神の気まぐれ(ヒカルの碁逆行コメディ)     作:さびる

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43.師匠慈愛・悲哀・地合

さて、なんだかんだと言っているうちに、プロ試験が始まりました。和谷は今年は予戦はパスで本戦に進めました。

森下は試験が近づいたので、和谷への指導時間を増やそうと思っていました。

和谷はこのところ急速に力をつけている。どうやら白川君が弟弟子を気遣って、面倒を見ているらしい。冴木の面倒も見ているようだが、本人はリーグに4つも顔を出しているのに、よく時間があるな。若いからか。

 

今回は森下は余計なプレッシャーを和谷にかけませんでした。

塔矢アキラはひたすら白星を重ねて、連勝街道を突っ走っていました。

行洋が言ったような心配は何もなさそうじゃないか。

分からんな。あいつは何を気にしていたんだ?

 

それはさて置き、森下の期待通り、和谷は順調に勝ち星を重ね、十月の初めには、早々と合格を決めました。

和谷は対局が終わったそのすぐ後に、師匠に電話で報告を入れました。

すべて終わってみれば和谷は一敗。伊角が全勝。そして後は、四敗で院生の真柴が滑り込みで合格しました。

 

白川は和谷に言いました。

「これでやっと森下先生に進藤君を紹介できるよ。」

「あのー、俺、明日、森下先生のところに、合格の挨拶に行くことになってるんです。」

「そうか、じゃあ。その日の夕方にでも。」

「一緒じゃまずいですか?」

「何で?」

「だって俺、どうやって力をつけたのかってきっと詳しく聞かれそうな気がするんですけど、進藤のこと、どういったらいいか分かんなくて。」

 

ふーむ。森下先生がひねくれるのをのを心配してるわけだね。仕方ない。

「和谷君、じゃあ、君が行く時に時間を合わせるよ。冴木君も呼ぼう。君は気にしないで、ありのままを話せばいい。少なくとも和谷君、破門とかないからね。正直に話せばいいよ。正直が一番だから。」

 

その日、和谷が森下の家に挨拶に出かけると、ケーキで歓待されました。

「このケーキ、大変だったんだよ。」

しげこは、ケーキを差し出しながら、とくとくとして言いました。

和谷は、ぱくりとそれを平らげながら、何が大変なんだと不思議そうな顔をしました。

ただのケーキじゃないか。

森下は苦虫をかみつぶした顔をして、森下夫人は可笑しそうな顔でした。

「ま、ケーキのことなぞ、どうでもいい。なんでも白川君と冴木が来るって言ってたな。あいつらのケーキはないぞ。」

「あなた、ケーキのことなどどうでもいいのでしょう。」

 

そうこうしているうちに、白川がやってきました。

「冴木君と途中で一緒になりまして。」

ん?白川の後ろにいるのは誰だ?

ヒカルは、一歩前に出ると、お辞儀をして言いました。

「初めまして。白川先生に個人指導を頂いております進藤ヒカルと言います。」

ははーん。前に言っていた、白川が弟子にどうですかと言っていた子か。白川君の弟子っていうわけだな。

「和谷君が無事合格したので、先生もお手すきかと存じまして、ご挨拶がてら連れてきました。」

さて、奥座敷には、人がいっぱいです。

「おい、しげこは少しあっちに行ってなさい。」

「わー、つまんない。」

その時、しげことヒカルは目を合わせました。

ヒカルは素早く内緒の合図を送りました。しげこは、くすっと笑って頷きました。

それから部屋を出ていきました。

 

「さてと、白川君の弟子に、お互い自己紹介をするか。」

冴木がすかさず言いました。

「先生。俺も和谷も進藤君のことは知ってます。白川先生に少し、しごいてもらった時に出会ってますし、進藤君には本当に世話になってるし。特に和谷はね。」

「和谷が世話をかけたというのか?進藤君に?」

冴木君が余計な話を始めるから、何かひどくまずい展開になったと白川は思いました。

ヒカルは臆する風もなく、にこにこしながら話しました。

「俺、和谷とは、実はネット碁仲間なんです。ネット碁で知り合って、その棋風というか打ち方が何となくうまが合うというか。で、ネットでチャットして。ネットで短い通信文が書けるんです。毎日打ちたいねっていう話になって、それで早朝毎日ネットで一局打っていたんです。その話を白川先生にしたんです。先生は、たまたま和谷が毎日、朝早くネットで打っているって話してるのを聞いて、俺の相手が和谷じゃないかって思って。それで引き合わせてくれたんです。

それで、和谷とは碁盤を囲んで打ち合う仲になりました。今年の春、俺、中国棋院に誘われた時に、だから和谷を誘って、一緒に揉まれて来たんです。世話をかけるとかそんなんじゃないんですよ。すごくいい仲間。一緒に高め合える同志なんです。冴木さんもそうです。」

 

森下はヒカルの話にぽかんとしました。というか、話がややこしくて、一瞬呑み込めませんでした。

何だかわからんが、要するにこの春、和谷が中国に行ったのは、この進藤という子が誘ったからか。

「進藤君。君は中国棋院の誰かと親しいのか?」

「俺が親しいんじゃなくて、俺の知り合いの人が仕事の関係で中国に行き来していて、プロ棋士の人と知り合いになったんだそうです。それで、その人とネット碁をさせてもらって、棋院に招待してくれることになって。そこで、他に二人ほど一緒に行ってもいいと言われて、一人は和谷に決めたんですけど。」

 

聞けば聞くほど、よく分からない、頭が痛くなるような話でした。これ以上聞くのはよそう。後で白川にわかりやすく説明してもらおうと、森下は思いました。賢明な判断です。

「で、白川君。進藤君を私に紹介して、どうするのかね。」

「はい。森下研究会に連れてきてもよろしいかどうか伺いたくて。」

「いいよ。君が弟子にとったんだし、私にとっては、孫弟子だろう。で、君はプロになるつもりなのかい。」

「はい。来年、試験を受けるつもりです。」

殊勝に、にこやかにヒカルは答えました。

 

白川は早々に腰をあげました。

「じゃあ、私はこれで。和谷君、おめでとう。四月からよろしくね。さ、進藤君、行こうか。」

「もう帰るのか?」

「はい。では先生、今度の研究会、孫弟子をよろしくお願いします。」

白川はヒカルを連れて、ささっと帰ってしまいました。

「先生。俺も帰ります。進藤君。一緒に帰ろうよ。」

冴木は、そう言うとヒカルたちを追いかけました。

 

和谷は何となくひとり、居心地悪げでした。

「和谷。午前中にご両親が挨拶に見えたよ。一緒にと思ってたが、仕事で午後は無理なのでと。」

「はい。学校から帰ったら、母がそう言ってました。」

「本当によく頑張ったな。一敗で合格だ。俺は鼻が高い。その全勝した院生には、プロの対局でリベンジを果たさねばな。」

「はい。お互いに切磋琢磨してきましたので。伊角さんには、絶対追いつきたいです。」

「追いつく?」

森下は和谷の言葉を聞きとがめた。

「あの、それは伊角さんは院生一位でしたし、お互いよく打っていたし、今回は一緒にずっと頑張ってきたんです。」

「親しいのか?」

 

「はい。でももちろん勝負は別です。でも伊角さんも進藤も中国棋院では、やっぱ違ってて、みんな二人には勝負を挑んでくるもんですから。俺、頑張って二人に追いつきたいと思って。」

「何?中国には、そいつも一緒に行ったのか?」

「はい。進藤がそう決めましたから。」

「あの進藤という子は、強いのか?どのくらい。なぜ今までプロ試験を受けないできたのだ?」

 

「それは俺に言われても。でも進藤は強いです。中国のトップ棋士とも互角に渡り合えるんです。それに、俺、ここまで来れたのは本当にあいつのおかげの気がするんです。あいつは最初に会った時、俺をプロにしたい、それで一緒に頑張っていきたいっていうようなことを言いました。でも正直、俺はネット碁では、指導碁打たれてたと思うんです。だから初めは、本当に俺なんかと頑張りたいのかって、疑ってました。」

 

「白川君も水臭いな、何で俺のところに連れてこなかったんだ。」

「白川先生が俺をしごくことに決めたのは、俺を早くプロにして、進藤を森下先生に紹介するためだったんだと思います。俺で手一杯だから、新しい弟子はいらないって、言われたからって、白川先生は言ってました。

俺、でも良かった。進藤と知り合えて。あいつの碁に対する思いが俺好きなんだと思います。進藤にとって、頑張るっていうのは、碁を打つことで何かが生まれるんだっていうことじゃないかって、今は思います。

あいつは、タイトルを取るとかいうのが、一番の目標ではないんだって、もっと碁そのものの持つ何かを求めてるんじゃないかって感じるんです。」

 

いつのまにか、和谷は熱弁をふるっていました。話しているうちに、ヒカルの求めているものは、こういうことじゃないのかという結論にたどり着いたわけです。

そこにまたしげこが顔を覗かせました。

「和谷君は晩御飯食べていくの?」

和谷は大急ぎで答えました。

「今日は家で留守番頼まれてるのですぐ帰ります。しげこちゃん、ケーキごちそう様。」

「ううん。今度はおごってもらうんだもの。冴木さんも昇段するたびにおごってくれたんだもの。楽しみにしてるね。和谷君。」

「しげこ。いい加減になさい。和谷君も冴木さんも碁を打つお仕事のためにいらしてるのよ。あなたと遊びに来てるわけじゃないのよ。」

そこにやってきた森下の妻はしげこをピシリと叱りました。しげこは、しょんぼり少し涙ぐみました。

 

それを見て森下は胸がきゅんとして、言いました。

「そんなに叱らなくても。ケーキぐらい構わないじゃないか。」

森下の妻は、夫に言いました。

「あなたはお弟子さんにはいろいろ仰るのに。しげこには甘すぎますわ。」

「あの進藤君はまたケーキおごってくれるのかな。」

父親が甘いことを知って、しげこは、もう元気です。

「何?あいつを知ってるのか。しげこにケーキをおごっただと?許せん。わしは今日初めてあいつに会ったんだぞ。白川に破門だと言ってやる。」

森下はもやもやを吹き飛ばすようにわめきました。

 

「あれ?お父さん。二度目だよ。昨日、お父さんがケーキの箱取り替えた時の人だもん。」

「何?」

「あなた。進藤さんは昨日ケーキ屋であなたにいきなりケーキを取り換えてくれって、箱を取り上げられたんですよ。あなたはあの時、一緒にいたもう一人と交渉したつもりなんでしょうけれど、だから覚えてないのね。本当にしげこも恥ずかしいですけど、あなたは大人なんですからね。子どものわがままに踊らされて。しげこに諭すのが筋でしょう。

あのお嬢さんが快く取り替えて下さったからいいものを。進藤さんといた方、お姉さんじゃなくて、従妹さんとかご親戚の方じゃないかしらね。

進藤さんもあなたに恥をかかせないで、中学生だそうですけど、見上げた方ですわ。」

 

「恥をかかさない?あいつは気がついてもいないぞ。おれも気が付かなかったんだからな。」

「分かってたよ。私に合図して、黙っているようにって、こうしてたもん。内緒って。」

しーっと、指を口に当てる真似をして見せました。

「気が付いていたんですよ。でも大人だから、ケーキのことで目くじらなど立てなかったんですよ。本当に白川さんのお弟子さんっていうのも頷けるわ。穏やかで、行き届いていて。私は、白川さんに言って、せめて差額をお返ししたいと思ってるのよ。」

「差額?」

「うん。お父さんが取り替えたケーキ、二個多かったもの。お兄ちゃんと私が二個づつ食べられたの。」

森下は言葉を失っていました。和谷は目を丸くして話を聞いていましたが、すぐに我に返りました。

 

明後日の研究会が恐ろしい。

「では、先生。俺、今日は失礼しますので。」

和谷は森下の返事も待たず、後も見ずに玄関へ急ぎました。


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