プレハブ分遣隊ZERO 作:Tibetan Brown Bear
長い時間だった。
軽巡洋艦の艦娘、阿賀野は窓の外に広がる濃霧の世界を見ながら、待機所で暇を潰していた。
ブリーフィングも終了し、いざ出撃か――そう思った矢先に天候悪化で出撃の時間が先延ばしになったのだ。艦娘たちはで艤装の整備やメンテをしながら、あるいは仲間との雑談や読書などをしながら、基地の待機室で出撃を待っていた。
阿賀野の座るベンチには、彼女の率いる前衛分隊――3人だけの偵察チームが座っていた。軽巡洋艦の艦娘、那珂と駆逐艦の霞だった。
「あーもう、北方の天候ってサイテーよね」
不機嫌な顔で窓の外を眺めながら、霞は不満げな声をあげた。
彼女たちのいる艦隊は北方海域に展開していた。前線基地は年中寒く、とくに冬季は深海棲艦以外にも天候相手に戦わねばいけなかった。もっとも、そういった場合は深海棲艦も活動が鈍るのだが。
それでも、天候は不安定で今日のような濃霧もよくある事だった。
阿賀野の隣に座る那珂は、阿賀野が暇をもてあまして見ていた防水手帳に挟まった写真に気がついた。
「あっ、それ」
「懐かしいでしょ」
阿賀野はその写真を取り出して、那珂へと見せた。霞も食いつく。
「何それ、見せて」
阿賀野は写真を見せた。防水になるよう、ラミネーターでしっかり加工されたそれは、養成学校の卒業式典後に撮られたと思しき記念写真で、礼装姿の少女が3人写っている。そのうちの2人は、霞の目の前にいた。
「舞鶴の養成学校、三期生で卒業した頃の写真ね。真ん中が私、右隣が那珂ちゃん」
「左は?」
霞の言葉に、那珂が割って入った。
「妙高ちゃん!」
「同期の重巡洋艦。今地元の新潟基地勤務だね。直江津だったか……その辺の分遣隊にいるみたい」
阿賀野がそう続けながら「あたしも地元で働きたかったなー」と付け加えた。
「……随分と仲が良さそうね」
写真の3人は随分と明るい笑みを浮かべていた。
「3人とも同じ出身だったからね、私と妙高は同じ高校だったし」
阿賀野がそういうと、那珂は「私は地本で知り合った!」と続ける。
「そもそも何で艦娘になろうと思ったわけ?舞鶴三期生って事はあの頃でしょ……」
霞は写真を見ながら呟いた。どこにでもいる天真爛漫な少女たちの集まりにしか見えない。
舞鶴の三期生、と霞が言うのも、その当時は反艦娘運動が真っ盛りだったからだ。今でも活動は続いているが、ソロモン海やレイテでの戦闘で多数の死者が出たこの年は、メディアや民衆からの艦娘、ひいては政府に対する反感が一番強かった時期だった。横須賀への空襲と本土の艦砲射撃を許し、戦争の現実を国民全員が再び感じてからは下火になるまで「少女を戦争へ送るな」「艦娘反対」の声は鳴り止む事は無かった。
この頃の艦娘の応募者数は、開戦以来過去最低を記録していたのは霞も知る事実だった。
「私はね……お父さんの仕事に憧れてたけど、なるのが難しそうだったから、艦娘になって人を守る仕事に就こうかな、って思って艦娘になったの」
「お父さんの仕事って、何の仕事?」
「県警の交通機動隊員」
霞の言葉に、那珂が代わって答えた。
「あー、それは……艦娘になって正解だったかも」
霞の言葉にむっ、と阿賀野が不満な顔を浮かべるが那珂は笑ったままだった。
「あ、そうだ」
那珂は思い返したように、待機室の片隅にあった冷蔵庫――その中に入っているであろう氷菓を指差す。
「アレ、食べる?」
「食べる」
阿賀野は一転して顔を明るくして答える。
――阿賀野ちゃんの機嫌を直すには愛してやまない「白熊」が一番。
霞はそんな事を那珂に聞かされていた事を思い出していた。
「寒いのによく食べれるわね……」
呆れる霞を前に、阿賀野は楽しげな表情で答えた。
「アイスクリームは一年中いつ食べても美味しいでしょ」
ようやく出撃の時間を迎えた3人は、バケツに白い絵の具をぶちまけたような霧の中、北方の海上を航行していた。
阿賀野に言い渡された任務は、本隊から先行して深海棲艦を捜索するものであった。
数時間前よりマシになったとは言え、濃霧の中、レーダーと海図のみで航行を続ける彼女たちにとって、この任務はまさに手探りでの捜索であった。
「レーダーはどう?」
阿賀野は霞に訪ねるが、霞は首を左右に振る。
「ダメみたいね。岩礁やら座礁船まで拾っちゃって……まったく、ポンコツったらありゃしない……」
「今度新しいのに取り替えてもらわないと、死活問題だよね」
那珂の言葉に、霞は頷いた。
「こちら阿賀野……あー、接敵なし。本隊への合流をお願いします。どうぞ」
阿賀野は通信スイッチを離す。少しの後、ノイズ交じりの声が無線へと響き渡った。
『合流は許可できない。引き続き海域に留まり索敵を続けよ。どうぞ』
後方にいるであろう、上官である戦艦の声が響き渡る。無駄によく通る声だな、と阿賀野は悪態を吐きたくなった。
「了解。通信終了」
通信スイッチを離してから、阿賀野はため息を吐いた。
「まだ残れってさ」
「まぁ、しょうがないね。命令なら……」
那珂もやれやれ、と言った顔を浮かべる。その時、霞が手に持った端末のレーダー画面を、突然食い入るように見つめ始めた。
「レーダーに感あり!嘘でしょ……これ……」
レーダーに浮かぶ反応を数えながら、霞は息を呑んだ。
「大型艦6?」
はっきりとレーダーが移動する6つの大きな影を捉えていた。少なくともこの反応の大きさは、阿賀野にも見覚えがあった。戦艦や正規空母クラスの艦影だ。それが、単縦陣のまま、こちらの方角へと接近してきていた。
「待って……別方向からも6?いや12……!?」
「こちら阿賀野」
阿賀野は躊躇いなく無線のスイッチを押し込んだ。
「深海棲艦の大規模艦隊と接触、総数18隻、大型艦含む。包囲されつつあり、撤退を進言します」
指揮官の顔だと、レーダーから顔を放して阿賀野を見た霞は息を呑んだ。
『撤退は許可できない、繰り返す、撤退は……』
阿賀野は無線を無視すると、即座に海図をチェックする。
「ぐずぐずしてると包囲されるわ。10時方向に全速で撤退。那珂、後衛をお願い」
那珂は黙って頷いた。
『方位250へ敵を引き付けつつ前進せよ、繰り返す、方位250へ敵を引き付けつつ前進せよ』
無線から流れる新しい指示を聞きながら、那珂と阿賀野は顔を見合わせた。
「……どう思う?」
「命令なら」
それ以上の言葉は交わさなかった。
「……こちら阿賀野。了解、これより方位250へ前進する」
覚悟を決めた阿賀野は、霞を見た。まだ恐怖で顔をこわばらせる彼女に、阿賀野は優しく微笑んでから呟いた。
「気を引き締めて」
深海棲艦の砲声、濃霧の向こうから響き渡る。
主機が、唸り声を上げる。3人は走り始めた。
大丈夫じゃないな。
航空戦艦の艦娘、日向は目の前に佇む阿賀野を見て、そんな印象を受けた。
生気の無くなった瞳は虚空を見つめ、俯いた表情は、ただただ暗い影に沈んでいた。
戦闘は勝利で終わり、艦娘は無事に基地へと帰還していた。ただ1人、重傷を受け、基地に曳航された後に手当てむなしく死亡した艦娘を除いて。阿賀野が率いる前衛の偵察艦隊が唯一の損害だった。
これから作戦に参加した艦娘たちがブリーフィングルームに集まり、デブリーフィングを行う予定となっていた。しかし、阿賀野は10分前だと言うのにその場所にいなかった。
流石にまずいだろう、そう思って探しに出かけた日向が阿賀野を見つけた場所は、遺体の安置所の前だった。
ドアの横に、うずくまったまま動かない彼女を見て、日向はどことなく不安な気持ちになった。
こういった艦娘を何人も日向は見てきていた。沖縄、レイテ、トラック。基地に戻り、五体満足に見える艦娘でも、その内面――精神には修復できないほどの傷が付いている事がある。目の前にいる阿賀野もその1人に思えた。
「阿賀野」
日向は声をかける。
「……日向さん」
普段の明るさなど、とうに消えた、か細い声が返ってきた。
「デブリーフィングの時間だ。司令部のブリーフィングルームへ」
「はい」
そのまま、ゆっくりと立ち上がる。
覚束ない足取りのまま、阿賀野は日向の横を通り過ぎていく。
その背中を見送りながら、日向は嫌な予感を感じ取っていた。
デブリーフィングは順調に進んでいた。
本隊の艦隊に勤めていた艦娘たちは、各々に報告を続ける。壁にかけられたホワイトボードの前で、状況を整理している指揮官――阿賀野に指示を飛ばしていた戦艦は、それぞれの艦娘の行動を評定する。
いつものデブリーフィングであった。席が一つ足りない事を除いては。
話も中盤に差し掛かり、指揮官である彼女は話を続け、議題を一時整理しようとしていた。
「今回の戦闘は極めて良い結果だった、こちらは“最小限”の犠牲だけで済んだからだ」
阿賀野は不意に顔を上げた。
その言葉が、言い回しが、心の中に黒い渦となって広がっていく。
「方位へ向かう彼女達の追撃に敵が固執したお陰でこちらの攻撃が通ったと言っても過言ではない。この前衛の偵察部隊の活躍無くして今回の結果は無かった。まあ、彼女については“運が無かった”んだろう」
がたん、と椅子が跳ねて床に転がる音がした。
声以外は何もなかった部屋に響いた音に、艦娘たちが反応する。
立ち上がった阿賀野は、歩いて壁のホワイトボード前に立って説明する彼女の前へと向かっていった。
「……どうした阿賀野、席に戻――」
言いかけた所で、阿賀野の握り拳が彼女の頬にめり込んだ。
身体が揺れた。屈強な体躯の戦艦が、壁に打ちつけられる。
すぐに阿賀野は彼女の襟元を掴んだ、部屋が割れんばかりの大声が響き渡る。
「ふざけるな!!」
二発目の拳が、再度彼女の顔面へと叩き込まれた。
「お前の指揮で!お前のせいで死んだんだ!」
床に崩れ落ち、反射的に防御の姿勢を取る彼女を前に、阿賀野は再び拳を叩き込もうとする。だが、すぐさま飛び出してきた他の艦娘たちが阿賀野の身体を取り押さえた。それでも尚、阿賀野は目の前の戦艦を殺す事で頭が一杯であった。
「こいつを外へ叩きだせ!」
彼女の怒声と共に、外にいた警備の兵士が何事かと駆けつける。「殺してやる」「ふざけるな」と激昂し、暴れる阿賀野を前に、周囲の艦娘たちは絶句していた。
警備の兵士に引きずられながら、阿賀野は外へと連れ出された。
騒然としていた室内は不気味なほど静まり返っていた、駆逐艦も、軽巡も、重巡も全員が互いの顔を見合わせてから、指揮官である彼女の顔を見ていた。顔色も様々だった、阿賀野のように怒りを顔に出している者、失望や失意に顔色を曇らせている者、突然の出来事に不安の顔を浮かべる者、様々だった。
彼女は立ち上がると、ようやく周囲と自分の状況を理解した。
口の中が切れたのか、彼女は口の端から流れた血を親指で拭き取ってから、艦娘たちを一瞥した。
「……一時中断する。2030に再度集合するように」
事の成り行きを黙って見ていた日向が代わって口を開く。その言葉に、艦娘たちは我に帰った。
荒げた息を整える彼女を前に、日向はそっと耳打ちした。
「一旦休憩にしよう。いいか?」
「あ、ああ……」
日向の言葉に、彼女は頷くと解散の指示を出した。
すべての艦娘が部屋から出て行き、残るは彼女と日向だけになった。
部屋が2人だけになったのを見計らってから、日向は口を開いた。
「随分と胆の据わった娘だ。まるで戦艦のようだったな」
「……戦闘で頭がおかしくなったんだろう」
彼女はそういうと、拳を振り下ろして壁を叩いた。
「まったく、教育が必要だ、それと厳罰も!」
息を荒げる彼女を前に、日向は懐からある物を取り出した。
それを彼女の前へと突き出し、手へ握らせる。じゃらじゃらと金属音を立てるチェーンで繋がれた小さな金属板――ドッグタグだった。拭き取られてはいるが、打刻されたその名前や数字には乾いた血が僅かにこびり付いていた。
「何だ」
「彼女の同僚だ。君が言っていた“運の悪かった最小限の損失”の内訳だよ」
日向の吐き捨てるような言葉に、彼女はさらに不満と怒りの色を顔に浮かべた。
「あの戦闘で部下は殺気立っている。もう少し言葉を選んだ方が良い、方便もだ」
そう聞いて、彼女は日向ににじり寄ると、低く唸るような声で問いただした。
「……副官にも教育が必要なようだな?」
「事実を言ってるだけだ。そうでなければ階級章の星が増える前に君は“事故死”か“流れ弾で戦死”する事になる」
日向は皮肉げな、薄い笑みを浮かべると部屋を後にしようとする。
「阿賀野については私に一任させてくれ。然るべき処罰を与える、君はこの後のデブリーフィングの続きで話す事を考えてくれ」
「部下を甘やかすな、あれは使い捨ての駒だ」
苛立たしげな彼女の言葉に、日向は部屋のドアを開けながら答えた。
「……駒にだって人生と家族はある」
日向の言葉に、彼女は答えなかった。
「何が呉のエリートだ。聞いて呆れるな」
ドアを閉めながら、ぼそりと聞こえないほどの小さな声で日向は悪態を吐いた。
翌日、日向は司令部の事務所で報告書を書いていた。
先日の戦闘の報告書、そしてブリーフィングルームにおける阿賀野の上官暴行事件の報告書だ。
彼女は営倉へと送られており、まだ詳細な処遇は決まっていなかった。殴られた戦艦本人は、一晩経ってからは考えを改めたようで、阿賀野に対して激怒はしていないようだった。
しかし、日向のデスクに赴いては口々に異動か、または次の作戦の先鋒に立たせる事を強く進言していた。
その意味を知っている日向にとって、阿賀野をどうするべきか、それが悩みどころになっていた。
恐らく、あの戦艦は次の出撃で阿賀野を「処罰」するつもりなのだろう。
再度、前衛に就かせる意味と編成を考えればそれは明白だった。次の出撃の危険度を考えればそれだけは避けなければいけなかった。
次に提示されている左遷先についても問題があった。あの戦艦は、阿賀野を転属させるべきだ、とも進言していた。
それも、今後、北方海域以上に大規模作戦が展開されると思しき、中部太平洋海域へだ。
日向は考える。少なくとも、阿賀野の能力を考えればそれは妥当な判断と言える。エリートの艦娘では無いにせよ、日向自身が養成学校の教官であればA評定を出せるほどの実力を持った艦娘だ。
しかし、今の阿賀野は事実上、艦娘としては不能とも言えた。心的外傷を受けたままの彼女を前線に放り込むのは、得策とは言えなかった。同じように前線に投入され、後を追った艦娘を日向は過去に何人か見ていた。
考え抜いた日向は、徐に携帯電話を引っつかむと、デスクを後にした。
真っ先に司令部の喫煙所に向かった日向は、すぐに携帯電話を取り出していた。周囲に人がいない事を確認してから、携帯電話を取り出す。
北方と本土の時差を考えながら、日向は見知った顔に電話をかける事にした。
数回のコール音の後に、通話が繋がった。
「ああ、久しぶりだな。何?相変わらず声が聞こえない?冗談を」
親しげな口調で話を続けながら、もう片方の手で煙草を取り出す。
お気に入りの銘柄――ここ北方では貴重品のそれを、一本抜き取った。
「ところで北方作戦の話を聞いたか?ああ、今現地にいる」
通話相手の返事を聴き、日向は驚いた声を出した。
「……もうそっちにも伝わってたんだな。そうだ、ああ、あの“阿賀野”だ」
口に煙草を銜え、ライターを探りながら話を続ける。
「その件で……少し手を貸して貰いたいのだが――」
言いかけた所で、ライターを探る手が止まった。今度は驚きが声と顔に出た。
「……それもお見通しか。相変わらず察しがいいな」
それも当然か、と日向は心の中で呟いていた。
艦娘、それも戦艦クラスの世界第一号。あの女は、何でも知っていた。
「何とかして救ってやろうと思ってる。ああ、でなければ次の出撃で後を追いかねない。もうアイツは気にしちゃいないさ」
数度言葉を交わすと、日向はその場で礼をした。テレビ通話でも無いのに。癖のような、反射のような行動だった。
「……感謝する。こちらの司令にも話を付けよう」
ライターを取り出すと、日向は煙草の先端に火を付けた。
「相変わらず大した女だよ。酒田の指揮官にするのが勿体ない。どうせなら前線に復帰するか?砂羽」
電話の向こうでは、通話相手が何やら小言を吐いていた。日向はそれを聞き流す。
「冗談だ。そろそろ切る。また話そう。じゃ」
通話ボタンを切ってから日向は煙草を吸うと、ふうっ、と紫煙を吐いた。
「……相変わらず、だな」
1週間後。
阿賀野は、基地の飛行場に来ていた。
エプロンの近くにある待機所のベンチに座り、窓から見える曇天の空と、たった今着陸し荷下ろしをしている輸送機――これから自分が乗って後送されるであろう飛行機――を眺めていた。
彼女を見送る者はいなかった。そればかりか、ここから先の行き先や、自分への処罰すら知らなかった。
しかし、阿賀野には不安は無かった。
ただただ、空っぽの気持ちだけが心を埋め尽くしていた。
暫くすると、待機所のドアが開いた。書類の封筒を抱えた日向だった。
「待たせたな。ようやく書類が揃った」
阿賀野の隣に座った日向は、書類を自分の膝の上へ広げた。
「……まず君に何個か伝えたい事がある」
「はい」
阿賀野は姿勢を正す。
「君は降格だ。そしてこの部隊から去る、転属だ」
「……はい」
想定の範囲だったのだろう、阿賀野の表情は変わらなかった。
「私が前に居た東北の小さな基地。山形の漁港に哨戒や近海警備用の分遣隊がある。そこが次の勤務地だ。深海棲艦も滅多に出ない、駆逐艦たちの面倒を見るのが主な任務だろう」
「……左遷ですか」
阿賀野は感情の篭ってない声で返した。日向は「まあ、名目上はそうなるな」とだけ答えると、命令書と書類を手渡す。阿賀野はそれを受け取ったが、書類には目も通さず、ただ無感情な視線を書類に落とすだけだった。
「降格処分と転属は已む無しだが、これでもかなり善処した方だ。本来であれば、もっと悪い形での処罰も有り得た」
「慰めてるんですか?」
日向は答えなかった。返ってきた沈黙に、再び阿賀野は口を閉ざした。
少しの間の後、日向は話を始めた。
「ここは組織だ。君のしたことは間違いだ、だが」
一言だけ間を置き、念を押すように続けた。
「人として、感情としては何ら間違ってない。私はそう思ってる、とだけ伝えておこう」
「……」
阿賀野は何も答えなかった。
代わりに、涙だけが流れた。それを拭いながら、嗚咽を漏らす。
小さく震える彼女の肩へ、日向は優しく手を置いた。彼女が落ち着くのを待ちながら、日向は話を続ける。
「この場所へ行った事はあるか?」
「いえ」
微かに嗚咽が混じった声が返る。
「良い所だ。きっと気に入る」
この基地では誰も聞いた事のない、優しい声色だった。
【こぼれ話】
阿賀野がどうして分遣隊へ来る事になったかを描く話。元々概念のまとめで「あーちゃんは戦艦を殴って左遷された」という設定があったので、それのディティールを突き詰めて書こうと思ったのが切欠。
分遣隊のゆるふわお姉さんポジションにある阿賀野に重い過去を背負わせる話になったものの、それだけで終わらせるのはあまりにも救いがないと思い、そこに彼女の理解者たる日向が手を差し伸べる展開を付け加えた。書いている内はそういうキャラにするつもりは無かったのに、いつの間にか物凄いイケメンに仕上がった日向師匠、何者。