「あれ?」
異変に気付いた明石は、工廠の中を見回した。
昨日まで確かに置いてあった筈の場所に、ウエスがない。
機械の整備・清掃用の端切れ布だから、艦娘たちの艤装の整備を任されている明石にとっては毎日のように使う品だ。
それだけに備蓄は大量に用意されている――それも、衣料工場から出た端切れを裁断したもの、不織布で作られたもの、精密機械用のもの、といくつかの種類を取り揃えてある。
グリースを拭いたりオイルを拭いたり作業台を拭いたりとあれこれ用途のある、明石にとっては必需品だ。
それが一箱まるごと見当たらない。
工廠は建前上、誰が使ってもよいことになってはいるが、実際に使うのは明石を除けば夕張くらいのものだ。他の艦娘たちは、なにか用事がなければあまり近寄ることはない。
「おっかしいなー、確かにここにしまっといた筈なんだけどなー」
ばさばさと頭を掻きながらもう一度棚を確認する。やはりない。よくよく調べてみれば、工具箱や備品類も微妙に置き場所が違う。
おそらく誰かが使ったのだろうが、一箱分のウエスというのはどう考えても一度になくなる量ではない。別の場所で使うために持ち出すにしても、夕張あたりならば断りを入れるかメモのひとつも残す筈だった。
じゃあ誰だろう、と工廠に立ち寄りそうな艦娘を思い出そうとしてみるが、結局のところ夕張か明石本人、あとは大淀くらいしか思い当たる相手がいない。夕張は言ってみれば工廠仲間のようなもので、明石が普段何に気をつけて工廠を使っているかをよく知っている。大淀にしても同様で、彼女は任務の統括をする関係上、やはり明石のやり方は熟知している筈だった。
しばらく考えてみたが時間の無駄でしかなく、それに気付いた明石はやめやめ、と独りごちて倉庫の片隅に積んであった別の一箱を引っ張り出してきたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日一日、明石はあまり気分よく仕事ができなかった。愉快とは言えない余所事が気になり続けていたのだから、これは無理のないところではある。
仕事を終えて食堂へ向かう道すがら、事務室に立ち寄った。
「ああいたいた。大淀、紙とサインペン貸してもらえる?」
なんですか急に、と言いながら頼んだものが即座に出てくるあたりは大淀だ。
「いやそれがさあ」
サインペンで紙にさらさらと用件を書きつつ、明石は事情を説明した。
『工廠から端切れを箱ごと持ち出した方は明石まで御連絡ください』
随分遠慮した書きっぷりじゃないですか、と事情を聞いた大淀が笑う。
「まあ悪気があったかどうかもわかんないしねえ。
知らないでやっちゃったなら、次はきちんと戻してねって言えば済む話だからさ。
――掲示板、いい?」
「どうぞどうぞ。期限、とりあえず1週間くらいでいいです?」
日付の入ったスタンプを取り出して日付を変えながら大淀が尋ね、あんまり長いこと貼っとくものでもないしね、と明石が応じる。
明石の走り書きに掲示期限のスタンプを押し、はいどうぞと大淀が手渡した。
「貼るときに期限過ぎてるのがあったら、ついでに剥がして捨てといてください」
はいよと請け合って食堂前の掲示板へ向かい、掲示期限が過ぎていた告知を剥がしてその跡へ貼る。
ここならば大半の艦娘の目に留まる筈だった。遠征や出撃で出ている艦娘、許可を取って外出・外食する艦娘もいるにはいるが、数としてはさほど多くない。
あとはこれを見た本人が声をかけてくれれば解決かな、とひとつ息をついて立ち去ろうとした明石を、誰かの声が引き留めた。
「盗難、ですか?」
振り返ると、鳳翔が誰かと話をしている。
「ええ、検品前の箱が開けられたようで、中身が。
ただ盗難とも言い切れなくて――」
相手には見覚えがあった。出入りの調理業者の営業だ。
資材や消耗品の発注は明石と大淀が担当している関係で、幾度か顔を合わせたことがある。
鳳翔は鎮守府の規模が小さかった頃に調理を担当していたことから、今でも食堂のメニュー決めに関わっている。
「穏やかじゃありませんね。何が盗られてたんです?」
「鶏と魚です。鶏はささみ、魚は鰯。どっちも一次加工済みでパックされてまして、それが1パックずつ。
――ご無沙汰してます、明石さん」
割って入った明石に営業が応じた。
「盗難とも言い切れない、ってどういう?」
「それがですね」
言いながら営業が出したのは千円札だった。
「これがコンテナに入ってまして。
代金のつもりかな、と」
確かに判断に苦しみますね、と明石が応じ、話題を変える。
「1パックって500グラムくらいでしたっけ?食事出すのに支障が出るような量じゃないですねえ」
「出たら大変です。食べ盛りの子もたくさんいますし、なにより――」
ああその先は、と明石は笑って鳳翔を遮った。
戦艦や空母の食事の量は並大抵のものではない。実戦でなく、訓練のみであってもそうなる。作戦から帰投して満足な食事がないとなれば、彼女たちがどんな行動に出るかなど知れたものではなかった。
「外からじゃないですよね、これ」
「内部でしょうねえ。警備はきちんとしていただいてますし」
女性が多く華やかな雰囲気ではあっても軍事施設である。警備もついている。外周を囲む柵には監視カメラもある。
そうそう外部から忍び込めるような場所ではないし、苦労して外部から忍び込んだにしては盗られたものが中途半端に過ぎる。
「食料品だけというのはちょっと。それに、一応、代金も払ってますから。
ああそうだ、お代はきちんと全部の分払うように大淀に伝えておきますので」
明石は営業に言い、その場を辞して事務室へ戻った。
「さっきそこで鳳翔さんに聞いたんだけど」
まだ事務室に残っていた大淀に事情を話す。
「代金の件は問題ないと思います。検品してないけど、まあこっちの話ですからね。
で、お代まで置いていった、と」
「それはいいと思うんだ。それよりもさ」
「ええ。ほかに何かないか、ちょっと調べないとですね。あとは誰がやったのかの調査と対策」
「調査って言ってもねえ。寮の自室の冷蔵庫ぜんぶ開けさせればわかるとは思うけど」
「出入口にはカメラありますから、まずはそれですね。
あとは――私、備品の数量だけ調べておきます。他になにか無くなってるとあれですし」
「艤装は各自チェックしてる筈だけど、それも各寮で確認してもらった方がいいね。
物資関係は私がもう一度数量チェックかなあ。弾薬とか無くなってたら不祥事だよ」
やれやれ、と二人は顔を見合わせて苦笑した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しばらくして明石と大淀はふたたび事務室で落ち合った。
「どうでした?」
「資材は異常なしだね。まずは良かった。あと施錠は確認してきたよ」
「こっちは備品類がいくつか無くなってましたね。家具として使ってたクッションがいくつかと、あと段ボール」
「段ボール?」
「あの、提督が着任したときに荷物入れるのに使ってたやつです」
あれ備品扱いなの、と明石が呆れたような声を上げ、なぜか備品扱いなんですよ、と大淀が応じた。
「まあ実質ただの段ボールなんですけど、備品だから勝手に捨てられなくて」
「クッションだの段ボールだのはまあ実害はないけど、誰か勝手に使ってるならそれはそれでまずいよ」
やっぱり調べないといけませんねと大淀が言い、二人は事務室を施錠して奥の扉へ向かう。
「監視カメラなんて使うことになると思わなかったなあ」
事務室奥の扉の先、中央管理室の椅子に腰掛けて明石はため息をついた。
戦友である艦娘たちを疑いたくはない。普段はその必要もない。
しかし今、工廠用の消耗品や食料品、普段ほとんど使われない備品とはいえ、鎮守府からモノが消えているのは事実で、それを放置するわけにはいかなかった。
「私もです。いっそ狸や狐の類ならまだ楽なんですけど」
大淀も同じ気分であるらしく、ぼやきながら監視カメラの映像を呼び出している。
「ひとまず調理室の裏手ですかね。昨日の夜、配達があったのが――?」
「だいたい毎日4時頃だってさ。鳳翔さんが言ってた」
じゃあそこから早回しで、と言いながら時間を指定し、早送りの動画を画面に映し出す。
「あ」
「これかな」
ほどなく二人が同時に声を上げた。
帽子を目深にかぶった人影が画面に映し出されている。
画面は全体に暗く、角度も俯瞰で写す形になっているため、顔までは判別できない。
「さすがに制服じゃありませんね」
「そこまで間抜けじゃ……帽子にマスクかあ。典型的な不審者スタイルだわ」
漫画かドラマでしか見たことないわ、と明石が笑う。
「だいぶ小柄だね」
「ですね……コンテナがひとつ30cmくらいですから、5個で150から60ってとこですか」
人影の身長は5個積み重ねたコンテナよりもやや低いくらいだった。
「駆逐艦?」
「たぶん。潜水艦の可能性もありますけど」
彼女たちはこんなあからさまにはやらないと思う、と大淀は褒めているのか貶しているのかよくわからない感想を述べた。
しばらく眺めていると、その小さな人影は小さな懐中電灯で照らしながらコンテナの中を漁り、最後に紙片のようなものをコンテナの中に入れて立ち去った。
「手際が」
「良くないですね」
「慣れてないのかな」
「でしょうね。慣れてても困りますけど」
そりゃそうだわ、と明石は笑う。
「どうする?
駆逐艦のおイタで片付けられるとは思うけど、どっちにしても現場押さえないとだよ」
「そのうちまたやる可能性はありますから、そこを押さえればいいんですけど」
「それがいつになるかわかんないんだよねえ。毎日不寝番はちょっと」
「交代するにしても二人だと厳しいですし……」
「あんまり話を広げたくもないよね、できれば」
無論、やっていること自体は褒められた話ではない。
だが、ことを公にして犯人を罰さねばならないか、というと、そこまで悪質でもない、というのが二人の共通した見方だった。
「警備システムに動体センサを入れたって話があったじゃん、あれ使えないかな」
「使ってみたけどダメで切ってたんですよ。閾値の調整が難しくて。
風で揺れる木の枝に反応したり、猫に反応したり」
「カメラの番号とタイムスタンプだけ吐かせて、あとはこっちで目検とかならどう?
どの道全部のカメラの一晩分なんて見られないんだし、絞り込まないと無理じゃないかな」
「そこですよねえ。あー、赤外センサと連動させれば木の枝とかは弾けますかねえ」
「とりあえずそれで一晩見てみる?設定、やるよ」
設定画面を開き、温度、移動速度、大きさ等々、データの出力条件を設定して画面を大淀に譲る。
「こんなもんでいい?」
「問題ないと思います」
「メールも飛ばせるみたいだけど」
「うーん……まだいいんじゃないですかね」
「本音は?」
「大規模作戦や緊急事態でもないのに夜中起こされたくないです。
それっぽいのが出たら、その翌日からで」
だよねえ、と二人は笑いあった。
「対応だけど、現場押さえてお説教、備品やら消耗品やらは原状復帰、使えなくなったものがあったら本人に弁償させる、ってとこでどう?」
「まあその辺が落としどころじゃないですか。提督には一通り済んでから報告でいいでしょう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、事務室に顔を出した明石を、早いですねと大淀が出迎えた。
「だってさあ、気にならない?」
「なります」
「見た?」
「まだです。だって先に見たら明石さん怒るでしょ」
何よそれ、と言いつつ、たしかに楽しみを取られたような気にはなりそうだとも思う。
そのあたりを把握されてしまっているのは付き合いが長いせいだろう。
中央管理室で吐き出されたログを確認し、順にカメラの画像を確かめてゆく。
「あれ、これ何だろ」
明け方近くの時間帯の記録を確認していた大淀が呟いた。
「画像だと……ちょっと暗くて遠いですね」
「その絵の赤外領域だとどう?」
「こうですか。人っぽいですね。二人?」
「うん。場所は工廠でも備品倉庫でも調理場でもないな。
寮の裏手だね」
「ですねー。あ、もうひとつ熱源ありませんか、ここ」
「こっちはほとんど動いてないねえ。何だろ?」
しばらく見守るうちに、ふたつの熱源は動かない熱源の傍へ寄り、そしてもと来た方へ戻っていった。
「現場、確かめてみます?」
「賛成」
大淀の提案に明石が頷く。
ややあって現場に着いた二人は顔を見合わせた。
「これかー」
「うーん……これは……ある意味仕方ない気もしますが……」
「いやでもこれ、びしっとシメないと駄目だよ大淀」
「明石さん、顔に説得力が皆無です」
「それはそれ、これはこれ。
現場押さえて説教!」
「まあ、それはそれ、ですねえ」
毒気を抜かれた口調で大淀が同意する。
「明日の朝、ここで張るってことでいい?」
「それしかないでしょうね。早い方がいいと思います」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌未明、まだ暗い時間帯。明石は寮の裏手、室外機の陰にしゃがんで犯人を待っていた。
時折伸びあがって室外機の反対側に視線を落とし、複雑な表情でため息をつく。
正直なところ、自分が犯人をうまく叱れるかどうか、あまり自信がなかった。
ややあって足音が聞こえてくる。足音はふたつ。昨日見たカメラの画像のとおりだった。
明石は一度顔に両手をやり、顔を引き締めて怒った表情を作る。
現場を押さえて説教、ともう一度自分に言い聞かせた。
足音が近づいたタイミングを見計らって立ちあがり、持っていた懐中電灯の光を浴びせる。
「に゛ゃっ!?」
「ふぁーーっ!?な、なんなのです!?」
「電に多摩、あんたたちだったのね?」
驚いて逃げだそうとしたその先に、大淀が立ちはだかる。
「計算通りですねえ。逃げられませんよぉ」
光を反射する眼鏡を片手でくいと直してにやりと笑うその姿は完全に悪役のそれだった。
観念した多摩と電に、明石が雷を落とした。
「備品に工廠の消耗品、それに食料まで――だいたい多摩、あなた止める立場でしょうに一体何やってるのよ!」
時間が時間だけにけっして大声ではないが、それでも迫力はなかなかのものだった。
しゅんとしてしまった電とは対照的に、多摩は不貞腐れたような表情だ。
「仕方ないにゃ。これは多摩として見過ごせなかったんだにゃ。
それとも何かにゃ?子供を産んだばかりの猫さんを放っておけとでも言うのかにゃ?」
「ひ ら き な お る ん じゃ あ り ま せ ん」
一音ずつ区切るように言いながら、明石は多摩の頭を鷲掴みにして力を込める。
「あだだだだだだだ」
「明石さん、とりあえずそのへんで。
猫ちゃんが驚いてます」
半笑いの大淀が止めに入り、明石は手の力を緩めた。
その足下で、ウエスとクッションを敷いた段ボールに入った猫が明石を見上げている。
多摩の言葉のとおり、子猫が5匹、母猫の傍らで眠っていた。
「あなたたち、このままここで餌だけあげるつもりだったの?
面倒見たいならきちんと見なきゃ駄目だし、そうだったら餌以外にもやらなきゃいけないことはたくさんあるのよ。
病院連れて行ったりとか、提督の許可取ったりとか。挙句勝手に鎮守府のモノを持ち出すなんて論外もいいとこだわ」
でも、となにか言おうとした電を遮って明石が続ける。
「とにかく、黙ってこんなことするんじゃありません。
他の手配はしてあげるから、鳳翔さんには6駆と多摩できちんとお詫びしておきなさい」
え、じゃあ、と顔を上げたふたりに、押し被せるように明石は言った。
「わかったの?返事は?」
「はい!」
「じゃあほら、それ置いてさっさと寮に戻りなさい」
「はぁい!」
いそいそと持ってきたものを――火を通したささみを母猫の傍の皿に置き、多摩と電はお辞儀をして立ち去った。
腕を組んで見送った明石の肩を大淀がつつく。
「明石さん、顔、緩んでます」
「……仕方ないじゃん。
それはそれとして、この子たち、捨てるわけにもいかないってのは多摩の言う通りなのよねえ」
「お母さんをここで面倒見るなら避妊手術、あと全員の健康状態のチェックとワクチンってとこですかね。
あとはもうちょっといい寝床とトイレ、猫砂、餌。いろいろと物入りです」
「詳しいじゃない」
「調べたんですよ」
手回しのいいこと、と明石は大淀の肩を叩いた。
鎮守府に来てから随分になるが、大淀のこういう部分は変わらない。
「ところで、朝までもうひと眠りしませんか?」
もう用は済んだとばかりに大淀が言う。
そうね、と応じた明石が、朝食を食べ終えた母猫に小さく手を振った。
「――そういうところですよ」
笑みを含んだ大淀の声を、明石は聞こえなかったふりで誤魔化したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、艦娘たちと提督の寄付で必要な経費は賄われ、猫たちは鎮守府で暮らすことになった。
子猫のうちの一匹は工廠に居着き、作業の合間の明石の無聊を慰めている。
子猫を見に来た電に、明石は尋ねた。
「そういえばさ、どうして提督に相談しなかったの?」
「司令官さんは猫を嫌がるって噂なのです。縁起が悪いから、って」
ふぅん、と頷きながら、明石は提督が子猫を見たときの緩んだ笑顔を思い出している。
「誰が言ったか知らないけど、噂だけだったじゃない。
こうして許可は出してくれたし、費用も結構出してくれたのよ。それにほら、船には猫が乗るものでしょう?」
「そうなのですか?」
「そうよ。よかったらアークロイヤルあたりに訊いてみるといいわ。
悪運の強い猫の話を聞かせてくれると思うわよ」