プレハブ分遣隊ZERO   作:Tibetan Brown Bear

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分遣隊の長い一日

 生ぬるい初夏の風を窓から感じながら、加古は分遣隊指揮所の二階から、夕焼けに沈みつつある漁港を眺めていた。

 午後の哨戒を終えた艦娘が戻ってきて、次は夜間の哨戒第一陣が出発の準備を始める頃合だ。

 いつもの一日だった。これから仕事を終える隊長はさっさとひとっ風呂浴びに温泉へ出かけるだろうし、帰還した先任艦娘は宿舎に戻って晩飯前の一杯を始めるだろう。

 夕方に起きたばかりの加古は、これから当直組の面倒を見る事になる。

 

 しかし、いつものように人手は足りなかった。

「シフト代われる奴、いないかな」

 ぎしぎしと鳴る安物の事務椅子にふんぞり返りながら、加古は缶コーヒーのプルタブを開けた。

 もはや何度目かもわからない愚痴だった。書類仕事を終えて退勤時間を待つだけの隊長――那智が答えた。

「補充は来る、最新鋭の軽巡が来るぞ、それから新人の軽巡たちもな」

「――でも来てない」

 すっからかんになった指揮所を見回しながら加古は付け加えた。

 駆逐艦たちの数だけはまだ揃っている方だが、ここにいる下士官や士官は今のところ那智と加古だけだ。

「その最新鋭の軽巡ってのも、アレか。北方で上官殴って左遷された問題児なんだろう?それと養成学校出たての新人か。下手すると駆逐艦たちよりもキャリアが下じゃないのか」

 加古が毒づくのも無理は無かった。

 

 分遣隊の仕事は暇と言えど、人手が足りなくなると相対的に仕事は忙しくなった。大規模作戦や異動などで、艦娘たちが多く抜けていった分遣隊は、日々の定期哨戒がやっとと言う有様だった。

 本隊が約束した人員の補充は遅々として進まず、書類は用意したものの細々な手続き等で遅れ続けていた。おまけに、寄越される予定の艦娘は北方海域で上官への暴力沙汰を起こして左遷された軽巡洋艦と、この漁港と同じ名前を持つ軽巡――養成学校の課程を修了したばかりの新人だった。

 

「……我々は“漁港のおまけ”だ、来るだけマシだと思え」

 那智はそう言うと、書類を纏めて封筒へ入れ始めた。

 

「ここでの仕事は思ってたのと違う」

 加古は缶コーヒーを啜りながらぼやいた。

「来る日も来る日もちっぽけな書類の仕事と、待機ばっかり。戦闘と言ったって、はぐれた雑魚を追い払うだけだ」

「それが地方の分遣隊の仕事だ、我々が毎日戦闘で多忙なら今頃この国は滅んでる」

 那智は、何を当たり前のことを、と言わんばかりの顔で答えた。

「それに、駆逐艦連中からは一歩引かれて見られてるし……」

「加古は加古でもこんなに風貌が悪いヤツはそう見かけないからな」

 加古はその言葉にムッとした表情を浮かべた。

 しかし面と向かって言われると反論できない。

 常に眠たげな目は明らかに人を遠ざけているように思えたし、耳に空けたピアスも、右腕と肩の傷を隠すように彫った龍と桜の花の刺青も、彼女を初めて見る人間に距離を取らせるには十分とも言えた。

「風貌が悪いは余計だ」

「概ね、駆逐艦連中に距離を置かれてるのは“前線帰り”で取っ付き難いからじゃないのか」

 那智の言葉に加古は反論しようとする。

「そうは言うけど、あんたや、あの響も……」

 実際、この分遣隊の前線帰りは他にも居た。

 

 目の前にいる那智その人も前線での勤務経験――それもまだ深海棲艦との戦いが手探りであった初期の頃から――各地を転戦している猛者であった。また、駆逐艦の中でもひときわ浮いている響は那智と同じか、もしくはそれ以上のベテラン艦娘であった。下手をすれば加古よりも経験豊富だと言える程には。

 だが、彼女たちは驚くほどこの牧歌的な田舎の分遣隊に馴染んでいた。

 まるで殺し合いという血と戦争の臭いがしない程に。

 

「折り合いを付けただけだ」

 那智は簡潔に答えた。

「戦場の真ん中に心を置き忘れるとそうなる。たまに夜中目が覚めたり、悪夢で起こされたりしないか?勤務中に、何かを思い出して固まってしまったりする事はあるか?」

 加古には思い当たる節があった。思わず、缶コーヒーに口を付けようとする手が止まった。

「部下は上司の事を細かく見ているものだ。なに、時間をかけてじっくりと片付ければいい」

 時間はたっぷりあるからな、私にはもうあまり無いが、と那智は付け加える。

「それに、ここは後方の中の後方だ。もう少し肩の力を抜け。温泉もある、メシは美味い、開放感のある職場。文句はないだろう?」

 目を閉じ、この分遣隊のみで得られる「特権」を那智は思い返す。

「仕事を済ませて温泉に浸かって酒を飲んで寝る。これ以上幸せなことがあるか」

「……まあ、それもそうだけどさ」

 

 少しの沈黙の後に、那智が首から提げていた仕事用携帯の着信音が鳴った。

「はい仲原です」

 那智はそれを手に取った。

 概ね、本隊の戦艦からだろう、と加古は考えてから缶コーヒーを煽って飲み干した。

 もう一本空けるか、と冷蔵庫にあったストックの事を思い出していた矢先、加古は那智の表情を見て思わず動きを止めた。

 

 分遣隊で未だ見た事がないほど、那智の顔は強張っていた。

 電話はすぐに切れ、那智は携帯を下ろした。

「……」

 那智は少しだけ思案すると、すぐに椅子を蹴って立ち上がった。

「出動要請だ」

「何だ、また深海棲艦か。どうせはぐれ艦隊じゃ――」

「深海棲艦の大型艦隊だ」

 那智は抑揚の無い声で伝えた。加古の顔が、一瞬で戦場にいた頃の顔へと戻った。

「規模は?」

「戦艦5、重巡8、軽巡・駆逐艦多数。沿岸部に接近中だ。本隊の方の哨戒部隊が発見した、今応戦してる」

 加古は思わず息を呑んだ。

 日本海側では、まず見かけない大規模な深海棲艦の部隊だった。

 

 ありえなくはない話だった。

 北方から、宗谷海峡や青函海峡を突破して大部隊が日本海へ突入する、というケースは実際に例があった。

 そもそも、日本海で今だに小型の深海棲艦がうろついている以上、この海溝のどこかに深海棲艦のホットスポットがある可能性も高いと言えた。だが、それはいつか起こりうると言われつつも来ないような、大きな地震のようなものだと艦娘たちは思っていた。

 だが、そのまさかの出来事が、今、目の前で起きていた。

 

「……非番の連中も全員呼び戻す、待機所の連中にも伝えてくる」

 呆気に取られていた加古は、すぐさま椅子を蹴って立ち上がった。

「漁港事務所が先だ、出航している船が無いか調べてくる」

 那智は急いで上着を羽織りながら、プレハブよりも何十倍立派な漁港の管理施設を見て呟いた。

「避難誘導は?」

 加古は頭の中に入れた緊急事態の手引きを思い出していた。

 深海棲艦による本土進攻を想定したプロトコルは何年も前に作られていた。まずは出航している民間船舶を可能な限り陸へと向かわせ入港させ、乗員を退避させる事、そして沿岸部の住民を内陸部へと避難させ、その間に艦娘たちは出撃し、敵を迎撃する。

 彼女たちの任務は敵を迎え撃ち、殲滅するためにある。

 だが、それ以上の戦力を相手にする場合、考えられる対応は一つしかない。

 最後の一兵まで抵抗し、時間を稼ぐ事だ。

 その直後、町内スピーカーが放送を流し始める。夕方の小さな集落に、反響する防災放送とサイレンが流れる。

「避難は県警と消防に任せろ、艦娘の仕事をやれ!」

 那智の言葉に後を押されるように、加古は急いで待機所へ向かった。

 

 数分後、非番の艦娘の呼び戻しと待機所にいる艦娘たちへの伝達を終えた加古は、指揮所へと戻っていた。海図を広げ、無線機を引っつかみ本隊からの情報を整理しながら、事態の把握に努める。

 少し遅れて、那智が指揮所へと戻ってきた。

「朗報だ、今出航している船は無い。今から漁港職員も全員避難するそうだ」

「まずは良いニュースだな」

 那智の言葉に、加古は答えた。那智は机の上に広げられた海図と、加古が書き加えていた情報を流し見しながら、事態を把握した。

「痛い所を突かれたな」

 那智はわざとらしく顔をしかめて言う。

「大規模作戦で主戦力を引き抜かれて部隊の再編も終わってないし、本隊の空母は大湊方面に皆出払ってる。残ってるのは我々だけだ」

 加古は「悪いニュースだな」と答えた。

「……新潟基地や大湊からの増援は?」

「要請しているが向こうも似たような状況だ。とは言っても近隣の空母戦力は祥鳳と飛鷹の2隻ぽっちだ、日本海沿岸の分遣隊もこちらと似たような面子だろう。期待は出来ん」

 那智は思わず口元に薄い笑みを浮かべていた。

「……私が艦娘になって初めての実戦を思い出すよ」

「レイテか、沖縄か?昔話はよしてくれ」

 加古は指揮所に設置したテレビの画面へと目を向けた。

 NHKのアナウンサーがニュース原稿を読み上げ、日本海沿岸での避難指示を呼びかけている。画面の淵にはL字のテロップが流れ「深海棲艦の大部隊が東北沿岸へ進行中」との文字や、避難所の情報が次々と表示されていた。

 似たような光景を昔にみた事がある。

 艦娘になる前、それも戦争が始まってすぐに見たあの光景だ。

「こうなったら、あるだけの戦力で迎え撃つしか無いだろう」

 那智は続けた。

「それが我々の存在意義だからな」

 

 

 

 

 ハンガーでは駆逐艦娘たちが出撃の準備を始めていた。

 艤装を背負い、装備に身を固めている。搭載している武器のチェック、そして弾薬の補充だ。

 加古がハンガーに入るなり、叢雲が加古へ報告する。

「準備完了よ副隊長」

 加古はちらり、と装備に目をやる。

 冷や汗が流れる。彼女たちに装備されているのは本隊で必要とされなくなった装備だ、そればかりか横須賀や呉などの部隊ではとっくの昔にお払い箱になった二線級どころか退役扱いされてもおかしくないような装備である。本数の少ない魚雷発射艦、耐用数ギリギリまで使い古された主砲、火力も不十分だ。分遣隊にはお似合いの武器――しかし今そこにある危機を迎え撃つには不十分すぎる装備だった。

「……出撃スロープに全員集合させろ」

 

 夕暮れに染まる街と山を背に、駆逐艦たちは分遣隊前の出撃用スロープ――昔は漁船が置かれていたであろう――に集合していた。がちゃがちゃと艤装を鳴らして、彼女たちが整列し、加古が点呼を取った。全員、揃っていた。

「全員揃った」

 横で海図を確認していた那智が、その言葉を聴いてから全員の前に立った。

「よし……この分遣隊初めてとなる全艦の出撃だ」

 待ちに待った、という訳ではないがな、と那智は付け加える。

「我々の仕事は本隊の支援、並びに阻止ラインを超えた敵艦への攻撃、そして――奴らの攻撃から市民を守る事だ」

 那智はすぅ、と息を吸ってから続けた。

「日頃の訓練の成果を見せ付けてやれ。出撃」

 駆逐艦娘の返事が幾つも重なり合った。

 

 

 出撃する頃には、夕日は沈み、すっかり薄暗くなった海と空があたりを埋め尽くしていた。

 加古が率いる分隊は、那智の分隊とは別行動で海上を航行していた。攻撃を試みる部隊を包囲するための布陣であった。

 

「……始まったな」

 酒田方面の海を見ると、そこでは遠巻きに砲声が響いていた。遥か遠くの水面に時折、水柱と主砲がうなり狂う砲火が、フラッシュのように煌いては暗闇の中に消えて行った。

『第一分隊、このまま前進し待機せよ』

「了解」

 加古は無線スイッチを押して答える。

 後ろを振り向くと、駆逐艦娘たちが加古の顔を見ていた。

 皆、初めての大規模戦闘に緊張している様子だった。無理も無いだろう、殆どが日本の沿岸から出た事が無い艦娘たちだ。遠い県から家族と離れて赴任してきた艦も居れば、この近所に実家があるような艦もいる。故郷を背にしている艦娘にとっては、多大な重圧だろう。

 

「副隊長」

 特型駆逐艦の1人が控えめに呟いた。

「どうした」

「本当に、本当に戦うんですか?」

 緊張と恐怖の混じった、震える声色だった。

 いつも相手にするのは、それこそ苦戦するような相手ではない、はぐれた単艦のイ級ぐらいだった。それ以上は本隊の部隊が始末しているか、あるいは自発的に海域から出て行ったりで、戦った事は無かった。それが、いきなり空母や戦艦、恐れ多き“人型”の深海棲艦を相手にする事になるのだ。それは恐怖以外の何者でもなかった。

 少しでも目を離せば、恐怖で歯をかちかちと震わせそうな彼女の姿を見て、加古は口元に小さな笑みを浮かべた。

「漁港のお守りだからな、あたしらが戦わなきゃ誰が戦う?」

「……」

 彼女が一層顔を強張らせた。

「あたしらはまさかの時の保険だ、主役はあっちだ」

 加古はその主砲の砲身で、遠く鳴り響く戦場を指し示した。

「全員で対処すれば何とかなる。これは一人の定期哨戒じゃない。だろ?」

 加古は後ろについて来ている全員の顔を見た。

「副隊長は不安じゃないんですか?」

「……ああ」

 小さな声で答えた。

 本当は嘘だ。

 どれだけのベテランでも、これほどの数の敵を前にすれば不安が頭を過ぎるのは当然だった。

 だが、それを顔に、口にした瞬間、すべてが解れてバラバラになる。戦う前に恐怖に殺されるのだ。

 それが上官に求められる嘘だった。

 

『第二分隊、敵と接触、これより戦闘に突入する』

 短く、明瞭な那智の声が無線を通して加古の耳へと入った。

 はっきりとした砲声が近くから鳴り響く。重巡の主砲が吼え、那智のシルエットが砲炎に照らされ、くっきりと闇夜に浮かり、遠くからでもよく視認出来た。

 全神経が研ぎ澄まされる。

「……戦闘準備!」

 後続の駆逐艦たちが一斉に主砲の安全装置を外す。

 加古は思考する。

 分遣隊の基準で言えば1年分はあろうかという備蓄の弾薬庫から、掻き集めた砲弾は果たして足りるだろうか?

 埃を被りつつあった魚雷は、この戦闘で足りるだろうか?

 使う用途すら見いだせなかった装備品たちは真価を発揮できるだろうか?

 

『くそ!何隻か突破した!叩き潰せ!!』

 那智の絶叫に近い声を無線越しに聴きながら、加古はその心配を頭の片隅へ放り投げた。

 ――畜生、これが戦争だ。

 

 

 

 

 那智はぼんやりと考えていた。

 

 自分が海の上に立っていないこと。

 艤装も身に着けていないこと。

 そして、ただ真っ暗な空を見上げていること。

 覚えている事は、突破を試みてきた戦艦相手に主砲の一撃を叩き込んだこと。それから爆発。

 もしや天国か、いや、地獄の方が適切だろうか?そんな事を考える那智の視界に、加古の顔が入った。

 

 かろうじて首を動かし、周囲を確認する。それはいつもの、見慣れた漁港の出撃用スロープだった。

 その向こうには、緊急車両のパトランプと、付近を慌しく駆け回る救急隊員や警察官、本隊の職員の姿が見えていた。

「やっと気がついたか」

「……ああ」

 ぼんやりとした意識の中でかろうじて返事をする。

 那智は、自分の身体が応急処置を施された上で担架に乗せられている事に気がついた。

 負傷し、運ばれた。それだけは確実だった。

「どうなった」

「どこから言った方がいいか……」

 加古は続けた。

「深海棲艦の艦隊は大打撃を受けて沖合いに壊走、増援の大湊の連中が全滅させた。民間人の死傷者、建物や船舶への被害は無し。数字上は大勝利だろうな」

 連中は遅れて来やがったがな、と加古は付け加えた。

「こちらの被害は……」

「まずあんただ。艤装全損、骨折、破片による裂傷、脳震盪……まあ生きてはいるが入院は必要」

「駆逐艦たちは」

 那智の言葉に、加古は押し黙った。

 何かを言おうとして、飲み込むような沈黙。

「何人かは掠り傷だ、3人が負傷、うち1人が重症だ。あんたより、ずっと悪い」

 誰だ、と那智に問われて加古は名前を挙げた。

 まだ若い特型駆逐艦の1人だった。この近所の出身で、中学を卒業してから艦娘になったばかりの。

「……」

 那智は沈黙した。

「本隊でも負傷や重症多数だ。想像以上の被害だ」

 加古は苦虫を噛み潰した顔で、呟いた。

 と、慌しい中、艦娘――叢雲が2人の元へと駆けてきた。

 息を切らしながら、何かを話そうとしていた。しかし、それは所々、途切れかかった。

「隊長!連絡が……今、病院に、搬送された……」

 彼女の名前を口にしようとして、叢雲はついに言葉に詰まった。

「ああ」

 那智は、重々しく返事をした。

 顔を見れば、その続きは言わなくても理解できた。

「……分かっている。仕事に戻ってくれ」

 その言葉に、叢雲は滅多にしない敬礼を返してから、踵を返して立ち去った。

「……約束を果たせなかったな」

 那智は、担架の上から全てを飲み込むように暗く静まり返った水平線を、ただ見つめ続けた。

 

 

 

 

 大規模攻撃から1週間後。

 加古は本隊の近くにある病院へ、足を運んでいた。

 

 あの戦いのあと、重・軽症者はその後病院へ搬送され、治療を受けていた。尤も、あの攻撃が再び起こる可能性に備えて、日本海沿岸は厳重な警備体制が敷かれている。大湊や舞鶴から来た大部隊が、日本海深部の深海棲艦の拠点を攻撃するために活動していた。

 分遣隊や本隊基地は、それら精鋭部隊の拠点として使われていた。加古たちを含む分遣隊メンバーは一時的に本隊に復帰し、沿岸での警戒活動に従事していた。酒田にいる指揮官たちの話が正しければ、大部隊による攻撃が今後起こる確率は0に近いだろうとの事だ。それだけ徹底した掃討が行われた。

 加古はようやく1日だけ休暇を取れたため、こうして那智の見舞いへ来たのだった。

 

 面会のため、那智のいる病室の前へとやってきた加古は、部屋から漏れるテレビの音に気がついた。

 昼のワイドショーの番組だった、日本海沿岸の深海棲艦大規模攻撃未遂事件についての報道で、コメディアン上がりの司会者が口うるさく艦娘部隊の不備と、接近を許した不手際を糾弾し、現政権への不信を声高らかに叫んでいた。

 それを、病院のベッドからただただ無表情で眺めている那智の姿があった。入院着で、体の各所に生々しく巻かれた包帯が見えるが、顔色は良く、すぐにでも艦娘として出撃できそうな様子に見えた。

 部屋に入ってきた加古に気がつき、那智はテレビの電源を落とした。

 

「よう。中々いい病院だな」

 加古の言葉に、那智は答えた。

「ああ。あの人(山城)が気を利かせてくれてな、市内の病院を手配してくれたよ」

「……大丈夫か、復帰は?」

 近場にあった椅子を手繰り寄せると、加古は腰を下ろした。

「まあ、焦るな。ゆっくり話そう」

 那智は加古を宥めた。

「結論から言おう。退役する事になった。」

「退役?」

 何を馬鹿な、と加古の喉から言葉が出掛かった。

「先延ばしになっていた退役の日が今来ただけだ。元々艤装の適正能力も落ちてきたからな、艦娘としての潮時という奴だ」

 那智は寂しく笑った。

「もう自分が二度とあの海の上へ浮かぶ事も、走る事も無いだろうと思うと名残惜しくもあるな」

「このご時勢なら、また声が掛かる事もあるんじゃ……」

「そうならない事を祈ってるよ」

 那智はそう答えるが、加古は一つ気がかりな事を思い出していた。

「それで、この先誰が分遣隊の指揮を――」

 そこまで言いかけて、加古ははっとした。

「まさか、あたしが隊長に?」

「暫定だがな」

 那智はそう言うと笑った。

「おめでとう“隊長”、これで「代理」の文字は無くなったな」

「おめでたくないな……」

 隊長として面倒な仕事もたくさんある事は加古は痛いほど知っていた。長らく分遣隊の指揮を執っていた那智の重圧も、そして彼女があの戦闘で何を背負い、何を失ったかもすべて知っている。

 でも、それは指揮官が背負わなければいけないものだった。

「安心しろ。本隊が気を利かせて新しい隊長を手配してくれるさ。それまでだ」

「ならいいけど」

 

「近いうちに、あの子の家族にも会いにいかなければな」

 那智は窓の外を眺めながら呟いた。

 その目は、遠く、澄み渡る初夏の空の向こうを見つめているようだった。

「……ああ、そうだな」

 相槌を打ちながらも、加古は「あたしも同じだ」と付け加えた。

「なあ、漁港の片隅にでもいい。慰霊碑を置いてくれないか」

「あの子の為に、か」

 加古の言葉に、那智は頷いた。

「……皆がそう言ってるさ、あんただけじゃない。漁港の人も、あの町の人も、仲間も、本隊の皆も、全員だ」

 そうか、と那智は答えた。




【こぼれ話】
 分遣隊に戦死者が出た話と、慰霊碑が作られるに至った理由を書こうと思ったのがこの回。物理書籍第一号でも少し触れられていたので「日本海の由良分」の慰霊碑について触れておこう、というのが書いた理由のひとつ。
 当人たちが来る前ではなく、分遣隊そのものを舞台にした暗い話なので最初書くのは少し抵抗がありましたが、やはりここは書くべきか、という思いで書いた一作。「過去」を巡る話としては一番のターニングポイントがこのエピソードで、この事件を機に様々な人々の人生が変わっていく話でもあったので、その上で描写したかったというのもあります。後日談として概念物理書籍第二弾が出た際に、あとがきである一篇に「この回に触発されて書いた」と書かれているのを目撃して変な声が出ました。
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