神の気まぐれ(ヒカルの碁逆行コメディ)     作:さびる

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48.やっちまったなぁ!

さて、ヒカルとあかりと佐為が、ひたすら三角関係的対局にいそしんでいる間に、棋界ではいろいろなことが進んでいました。

 

まず、和谷と伊角の新初段戦がありました。

和谷が対局者を伝えられたのは、ひと月前でした。座間先生が俺の相手か。でも頑張るぞ。

そう思っていた和谷は、研究会で、帰りがけに森下に呼び止められました。森下は、さっそく発破をかけました。「座間さんが相手だってな。あの人はお祭りごとには手を抜く人なんだ。それに逆コミだ。いいか。何が何でも勝て。いいなっ。塔矢アキラは、去年勝ったんだからな。」

 

そんなこといっても。そりゃ逆コミで、適当に手を抜いてくれるかもしれないけど、にしたってさ。

そう思ったものの、和谷は「はい。」と返事をして、森下にお辞儀をして部屋を出ていきました。

それから盛大にため息をつきました。

 

「よっ。何、ため息ついてんだよ。もうプロなんだぞ。」

冴木が肩を叩きました。

「うん。新初段戦のこと。」

「そういや座間先生とだってな。座間先生とじゃ、何か、まずいのか?」

「そうじゃないよ。森下先生がどうしても勝てっていうんだ。塔矢アキラは勝ったって。」

 

はあ、また先生の無茶振りかあ。期待されてるんだな。ひいきが過ぎるよな。

「先生は、要するに期待してるんだな。お前に。いいんじゃないか。勝つつもりじゃなければ、どうやって打つつもりだったんだ?」

「えっ?」

そうかあ、俺、何、考えてるんだろうな。

 

森下はちょうど二人の会話が聞こえて、うんうんと思いました。

冴木もたまにはいいことを言うな。おや、これは白川君の声だ。

森下は、聞き耳を立てました。

 

「冴木君。君が手伝ってあげればいいんじゃないかい。」

白川が、ニコニコと言いました。

「手伝う?」

「うん。冴木君は最近頑張ってるから、高段者の手合いにも顔を出すようになっている。座間先生の棋譜も勉強してるんじゃないの?」

 

俺、今、結構頑張ってるんだよな。で、王座戦のリーグ入りを目指してるってこと、白川さんは知ってるんだ。うるうるするな。

森下先生は、そのこと何にも言わないんだよな。もしかして気づいてない?和谷ばっか。俺ひねくれちゃうぞ。

 

ん?冴木は王座リーグ入りを目指してたのか?知らなかった。今どこまで進んでいたかな。予選は。

今度激励してやらねば。

森下はそう思って聞いていました。

 

冴木の少しむすっとした顔を見て和谷は言いました。

「俺、進藤に頼もうかな。」

その言葉に、今度は白川が眉をひそめました。

「和谷君。そりゃあ、進藤君と、座間先生の棋譜を検討するのも悪くないよ。これが新初段戦でなければ私は全く反対はしないよ。進藤君は、喜んでやってくれるだろうしね。

でも私は思うんだ。進藤君は君を仲間と思ってるんだよ。対等に打てる相手として、プロの君とプロとして打ち合うのが望みなんだ。だからね。新初段戦はその気構えを問うところだと思う。

 

森下先生は何も絶対に勝たなければいけないなんて思ってないよ。だって座間先生は日本の棋界を担っているトッププロなんだよ。

森下先生が言いたかったのは、恐らく勝つという気構えで戦えと言っているんだよ。まだひと月あるんだし、しっかりやりなさい。こせこせと勝とうとしないで。

 

もちろん負けると思って打つわけじゃないよ。この先、プロ対局は、勝つことが大切になる。

でも新初段戦は、勝つことよりも、自分のこれからの対局姿勢を示す場だと思って、今まで頑張ってきたことの意味を考えて、打つんだよ。負けても恥じない碁をね。」

 

和谷は、ハッとしました。

「そうだ。俺、進藤と訓練してて思ってたんだ。進藤の口癖。反省はしても後悔しない碁を打つっていうの。

それ、今思い出した。俺、頑張ります。そんでもって進藤がプロ入りしたら、あいつを迎え打ちます!」

冴木がその言葉に頷きました。

 

「うん。俺も、いつも対局前には、その言葉を思い出して、王座戦の三次予選までコマを進めてこれたんだよ。手伝ってやるよ。座間先生対策。弟弟子の門出だもんな。」

 

隣の部屋で森下はそのやり取りを聞いていて思っていました。

悔しい、悔しい。俺は白川に負けた。

何がって、俺は和谷に、ご祝儀相場があるはずだから勝てよって思ってたんだ。行洋の息子が順調だからって。それが何だ。和谷は和谷じゃないか。

白川だけじゃない、冴木まで。俺は勝つっていう実績にばかり目を奪われてきた気がする。俺こそ気構えを失ってきていた。自分のことも弟子のことも。

 

森下の悔悟の念など知らず、和谷は必死に勉強を重ねました。ヒカルも和谷の勉強を覗きました。

「伊角さんは桑原先生が相手なんだってさ。今本因坊戦の棋譜を検討しているんだって。」

「そうなんだ。桑原先生は知らないけれど、座間先生って結構バランス重視の碁を打ってるのかな。」

「うん。相手によりけりだけれどね。年季の入った手厚い碁だと思うよ。」

 

「でも和谷は大丈夫だな。普段通り、まっすぐ自分の碁を打てば。」

「平常心ってやつだな。」冴木が言い足しました。

「勝てるって思う?」

和谷が嬉しそうに聞きました。

「いや、勝てるかどうかなんて知らないよ。でも良い碁にはなると思う。」ヒカルはそう答えました。

 

 

新初段戦の当日でした。座間はのんびりしたものでした。

この前、出版部の連中に挨拶されたけどね。新人は緊張してるんだろうねえ。

去年は一柳さんが新人に華をもたせたって聞いたけれどね、どうするかね。半目差ぐらいで勝たせるかな。

新初段戦は初めてだけれどね。ほんと、気楽な対局だよね。

 

「幽玄の間は初めてじゃないんだろう。えっと、」

名前何だっけね。

「和谷です。」

「そうそう。和谷君。」

 

「院生でしたけれど、ここでは記録係とかは、しませんでした。いつも憧れて覗いていた場所です。」

ふむふむ。緊張はしてないかな。こいつは。普通に喋っているな。

「ま、私のタイトルにビビることはないよ。気後れしたら勝てない。同じ初段だと思って向かってきなさい。」

「はい。頑張ります。」

 

ふむふむ。そういや天野さんが言ってたなあ。今までの新人は委縮するか気負うかのどっちかだって。とすると、この子は気負うタイプかね。ま、打ってみりゃ分かるわな。

 

さてさて結果ですが、王座が新初段だからと甘く見て始めたため、何度も扇子を齧る羽目になるのを、周囲にいた者は目撃することになりました。王座は思いました。

こいつはやっぱり気負うタイプだね。それほどの腕というわけではないが、ずいぶん俺の碁を勉強してきているようだ。

 

和谷は気負ってはいませんでした。

俺が今までやってきたことの総決算をここに出して、そこから始めるための対局だ。

中国でもトッププロにしごかれたじゃないか。塔矢先生にも緒方先生にも白川先生にも打ってもらった。進藤とずっと早朝対局を続けている。

 

それから、思い出して付け加えました。森下先生にも打ってもらった。

それでも俺はまだまだだ。でも頑張れるだけ頑張る。堂々とした碁を打つだけだ。

途中から王座の顔がきつくなりました。

こいつはそれほどすごい腕の子じゃあないが。前半を甘く打ち過ぎた。

俺の名折れになる。せっかくご祝儀をくれてやろうと思ったのに。

俺の本気、トッププロの本気を思い知らせてやろう。

 

それでも和谷は崩れることなく頑張り抜きました。ただし勝敗は別のこと、王座の壁に和谷は善戦むなしく散ったのです。

俺って、まだまだだ。中盤をしのぐ力をもっとつけなきゃいけないんだ。

和谷は自分の碁の宿題を見つけました。

 

対局が終わって検討に入った時、天野が笑いながら言いました。

「和谷君、いや、本当に頑張ったね。」

わっ、俺の頑張りが認められたのか。

「あっ、ありがとうございます。先生に胸をお借りしました。これからの対局の力にさせていただきます。」

嬉しくて、殊勝に述べた和谷に天野は笑いながら付け加えたのです。

 

「いやあ、中身は、私は分からないから、これから解説をいただくとして。私が言ってるのはね。この一局で座間先生の扇子を一つダメにしたんだからね。だから張り切ったんだねって思ったんだけど。」

和谷はガクッと来ました。

 

「いや、扇子はすぐ買えますよ。座間先生。それより、入れ歯の方は大丈夫ですか。」

さらに余計な言葉を言ったのは、編集見習い?の、名前は? 知らない~。たぶん、絶対古瀬村でしょう。

かじり散らされてぼろぼろになった扇子を見ながら、和谷は思いました。

 

今の言葉のせいで。俺、何気に座間先生にこの先にらまれそうな予感がする。俺ってなんかいつもそういうとこあるんだよな。

俺が言ったんじゃないのに。俺のせいになってる?座間先生の顔が、そう言っているぜ。

そりゃ今の碁、後悔はしないけどな。俺のこの先の囲碁人生が暗くなりそうな予感がする。

 

 

落ち込む和谷はさておき、一週間後、伊角と桑原本因坊の対局がありました。

桑原は本因坊戦にすべてをかけていましたので、特に新初段戦などはちょっと、盤外戦で脅してさっさと終わらせる戦法でした。

ところが、伊角はそういうことは全く効かないタイプです。

 

「伊角君といったの。最近は中学生で入るのが多いと聞くが君は少しとうがたっているかの。」

桑原のその嫌味な言葉など、伊角には聞こえていませんでした。

ひたすら盤面を見据え、その中に沈潜していました。

桑原先生には長年培った力がある。でも俺はヨミだけは負けたくない。

 

さてさて逆コミもあって、中押し勝を果たされた桑原は、ふっと、ひそかにため息をつきました。

最近の若いのは、まったく面白味がないわ。こやつも集中して、盤外戦が効かないタイプじゃな。あの小僧と同じだ。その上、ヨミも深いときている。つまらん。対局相手には、緒方君のようなのが良いわい。楽しくて。

得意の毒舌が効かずに調子を狂わされた桑原は、心の中でそう呟きました。

 

 

そしてメインイベント、白川の棋聖戦挑戦が始まりました。

去年は余裕をこいていたから、新初段戦などに出たものだけど、今度は違う。

棋聖戦は、二日の碁だからね。それに七番あるからね。緒方君だったら良かったのにねえ。

白川君は安心できない。どこを攻めていいか分からないところがある。食えない碁を打つようになってきた。

新旧変わり目とかいうけど、塔矢さんが相変わらずなのだから、私も負けてはいられないよ。

一柳はそう思っていました。

 

緒方は、何気に古株のタイトルホルダーたちに人気のようです。緒方自身は嬉しくないでしょうが。

棋聖戦は二月の終わりに、白川の四勝一敗で終わりました。白川の決意が実ったというところでしょう。

 

緒方さんより早くタイトルホルダーになる。どちらが進藤君の師匠にふさわしいか、決着をつける。

緒方はそんなことは思っていなかったでしょうが、白川の自負心でした。

 

一柳は、つくづく思ったものでした。

桑原さんじゃないが、私は、せこいことをした。新初段戦であの手をきちんと提示していれば、その気概があれば、こうはならなかったかもしれない。私の碁はあの時から、萎縮していたよ。

 

 

森下は、門下生の前で、白川を祝福しました。そして一つの決意を抱きました。

俺だってまだ頑張れるかもしれない。決して遅くはないのじゃないか。正直、白川君がここまでの変貌を遂げるとは思いもしなかったが。年齢に関係なく、人は意外と変われるものだ。師匠として俺も負けてはいられん。


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