神の気まぐれ(ヒカルの碁逆行コメディ)     作:さびる

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47.始まりの時

佐為は、自分の体が消えかかっているのに気づいた時は、愕然としました。

逆行しても、千年の時は越えられないのか。いくらなんでも二度は逆行なんてできないだろうし。

そう思いながら実はひそかに期待したりして…。

もし叶えられるなら、次の時はあまりあれこれ注文を付けまい。碁を打てるだけで我慢しよう。

少し虫のいいことを考えていたりしました。千年を経てきた佐為は、さすがというしかありません。

 

それで、いよいよという時、ちょっと言ってみたのですが。

誰にって?私を千年も魂として生きながらえさせている神様とかにですよ。

「姿が見えなくなっても、声は出せるから碁を打てる」のだと、試しにですよ。

私は勘が冴えてました。さすが棋聖の私ですよ。

まあ、綱渡りながら、運が良かったというべきかもですがね。

 

佐為はあかりにあったときは、すでに霞んでいたので、あかりの顔ははっきり見えませんでした。

それよりも碁盤の石が見えることのほうが肝要ですからね。

それでもあかりが、塔矢アキラと同じぐらいの年のおなごだとは分かりました。

ん?もしかして逆行すると、女人にしか認識されないというわけではないでしょうね。

いや、これは、かつて、佐為の君とか言われて、ほいほいと浮かれていたころの仕返しではないでしょうか?

生霊のなせる業?いや、もう千年も経つのです。死霊のなせる業?

まあ、私だって、幽霊ですからそんなの、怖くはありませんけどね。

 

でもよかった。この娘が、少しは碁を知っているようで。だって15の6ツケとか、小目とか言って、わからないようでは時間がもったいないではありませんか。初めから教える時間などありませんからね。今の私には。

この奥方が声だけ聞こえるということだったら、本当に大変なことでしたねえ。よくしたものです。

でも何気に、この奥方、凡庸ですが、碁が少々は打てるようですよ。私の石を置いていたから、碁を打つことに目覚めたのですね。

 

明子を9子で導きながら、そんなことを考えていた佐為でした。

それよりもです。私はこれで、どうなるわけでしょうか?

 

佐為が自分についてきたということが分かったあかりの方がその問いは深刻だったかもしれません。

寝不足で起きてから、すぐに問いただしたものでした。

切羽詰ってましたから、急がなくっちゃ。

「お化けじゃない、幽霊さん。あなたは私以外の声や音も聞こえるの?」

 

女人のことに詳しい佐為にはピンときました。

「娘御。私はあなたが声に出すことしか聞けないのです。ほかの音も声も聞けません。また見ることも全くできません。何より、あなたについているからと言って、あなたが何を考えているかなども分かりません。以上。

何もご心配なく。私はあなたが対局を手伝ってくれるだけでいいのです。何もあなたの生活の邪魔などいたしませんし、できません。あなたが私に向かって声に出した時だけ、聞こえるのです。ほかの方としゃべっているのを聞くことはできないのです。それもいつまでもというわけではありません。あとほんの少々の時間しか残されていませんから。私には。」

 

あかりは、ほっとしたように、「わかったわ。」と言って、トイレに駆け込みました。

それでも、その日一日は用心したふるまいをしたものです。

佐為の方は、女人に憑くということは何かと配慮のいることですなどと気楽に考えておりました。

 

翌日、あかりは悩みながら、何となく公園に向かって歩いていました。

家だと一人になりにくくて、何も考えられなかったのです。

なぜ、私は幽霊さんの声を聞くことができるの?

おばさんは見ることができたのよね。おばさん一人が見ることができたのには訳があるって、ヒカルは言ったのよね。

 

あかりはケーキ屋で六人が話をした時のことを思い起こしました。

塔矢君がプロになる前に見るとまずいからって、言ってたわね。

じゃあ、私が声を聞くことができるのは、なぜ。それだけじゃないわ。幽霊さんは声だけになったら、碁盤から離れて、私の傍にいるようになったのよ。それはどうしてかしら。

 

あかりは一生懸命頭をひねりました。

それは幽霊さんは、塔矢家ですることが終わったから? じゃあ、私のところで何をするの?

私は碁盤の幽霊なんかと何にも関わりがないのに。

 

その時、思い出しました。

私、座敷童だと思っちゃったけど、ヒカルのおじいさんは、そんなことは言わなかったのよ。

烏帽子を被った幽霊が出る碁盤の話。もしかして関係あるのかしら。

私、この話をヒカルにする方がいいの?ヒカルはまだプロになってないわ。

 

あかりは、思い悩みました。

白川先生に相談したいけど、もうすぐ棋聖戦が始まるのよ。こんな話は今はできないわ。

どうしよう。それに…。

あかりには、もう一つ心配事がありました。

幽霊さんは、今はまだ声が出せる、耳が聞こえるって言ってたけど、いずれ声も出せなくなるのかしら。

それがすぐだったら、どうしよう。私が声が聞けるたった一人だったら、私は明子おばさんがそうしたように、何かしてあげなくちゃいけないのよね。ネット碁?何となく違う気がするわ。

 

ふらふらと歩いているあかりに、ヒカルは気が付きました。白川の家からの帰りでした。

進藤君と打つのは、棋聖戦の邪魔にはならない。むしろ役に立つ、そう白川は言ったのでした。

 

「あかり、どうしたんだ?」

その顔を見て、ヒカルはビックリしました。目の下に隈を作って、具合が悪そうでした。

「顔色が悪いぞ。家に帰った方がいいんじゃないか。」

「うちにいると、ゆっくりできなくて。」

あかりは、苦渋に満ちた声で言いました。

 

こんなあかり、俺見たことないぞ。

取りあえず、ヒカルはあかりを自分の家に連れて行きました。ヒカルの部屋で、あかりは、ぼんやりしていました。

「ちょっと待ってろ。」

ヒカルは台所へ行くと、何かないかと探し、やっとココアスティックを見つけました。

年末の買い物で美津子は留守だったのです。

 

「これでも飲んで、少し休めよ。邪魔なら俺、下にいてもいいぞ。」

ヒカルは熱いココアを差し出しました。

「ううん。大丈夫。あのね、ヒカル。」

 

そう言って、あかりは黙りました。

「おい。あかり。お前何か悩んでる?俺で良かったら話してみろよ。」

「うん。」

 

あかりはしばらく黙って、ココアを啜っていました。

「ねえ、ヒカル。来年プロ試験受けるよね。プロになるよね。」

ヒカルは、あかりの言葉に驚きました。

「うん。そのつもりだけど。」

「絶対そうするって約束してくれる。約束破らないって。そうしたら、話せるから。」

 

「うん。絶対約束するよ。でも、なんで?」

「だって塔矢君はプロになるまで幽霊さんと打たせてもらえなかったんでしょ。あの時、そう言ってたよね。塔矢先生も緒方先生も。」

「ああ、そう言ってたな。」

それがどうしたんだろう?

 

あかりはやっと話しだしました。

「私、一昨日明子おばさんに会ったのよ。おばさん具合悪そうで、ぼんやりしてたのよ。だから聞いたの。」

あかりは明子を送って塔矢家まで行ったこと、あかりには幽霊の声が聞こえて、そこで幽霊と明子が一局打って、幽霊の姿が消えたことを話しました。

 

ヒカルは驚きました。幽霊が指先に込めた碁を打ちたいという想い、その執念に、思わず胸が熱くなりました。

あかりがその時、塔矢家で幽霊の声を聞くことができて、おばさんが最後の一局を望んだのもすごい。

「あかり、すごいな。明子おばさんも。幽霊は嬉しかっただろうな。おばさんと記念の一局が打てて。あかりがその時、そこにいて幽霊の声が聞けたのは、運命だったんだよ。きっと。」

 

あかりはちょっと笑って、それからまた黙りました。

まだ何かあるのか?

「ヒカル。話はこれからなの。私、白川先生に話そうと思ったんだけど、先生棋聖戦がもうすぐだし。だから誰に話そうかと思って、ヒカルはプロじゃないから。でもヒカル、今約束してくれたから。」

 

ヒカルは、あかりが話したことに驚きました。

あかり、幽霊の声を連れて、家に戻っちゃったんだって?

 

「明子おばさんにだけ姿が見えたのにも訳があるのなら、私にだけ聞こえるのにも訳があるのかもしれないわ。

それよりも明子おばさんは幽霊さんのために碁を覚えて、石を置いてあげたんでしょ。私もおばさんから引き継いだのなら、幽霊さんのお手伝いをしてあげたいと思うのよ。

だって、幽霊さん、話せるのも長い間じゃないっていうようなこと言ってるの。今しばらく、ほんのしばらくの間だって。だからヒカル、手伝ってくれる?」

 

だから俺に約束させたのか?プロになることを。あかり。

あかりの気配りに、ヒカルは胸が熱くなりました。

そう言えば、明子おばさんが幽霊と打ってる時、俺、何で打たせてくれって一度も言わなかったんだろう。ネット碁もやってたんだよな。塔矢と打つことがないのも不思議だと思ったけど、それ以上に不思議だよ。

いや、今は、そんなこと考えている時じゃない。

 

「あかり、ありがとう。気を遣ってくれて。俺、手伝う。っていうより、俺、その幽霊と打ちたいよ。塔矢先生も緒方先生も塔矢の奴も夢中になったんだろ。そいつの碁に。だからあかり、手伝ってくれ。俺は大丈夫。絶対プロになるから。」

 

その場で、ヒカルは幽霊と一局打ちました。あかりの重荷を少し分けて受け持つつもりでした。

でも。あかりが帰った後、ヒカルはぼんやりと碁盤の前に座っていました。

 

厳しくて魅力的な対局。あかりがヒカルの手を読み上げるのも不思議な感覚でした。あかりが幽霊の声を聞くことができたので、対局後の検討も思いっきりやれました。

 

 

やっと佐為とヒカルは、ヒカルの部屋で、脚付き碁盤で対峙して打ち合うことになったのでした。

こんな形でしたが、それでも辿りついたのです。

でも前と違うこともありました。ヒカルも佐為もお互いあかりを仲立ちにしなければ、接触できないのです。

また二人はお互いがどういう存在なのかを思い出せていませんでした。

 

それ以上に、逆行前と違うことがありました。何よりヒカルの棋力が大きく違っていました。

逆行前に最後に二人が打ったときよりも、ヒカルの力は格段に進歩していました。行洋や緒方と数年にわたり打ち合ってきた佐為にとっても、ヒカルは非常に魅力的な打ち手でした。

 

 

白川の棋聖戦が終わるまでに、あかりはできるだけ毎日、佐為をヒカルと対局させることに時間を費やしました。あかりには佐為の存在のともしびが日々小さくなっていくことが何となく感じられていたのです。ですからあかりにとって対局を手伝うことは、自分にとっての救いでもありました。

冬休み中、ヒカルとあかりは向かい合って、不思議な対局を続けました。

間もなく冬休みが終わり、三学期となりましたが、あかりは英語の勉強を口実に、学校帰りにヒカルの部屋に行き、幽霊との対局は続きました。

 

ヒカルはその頃には、いろいろ考えるのはやめていました。

ただこの毎日の一局に、すべてを委ねる。自分が今までにやってきたことのすべてを託して、石を置く。相手が応えてくれるその手に、自分もまた応える。ただそれだけだ。純粋に打つだけだ。


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