佐為のアタックの対象は、一転、明子に向けられ始めました。
幽霊の一念は恐ろしいものです。
佐為は千年の執念の塊ですから、なおさらのことです。
明子は悔みました。
あの時、さっさと碁盤を物置にでも突っ込んでおくべきだったわ。
憂鬱。できるだけ外出してようかしら。
落ち着いてテレビも見れやしないじゃない。お食事の支度だって、おちおち出来やしないわ。
不幸なことに、夫は対局と会合などで外出が多いし、アキラは学校へ行き、その後碁会所で過ごし、家に戻るのは夕飯ギリギリでした。
明子は一人で家にいることが、圧倒的に多いのです。
思い余って明子は、夫に告げてみました。
アキラが学校へ出かけて、夫と二人、いや隣の隣に、もう一人いる時にです。
ただし佐為は、この部屋までは来れません。
「ねえ、あなた。実は私、幽霊が見えるみたいなの。」
夫は悠然とお茶を飲み、答えました。
「そうか。」
「あの碁盤に取りついてるのじゃないかと思うのよ。いつもあの包みから出てあの包みに戻るの。」
「そうか。」
「どうしたらいいかしら。」
今度は“そうか”は、ありませんでした。夫も話を全く聞いていないわけではないようです。
ただし次の言葉はこれでした。
「アキラには言わないように。」
「そうね。」
そりゃ、あの子はまだ小学生ですし、怖がるかもしれませんものね。言わないわよ。もちろん。
だからあなたに言ってるんじゃありませんの。
それにしてもと、明子は思います。
結婚して15年余り、『そうか』という言葉を何百回。いえ、何千回聞いたことかしら。
いつものことだけれど、夫は家庭内のことに、解決能力はないのよね。
幽霊が家庭内のことなのかはものすごく疑問だけれど。
一方、佐為は、明子に話しかけましたが、一度も答えてもらったことはありません。
どうやら、姿は見えても、声は聞こえないらしいと分かり、いったんは落ち込んだ佐為でしたが、めげることなくすぐに、パントマイムで、碁を打つ真似を始めました。
くだんの碁盤は、風呂敷包みに覆われたままでしたから、別の碁盤で、碁を打つ真似をして見せたのです。
毎日毎日、それが続きました。
要するに幽霊さんは、碁が打ちたいってわけかしらん?
そこで、明子はまた夫に言いました。
「ねえ、あなた。例の幽霊なのですけどね。」
夫は意外そうに妻を見ました。
「まだ見えるのか。」
それだけです。
明子はその一言ですっぱり決心しました。
幽霊さんと碁を打ってやってなんて、言えないわよね。
夫は当てにできない。
これは碁盤を持ってきた人間に、まず問いただす必要があるわ。
それでも「アキラには言わないように」という夫のもっともな言葉があります。
とすると、持ち主の芦原君は口が軽いし、アキラさんとも仲良しだし、却下。
となれば、手段は一つ。
明子は電話を手にしました。
「もしもし、ああ、緒方さん。
ええ。実はね、折り入って、ご相談したいことがあるのよ。ご都合のいい時に駅前の“クラクラ”でお会いしたいの。」