神の気まぐれ(ヒカルの碁逆行コメディ)     作:さびる

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53.僕だけが判る

服装に続いてヘアスタイルまで。坂巻と明子のセンスが一致することを証明したとは言い切れないでしょう。

恐らく坂巻本人がそうなように、彼は短髪が好きなのでしょう。

それでも明子がアキラの新しいヘアスタイルを、驚きつつも気に入っていた時、ヒカルの側は大変でした。

 

プロ試験も最終盤、いよいよ大詰めに入ったという時に。

ヒカルが駅で事故にあったという悪いニュースが、速攻、美津子に伝えられました。

 

駅の階段から落ちたですって?!

 

救急車が呼ばれる時に、筒井がヒカルの家に連絡したのです。ヒカルの落下を途中で支えた二人というのが、奇しくも加賀と筒井だったのです。

病院に、美津子とあかりと白川が駆けつけました。

ヒカルって階段が鬼門なのね。あかりは思いました。

 

「命には別条がなくてよかったです。こちらの二人が支えになったおかげでしょう。」

お医者は加賀と筒井を指して言いました。

「鎖骨を骨折してますが、若いからひと月もあればよくなるでしょう。頭を打っているので、二、三日は安静にして様子を見ましょう。検査では何も異常はありませんが、念のためです。」

 

医者が説明を終えて去っていった後、一人の女性が、美津子に頭を下げました。

「私の祖母が足を滑らせて、それを進藤さんが支えてくれて、でもちょっと人ごみでしたから、それで祖母の方が人にぶつかって、支えて下さった進藤さんがバランスを崩されたのです。祖母は打ち身だけで大丈夫でした。ありがとうございました。でも本当に何と申し上げていいのか、何事もないことを祈っております。」

 

一度は目を開けて、三人に大丈夫と言ったヒカルは、今は深い眠りに落ちていました。鎮静剤が効いているのでしょう。

「ヒカルは大丈夫かしら。」

「大丈夫ですよ。進藤君に何かあるなんてことはありませんよ。」

そう言う白川は、なぜか少し険しい表情をしていました。白川は目覚めた時にヒカルが呟いた言葉を聞いていたのでした。

 

和谷と伊角が見舞いに訪れた時、白川は言いました。

「大丈夫だけれど、頭を打ったので大事を取っているらしい。見舞いは、しばらく控えた方がいいようだよ。」

 

ヒカルの事故の次の日、あかりが思いつめたように白川に言ってきました。

「ヒカルが事故にあった時から、幽霊さんが消えてしまったの。話しかけても声が聞こえないし、気配も感じないんです。 先生、ヒカルは、やっぱり幽霊さんと打ったのがいけなかったんじゃないでしょうか。」

 

白川はそういうこともあるだろうという表情で、安心させるように言いました。

「藤崎君。大丈夫だよ。試験の結果は分からないけれど、進藤君は、いずれプロになる。それ以外に進藤君がやることがあるだろうか。これほどの才能を神様がほっておくと思うの?

それより藤崎君。君の方が心配だ。君のせいじゃないよ。だけれども今しばらくは辛抱して、進藤君が回復するまで、頑張ってほしいんだ。

君は何か特別の役割を持っているんだよ。進藤君にとっても、消えたという幽霊にとってもだ。」

 

 

その夜、白川は何事か決心していたようで、塔矢家に電話を入れました。

翌日、白川は塔矢家の前に立っていました。

「ここが塔矢先生のうちか。来るのは初めてだけれど。」

 

白川が家にあがると、緒方も来ていました。

「進藤君はいかがですの?お見舞いに伺ってもいいのかどうか、分からなくて。」

明子の言葉に白川は言いました。

「進藤君は鎖骨骨折しただけで、若いですから、大したことにはならないそうです。事故直後は脳震盪を起こしたらしいのですが、後遺症の心配はなさそうです。それよりもむしろ心の問題が大きいのです。」

 

そこにいた三人は、少し首を傾げながら白川の次の言葉を待ちました。

心の問題とはなんだろう。

 

白川は一息入れてから、続けました。

「進藤君の心を助けるためには、塔矢先生がお聞きになりたいと仰った、幽霊についての見解をお話しなくてはなりません。」

 

緒方が訝しそうに聞きました。

「幽霊は進藤と関わりがあるのか?」

白川は頷きました。

 

「あの幽霊ですが、実は進藤君が事故にあった時に、消えてしまいました。藤崎君は幽霊が声だけになってとりついた時に、その理由を知りたいと言っていました。

声が聞こえるわけですから彼女は、幽霊にいろいろ尋ねてみたそうです。私はそれを藤崎君からいろいろ聞いています。そして進藤君には、当分言わないように頼みました。」

 

「白川君は幽霊についてどう考えているのかね。」

「幽霊についてただ一つ言えることはそれは進藤君と関わりがあるということです。ただこれから申し上げることは藤崎君の聞いた断片から私が導き出した、あくまでも推論です。」

白川は一息入れて続けました。

 

「まずは事実を一つ申し上げましょう。幽霊が憑いていた碁盤のことです。それは進藤君のおじいさんのお兄さんが所有していたものでした。もし亡くなられたら、その碁盤は平八さんが受け取り蔵にしまっておくと約束していたそうです。でも亡くなった時、碁盤は古道具屋に戻されたそうです。

 

幽霊の存在はみなさん、信じておられるでしょうが、次に私が話すことを信じていただけるかは、分かりませんが。進藤君は昔、囲碁のイロハを幽霊から伝授されたのです。そして進藤君はプロになったのです。」

 

緒方が口を開きかけるのを白川は制止しました。

「疑問がおありでしょうが、とにかく黙って最後まで聞いていただけませんか。

幽霊は、昔ある少年と出会って、彼の才能に喜び、碁を教え、それからその才能の輝かしさ、彼の未来に嫉妬したのだそうです。そしてその少年がいなくなればいいとすら思ったようです。彼が居なくなれば自分にもまだ碁を打ち続けるチャンスが来ると思ったと、そういうようなことを言ったそうです。

 

そして幽霊は魔が差したのです。幽霊は少年を階段から突き落としたと言っているそうです。少年は階段を転げ落ちた。それを神が救った。神かどうかは分かりません。とにかく少年も幽霊も時をさかのぼり、少年は生まれた頃にまでに戻って、もう一度はじめから人生をやり直したらしいのです。」

 

今度は誰も口を挟みませんでした。白川は続けました。

「いろいろなことを考え、私はその少年とは進藤君のことだと思うのです。進藤君に、幽霊との記憶はなかった、あるいは埋もれていた。それでも結局持って生まれた碁の才能が幽霊との日々の記憶を少しづつ戻していったと思うのです。

幽霊は忘れようと努めたと言っていました。

前の人生で、進藤君は幽霊をいつも連れ歩いていて、奥さまが見たような姿を見て、藤崎君のように声も聴いていたらしいのです。

プロになった時に時の最高の打ち手と打ちたいと言ったので、進藤君は苦労して塔矢先生と打つ約束を取り付けたのだそうです。そして打った。それ以来、幽霊は存在が薄くなっていったらしいですが。

実は幽霊は千年も碁盤にとりついていたとか、ですから進藤君の前にもとりついて素晴らしい碁を打ってきたと言っています。とりついたものが寿命で死ねば、また碁盤にとりつき次の機会を待つ。そういうことでしょうが。

薄れゆく自分、輝かしい未来を持つ進藤君。幽霊は我を忘れたのでしょう。

階段から落下して。たぶん、その時が続いていたら、そのままであれば進藤君は死んでしまっていたに違いありません。」

 

明子は悲しそうな顔をしました。

優しげな幽霊さんだったのに。

 

「進藤君と幽霊の仲ですが、進藤君の性格を考えれば恐らく、幽霊は進藤君にとってはかけがえのない存在、絶対的な信頼と彼らしい率直な友人のような付き合い、そして仲の良い兄弟のような存在ではなかったかと思うのです。二年以上も自分に憑りつき、何もかも一緒で、すべて分かりあって来たと思っていたはずです。

藤崎君も、確信はないものの、少年とは進藤君のことだと感じているようです。

 

親しい友人のような仲でも魔がさすことはあります。進藤君は恐らく今、過去の自分、幽霊との日々を思い出しているのです。あの事故がそれを誘引した。あるいはあれは当然起こるべくして起こったことなのです。

病室で進藤君が目覚めた時言ったのですよ。本当に囁くような呟きでしたが、私には聞こえました。自分が死ねばよかった。あいつの才能の方がすごいから。そう言ってましたよ。」

誰も何も言いませんでした。

 

「私は今何ができるのか分かりませんが、今の話を信じていただけたら、少しだけ手を貸していただけませんか。

幽霊はもういません。今話したことを藤崎君は断片ながら感じて、苦しんでいます。

進藤君は幽霊の身代わりになれなかったことを悔やんでいます。

私は、私たちは、幽霊と関わりを持ったのです。二人の気持を救わなければなりません。

 

私は今こう考えています。

もしかしたら、先生も奥さまも幽霊に出会ったのは、あるいは緒方さんも私も含めてですが、幽霊と出会ったのは、二人の気持を救うため、神が配慮したからだと思うのです。」


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