「だからさ、こう、わーっと敵の艦載機が来るじゃないですか?
そうしたら機銃をがっと艦載機の針路に向けてばーん、って行くと、どーんと」
「お、おぅ」
手振りを交えながら説明する鬼怒に、摩耶は気圧されたように頷いた。
「わーっと来たらがっと向けてばーん、どーん、です」
「わーっ、がっ、ばーん、どーん」
手振りまで真似ながら、機械的に鬼怒の台詞をなぞる。
「そうです、そのタイミングで!
あとは練習すれば大丈夫ですから!」
嬉しそうに鬼怒が大きく頷く。
摩耶は絶望的な気分で笑顔を作った。
「……うん、わかった。ありがとう」
実際のところ、何もわかってはいなかった。
なぜこれで防空射撃が当たるのかと思っている。
結局は最後の一言、練習、ということなんだろうな、とまた一段気分が沈む。
落ちたもんだなあ、とひとりごちて、摩耶は首を振った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
鎮守府には様々な艦種があり、様々な艦がいる。
砲撃でもって敵を叩く戦艦、制空権を取って航空攻撃を行う空母、雷撃と夜戦を活躍の場とする水雷戦隊の面々。
それぞれに期待される役割があり、それぞれがその役割をこなして鎮守府は成り立っている。
立ち上げの直後で規模が小さかった頃は役割がはっきりせず――というよりも誰もがどんな役割をもこなさねばならず、だから何でも屋が重宝されたと聞く。
在籍する艦娘の数が200を超える昨今では、各々なにか特化した役割を持ち、その役割に関する能力を磨き上げて貢献する、という真逆の状況になっている。
何がしか人に負けない能力を持ち、それを更に尖らせて、鎮守府の総体としてどのような状況にも対応できるようにすること。
それが鎮守府の育成と運用の基本方針だった。
現に人類が確保している海域を維持するための通常作戦ならばいざ知らず、深海棲艦たちの領域に踏み込むことになる大規模侵攻作戦にあっては、やはり専門家の――一芸に秀でた艦娘が必要とされるのだ。
二度の大規模改装を経た摩耶に与えられた役割は艦隊防空。
ときには基地航空隊の援護もなく、随伴可能な空母の数も限られる中、深海勢力の深部へと突破を図らなければならないこともある。
必然、艦隊が航空攻撃を受ける機会は多くなり、被弾の機会も艦隊の損害も、それに従って増加する。
それらを防ぐため、対空射撃能力に秀でた艦が艦隊に組み込まれるようになっていた。
海域の状況により艦隊の運用には制約が課せられるため、複数の艦種にわたって防空担当は存在する。
さきに摩耶を絶望させた鬼怒もその一人であり、防空を担当するための駆逐艦も数隻が鎮守府に在籍している。
その艦隊防空の役目が、このところうまくいっていない。
摩耶の悩みの種はそれだった。
実戦でなにか失敗をしたわけではない。そもそも通常作戦において、摩耶の防空能力は過剰ですらある。
敵の艦載機が、空母の積む艦戦部隊の網を突破してくることは難しい――そのように艦戦隊は編成されている――し、その網を抜けたとしてもせいぜいが数機。
実戦の勘を失わないために週に1度は艦隊に随行するが、そこで仕損じたことはない。
芳しくないのは演習の結果だった。
防空射撃演習では、艦戦隊による防空網を突破された場合を想定して、通常作戦の実戦よりもよほど多数の標的を用意する。
その撃墜率が思うように上がらないのだった。
第二次大改装――いわゆる「改二改装」を終えて艤装そのものの対空能力は向上している筈で、にもかかわらず撃墜率は大改装前よりも低下している。
提督も僚艦たちも改装に伴う一時的な能力の低下と捉えているようで、そのことについてなにか叱責めいたことを言われたことはない。
訓練の量を増やせば艤装が馴染むだろう、それで撃墜率も上がるだろうと思っていた。
しかし大改装から1か月ほど、艤装が馴染む感覚はなく、訓練のたびに違和感が増しさえしている。
ついにはどうやって敵機を落としていたのか、摩耶自身もよくわからなくなってしまった。
自分と同じように対空戦闘を得意とする艦娘に改めて防空射撃のコツを聞けば何か掴めるかもしれない。
そう考えて声をかけた相手が鬼怒だった。
鬼怒は快く教えてくれたのだが、その内容はといえば先刻のそれだ。
恐らく、自分の感覚をそのまま口に出しているのだろう。彼女自身はそれで解る。そのとおりにやっているのだ。
「いや、でもそれあたしにはわかんねえよ……頭、悪ぃのかな……」
はぁ、と力のないため息が漏れる。
「あら摩耶さん、珍しいじゃない。どうしたの?」
掛けられた声に摩耶が振り向くと、小首を傾げた五十鈴が立っていた。
そういえば彼女も防空と対潜の専門家だったな、と思い出す。
「五十鈴、ちょっとその……顔貸してくれねえか。
困ってるんだ」
言ってしまってから、この言い方はどんなものだろう、と摩耶は後悔した。
今の自分は、人にものを頼むときにあって当然の気遣いすらできていない。その余裕を失っている。
五十鈴はそのことについては何も言わず、摩耶の顔をちらりと見て、ここじゃなんだから食堂へ、と答えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――そういうわけなんだよ。
もう正直、調子が良かったときの感覚が思い出せねえ。
なんか手掛かりになるかと思って鬼怒に相談したんだけど」
そこまで説明した摩耶に、五十鈴は気の毒そうな表情を見せた。
ふたりの間で、アイスコーヒーのグラスがふたつ、汗をかいている。
「相談相手の人選、どうかしらね。あの子は感覚派だから」
「ああ。いや、熱心に教えてはくれたんだが、正直――」
でしょうね、と五十鈴は納得の表情で頷く。
「努力家で、才能もあるの。長良型はそういうところがあるのかもしれないわね、長良姉といい名取といい鬼怒といい。
反復練習で身体に刷り込むから、自分でうまく言語化できなくてもやれるようにはなるのよね」
そういうもんかな、と摩耶が返す。
「それで摩耶さん、あなたは何に困ってるの?
防空射撃のコツなら教えられるわ。鬼怒よりはいくらかわかりやすく。
でもたぶんそれ、摩耶さんならもう知ってると思うけど」
「コツが解ってても当たらなきゃ意味ねえじゃねえか。
当りさえすりゃあここまで悩んでねえよ」
だからわざわざ相談してるんじゃねえか、そんな気分が態度に出た。
「今はまだいいよ演習なんだから。
でもこのままじゃいつか絶対本番でやらかす。
落とせた筈の敵機の攻撃で味方がやられるとこなんて想像したくもねえ」
「そこよね。
大改装してから、うまく当たらないことが問題なのよね?
それじゃ、コツがどうこうの前にやることがあるわ」
摩耶の態度に腹を立てた様子を見せることもなく、五十鈴が応じる。
立ち上がり、こっち、ついてきて、と言って席を立った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
案内されたのは鎮守府の電算室だった。
こんなところで何を、と訝る摩耶には答えず、五十鈴は端末で何かを検索している。
「出撃も演習も記録を取ってあるじゃない?
見直せば何かわかると思うのよ」
言いながらキーボードを叩き、慣れた手つきでマウスのホイールをくるくると回す。
「これが直近の演習、こっちがその前の実戦。
それで大改装が――1か月前?」
ああ、と頷く摩耶に、じゃあ一月半前あたりでいいかしら、と日付を入力し、五十鈴は求めていたものを探し出した。
「で、これが大改装前の演習と実戦。
機銃のガンカメラの映像ね。最近のから見てみましょうか。
対空射撃は――」
言いながら再生した映像を早回しで進め、画面にちらちらと対空砲火が写ったあたりで少し巻き戻す。
「このあたりからね。
右側から左に向けて敵機が入ってくるのに反応して、機銃の仰角と方位角を調整して、見越し射撃を――」
ん、と声を上げて映像を止める。
「これ、見越し角が小さいのかしら。右側に初弾が外れてる。この光、曳光弾よね。
それから修正して、というよりは標的を弾で追って命中弾を得てる」
「ああ、確かにそうだな。そうなんだよ、最近初弾が全然当たらねえんだ。
それで曳光弾の軌跡を見ながら修正して当てる」
「編隊が崩れてたり、あるいは進入してくる数が少なければ、あまり問題ないのよね。
ばらばらに突っ込んでくるから、迎撃までに余裕があるじゃない?
だから撃ちながらの修正でも間に合う。演習だと逆に数が多いから」
「撃ちながら修正してるようだと投弾の判定までに当てられない――そういうことか」
五十鈴は頷く。
「そうなんだよなあ……当たらねえ、当てられねえんだよ。
これでも演習も射撃訓練も真面目にやってんだけどさあ」
知ってるわ、と五十鈴は素っ気ない。
「練習不足以外に原因があるんじゃないかな、って思うのよね。
だってほら、前のはちゃんと当ててるじゃない」
端末を操作し、画面に映し出したのは大改装前の演習の映像だった。
確かに五十鈴の言う通り、初弾で命中させるか、すくなくとも至近距離を掠めさせている。
「出来てたことが出来なくなってて、あなたは訓練を怠ってない。
それなら、原因はきっと訓練以外のところでしょう」
じゃあ何が、と腰を浮かせた摩耶に、確かめてみましょうよ、と五十鈴は微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今度はどこだよと尋ねる摩耶に、五十鈴はあっちよあっち、と港湾区画の一画を指さした。
「……工廠?」
「御名答」
「艤装回りになんかあるってことなのか?」
「訓練不足じゃない、腕の問題でもない、だったらあとは艤装でしょう。
まあ、どの艤装かはわからないけど。それも工廠で確かめられると思うのよね」
まあ道理だけどさ、とまだ半ば納得のいっていない表情の摩耶を、どの道このままじゃどうにもならないでしょう、と五十鈴が突き放す。
「餅は餅屋、艤装なら工廠――というか明石さんよね」
ちょっと寄り道しましょうと言い、酒保でアイスキャンデーを買い込む。
5本あれば足りるかしら、と箱入りのものを注文し、工廠ってこの時期暑いのよ、と付け加えた。
いるかしら、と呟いて工廠の通用口を開ける。
広い工廠は新規艤装の作成もしていない。静かなものだ。
五十鈴の言葉のとおり、空調が効かない工廠はこの時期の昼間、どうしても暑くなる。
明石は工廠の片隅、作業台の前にいた。
制服でなくTシャツ一枚にハーフパンツ、片手に団扇足下には水の入ったバケツ、という姿だった。
「差し入れでーす」
もう二人、一緒に振り向いたのは夕張と大淀だ。
夕張はつなぎの作業着の上半身を脱ぎ、腕を腰のところでゆるく縛っている。
大淀は制服姿ではあったが、胸元を空けて書類挟みで風を送っていた。
「あら珍しい。
たまんないですねここ、提督に頼んで移動型のクーラーでも買ってもらった方がよさそう」
執務室で控えている姿からは想像もつかないような格好で大淀が言う。
「差し入れ?なになに、夕張の分もある?やー、この時期はこういうのに限るよね!」
にこにこと夕張は箱を開けている。
じゃあちょうどいいから休憩にしましょうか、と明石がいい、5人でアイスを食べることになった。
「それで、これをわざわざ届けに来てくれたわけじゃないんでしょう?」
あらかた食べてしまったところで明石が尋ねる。
「連れてきたってことは摩耶さんのほうです?
艤装の調整とか?」
まあそんなところです、と五十鈴が答え、摩耶に向かって頷いてみせた。
実は、と摩耶が事情を語り、明石と夕張がなるほどと聞く。
「記録を当たれば何か手掛かりが――ああ、もう調べたんですか?
手回しがいいですね五十鈴さん。それで、どうでした?」
常日頃から文書と記録の管理が業務の大きなウェイトを占めている大淀は、やはり記録のことが気になるようだ。
「初弾の見越し角が合ってねえ。いや、当たらないとは思ってて、修正するようにはしてるんだけど」
「でも修正できない?」
「そう」
ふーん、と首を傾げた夕張が、手順どうなんだろう、と呟いた。
「手順?」
「うん、対空射撃の手順。だいたいどんな感じでやるんですか?
私なんかは高射装置と高角砲を連動させるんですけど」
「あたしも変わんないよ。ああ、電探と機銃の連動になるけど。
電探で位置、目視で速度を確認して、見越し角を調整して、射撃位置より一定距離前に来たら電探から射撃指示、機銃で射撃」
特に変わった手順じゃないですよねえと夕張が同意を求め、変わらないですねえと大淀と五十鈴が頷く。
「そうするとやっぱり艤装かなあ。外してチェックしてもいいです?」
工具を取り出しながら、なぜか笑顔で明石が尋ねる。
なんで明石はこういうときいつも嬉しそうなんだろうと訝りながら、それでも仕方なく摩耶は首を縦に振った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さっきの話だとあれですよね、見越し角の調整は摩耶さんがやってるんですよね。
それが小さいってことはええと、」
天井から下がるチェーンに電探を掛けて落下を防止し、基部艤装と電探の間のコネクタを探りながら明石が言った。
主砲と高角砲、それに機銃は既に取り外されている。
「的速を過少に判断してる、機銃側で摩耶さんの設定した見越し角に追随できてない、あとは――」
指折り数えながら夕張が応じる。
「電探側で射撃指示のタイミングを誤ってる、とかですかねえ」
大淀が付け加えた。
「的速は問題ないと思うんだよなあ。機銃の射撃角もあたしが見る限りは適正だし、電探にも的速と距離に応じた射撃指示のタイミングは都度渡してるぜ?」
じゃあどこが原因なんですかねえと首を傾げた夕張の横で、明石が、あ、外れた、と呟いた。
「舶来モノはわかりづらくていけませんねえ。
あちらからメンテナンスマニュアル取り寄せないと」
慎重な手つきでコネクタを作業台の上に置く。
へえ、あんまり見ない形状だと思ったら、と大淀が覗き込んだ。
「Mk.37?」
艤装に詳しい夕張が尋ね、それそれと摩耶が答える。
「大規模作戦の褒賞で大本営から届いたんだってさ。対空・対水上、両方に使える奴で、何人かで使い回してるからあたし専用ってわけじゃないけど。敵機を遠距離から捕捉できるから便利だぜ。大改装してからはこれ使ってんだ」
摩耶の説明に、ひょいと顔を覗かせた艤装妖精が得意げに頷いている。
「摩耶さんが太鼓判押すなら、電探の故障の線も薄いかあ。
射撃指示のタイミングってどんなものです?」
困りましたねえとこぼしながら明石が尋ねる。
「的速と迎撃距離にもよるけど、的速450キロ、距離2000なら250手前」
摩耶の返答に、まあそんなものですよねえと大淀が応じた。
「――あれ?」
何かに引っかかったらしい明石が顔を上げた。
「今の話って単位どうなってます?」
「メートルだろ」
「ヤードでしょ」
摩耶と電探の艤装妖精が同時に答え、顔を見合わせる。
「それだ」
明石と夕張が同時に声を上げ、事情を察した大淀が天井を仰いだ。
「ヤードだとだいたい9掛けですからねえ。250mのつもりで250ydだったら25m弱違う。
それがそのまま迎撃点のずれに繋がるから――」
手早く計算した大淀に、当たるわけがねえ、と摩耶が苦笑する。
「なんだってこんな単純な――」
力が抜けたのか、工廠の床にしゃがみ込んでしまった。
「まあ得てしてそういうものよ。原因が単純で良かったんじゃない?
直すのも単純に直せるんだから」
ね、と五十鈴が笑いかける。
その表情はどこか安堵しているようにも見えた。
「案外こういうの馬鹿にならないんですよ。
前世紀にはメートル系とヤード・ポンド系の取り違えで不時着しかけた旅客機もあったそうですから」
何にせよ原因がわかってよかった、と言いながら大淀が立ち上がり、夕張もそれに続いた。
「妖精さんとの調整は摩耶さんがやってくださいな。
私は艤装のチェックとメンテナンスをやっておきます。
再設定が必要な艤装があったら一緒にやっちゃいますから、言ってくださいね」
明石が言い、じゃあ手伝うわと五十鈴も腰を上げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
調整と言ってもそう大したことがあるわけではない。
五十鈴の言う通り、原因が解ってしまえば簡単なことだった。
お互い、単位をメートルに統一することで話はあっさりとまとまった。
適当な目標を選定して測距の訓練を幾度かやってしまえば、もう間違うことはない。
確認と訓練が終わるころには艤装の調整も済み、摩耶は明石に礼を述べて工廠を後にした。
「五十鈴」
「なにかしら」
日も傾いた帰り道、摩耶は五十鈴にまだ礼を言っていなかったことを思い出す。
「その――ありがとう。助かったよ。
でも五十鈴、なんでここまで――?」
摩耶も五十鈴も、午後の半日をあらかた潰していた。
「バカね、決まってるじゃない」
くるりと軽やかな動作で向き直った五十鈴が笑顔で答える。
「摩耶様には、胸を張って堂々としててもらいたいの。背中を丸めてため息なんて似合わないわよ。
だから気にしないで。それでも借りだと思うなら、いいわ、今度間宮でもご馳走してもらおうかしら?」