神の気まぐれ(ヒカルの碁逆行コメディ)     作:さびる

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44.時のオカリナで戻りたい

ヒカルが、孫弟子デビューを終え、森下の家から戻ると、あかりがいました。

「森下先生って、塔矢先生みたいなの?」

ヒカルは首を横に振りました。子どもっぽい感じはどちらも同じだけどな。

ヒカルは逆行前に千年の棋聖である佐為のことを子どもっぽい、ペットみたいだと思っていたくらいですから。神の一手にもっとも近い男の行洋を子どもっぽいと言えるとはさすがです。

 

ヒカルは、ケーキ事件の人が森下先生だったことをあかりに話しました。

ケーキ事件というのは、前の日に白川の家にあかりも呼ばれた時のことでした。

それは塔矢門下の大騒ぎに巻き込まれた時のあかりの対応に感謝して、白川が呼んでくれたのです。

碁の集まりではないのですが、白川の知り合いが何人か一緒だと言っていました。

それで行きがけに、お土産にケーキを買っていくことにしたのです。

「イチゴのショートケーキを四つとチーズケーキを四つお願いします。」

次の子が、買おうとした時には、イチゴのショートケーキは売り切れでした。

めそめそする子の傍にいた父親らしき人物が、あかりに交渉したのです。

「ケーキを取り換えてくれ」と。

面倒くさいのであかりはあっさり頷いて、箱を取り換えたのですが、白川家について開けてみれば、六個しか入っていませんでした。

 

「明後日、研究会に行くのなら、ヒカル、ケーキ持って行ったら。」

「えっ。買いに行く暇がないよ。」

美津子は話を聞いていて、おかしくて笑ってしまいました。

これは、明子さんが来たら、一体、森下さんという先生はどんな方なのか聞かなくては。

「そのしげこちゃんていうお嬢さんは、ヒカルに気づいたのね。」

ということは森下先生は、ばつの悪い思いをされてるわけね。

ここはヒカルのために。うん。

「ねえ。ヒカル。白川先生に明日森下先生にお暇な時間があるか聞いてみたら。それで、時間があるならヒカル一人で会いに行ってらっしゃいね。ケーキは持って行ってはダメよ。でもそのお嬢さんも好きそうなものを何か持っていった方がいいわね。それはお母さんに任せておいて。」

 

「おばさん?」

「点数稼ぎよ。ふふ。」

美津子はそう言って笑いました。

ヒカルは狭い世界でこれからやっていくって言ってるのだから、なるべく恩を打っておかなければ。息子が生きやすいように。

美津子の母親としての深慮遠謀でした。

白川はヒカルから電話をもらい、ケーキのことを知りました。

むむ、研究会は荒れるかもしれない。しげこちゃんが絡むと森下先生は尋常じゃなくなるからな。

それから電話を替わった美津子の話に、またまた唸りました。藤崎君や明子夫人だけではない。進藤君のお母さんもまた。

 

 

次の日の午後でした。森下家では、森下がそわそわとしていました。

進藤君という子は、何で白川君にも内緒で会いたいというのだ?ケーキのことで文句を言うつもりか?

ヒカルは、すぐに座敷に通されました。しげこと森下夫人も一緒でした。

ヒカルはしげこに、にっこり笑って、小さな包みを夫人の前に差し出しました。

「母がよろしくと申していました。」

「まあ。それはご丁寧に。」

ヒカルにはすでに好印象を抱いていた森下の妻はにっこり受け取りました。

 

ヒカルはそれからまっすぐに森下を見つめました。

「昨日はきちんとお話できませんでしたし、研究会で個人的な話は無理だと思いました。

それで、今日伺いました。いきなりですみませんが、一局ご指導いただきたいのです。お願い致します。」

森下は、ヒカルのその気配に、すっかり棋士としての自分を取り戻していました。

うむ。こいつは。なるほど。

 

「しげこ。あっちへ行きましょう。」

しげこはいやいやをしました。

「お父さんは碁を打たれるのよ。」

「あのう、俺は別に構いません。しげこちゃんが退屈しなければ。」

しげこは嬉しそうに父親と母親を見ました。

「静かにしてるならいいよ。進藤君。黒を持ちなさい。」

そんなこんなで、対局が始まりました。

森下は、すぐにその対局に引き込まれました。

勿論、まだ俺には及ばない(と思いたい)が、だが、こいつは何かを求めて碁を打っている。和谷が言っていた意味が少しわかった。

「ありません。」

ヒカルは、静かに頭を下げました。

 

「進藤君。君は随分和谷と打ってくれたそうだが。礼を言うよ。あいつが伸びたのは恐らく君のおかげだ。」

ヒカルはちょっと目を丸くしました。

「そう言って頂けると嬉しいです。俺が和谷の邪魔をしてなかったんだって分かって。冬休みに合宿をしたんですけど、楽しかった。俺一人っ子だから。もう一人、伊角さんていう院生も一緒で、三人で朝から晩まで、二週間一緒に頑張って。二人ともプロになれて、俺本当に嬉しかったんです。」

 

ヒカルがそう言うと、傍にいた森下夫人が聞いてきました。

「ごめんなさい。あの時ケーキ屋さんに一緒にいらした方は、ご親戚かご兄弟?」

 

森下は渋い顔をしました。

何も今頃言わなくても。

「あれは友達です。あいつも白川先生の囲碁教室に通ってるんです。あの日は、白川先生のところに呼ばれて、ケーキを買って行こうって、たまたま、ああなっちゃったんだけれど。」

「申し訳なかったな。」

森下は言いました。

 

「いえ、俺、ケーキなんて何でも構わないし。自分のために買ったわけでもないし。それに、どうしてもそれが好きっていうのも、分からなくもないですから。」

「いえ。しげこがわがままで。」

「俺は一人っ子だから、結構好きにさせてもらってるから、俺も我がままかも。でも大きくなっていくと、やっぱり自分の好きには出来なことがいっぱいあるって、だんだん分かってきます。小さい時には許されても。大きくなると許されないこともいっぱいあるんですよね。」

しげこはヒカルの傍で、何となく感じ入って聞いていました。

 

「あのお姉ちゃんは強いの?碁?」

「始めたばっかりにしては結構打てるよ。今中学の囲碁部に入っているし。チーム戦で大将をしてるよ。しげこちゃんは碁好き?」

しげこは首を横に振りました。

「好きじゃないよ。打てることは打てるけど。お父さんは、へぼだへぼだっていうんだもの。私、学校で囲碁部なんて絶対入んないもの。」

 

ヒカルは笑いました。

「しげこちゃんの碁ってみてみたいな。きっと美味しいと思う。いちごケーキが詰まっていてさ。」

「本当?」

「嘘は言わないよ。きっと甘くて美味しいかもね。」

森下は何も言いませんでした。

しげことヒカルは碁盤に向き合いました。

「しげこちゃん、ケーキは、いくつにしようか。」

「ケーキ?」

「うん。この石がケーキなんだよ。初めに九つ、ここに置くからね。じゃあ、頑張って、ケーキがたくさん手に入るように始めようね。」

しげこは指導碁を受けることには慣れていました。ですからヒカルは非常に打ちやすかったのです。

津田と同じくらいかな。

そんなことを思いながらヒカルは楽しそうにのんびり、しげこを導きました。

昔、誰かが俺を、碁なんか好きじゃないって言っていた俺を、全く打てなかった俺を、優しくきちんと導いてくれたよ。遠い記憶。甘い記憶。昔っていつなんだろう?

 

「ここまでだね。取った石を埋めてごらん。」

しげこは地を埋めていきました。

「良かったね。三つしか違わないよ。」

ヒカルが帰った後、しげこの兄の一雄が聞きました。隣の部屋ですべて見ていたのです。

「お父さんの弟子には思えない子だったね。誰?」

「白川さんのお弟子さんよ。明日にでも私、進藤君のお母様にお電話を入れておくわ。」

 

 

森下へのヒカルのデビューが終わって一息ついた頃です。

ヒカルは家で、伊角と和谷と、今終えた対局を検討をしていました。

「和谷、俺が打ってもらっているっていったプロ棋士のこと、気にしてるんだって?白川先生から聞いたよ。」

「うん。気になるさ。当然な。」

「俺、二人のことを話したんだ。そうしたら、その先生たちが、二人と打ってくれるっていうんだ。明日だったら、一人はOK。もう一人は一週間くらい先になるかな。」

あのケーキ屋での邂逅で、ヒカルは、プロ試験に受かったら、ぜひ二人と一局打って下さいとお願いしたのです。

「そうか、進藤と中国に修行に行った仲間なら、いつでも相手をしてやる。」緒方は言いました。

行洋は表面上は何もない顔をしましたが、中国武者修行の話を知らなかったものですから、それはそれで、強い関心を抱きました。

ということで、平八の家で、打ってもらうことに話はその時決まったのです。緒方は平八に会ったことがなかったのですが、それがきっかけで、平八に会ったのです。

なるほど、先生は進藤のじいさんにまで手をまわして進藤を囲い込んでいたのだな。

緒方は、自分のことを棚に上げて思ったものでした。

翌日、誰が来るのだろうと、ワクワク、ドキドキしながら、平八の家に着いた二人は、緒方の顔を見て、ぎょっと

しました。何で塔矢門下の。

緒方は二人を値踏みしました。アキラ君ほどではなさそうだな。

「よろしくお願いします。」

そう言って、特に話をする風でもなく、碁盤を囲むことになりました。

進藤が昨日言ってたよな。白川先生と打ってもらっているのと同じに打ってればいいって。

今まで何で進藤に鍛えてもらったか思い出せ。中国棋院で中国一のトップともぶつかっていったじゃないか。頑張れ、俺!

あの塔矢アキラの奴は緒方先生としょっちゅう打ってきたんだろ。

 

和谷が先でした。伊角はじっとその手合いを見つめていました。

緒方先生は、指導碁を打っているわけじゃないけど。それでも少しゆとりを持って打っている。和谷の力をじっくり測っているんだ。もしかして俺のことを考えてるんじゃないか。

俺の時はきっと進藤と打ち合っている時と同じように、打ってくるかもしれない。恐れる必要はない。それより、俺は今とんでもない幸運をもらっている。白川先生と打ってもらったのもそうだけれど、トップ棋士と思いっきり打てるチャンスなのだ。

 

緒方は和谷の力は早々に把握しました。

新人としては、まあまあだな。芦原よりはよっぽど、勘所がいいかもしれない。

伊角は心を落ち着けて、緒方の前に座りました。

沈潜せよ。そう念じて。

緒方はすぐに気が付きました。

こいつは。打てる。ヨミが正確だ。そういえば、若獅子戦で、倉田といい勝負をした院生がいたと聞いているが、こいつのことかもしれない。進藤とも互角の勝負ができる奴だ。俺は一柳先生の二の舞はしないぞ。しっかり受けてやる。

さて、勝負がついた後、緒方は言いました。

 

「和谷君と言ったか。君は勝負勘はよさそうだが、やはりヨミをもっと深めることだ。

伊角君はだね。もう十分に強敵だ。すぐにリーグ戦で戦えるようになるだろうな。頑張りたまえ。」

ヒカルは嬉しそうに、言いました。

「ねっ。二人ともなかなかでしょ。」

「確かに面白かったよ。で、進藤。来週もあるのだろう。」

「うん。ある。そういう約束だしね。」

「では、俺との約束も忘れるなよ。白川には、もう話はつけているからな。」

「分かってるよ。楽しみにしてるよ。」

 

伊角と和谷には分からない、ため口の話に二人は唖然としていました。

緒方はそのまま、車で帰りました。ヒカルは二人を途中まで送りました。

「また来週、二人目に会わせるからね。楽しみにしていて。」

「進藤はどうやって、緒方先生と知り合ったの?」

「元々は、ネット碁で。和谷と一番初めに打っただろ。あの後すぐ俺に対局を申し込んだのが緒方先生だったんだ。」

「『本当に小学生か』って聞いてきた人か?」

「うん。白川先生にその対局を見せたら、緒方先生じゃないかって。白川先生は緒方先生と打つ機会が増えてたから。緒方先生の癖に気が付いたんだ。白川先生が感じる癖だよ。直接会うきっかけは別の人が絡んでるんだけどね。」

 

和谷と伊角は歩きながら話していました。

「来週は誰に会わせてくれるんだと思う?」

「俺はもう何も驚かない。進藤が誰を連れてきても、平常心で打てるように頑張るだけだよ。」

「もちろん。俺も。今日は勉強になったもの。来週までにまた腕を少しでも磨いておかなくちゃ。」

しっかり腕を磨いて次の週、平八の家を訪ねた二人は、驚くのも忘れるほど、驚きました。

そして思いました。

緒方先生とああいう形で打ったのだから、塔矢先生がそれを知って、進藤と打つようになったっていうのも当然じゃないか。何でそのことを思わなかったんだろう。

でもとにもかくにも二人は全力で、四冠の名人に向かっていきました。

 

なるほど。進藤君はいい仕事をしたな。二人とも良い棋士になる。特にこの年長の子は、アキラと打っても遜色がないだろう。深みのある良い碁を打つ。

「楽しませてもらったよ。君はここでもっと積極的に打って出るべきだ。もちろん守るのも悪くはない、その見極めが大切だ。」

それからヒカルに聞きました。

 

「先週はどうだったね。」

「緒方先生は、しっかり打ってくれたよね。」

「はい。指導碁なんかじゃなくて、でも導いてもらったきもして。あの一局、すごく勉強になった気がして。あれが今日の碁につながった気がしてるのです。」

伊角はそう言いました。

 

行洋は頷きました。

素直な良い若者だ。それに引き替え、我が弟子は。

「進藤君。緒方君は何か無理を言っているのじゃないかね。白川君に迷惑をかけたら申し訳ないが。」

「大丈夫です。俺のためには、いいことかもしれないですし。ちょっと興味津々です。」

「そうか。それならいいが。何かあったら明子に話すとよい。」

「先生の奥さまにですか?」

平八が尋ねました。

「ええ。女性というのは侮れないものです。妻は私の弟子たちの性格をよく心得ていて扱いに長けているのですよ。」

「はあ。そうですな。」

平八は女性は侮れないというところに感じ入って、頷きました。

 

行洋はその先を天然に続けました。もしくは天然に見えるように。

「進藤君は、妻の師匠ですしね。」

ヒカルは、ややうんざり気味に思いました。

塔矢先生。こんなところで盤外戦か。ケーキ屋の仇討??

伊角も和谷も口を挟まないで黙っている分別だけはありました。

 

帰り道、ヒカルに聞きました。

「塔矢先生には、緒方先生から紹介してもらったのか?」

「いや、違うよ。俺。塔矢家の中で一番親しいのが、明子おばさん、先生の奥さんなんだよ。俺の家に時々息抜きに来るんだ。俺のお母さんとお喋りをしにね。俺、緒方先生と会う前に、塔矢先生と対局してたんだけど。」

ヒカルは何とも言えない顔をして、続けました。

「俺、今分かったことがあるよ。塔矢先生と緒方先生、本当に張り合ってるんだな。面と向かってだよ。俺は緒方先生が一人で張り合ってるのかって思ってたけど、違ったんだ。

緒方先生が俺と打ちたいって、明子おばさんに言ったのを聞いて、それで先回りして、俺とじいちゃんに会いにきたんだ。塔矢先生は。

二人とも結構性格が悪いよな。塔矢も変わってる奴だけど、あんな風になるのかなあ。父親を尊敬しているって言ってたから。

師匠と弟子って、本当にいろいろなんだな。

和谷は森下先生とどんな付き合いなんだ。白川先生とは違ってるんだろうな。俺、本当に良かった。白川先生が俺の師匠でさ。

絶対に塔矢門下のもめごとには関わらないようにって、言われてきたけど。

和谷も伊角さんも気を付けてね。たぶん、塔矢先生と緒方先生に目をつけられているよ。

二人とも新初段戦の相手は誰なんだろうね。楽しみだね。でも塔矢先生はないと思うよ。」

 

目をつけられているから、気を付けてと言われたって。

二人は、駅のホームでしばらく無言。

「俺、今日の話を森下先生に言うべきなんだろうか。森下先生が塔矢先生に絡んだりしたら、俺は完全に巻き込まれるな。塔矢門下の張り合いに。」

「白川先生にでも相談したらいいんじゃないか。まあ、俺は九星会だから、その点は良かった。俺は今回の対局、二回とも有難かったよ。今日は、とてつもなく力もらえた気がしてさ。新初段戦は逆コミだろ。恐れることなく打てそうだ。楽しみだなあ。」

和谷は恨めしそうに伊角を見ました。

俺、この先の人生が恐ろしいよ。


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