、どこも変わったところはないし、ヒカルのことも知られていないことが分かりました。

やれやれだが、心配だ。まずは私が棋聖位を取る。私にできるのはそれだけだから。

それがヒカルとどう関係するか分かりませんが、緒方に対抗するのには、そのくらいしか道はない白川なのでした。

 

さてそうこうするうちに、新初段戦の日が来ました。

「これが塔矢君かい。お父さんに似てるかな。未来の名人かい。頑張りなさい。」

「はい。」

もちろん、当たり前ですの意味を込めてアキラはにっこり笑いました。

おやおや、こういうところは子どもだねえ。楽しいねえ。

一柳は、心の中でちょっと苦笑しました。

 

 

さて、対局はスムーズに始まりました。

モニタールームには、芦原と和谷と伊角がいました。編集部の天野が言いました。

「和谷君と伊角君か。気になるかい。やっぱり。」

「そりゃあ。」

「アキラの奴。張り切ってるな。張り切り過ぎじゃないか。」

芦原が言うと、天野は当然といった感じです。

「全勝で試験に通ったんですよ、張り切りもするでしょ。小学生なんですから、素直な気持じゃありませんか。」

 

それを伊角も和谷も複雑な思いで聞いていました。

俺たちの関心は、塔矢と進藤、どっちが強いのかだな。

進藤の方が見た目は断然子どもっぽいけど、中身は大人じゃないか。少なくも碁を打つことに置いては。

碁は、まさしくお手本のように進んでいました。一柳が、きちんと定石を踏んでくるからでした。

 

「アキラ、ずっと先手で攻めてきたけれど、ここにきて、気付いてみれば、左辺の攻防は一柳先生の先手になってるね。」

伊角は和谷に言いました。

「ここはもう終わりだな。後は、右上あたりかな?」

 

 

対局場の一柳には、既視感がある石の並びが突然飛び込んできました。

何でこんな時に。この前の勝負の分かれ目と同じじゃないか。ここの形に限って言えばだが。こりゃ、面白い。これで、塔矢君の技量が図れそうだねえ。

緒方君は、あの時、「私は子どもとは小学生までだと考えてますよ」とのたまわったね。いろいろ仕掛けてくるけれど、緒方君は案外、素直な性格だ。嘘はつけないんだよね。あまり腹黒いことはできない。塔矢さんと一番違うところだね。

緒方君は英語でチャットしたんだね、きっと。

アマチュアの小学生があんな碁を打てるのなら、5段の実力がある塔矢君はどうするね。これを。同じ小学生だよ。ワクワクするね。

 

アキラは、極めて普通の手を指しました。

そうか。ああ、そうだよね。それが当節一般的な流行りだけれどね。塔矢君は、それが勝につながる手だと思ってるんだね。ま、仮にここがダメでも、他のところが自分に優位だと分かっているということかな。

 

一柳は、そう思った時に、突然、気が付きました。

考えてみたら、私はずっと、この形を作り出すように、打ってたんだねえ。新初段戦で勝ってもしょうもないし、ただ負けるというのは相手の棋士にも失礼だしねえ。だから、やってみたかったんだよね。

これは逆コミだからね。だから、普通は、これで勝てると思うわな。

だけど、あのネットの子どもなら、絶対違いそうだ。私が勝つと分かっても、あの手を繰り出すのだろうね。

あの子も勿論、勝負にこだわりはあるだろうけれど、でも何よりも碁に対する気概だね、全く。うん。気に入ったよ。早く出てこないかねえ。とにかく、これは勝負あったね。

 

一柳は最後の言葉は口に出しました。

「勝負あったね。塔矢君のこの手で。」

それは一柳の言った意味とは真逆の意味で、受け取られたようでした。

「さてと、塔矢君、初勝利というところで。対局室で取材だね。」

伊角と和谷はちゃっかり天野についていきました。

入口には坂巻が嬉しそうに立っていました。

「これはもう少し先まで打てば変わるのじゃないですか。」

芦原が恐る恐る尋ねました。

「そうだねえ。普通の対局ならね、でもこれは新初段戦なんだよ。だからここで終わり。それでは、だめかい。」

「はあ、逆コミ5目半ですからね。」

「いやいや。そういうわけではないが。とにかく塔矢君はよく頑張ってるよ。先が本当に楽しみだ。すぐ上にくるんじゃないかねえ。」

一柳の言葉に、坂巻が嬉しそうな顔をしています。

伊角と和谷は、顔を見合わせました。二人とも先日、一柳とヒカルがネットで打った時、目にしていたのです。

    ”デジャブ”

一柳先生があれを忘れる筈がない。これはだから逆コミでも一柳先生の勝なんじゃないか。

 

取り分けて、詳しい検討もなく、対局は終了しました。

伊角と和谷は、そっと部屋を出ました。入口で、飲み物を買うと、二人でロビーの隅に佇み、黙って飲んでいました。

しばらくしてから、和谷がぼそっと言いました。

「なあ、何で一柳先生は、あそこで止めちゃったのかな。勝ってたよな。先生。逆コミでも。」

「さあな。塔矢を勝たせるように頼まれたとか、それとも。」

「何だよ。伊角さん。」

「もしかして、先生は塔矢の打った手に、がっかりしたんじゃないかとそんな気がした。塔矢に期待してたんじゃないか。でもありきたりな手を返してきた。そこまで無理に勝つ必要はないじゃないか。ハンデのある碁で。」だって、進藤と打った碁に比べたら、今の対局なんて霞んじゃうじゃないか。

 

二人は誰も聞いていないと思っていましたが、それを耳にした人間が何人か、いました。

ひとりは一柳本人。傍にいた天野に聞きました。

「あの子たちは?」

「院生です。」

「小学生かね。」

「いえ、中学生と高校生ですよ。それより、今の碁は勝っていたのですか?先生。」

 

一柳は、それには答えず、ははと笑っただけでした。

私はあの手を、こんなところで、みんなに披露するつもりはないよ。

それでも、いずれあの手が主流になる時が来るかもしれないねえ。

「いや、最近の若いのは楽しみなのが多いね。洞察力があるねえ。あの子たちがプロになるのが待ち遠しいよ。」

さて、別の隅で話を聞いていたのは、芦原と坂巻でした。

「へえ、あの碁は一柳先生が勝っていたのか。やっぱり新初段戦にご祝儀をくれたのか、一柳先生は。

俺は全然わからなかったけど、あの院生たちは分かったのか。いやすごいねえ。ヨミが。あの子たちがプロになったら強敵だよ。」

軽く笑う芦原に対して、坂巻は何やらもやもやしたものを抱えていました。

 

一柳先生は何を考えているのだろうか。あの院生たちが言うように、塔矢君に見切りをつけたのか???

でもすぐ上に上がってくるというようなことは言っていた。

 

実に、落としどころのない対局でした。そう、プロの駆け引きは、鵺(ぬえ)のようなものなのです。


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