鎮守府点描   作:Ashlain

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村雨:鼠たちの戦場

 電探の艤装妖精が肩をつついた。

 

「なになに?なにか見つけた?」

 

 応じた村雨の声はくぐもっている。

 行軍時用の戦闘糧食――ひらたく言えば握り飯――を頬張っているからだった。

 

「逆探に引っかかった。

 レーダー波じゃない。短波。たぶん通信。方向はわからない」

 

 艦隊は無線封止中で、近くには友軍の艦隊も展開していない。基地もない。

 民間船は夜間に護衛もなくこんな場所を航行したりはしない。

 となれば、原因はひとつしか考えられない。

 

 村雨は握り飯の残りを一口で胃に押し込んで増速し、艦隊の先頭を航行する旗艦、龍田に近づいた。

 

「あらぁ、なあに?」

 

 接近に気付いた龍田が声をかけてくる。

 

「逆探に感ありです。短波無線、方向不明――短時間で消えたのよね?」

 

 並んだ村雨が、行き足を緩めずに小声で報告した。

 後半は艤装妖精への確認だった。

 

「数秒くらい。無線電信か、でなくてもなにかの符号だとおもう」

 

 妖精の答えに、ふぅん、と龍田が応じる。

 

「村雨、あなたはどう思う?」

「うーん……やっぱり、敵艦の待ち伏せじゃないでしょうか」

 

 でしょうねぇ、と答えて龍田が頷く。

 

「みんなに伝えてあげて。

 逆探に感、付近に敵艦ありと思われる。警戒を厳とせよ。

 あ、灯火管制、無線封止は継続ね」

 

 はーい、と答えた村雨が、仲間たちに龍田の命令を伝達する。

 艦隊は先ほどまでと変わらず静かに航行を続けているが、その空気は明らかに変化していた。

 

 あなたたちも戦闘準備をよろしくね、と龍田が自分の艤装妖精たちを起こす。

 輸送用のドラム缶の艤装妖精までがつられたように顔を出した。

 

「ごめんなさいねぇ、あなたは隠れてていいのよぉ」

 

 妖精が素直に引っ込んだあと、龍田はドラム缶の固縛をもう一度確認し、面倒なことになりそうねぇ、と髪をかき上げた。

 思い出したように背中に背負った薙刀を外し、右手に提げる。

 

「いい夜よね、村雨。

 死にたい船はどこかしらねぇ?」

 

 物騒としか言いようのない台詞ではあるが、暗夜、どこにいるともしれない敵艦に備える今のような状況にあっては頼もしい。

 

「高波と風雲が見張員を乗せてきてます。

 先行させますか?」

 

 そうしましょう、と答えて龍田が指示を出す。

 

「高波、風雲、前方警戒、お願いするわねぇ」

 

「高波、了解しました」

「風雲了解」

 

 応じた2隻の駆逐艦が、高くなりつつあるうねりを踏んで速度を上げ、左右から村雨と龍田を追い越してゆく。

 2隻とも、その肩に、見張りを務める妖精を乗せていた。

 

 輸送任務とはいえ緊張と警戒を緩めるわけにはいかない。だからこそ村雨は電探を、高波と風雲は見張員を載せてきている。

 それが鎮守府の、そして人類の置かれている現状だった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 深海棲艦が現れ、人類から海を奪い去って数年。

 艦娘を投入した反撃により、人類は徐々に海を取り戻しつつある。

 とはいえそれは主要な港湾を結ぶ線状の領域に限ったことだ。

 実のところそれすら十分ではないのだが、その線状の海域に含まれない広大な海は、いまだ安全とは言い難い。

 人類が制海権を確保した海域の民間航路であっても艦娘の護衛が付くのは珍しいことではないし、実際に戦闘が生じることもままある。

 南方の島嶼に設置された拠点への補給ともなれば、艦娘たち自身が補給のための装備でもって出向くことのほうが通例だった。

 

 駆り出されるのは大概、軽巡洋艦や駆逐艦を主とした水雷戦隊で、安全な海域を除いては、空襲を避けるためにこうして夜間に航行することになっている。

 無論、夜が安全というわけではない。

 昼の空襲よりは一方的に叩かれる可能性が低いというだけで、敵に先立って索敵を成功させなければ、やはり同じように危険はあるのだった。

 

 しかし、危険があったとしても、安易に輸送を中断するわけにはいかない。

 補給ができないということはその拠点を放棄せざるを得ないということで、一度放棄した拠点を再度拠点として利用できるようにするためには、海域の掃討からやり直さねばならないからだった。

 当然、放棄に当たっては拠点に配置された人員や艦娘が、より大きな危険に晒されることになる。

 一頃に比べれば改善してきているとはいえ、ある危険と別な危険を引き比べてどちらかを選ばねばならない、といった状況は、現場に出る艦娘たちにとっては日常のことだ。

 現に、確実な交戦が想定される任務ではなかったにもかかわらず、村雨たちはいま戦場に置かれている。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「敵艦隊、発見した、かもです!」

「見ぃつけたぁ。

 ――右舷前方、島の影から出てきてます。

 重巡級1、軽巡級1、駆逐級2を確認」

 

 高波と風雲が報告する。

 かも、と不確定な部分を残してはいるがそれは高波の口癖で、実際に発見できないときにこういった報告はしないことを村雨は知っている。

 夜間で月もないという悪条件下であっても、訓練を積んだ見張妖精は十分な距離をもって敵艦を発見していた。

 

「高波を先頭に単縦陣に陣形変更。

 みんな、遅れないでねぇ」

 

 駆逐艦たちが龍田の指示のとおりに陣形を変更する。

 戦闘が想定される海域だから航行灯すらなく、月はもう沈んでいる。

 薄曇りの空の雲の切れ間からかすかに投げかけられる星明りと、それを反射してほの白く光る僚艦の航跡だけが航行の頼りだ。

 

「各艦、装備を最終点検。敵前で左へ転舵後、右舷砲戦。

 航過後の二次攻撃は隊列を解いて自由航行。誤射と衝突には気を付けてねぇ」

 

 ――初撃で優位を取り、自由行動を許した二次攻撃で殲滅しろ、と。

 

 村雨は龍田の指示をそのように解釈した。

 かわして逃げるだけでは追撃される可能性がある。ならばその可能性ごと敵艦隊を叩き潰してしまえばよい――龍田の意図も事実そのようなものだった。

 

 艦隊の置かれた状況にも合致している。

 待ち伏せていた敵はこちらを発見しているだろうが、こちらも不意討ちを受けることなく、十分な時間的余裕をもって敵を発見している。

 重巡洋艦は厄介な敵だが、交戦距離が短くなりがちな夜戦ならば駆逐艦にとって不利というほどの不利はない。

 そして数的優位――敵は4隻、こちらは6隻。

 

 よしいける、と戦意を高揚させながら、村雨は、その端緒となった敵の通信の探知を自分の手で為したことを誇らしく思っている。

 いいとこ見せられたかな、とちらりと思い、そして何かが心に引っかかった。

 

 ――あれ?

 

 敵はひとまとまりになって待ち伏せをしていた。

 待ち伏せ攻撃は不意討ちになったときにこそ最大の効果を発揮する。

 だからこそ灯火も無線も使用せず、息を潜めて敵が網にかかるのを待たねばならない。

 

 ――だったら、あの通信は一体なんのために?

 

 危険を冒してでも通信しなければならない理由はそう多くない。

 

「龍田さん、増援の可能性が。

 あの通信、ただの待ち伏せなら辻褄が合いません」

「そうかもしれないわねぇ」

 

 困ったわ、とでも言いたげな様子で龍田が応じる。村雨の短い報告で状況を把握したらしい。

 

「でも、どの道ここでやるべきことは変わらないのよ。

 敢えて言うなら、なるべく早く片付けましょうね、ってことくらい?」

 

 確かにそれがこの後予測される危険を避けるためには最も重要なことだった。

 間を置かず、龍田が全艦増速と突入態勢への移行を下令する。

 

 艦隊が増速し、敵艦隊へと肉薄する、そのさなか。

 

「右舷から雷跡3――いえ4!」

 

 春雨の報告はほとんど悲鳴だった。

 直後に爆発音と本物の悲鳴が上がり、水柱が高々と立ち上がる。

 

「春雨被雷!

 右から雷撃、雷跡4視認、艦影なし、潜水艦と思われます!」

 

 怒鳴るような声で報告を寄越したのは、春雨の後ろ、艦列の最後尾についていた長波だった。

 崩れた水柱を被ってずぶ濡れになった春雨は、被雷した右足を押さえたまま水上に倒れ込んで動かない。

 

「春雨!」

 

 叫ぶ村雨の声がひび割れる。

 急転舵して春雨の――妹のもとへ駆け寄ろうとした村雨を、龍田の凍り付くような声が制した。

 

「村雨」

 

 振り向きかけた顔を思わず戻した村雨に、表情を削ぎ落した顔で龍田が告げた。

 

「あなたは高波、風雲とともに前進、あなたの指揮のもと、敵艦隊を殲滅。

 一隻残らず沈めなさい。必ず。いいわね?」

「龍田さんは」

「右手の潜水艦が死にたいようだから、ね?」

 

 にこりと笑った顔の中で、目はまったく笑っていない。

 

「長波!」

「はい!」

 

 呼ばれた長波が反射的に背筋を伸ばして応答する。

 

「あなたは春雨の被害の確認と報告、それが済んだら応急処置。

 私はあの潜水艦を沈める。万が一、二度目の魚雷が来たら、春雨を引き摺ってでも回避させなさい」

 

 了解、と応じた長波に頷き、龍田は転舵した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 龍田は一歩ごとに深く海水を蹴り、見る間に増速する。

 

 ――小癪な真似を。

 

 二段階の待ち伏せ。

 艦娘たちが気付かなければ挟撃し、気付けば本隊を囮に雷撃で不意討ちを仕掛ける。

 村雨が探知した通信は、そのためのものに違いなかった。

 

 村雨は違和感を抱いて報告を上げた。

 龍田はその違和感の正体を誤断した。

 あの時点で増速でなく周囲の警戒を命じていれば、春雨は被雷せずに済んだかもしれない。

 

 魚雷を放った敵潜水艦への激しい憤りとともに、死にたくなるほどの後悔を、龍田は覚えていた。

 最大戦速まで加速し、後悔に蓋をして心の底へしまい込む。少なくとも、そうせよと自分に命じた。

 

 海面を駆けながら前方を捜索し、潜望鏡を見付け出す。

 こちらにはもう気付いているのだろう、小さく白く波を切って、潜望鏡が海面下へ消えようとしていた。

 

 砲撃はもう届かない。

 完全に潜航されてしまったら、爆雷投射機の手持ちがない龍田にとって、攻撃は難しくなる。

 それでも。

 

「逃がさないわよぉ」

 

 天龍にすら見せられない、見せたことのない笑みを浮かべて、龍田が呟く。

 右手の薙刀を握り直し、海面のうねりに合わせて踏み込み、波頭が持ち上がる勢いを利用して、龍田は跳んだ。

 空中で薙刀を両手に持ち替え、その穂先を下へ向け、着水と同時に突き込む。

 

 ごつん、という手応えがあった。

 龍田の船体を構成する基部艤装と同じ材質の薙刀は、潜水艦の耐圧船殻をあっさりと貫通した。

 軽く捻りながら薙刀を引き抜くと同時に、耐圧船殻の上部に残されていた圧縮空気が噴出し、大量の気泡と飛沫が龍田を包む。

 慌てて浮上をかけた潜水艦がどうにか海面に達したとき、その目の前には、薙刀を提げた龍田の姿があった。

 

「たっぷり空気を吸っておきなさい、もう二度と吸えないから」

 

 つい、と薙刀の先で潜水艦を指し、機銃掃射、と短く命じる。

 3連装機銃の艤装妖精は、龍田の命令に喜んで従った。激しい連射の音が響き、大量の薬莢が海に吸い込まれる。

 もがく潜水艦に表情を消した顔を向けた龍田は、機銃の艤装妖精に、二度、弾倉交換を命じた。

 外しようのない距離から機銃の掃射を浴びた潜水艦は、龍田の言葉のとおり、二度と浮上することなく沈んだ。

 

「こちら長波。春雨は缶損傷、浸水中、魚雷発射不能。

 バイタルには異常なし。応急処置にて浸水の拡大は停止可能な見込みです」

 

 沈む敵潜を見届けた龍田の通信機に、長波からの報告が届いた。

 龍田はひとつ息をついて髪をかき上げる。少なくとも春雨に関して、最悪の事態は避けられたようだった。

 

「了解、すぐにやって。こちらは潜水艦を片付けた。私も長波と春雨に合流する。

 ――村雨、聞こえた?春雨は命に別状ないわ。安心して本隊をやりなさい」

 

 ふたつの了解の声を聞き、龍田は被雷した駆逐艦のもとへ向けてふたたび舵を切った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 敵艦隊へ向けて増速しながら、村雨は身悶えしたくなるような後悔に苛まれている。

 あの違和感にもっと早く気付いていれば。

 増援要請ではなく攻撃の合図だと認識できていれば。

 

 ――春雨は被雷せずに済んだかもしれない。

 

 頭では今更詮無いことと理解していても、村雨の心が納得を許していなかった。

 ぎりり、と歯を食いしばって、これではいけないと思い直す。

 

 沸騰した怒りを――敵艦隊と己への怒りを鎮めるために、3度の深呼吸が必要だった。

 

 どうにかこうにか心を落ち着けた村雨は、前方の状況を確認する。

 敵艦は4隻、重巡を先頭にこちらへ向かってくる。

 単純にぶつかれば不利なことは目に見えていた。

 そもそも数の優位を生かす予定だったものが、被雷と潜水艦への対応でこちらは3隻しかいない。

 しかし勿論、村雨に退く気などない。龍田の命令に従うというよりも、妹を傷つけた敵艦隊をのうのうと永らえさせる気がないのだった。

 

 ――こちらが有利、あるいは敵が不利な点は?

 

 村雨は考える。

 彼我の差はどこだ。我が優位を取れる点は。

 

 全体としての戦力?――お話にならない。

 個艦の戦力?――駆逐艦同士ならともかく、特に重巡と1対1は厳しい。

 ならば局所で数的優位を作ればどうか?――うまく敵を分断できれば、あるいは。ただし必ずどこかで1対2以上の状況が生じる。

 索敵能力?――お互いに相手を発見しあった今の状況ではあまり関係がない。灯火管制をしたまま戦えるなら、それは優位になるかもしれない。

 位置関係?――こちらは比較的自由に航行できる。敵艦隊は陸地を背負っている。

 

 これしかないな、と村雨は心を決めた。

 地形も利用して可能な限り敵艦隊の行動の自由を制限し、自分たちは自由に動くことで優位を得る。

 首尾よく数を減らせたなら、あとは数的優位を作って押し込む。

 

 作戦とも言えないような雑な方針ではあるが、何もないよりは遥かにましなはずだった。

 

『こちら長波。春雨は缶損傷、浸水中、魚雷発射不能。

 バイタルには異常なし。応急処置にて浸水の拡大は停止可能な見込みです』

『了解、すぐにやって。こちらは潜水艦を片付けた。私も長波と春雨に合流する。

 ――村雨、聞こえた?春雨は命に別状ないわ。安心して本隊をやりなさい』

 

 長波と龍田からの通信が入ってきた。

 深く安堵した村雨は了解と答えてもう一度息をつき、高波と風雲に声をかける。

 

「聞こえたわね?

 春雨は無事、長波と龍田さんはそれぞれ役割を果たした。

 今度はこちらの番よ。方針を伝えます。

 敵を陸地側に押し込んで行動を制約して叩く。

 主砲はまだ有効射程外よね?」

「届くには届きます。命中はちょっと」

 

 期待できませんね、と風雲が応じた。

 

「それで構わない。今のうちに即応用の予備弾を砲塔内に上げておいて。

 合図したら射撃開始、同時に敵艦隊の前方へ雷撃。

 砲撃も雷撃も、命中より行動の制約を重視して。

 海側に外すのは問題ないけど、陸側には外さないでね。

 本命の攻撃開始前の砲撃と雷撃で、敵艦隊を陸側に追い込む。

 うまくいけば転舵の方向を制限できるから、当てやすくなる筈よ。

 最初の航過で数を減らして押し込めればベスト、そうでなくても次の手を制限できれば上出来、ってところね。

 初期段階で行動の制約に失敗したら龍田さんたちと合流する」

 

 そこまで説明して、ああそうだ、と付け加える。

 

「今の龍田さんに『失敗しました』って報告はしたくないから、2人とも、よろしくお願いね」

 

 春雨の被雷直後の表情を消した顔、そして目が笑っていない笑顔を、村雨は思い出していた。

 

「重巡よりキレた龍田さんの方がおっかないですよねえ」

 

 風雲が遠回しな言い方で村雨の方針を受け入れた。

 

「その作戦ならいける、かも」

 

 高波はもう少し直接的な言い方だった。

 よし、と村雨が頷く。

 

「じゃあ、やっちゃいましょう!

 攻撃開始!」

 

 村雨の合図と同時に、3隻は一斉に砲撃を始めた。

 続いて魚雷が投射され、夜目にも白い航跡が敵艦隊の方へと伸びてゆく。

 

 砲撃は命中こそしないが、弾着は村雨の期待のとおり、敵艦隊の海側に集中していた。

 こちらの砲撃に触発されたように、深海棲艦たちも砲門を開いて応戦する。

 弾着の位置はまだまだ遠い。夜戦の初弾などそうそう当たるものではないから、これは計算のうちだった。

 そうこうするうちに魚雷が敵艦隊の近くをかすめる。命中はないが、敵艦隊は回避のために更に陸寄りに舵を切った。

 

 ――いい感じ。

 

 ここまでは村雨の思惑通りに事が進んでいる。

 

「敵艦隊接近、間もなく行き違うかも!」

 

 高波がいつもの調子で報告する。

 

「二次攻撃開始、標的は各個に設定。

 航過後は自由航行で追撃戦。戦果、期待してるわ」

「了解かも、です!」

「風雲了解!」

 

 答えるが早いか、2隻の僚艦は主砲を撃ち始めた。

 村雨も敵の先頭、重巡洋艦に狙いを定めて射撃を開始する。

 無論、敵も黙って撃たれるだけではない。撃てる砲のすべてを使い、激しく反撃する。

 艦体の傍をかすめる砲弾に肝を冷やし、水柱に足を取られそうになりながら村雨は海を駆け、艤装妖精を叱咤して砲撃を続けた。

 二度三度と命中弾を得はしたものの、まだ相手の足を止めるには至っていない。

 

「駆逐艦、撃沈したかも!」

「風雲も撃沈1、駆逐艦です!」

 

 僚艦からの報告を頼もしく聞き、村雨は行き違った敵艦へ向き直るように転舵した。

 軽巡洋艦が陸側へ、重巡洋艦が海側へ、それぞれ舵を切っていた。

 

「高波、風雲、軽巡をお願い!

 村雨は重巡を押さえます、そっちが済んだら合流して!」

 

 了解、とふたつの声が答えた。

 さて、と村雨は重巡洋艦の未来位置へ向けて速度を上げる。

 

 ――代償を払わせてやる。

 

 おそらく艦隊の指揮はあの重巡が執っているのだろう。

 であれば、春雨をあんな目に遭わせた元凶もあの重巡、ということになる。

 

 距離を取ろうとしているのか、重巡洋艦も増速した。

 追う形になった村雨の射撃開始よりも先に、敵が撃ち始める。

 海面から沸き立ついくつもの水柱を避け、あるいは突っ切って、村雨は敵艦に迫った。

 その間も射撃は忘れない。激しく揺れる中の速射は艤装妖精にとっても楽な仕事ではないはずだが、妖精は不平を漏らさない。

 さらに一つ二つと命中を知らせる爆発を目にして、村雨は己の勝利を確信した。

 

 それがわずかな気の緩みにつながったのかもしれない。

 同じパターンでの回避行動を無意識に繰り返していた村雨があっと思ったときには、敵の主砲弾が装甲を貫いていた。

 

「ちょ、待っ……」

 

 弾着の衝撃と爆発で弾き飛ばされ、海面に叩きつけられる。

 激痛で一瞬呼吸が止まる。悲鳴こそ噛み殺したものの、呻き声まで止めることはできなかった。

 どうにか頭を持ち上げ、敵艦の状況を確認する。

 ひとまずの危険を排除したと見たのか、村雨の方へ来る様子はない。

 軽巡洋艦が逃げた先、高波と風雲がいる方へ、重巡洋艦は転舵している。

 

 ふざけんじゃないわよ、と吐き捨てて村雨は被害を確認した。

 艤装と制服に大穴が開き、あちこちに火が燻っている。

 海面に叩き付けられたときに折れたのだろう、電探のアンテナが曲がっていた。

 魚雷発射管も発射不能になっている。

 艤装妖精が庇ってくれたのか、装填済みの魚雷の誘爆は避けられたようだった。

 当の艤装の妖精たちは、破損した己の住処を悲しそうな顔で見つめている。

 

「われ射撃可能、ただし揚弾機故障」

 

 主砲の艤装妖精が報告した。

 

「砲塔内の予備弾は?」

「3射分」

「それだけあれば十分ね」

 

 一旦は立ちあがった村雨だったが、射撃姿勢を取ろうとして顔をしかめた。

 左腕が上がらない。

 手持ち式の主砲射撃は両手で艤装を保持するのが基本だった。片手撃ちでは命中率が著しく低下する。

 右手だけで主砲を保持しようにも、被弾箇所の痛みでうまく力が入らない。

 被弾まで順調に距離を詰めていた目標の重巡洋艦は徐々に離れてゆきつつある。

 

 ――このまま撃っても当たらない。せめて何か支えになるものが。

 

 海上にそんなものがあるはずもない。あるのは不安定に揺れる海面と自分の身体だけだ。

 悔しさに歯噛みしながら村雨は通信回線を開いた。

 

「高波、風雲。村雨は被弾しました。

 追撃困難、重巡がそちらへ向かってます。そちらの状況は?」

「軽巡は沈めたかも」

「了解、迎撃する」

「注意して。手ごわいわよ」

 

 通信を切ると力が抜けた。

 尻もちをつくようにへたり込む。目の前に自分の右膝があった。

 

 ――支えだ。

 

 右手の主砲、その前部を右膝の上に乗せて固定する。

 旋回ができないのが困ったところではあるが、片手で撃つよりは当たりそうだった。

 遠ざかる重巡洋艦は村雨に背を向けていた。もうこちらへの意識を切っている。

 

 身体をずらして重巡洋艦の針路の先に照準を固定し、慎重にタイミングを計って、引金を落とす。

 一瞬のち、背後からバイタルパートを撃ち抜かれた重巡洋艦が崩れ落ちた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「重巡が視認できないかもー」

「村雨、状況はどう?」

 

 高波と龍田からの通信が入っていた。

 もう何もかも投げ出したい気分で海面に転がっていた村雨は、その声にのろのろと身体を起こす。

 

「敵本隊は殲滅。撃沈4、駆逐艦と軽巡は高波と風雲が、重巡は村雨が落としました。

 村雨は被弾、攻撃は不能、全速航行不能。電探も修理が必要です」

「春雨は応急修理を完了、こちらも半速でなら、ってところねぇ」

「風雲は無事です。高波は小破したかもー」

 

 龍田の指示で合流した艦隊は、ふたたび針路を南に取った。

 

「これ、夜明けまでには着かないわねぇ」

 

 損傷を受けた村雨と春雨は巡航の速力すら満足には出ない。

 残された距離と艦隊の速度を計算すれば、夜明け――つまり空襲の危険が生じる時間までに港に逃げ込むことは不可能だった。

 

「積荷、投棄しますか?」

 

 後ろめたさを感じつつ、村雨は提案した。

 重量物である補給物資を捨ててしまえば多少は速度が上げられる。

 話を聞きつけたドラム缶の艤装妖精たちが、不安そうに成り行きを見つめていた。

 

「まだ駄目」

 

 龍田はしかし、言下にそれを否定した。

 

「春雨のも含めて全部無事なんだよ」

「無事なんですよ!」

 

 長波と春雨が口々に言う。

 

「春雨はさあ、被雷したときにドラム缶庇ってたからな。あたし見たぞ、あれ無理しただろ」

「ちょっとだけです!だってせっかく運んできたし、待ってる人がいるのに」

 

 だから大怪我するんだよ、とぼやきながら、長波は口調ほどに腹を立ててはいない。

 

「ほら、無碍にできないでしょう?

 拠点に支援を要請してみましょう」

「渋りそうですね。あそこ陸さんの拠点ですし」

 

 まあそのときはそのときよぉ、と笑って龍田は回線を開いた。

 

「こちら輸送部隊。進出途上で待ち伏せを受けた。

 敵艦隊は殲滅するも我が方の被害中破2小破1、夜間の到着が不可能につき上空援護を乞う」

 

 ややあって送られた返答に、龍田が笑みを大きくした。

 

「いえ、現在の地点までとは――ええ、こちらが薄明までに進出できる地点まででも。

 攻撃機ではなくて上空援護です。そちらの隼で空襲に対する援護を。

 ――そうですか、では止むを得ません。艦隊の安全を優先しなければなりませんので、補給物資を投棄せざるを――

 え?援護をいただける?それはありがとうございます。

 鎮守府を代表して、あなたのご厚意に感謝いたします」

 

 通信を切った龍田が、済んだわよ、と駆逐艦たちに声をかけた。

 

「上空援護、快く引き受けてくれたわ。

 感謝しないとねぇ」

 

 どこがぁ、と遠慮のない声で長波が言う。

 駆逐艦たちが一斉に笑い声を上げ、ドラム缶の艤装妖精たちがほっとしたような笑顔を見せた。

 

「さっきのあれ、よかったんですか?

 あれじゃほとんど――」

 

 組み直した艦列の中、村雨は小声で龍田に尋ねた。

 夜明けも目的地もまだ遠い。だが、東の空がぼんやりと明るみ始めていた。

 

「――脅迫?

 やぁねぇ、私がそんなことするわけないじゃない?」

「いえ、それもそうですけど、あとでなにか……」

「いいのよぉ、どうせ叱られるのは私じゃないし。

 それに、可愛いあなたたちに怪我させてまで運んだ物資、無駄にはできないでしょう?」

 

 ねえ、と龍田は自らも積んでいるドラム缶をついと撫でる。

 顔を出した艤装妖精が、嬉しそうに笑った。


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