プレハブ分遣隊ZERO   作:Tibetan Brown Bear

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私を見つけた日

 暑い。そんな7月の、じめじめと湿気を帯び始めた暑さに顔をしかめながら、エメラルドグリーンの髪を揺らして、彼女――重巡洋艦の艦娘、鈴谷は職場の出入り口から足を踏み出した。

 退勤時間の午後遅く、時間はすっかり夕方で陽が傾いた分、幾らか涼しいとは言え暑い事に変わりはない。ここは北海道なのだから7月も涼しいだろう、という楽観はかなり前から吹き飛んでいた。日本のどこに居ようともこの暑さから逃れられる事は出来ないだろう、そんな下らない事を考えては北方の基地勤めだったら毎日涼しいんだろうな、と更に下らない話を頭に浮かべていた。

 

 しかし、今の鈴谷は内地勤務の艦娘だ。それも後方基地で活動しているのではなく、各市町村にある地方協力本部勤め――それも艦娘募集をかける所謂「人攫いのお姉さん」であった。重巡・鈴谷という艦娘としてのキャリアも佳境に差し掛かり、艤装の転換か、さもなくば任期を終えて別の職に就くまで「艦娘になってみない?」と若者に声をかける仕事を続ける事になるだろう。

 

 駐車場に停めた自分の車へ向かう中、否が応でも見慣れたポスターが目に入る。

 少し色あせたポスター。艦娘候補生募集中という文字と、ラバウルかトラックか、南方の綺麗な海と島々を背景に撮影された特型駆逐艦たちの集合写真。「海の平和を、私たちの国を守る仕事へ――」等と書かれた煽り文句。

 

 そのポスターの横に、今日も彼女は壁に瀬を預けて立っていた。

 この小さな町の地方協力本部にとっては顔なじみの、鈴谷にとってはこの小さな町の数少ない“友人”のような子であった。

「おはよ、真奈美ちゃん」

「こんにちは、奥寺さん」

 彼女と挨拶を交わす。

 平日、いつもの日課だ。

 

 鈴谷にとって、彼女との出会いは春の終わり頃に興味ありそうに地本の前をうろついている少女を見つけた事が始まりだった。ぐいぐいと推すように地本の中へ連れ込んであれよあれよと艦娘募集のためのトークをして、艦娘募集のパンフや資料を押し付け、同僚から「奥寺に捕まったんじゃ運が無いな」とからかわれた翌日に、彼女はまた地本に顔を出してきて鈴谷が居るか尋ねたのだった。

 

 押しが強く天真爛漫な鈴谷に懐き、その後も頻繁に地本に顔を出しては、世間話を沢山した。そんな交流を続けるうちに、彼女が学校へなじめず、制服に着替えて家を出ても、殆ど学校に行ってない不登校の子である事、両親や通っている高校の教師が度々地本まで出向いてきては彼女の姿を探しに来ていた事を知った。

 どこか引っ込み思案で、放っておけない彼女に対して、鈴谷もまた可愛い妹のように接しては、親身に相談を引き受けていた。今では艦娘としての名前でなく、職場以外で人としての名前――奥寺加奈という自分の名前を呼ぶ数少ない仲にまでなっていた。

 

「どう、元気?今日は学校行った?」

「……行ってないです」

 彼女は首を左右に振った。そうかー、と鈴谷は答えた。

 いつもなら、彼女とここで2、3会話して、それから車に乗せて世間話でもしながら、彼女を家まで送るのが日課だった。

 だが、今日はいつもと様子が違ったように思えた。いつもより元気がない、そう鈴谷は彼女の表情から見て取った。

「そうだ、真奈美ちゃん」

「はい」

 鈴谷は車のキーを取り出し、彼女へちらつかせてから、ニヤリと笑って見せた。

「ドライブにいかない?」

 

 

 

 

 助手席に彼女を乗せて、愛車――北海道赴任の際に中古車屋で適当に見繕ってきた年季の入った軽自動車――を走らせて、2人はあてのないドライブへ出かけた。

 夕日が落ちる日本海を眺めながら、海沿いをただただ走り続ける。それこそ、現役の艦娘が未成年を勝手に連れ回しているという、傍から見れば問題のある光景ではあったが、鈴谷はただこうして、自由気ままに彼女とドライブをしたい気分だった。

 

 世間話に花を咲かせながら、車は段々と暗みを帯びていく空の下を走り続けていた。

 話のネタも尽きかけた頃、彼女はふと、違う話を持ち出した。

「奥寺さんは、どうして艦娘になろうと思ったんですか」

 彼女のその問いに、鈴谷はハンドルを握りながら答えた。

「そーだねー……強いて言うなら義務感みたいなものかな」

「義務感?」

「そう。あの頃は戦争もまだ始まったばかりで、大変な時代だったからさ。私に出来る事を探さなきゃ、人の役に立たなきゃって思ってばかりだった」

 遠い目で道路を見据えながら、鈴谷は続けた。

「正直しんどい選択だったと思うよ。周囲の期待を背負わなきゃいけないし、戦場にいた時は自分の命を懸ける必要もあった。それに仲間の命もかかっていたし」

 鈴谷は思った事を口にした。彼女は意外そうな顔を浮かべた。

「でもね。誰かの為に戦う事の使命感と、それを果たせた時の達成感ってのは、案外悪いものじゃなかったかな」

「艦娘募集の受け売り……?」

「真奈美ちゃんはエグい所を突いてくるね」

 彼女の返しに苦笑いを浮かべる鈴谷だったが、すぐに柔和な微笑に変わった。

 

「ところで話変わるけど、学校ってやっぱり馴染めない?」

 彼女は無言で頷いた。

 そうだろうな、と鈴谷は心の中で呟いた。

 幾度と無く彼女と世間話をしていくうちに、両親にも話せないような人生相談を受ける事は多々あった。彼女が、学校に居場所が見つけられない事や、自信の無さから来る劣等感に苛まれている事も、そしてこれからどうしていいかも判らない事を鈴谷は知っていた。

 閉塞的な毎日を送る彼女は、悪い方向へ進んでいるように思えた。

「真奈美ちゃん、ぶっちゃけると私も今ものすごく悩んでる事があってさ」

 鈴谷はいつもの調子で、そう告白した。

 突然の告白に、いつになく神妙な面持ちの彼女の前で、鈴谷は続けた。

「私もこう、岐路に立ってると言うか……具体的な未来が無いんだよね。艦種変更試験も落ちてるし、かと言ってこのまま艦娘を辞めるまで地本に居続けるのも違うような気がする。艦娘辞めた後の事もまだ考えてないし。でも、時間はあっという間で……」

 ハンドルを握る手に少しだけ力が入る。

「道だけは沢山あるのに、自分でも何をすればいいか」

 鈴谷にとっても現状は閉塞した日々だった。同僚も申し分なし、仕事は退屈だが平穏な日々、けれども満たされないモヤモヤした感情と、これから先を考えた時の不安。

「前に進むのを怖がっちゃいけないと思ってるんだけどな……」

 歳の離れた少女相手に自分は何を愚痴っているんだろうか。ふと、そんな気持ちになった鈴谷は話題を変えようとする。

 だが、彼女は至って真摯な気持ちで答えた。

「奥寺さんは……これからどうしたいんですか?」

「それは……」

 咄嗟に答えようとして言葉に詰まる。赤信号を見て、ブレーキを踏んで車を停めた。

 鈴谷は彼女を見た。その真っ直ぐ見つめる瞳――何かに悩んでいた今までの彼女と違う、力強い瞳――を見て、鈴谷は悟った。

「これから、どうしたいか」

 言葉を反芻しながら鈴谷は気がついた。彼女も変わりたい、変わろうとしたいのだ。自分を見て、そう決めたと思わせるには十分な気持ちが、その真っ直ぐな瞳にあった。

「決めた」

 鈴谷はそう言うと、青色になった信号を見てアクセルを踏んだ。

 いかに自分がちっぽけな事で悩んでいたのか、目標を見つけられないだけで何を焦って悩む必要があったのか。全て清々しく笑い飛ばしたい気持ちだった。

「……よし!決めた、今日はラーメン食べに行こう。私の奢り!」

「え?え!?」

 突然の提案に聞き返す彼女を横目に「うまいラーメン屋が近くにあるんだ」と言いつつ、鈴谷はハンドルを切って県道から脇道へと入った。

 

 

 

 

 

 うだるような暑さだった。壊れ気味の空調で何とか正気を保てる温度を維持している宿舎の自室で、ベッドの上に寝転がりながら、重巡艦娘の鈴谷はぼうっと天井を眺めていた。

 

 艦娘募集用ポスターは完全に詐欺だろうな、と鈴谷は心の中で思っていた。南洋の島々の白い砂浜で撮られた特型駆逐艦たちが完全武装でにこやかな笑みを浮かべる集合写真。実際は蒸した暑さの中で無理やり撮影しているのだろう、撮影終了後は汗だくで装備を脱いで空調の効いた場所に駆け込んだに違いない。

 今の時期――鈴谷が居る南洋の島々は、照りつける日差しと赤道特有の気温が相まってひどい物だった。それでも、異常気象に悩まされていた頃の日本に比べれば幾分かマシであった。

 

 あの年の夏、高校を辞めて彼女は艦娘になるため街を飛び出した。

 地本にいた特別親しかった艦娘――偶然にも今彼女が艤装を背負っている重巡、鈴谷――に後押しされ、艦娘の募集表を書き上げ、難色を示す両親を、生まれて初めて強く説得して艦娘になった。

 平野真奈美という名前の他に、特型駆逐艦「潮」という名前を持つことになった彼女は、新天地で艦娘として生きていく道を歩み始めた。

 あれだけ自信を持てずに学校にもいけなかった時代とは打って変わり、そこでかけがえの無い仲間たちと共に充実した日々を送った。

 

 同じ北海道から出てきた陽炎型、家業を引き継ぎたくないので艦娘になって家を飛び出してきた朝潮型、受験が面倒なので何となく艦娘になった白露型。共に養成学校の厳しい訓練を潜り抜け、下っ端の艦娘として結束した仲間たち。

 

 一緒に宿舎の相部屋で、ささやかな娯楽のB級映画を見てはゲラゲラ笑い、互いの境遇に共感を覚えたり、時には一緒に笑って、時には一緒に泣いた仲だ。

 そんな彼女たちと共に苦楽を乗り越え、佐世保基地に配属されてからは忙しくも充実した毎日だった。とは言っても、近海を移動する貨物船や客船の護衛や、哨戒任務、ごくたまに行われる掃討作戦の支援など、地味な仕事ばかりだったが。

 そんなある日、駆逐艦娘からのキャリアアップとして上官から艤装転換試験を薦められた彼女はそれに見事合格し、新しい艤装を与えられ、憧れの艦娘であった「鈴谷」になった。

 

 だが、その後に待ち受けていたのは、忘れ去ろうとしていた鬱屈とした日々の再来だった。前線部隊の配属となり、戦闘が増えるにつれて自分に課せられる期待や、周囲の艦娘と自分の実力とのギャップ、内地とは比べ物にならないきつい任務、それらが彼女に押しかかった。

 砲撃や雷撃、航行のテクニックひとつを取っても、周囲に追い付けなかった。指揮をする部下の駆逐艦に対しても、自分が適切な命令を下せているか、そもそも修羅場を潜った数でも圧倒的に上の彼女たちに、下に見られていないか?という不安がつきまとった。

 更に、当初に課せられた任務――主力艦隊の前衛となる長距離偵察任務や、連合艦隊の一員としての作戦行動――から早々にはずされ、前線より少し後ろからの補給任務や、哨戒活動と言った雑多な任務を就かされるようになってから、そういった不安はより大きくなる一方であった。

 そうした日々で生まれた言いようのない挫折感が、彼女の心に暗い影を落としつつあった。

 

 自室のドアがノックされる。返事を待つ間もなく、ドアを開けて艦娘が入ってきた。

 黒髪で、整った顔立ちをした眼鏡を付けた艦娘――上官の戦艦、霧島であった。

「鈴谷さん、そろそろ時間よ。準備をしなさい」

 はい、と霧島に促されるがまま、鈴谷は急いで部屋を出た。

 

 廊下を歩きながら、鈴谷は霧島からバインダーに挟んで渡された今日の輸送予定表に目を通した。前線のFOBに補給物資を届ける任務で、日を跨ぎ明日の朝にこの基地へ帰還するという長距離航海だ。鈴谷はその任務で護衛を担当する手筈だ。

 ひとたび基地を離れたら、あとはひたすら海の上だ。

「えーっと……今回の編成は?」

 自分と共に出撃する艦娘のリストを霧島に求めるが、霧島は「一番下」と答える。鈴谷は慌てて、自分が手に持ったバインダーの一番下に挟まれた書類に目を通した。

「しっかりしなさい。いつまでも内地気分が抜けないと困るわよ。今のあなたは海外派遣部隊の一員なんだから。日本だけじゃなく他国の艦娘もいるという事を肝に銘じて」

 霧島の説教めいた言葉に、はい、と鈴谷は答えつつ、げんなりした様子だった。

「それに今回の任務は舞鶴の主力艦隊への補給よ。輸送が失敗した日には佐世保艦隊の威厳というものが……」

 ぶつぶつと続く霧島の言葉に鈴谷は胃が痛む思いだったが、ぐっと堪えた。この人は根っからの嫌な上司じゃないし悪い人では無いから……と自分に言い聞かせながら、駆逐艦たちの待つブリーフィングルームへ一刻も早い到着を考える事にした。

 

 

 ブリーフィングを終え、出撃の準備をすませた鈴谷は基地の出撃用スロープへと向かった。すでに部下の駆逐艦たちは準備を始めており、用意された艤装を装着したり武装のチェックを行っている。

 

 鈴谷以外にも、様々な部隊の艦娘が忙しなく動き回っており、出撃用スロープから発進していく艦娘や、帰還してくる艦娘は途切れる事が無いように思えた。

 前線に一番近いこの基地は、大規模作戦の最中で慌しい空気となっている。佐世保のみならず、舞鶴、横須賀、呉などの部隊も展開しており、中にはタスクフォースと呼ばれるアメリカ海軍の艦娘部隊も混じっていた。

 とは言っても、精鋭の中の精鋭はここにはおらず、最前線――敵の海域深部への玄関口――のFOBで出撃を待っている。鈴谷がこれから補給物資を届けにいく、その場所だ。

 

 そんな中、一機の救難ヘリコプターが出撃用スロープ近くのヘリポートへと爆音を上げて着陸する。ローターの巻き起こす風が鈴谷の髪を強く巻き上げる程だった。

 何事か、と思った矢先に、着陸したヘリのキャビンが開き、基地の医療施設スタップが急いでヘリに殺到した。

 機内から担架で運ばれる艦娘を見て、思わず鈴谷は目を背けたくなった。血だらけの包帯が巻かれた頭部、応急処置はされているが深い傷を受けた肩と、血で染まった艦娘の制服。そのデザインから見て、古鷹型重巡のようだった。

 危険な状態である事は明白で、周囲の艦娘が彼女を「頑張れ」「助かるからな」と励ましていた。担架からストレッチャーに移されると、艦娘はそのまま基地内の医療施設へ搬送されていった。

 

 血の気が引く思いで様子を見守っていた鈴谷の隣に、準備を終えた艦娘――知り合いの駆逐艦、磯風がいつの間にか立っていた。彼女もその様子を並んで見守っていた。

「……横須賀の連中だ」

 ぼそり、と磯風は呟いた。「何でわかるの?」と鈴谷が磯風に尋ねると、彼女は答えた。

「さっき出撃から戻ってきた浦風から聞いた……全滅した部隊の生き残りらしい」

「……最後の一人」

 鈴谷は思わず声を出していた。

 精鋭部隊と言われる艦娘が、たった1人しか帰らなかった現実。

 それが、この前線での日常であった。

 

 

 

 

 制空・制海の両方を確保できない場所では、もっぱら輸送手段は彼女たち水雷戦隊の出番であった。最前線で戦闘を続ける艦娘たちへの強行補給――と聞こえはいいが、実際は「餌運び」と称される地味で危険な仕事だ。

 高速艇にありったけの物資を載せ、それを護衛しながら向かうだけあって、日本近海での商船護衛とは違う難しさがあり、護衛には非常に気を使った。それでも、高速艇すら使えず身体に持てるだけの物資を括り付けて移動する「鼠輸送」と称される補給方法に比べれば幾分かマシであった。

 今日は幸運にも、鈴谷たちは一度も敵と接触せずに目的地の島へと辿り着く事が出来た。

 

 島に接近すると、味方が見えてきた。砂浜にはFOB――複数のテントと、アンテナが伸びる通信設備、それから簡単な補給と整備設備があるだけ――が展開されており、鈴谷たち補給部隊の存在に気がついた艦娘が浜から手を振って合図をしていた。

 主機の回転数を落とし、速度を緩めながら転倒しないよう注意しつつ浜へと上陸する。

 

 浜に足が着き、陸地に上がった事を確認してホッとしながらも、鈴谷は出迎えた艦娘に敬礼で返す。艦娘の花形、正規空母の艦娘が敬礼をする。

「補給物資を届けに来ました、補給品のリストです」

「ご苦労様」

 少々無愛想な返事をしながら、空母の艦娘は受け取ったリストを、後ろに控えている旗艦と思しき艦娘へ手渡した。

 ようやく険しい片道が終わった事に安堵した鈴谷は、そのまま荷下ろしの様子を見ようと踵を返した。

 

「そこのあなた」

 後ろから声を掛けられ、鈴谷は振り返った。

 補給物品のリストを確認していた艦娘であった。すらっと伸びた背と纏まったスタイルに目を奪われそうになるが、その顔つきと茶髪のショートヘアは間違いなく一般人でもよく知るような、大物の艦娘であった。

 戦艦だ。

「名前と所属を聞いてなかったわね?」

 戦艦の艦娘に問われ、鈴谷は背筋を伸ばして敬礼を返した。

「佐世保第4艦隊所属、重巡洋艦鈴谷です」

 袖元に光る階級章から、鈴谷は思わず全身が緊張し背筋が伸びた。左官クラス、艦隊を現場で纏め上げる指揮官であろう艦娘だ。戦艦の艦娘はそれこそ花形の艦種で、最低でも左官クラスの人間がなれる物である。おまけに相手は“ビッグセブン”とも称される戦艦・陸奥だった。

 一方のその戦艦は、柔和な笑顔を口元に浮かべた。緊張している鈴谷を見て「取って食ったりはしないわ」と冗談めかして言った。

「私は舞鶴第1艦隊の陸奥、名前の方は奥寺でいいわ。堅苦しいのはナシで」

「奥で……」

 名前が、引っかかった。

 鈴谷の記憶の中に蘇るのは、かつて艦娘になる前に出会った“鈴谷”その人。底抜けに明るく、前向きだった、人生を変えてくれた人。

 鈴谷が艦娘になってから、地元の地本から姿を消しどこかへと転属して以来、彼女とは会っていなかったし、新人の駆逐艦娘が消息を追うのは無理であった。

 探し続けたその人なのか?いきなり言葉に詰まった鈴谷を見て、陸奥は目を丸くした。

「そんなに珍しい苗字でもないでしょ?それとも前に会ったことでも?」

 そう言われて、鈴谷は意を決したように――若干、潮だった頃の喋り方に引きずられながらも――問いかけた。

「えーっと、あ、あの、私の名前は平野真奈美です。人違いなら謝りますけど、もしかして下の名前は“加奈”ですか?北海道の基地にいた……」

 陸奥は思わず一瞬固まった。それから、すぐに鈴谷の肩を掴んで引き寄せた。思わず鈴谷は声を上げそうになるが、陸奥は鈴谷の顔をまじまじと見た。

「真奈美ちゃん……真奈美ちゃんなの!?」

 頷いた鈴谷を前に、陸奥――かつて“鈴谷”だった――は艤装を付けたままの彼女を強く抱擁した。心底嬉しそうな、そして懐かしそうな笑みを浮かべて。

「久しぶり!元気にしてた?」

 抱擁を解き、陸奥は鈴谷の顔を見るが、彼女の顔はすぐに涙でぐしゃぐしゃになった。

 色々なものが、堰を切ったかのように溢れ出ているようだった。

「お、奥寺さ……」

 名前を言おうとして、鈴谷は喉奥から漏れる嗚咽を堪えようとする。

 それを見かねて、全てを察したかのような陸奥は、もう一度鈴谷を優しく抱擁した。

「ごめんなさい、会うのが遅くなって。もう大丈夫よ」

 今度こそ、鈴谷は子供のように泣いた。

 

 

 

 

 駆逐艦娘だった頃、そればかりか艦娘でなかった頃のように泣きじゃくり続けた鈴谷が周りの視線に気がついて落ち着いた後、2人はFOBから離れた砂浜の、丁度いい流木に腰を下ろして夕日を眺めていた。

 あの頃――北海道にいた頃の――と同じ夕日と、夕焼けに染まる空を眺めながら、2人はようやく落ち着いて話を始めた。

 

「真奈美ちゃん、前線部隊に配属になったんだね」

「はい、色々あって」

「しかも“鈴谷”とはね……」

 最上型の制服をまじまじと見つめながら、陸奥は感慨深い様子で呟いた。

 自分の艤装転換前の艤装を背に、かつて自分が名乗っていた艦名を彼女が背負ったことに、陸奥はどこか数奇な運命のようなものを感じ取っていた。

「奥寺さんも、まさか“陸奥”になっていたなんて……」

 へへっ、と陸奥は笑った。

「どう?似合ってるでしょ」

 頭を飾るように付けられたアンテナを指でなぞりながらも、彼女は微笑む。だが、その顔もすぐに自嘲的な笑みへと変わった。

「実際装着してるとサイテーよ、アンテナの突起を壁に引っ掛けたりして最悪。空き缶に穴空けたりイヤホン引っ掛けるぐらいしか使い道ないんじゃない?」

「はぁ」

 感動の再会の余韻が一気に波のように引いていく気持ちになりながらも、鈴谷は「そう言えばこういう人だったよなぁ奥寺さん」と、昔を思い出して懐かしい気持ちになった。

 

 陸奥はそれから自分のこれまでを話し始めた。

 彼女を艦娘として送り届けた後に彼女の「これからどうしたいか」の言葉に奮起して、艤装転換試験を受けて見事「陸奥」の艤装への転換が決定したこと、舞鶴へ転属して後輩の艦娘を育成する事に尽力したこと、そして前線へ送られる後輩が不安でいてもたってもいられず自ら前線行きを志願したこと、そうして深海棲艦を千切っては投げている合間に階級が戦死したかと思うぐらい昇格し、いつの間にか艦娘としての任期も延長したこと。そして、自分を後押ししてくれた大切な後輩を探したが、多忙により適わないままここまで来てしまったこと。それを一通り打ち明けた。

 自分の選択が良かったかは正直わからない、と言いながらも、そう語る陸奥の横顔はどこか誇らしげで満足したものだった。

 

 鈴谷もまた、自分が艦娘になった事、駆逐艦から巡洋艦へ昇格したこと、前線部隊へ配属された事などを陸奥へと語った。

 一通り話終えると、相槌を打ちながら聞いていた陸奥は、諭すように優しく話始めた。

「で、真奈美ちゃん。今も色々悩んでるでしょ」

「……はい」

 やはり全て見通されていたか、と鈴谷は観念した。

 

 挫折、自分の限界、そして不安、全てを搾り出すように、そしてか細い声で語るうちに、鈴谷の喉元にまた微かな嗚咽がこみ上げて来た。

 全てを聞き終える前に、陸奥は優しく鈴谷の頭を撫でた。

「大丈夫。頑張ってるよ、真奈美ちゃんは」

 優しく語りかけながら、陸奥は続けた。

「やっぱり、私達似た者同士なのかもね」

「ぜんぜん似てないと思います」

 絶対似てるね、と陸奥は鈴谷の言葉に返した。

 

「私の力量じゃ全然追いつけないです、前線にいる皆にも、ましてや奥寺さんにも……」

「誰だってそんな短期間でいきなり追いつける筈ないじゃない。こういう事は焦らずゆっくりか、自分に出来る事や得意な事を伸ばす所から始めなきゃ」

 鈴谷の艤装になってからまだそんなに経ってないんでしょ?という陸奥の問いに、鈴谷は頷いた。

「おまけに佐世保の第4艦隊って事は、霧島(西宮さん)指揮の艦隊でしょ?あの子の性格からして真奈美ちゃんとは合わないタイプだろうし……違うかしら?」

 そんな事はないです、と鈴谷は言いかけたがこの言葉は喉に詰まって止まった。自分の感情で考えるなら、間違いなく図星だった。

「ここだけの話、佐世保の雰囲気に馴染めないなら、こっちに来てもいいのよ?こう見えて司令に根回し出来るぐらいのコネぐらいはあるし。何より私もいるからね」

 舞鶴はいつでも歓迎してるから、と陸奥は笑った。

「昔の私みたいに地本で未来の後輩発掘に勤しんでもいいし、どこかの分遣隊に勤務してのんびり仕事をしてもいい。私や後輩と一緒に鍛えなおして前線へまた戻ってもいい。もしあなたがそうしたいなら、私は喜んで手を貸すわ」

 鈴谷は、思わず目が潤んだ。目をこすって、必死に涙を拭った。

「険しい道を切り開くのも悪くは無いけど、別に楽な道を選んで歩いたっていいし、地図を見て自分の行きたいルートや目的地を気ままに決めるのも悪い事じゃないわ。全部、あなたの人生なんだから。好きにしたってバチなんて当たらないわ」

 陸奥は、鈴谷の目を見た。温かみを帯びるその瞳には、かつての自分と――そして、彼女にとって特別な後輩が映っていた。

 

「ねえ、真奈美ちゃん。あなたはこれから、どうしたい?」

 

 

 

 

 秋の昼下がり。暖かさが徐々に寒さに移り変わる季節。いつもより荒れるようになった日本海を窓越しに眺めながら、扶桑型戦艦の艦娘、山城は嘆息を漏らした。

 ここ、山形県の酒田基地は、南方や太平洋の前線とは無縁の平和な一日だった。インド洋方面での大規模作戦が終わり、各基地も一応は平静を取り戻しているようであった。

 しかし、大規模作戦後特有の人事異動――特に日本海側の「平和な基地」を中心とする使える艦娘の引き抜きは彼女の頭を悩ませていた。

 この規模の作戦後には退役や負傷の後送などで前線部隊に“空席”が出来る。その穴を埋める為には養成学校を出たての艦娘よりも、平穏な海域で雑務をこなしている艦娘を引き抜きたいという思惑が上層部にはあった。

 案の定、この酒田基地からも何人かお呼びがかかり、ここから太平洋側にある大型基地への転属が決まっていた。分遣隊から異動する人間が出なかったのは当たり前のことか、と山城は安堵はしたが、今度は大本である本隊の欠員を埋めなければならない。

 

 とは言っても、そう難しい物ではない。山城には階級章以上に古参としてのコネクションがあり、彼女と知り合いの基地司令や高官――彼女に対して恩義がある――は多く居た。

 そんな彼ら、あるいは彼女達から酒田基地に呼べそうな人員を回せるか交渉するのが、今日の山城の仕事であった。

 

 不意に、ドアがノックされる。「入るよー」と気の抜けた声と共に、1人の艦娘が山城の部屋へと入ってきた。

 背が低い、童顔の軽空母艦娘、瑞鳳であった。

「山ちゃん、仕事どう?」

 世間話に来たような口調で山城に語りかけるが、山城の顔は険しいままだった。

「山ちゃんと呼ばないでくれる」

 苛立たしげに書類を整理しながら、山城は瑞鳳の声に答えた。

 

 瑞鳳は勝手に部屋の隅にあったパイプ椅子を広げて山城の前に座った。

 図々しくも、山城が整理中の書類を勝手に拾っては目を通している。艦娘の現場指揮官である山城相手にそんな事をしようものなら部屋からつまみ出される行為だが、副官として酒田の艦娘ナンバー2の立ち位置にある瑞鳳だからこそ許される行為だった。

 山城はそのうちの一枚を手に取ると、瑞鳳へと渡した。

「重巡の補充はどうにかなりそうよ、この子がそう」

 手渡された書類に目を通しながら、瑞鳳は「可愛い感じの子ね」と感想を漏らした。

「奥寺が情報を持ってきたのよ。秘蔵っ子がいるってね」

「へー、カナちゃんが?」

 あの子は北海道の勤務だったっけ、と記憶を手繰り寄せている瑞鳳を前に、山城は書類から視線を外さずに答えた。

「今は舞鶴所属で内地に戻っているみたいよ。ゆくゆくは私と同じ指揮官でしょうけど、まだ現場が好きらしいわ」

「マゾだね」

「艦娘の病気みたいなものよ」

 山城はすっかり冷えたマグカップのコーヒーを飲み干した。

「この子の改装の準備も出来てるそうだから、航重改装後の訓練はあなたが教官役をやりなさい」

「その理屈なら山ちゃんも私に訓練される事になるよね?」

「……それだけは死んでも拒否するわ」

 ふと、山城は窓の外の空を眺める。

 まだ、この青い空の下で、あの破天荒な元重巡娘は元気でやっているのだろうか?そんな事を思い浮かべながら、山城は瑞鳳から書類を返してもらった。

 

 書類添付の写真には、堅苦しい表情の艦娘が写っている。元駆逐艦上がり、前線派遣経験あり、本人の希望で今から1年前に佐世保から舞鶴へ異動。名前は平野真奈美、艦種は重巡・鈴谷。

 報せを送ってきた彼女の「私の大切な後輩」という情報は、そこに載っていない。

 山城は舞鶴の知り合いに転属の話を持ちかけるべく、電話の受話器を取った。




【こぼれ話】
 夏コミでの分遣隊概念物理書籍を見て創作意欲が沸きに沸いた際に書いた一作。実は会場に持って行った端末に原稿データ入れていたが、帰宅後に半分近くリテイクして書き直した経緯があったり。(書き直し前は戦場から撤退する鈴谷が海上で陸奥と再会する展開で、「逃げ出す努力も時には必要」と鈴谷に諭す展開だった)半分くらいは陸奥回だったので増補版書きたいと思ってましたが、いつか番外編も書きたい所。
 実はあの台詞を中心に物語を組みなおしていて、平野(鈴谷)と奥寺(陸奥)という2人が同じ台詞を投げかけるという話にしたくて書いた作品。変えてくれた側と、変わった側が今度は別の立場で同じ問いを投げかける、という構図がお気に入り。
 概念を提唱している方のめっっっちゃ長いずーやん半生まとめを参考に話を組み上げましたが「恩師の元鈴谷との再会」の下りは完全にオリジナルで書きました。その方から8月末のイベントで直接「最高でした」の感想を頂けたのは至極恐縮でした。書いてて良かった。
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