プレハブ分遣隊ZERO   作:Tibetan Brown Bear

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走り続けると決めた日

「響って昔何やってたか、聞いた事ある?」

 

 切欠は何の変哲も無い曙の一言だった。

 漁港の片隅に設置されたプレハブ建ての分遣隊、その“堂々たる司令部”階段下の喫煙所――実際には煙缶を置いただけの名ばかり喫煙スペースで、待機中の駆逐艦娘たちは雑談に興じていた。煙草休憩の名目で集まった彼女たちは、紫煙を吐きながら昨日の哨戒がキツかっただの、このあいだ釣りをしていたら大物が釣れただの、あの番組見た?等と他愛も無い会話をだらだらと続けていた。

 そのうち、誰かがそんな話を切り出したのだった。

 

「あー、アイツかぁ」

 喫煙休憩に入って二本目の煙草を口に銜えたまま、長月は記憶を掘り返していた。

「長月ってここでは響の二番目に長いじゃない。何か知らないの?」

「長いと言っても、アレだ、私は本隊に2回出戻りしてるいるし、それなら副隊長が長いんじゃないか?私もよく知らない」

 長月の隣で、煙草にぶら下がった灰を煙缶に落としていた皐月が頷いた。

「だったら那っちゃん隊長がよく知ってるんじゃないの?」

「那っちゃんはもういないだろ」

 長月が皐月の言葉へ突っ込むように答える。

「私が知ってるのは、前線帰りで、前の所属が舞鶴だった事くらいだ」

 でも噂なら幾つか知っている、と長月は続けた。

「噂話ではな、何でもヨーロッパ方面派遣部隊で地中海の奪還作戦に参加して、創設したばかりの艦娘部隊の教官やってたらしいんだよ。ロシア連邦海軍……黒海艦隊だって」

 さも本人から聞いて来たような内容であったが、長月の口調は半信半疑と言った様子だった。まだあるぞ、と長月は続ける。

「このあいだロシアで開発されたタシュケントの艤装作成にも一枚噛んでるらしい。何でも教官時代の響から取ったデータが火器管制のソフトウェアに一部組み込まれてるとか……」

 長月が言い終わらないうちに、皐月が吸殻を煙缶へ放り込みながら話に割り込む。

「ボクの聞いた噂話だと、両親のどっちかがロシアの人らしいって。後、パナマ運河奪還作戦に参加したんだって。沖縄の作戦にも参加したらしいよ」

「沖縄ァ?奪還作戦の時だとしてもかなり前じゃない」

 缶コーヒーを飲んでいた曙が驚きの声を上げる。

「でも那っちゃん隊長と同期だったって話は聞いた事あるよ。那っちゃん隊長の事よく知らないけど」

「あの人は放任主義だったな」

 皐月の言葉に長月は懐かしげに呟いた。

「でも、先任って噂じゃ経歴書に機密箇所があるらしいのよ。何があったの?」

 曙は怪訝な顔を浮かべるが、その問いに答えれる艦娘はいなかった。

「不正規作戦とかやってるような奴では無いだろうし……そもそも響の噂話ってどれが本当なんだ?本当に凄い経歴の持ち主なのか?」

 長月の問いに、皆が黙り込んだ。

 黙ってはいるが、全員が「それならどこかに保管されている経歴書を見れば早い」と思っていた。しかし、わざわざそれを試みる程でもない――そんな答えが全員一致で出ているのは明白だった。

 

 そのうち、午後の哨戒を終えた駆逐艦たちが戻ってきた。二階の隊長へ報告へ上がる艦娘や、喉の渇きを癒す為に真っ先に冷蔵庫へ向かう艦娘もいる中、話題のその本人が喫煙所へふらりと現れた。

 いつも通りの何を考えているかわからないポーカーフェイスの駆逐艦、響だった。

 

 煙缶の近くに設置されたベンチに腰を下ろすと、響はポケットからお気に入りの銘柄を取り出し、箱の底を人差し指で叩き、浮き出た一本を銜えて取った。

 喫煙スペースにいる全員が響をじっと見ていた。

「……何かあったのかい?」

 ライターを手に取ったまま止まった響を前に、長月は「ちょっと響に聞きたい事を話していた」と答える。響は「何だい?」と尋ねながら、ライターで煙草の先端に火を点けた。

「響が分遣隊に来る前に、何をしてたか聞きたくてな」

 ふぅ、と紫煙を吐きながら、響は一呼吸置いて長月の問いに答えた。

「想像にお任せするよ。どれも正解じゃないだろうし、間違いでもない」

 まーた適当にはぐらかして、と皐月はケラケラ笑う。

「それより曙。今日の晩御飯は?」

 響に尋ねられた曙は、気を取り直して答えた。

「漁港から魚の差し入れあったから……今日は久々に刺身と煮付けでどう?海鮮丼もいけるけど」

 おお、と喫煙スペースにいた艦娘たちがざわめき立った。そうこうしている内に話題は変わり、誰も響の過去について言及はしなくなった。

 

 

 その日の曙の料理はいつもと同じく大当たりで、終始ご機嫌な夕食であった。

 彼女の料理に舌鼓を打った響は、それから風呂に入り、一服し、歯を磨いてからいつものように宿舎の自室に入った。

 すでに時間は夜の10時で、就寝の時間が近づいているがまだ眠る気にはならず、机に置いたテーブルランプを点けてから、部屋の電気を落とした。自分のロッカーを開けて、ハンガーにかけた制服や私服をかきわけ、ブリキの缶を取り出す。

 随分前から使っている小物入れ用の平型缶だった。両手の平に収まるサイズのそれを取り出すと、響はイスに座って、机の上にそれを置いた。

 

 缶の蓋を開けると、そこには雑多な物が入っていた。

 捨てるに捨てられない小物、古い階級賞、あまり使う事の無い印鑑、普段持ち運ばないカードの類、それに混じって、一枚の写真を取り出した。

 響はそれを手に取った。

 

 部屋割りの都合で、自分だけしかいない部屋で助かった。そう思いながら響はその写真を眺めた。

 久しぶりに、写真の中の彼女に会いたくなった。

 

 

 

 

 ビーチパラソルが作る日陰の下、響はデッキチェアに背を預けながら海風と太陽の陽射しを、浜辺の真ん中で満喫していた。それこそ、ハワイやグアムのような観光地で見かけるような光景であった。

 しかし、彼女の服は水着でも私服でもない、艦娘の制服であり、その脇には太陽光に焼かれつつある完全武装の艤装一式が鎮座していた。彼女の周りには、当然ながら観光客どころか人の姿すら無かった。

 ここは太平洋のトラック島基地で、彼女は出撃に備えた艦娘である。警戒待機中の彼女は暇を潰していた。

 

「響ー!」

 遠くから彼女を呼ぶ声が聞こえた。響は、それが誰なのか声だけで理解した。

 彼女と同じ制服を着ている、暁型駆逐艦のネームシップ「暁」であった。彼女と違い、艤装を身に着けていない暁はとことこと歩いてきて、響が休んでいるビーチパラソルの下へ来てしゃがんだ。

「警戒待機解除だって、上がって休みましょ?」

「……もう少しここにいるかな」

 煙草を取り出し、口に1本銜えながら響は呟いた。

 暁は人懐っこい笑みを浮かべながら、響の隣にあるもう一つのデッキチェアに腰をかけた。

「じゃあ、私もー」

 どうぞ、と響は微笑んだ。

 

 響と暁は同期だった。性格には、暁は響よりも1ヶ月誕生月が早く、艦娘としてのキャリアは響の方が上だった。戦争が始まってから艦娘を志した彼女たちは、同じ部隊の艦娘としてすぐに打ち解けた。

 それこそ、家庭に居場所が無く、家を飛び出すように艦娘になった響にとっては、実の姉妹のような深い関係にあった。沖縄の奪還作戦、レイテ解放作戦、それから2人は初期の大規模作戦に参加し、世界を飛び回った。この地球に2人が行った事のない海は無かった、とも言えた。

 変に姉ぶろうとする暁と、それをからかう響は傍から見れば微笑ましい幼い姉妹であったが、酒も煙草を嗜む成人で、今までに屠った深海棲艦の数と潜り抜けた修羅場の数は、歴戦の艦娘である事を物語っていた。

 

「そう言えば、さっき新しい艦娘が来たみたいよ」

 とりとめのない会話を続ける内に、暁はそんな話を切り出した。

「新しい艦娘?」

「うん。私達と同じ舞鶴所属だってさ、増援として呼ばれたみたい」

「誰だろうね」

 少し興味が湧いてきた響は、ようやく腰を浮かして立ち上がった。

「見に行くかい?どこに居るのかな」

「指揮所にいるんじゃないかな――あ、煙草1本頂戴」

 暁の言葉に、響は口に銜えた半分まで吸った煙草を黙って差し出した。

「お姉ちゃんに吸いかけじゃないのはくれないの?」

「たった1ヶ月しか年上じゃないのに?」

 響の言葉に笑いながら暁はそれを受け取った。

 

 

 暁と響が指揮舎へと顔を出すと、司令官や艦隊指揮官との打ち合わせを終えた新しい艦娘が現れた。

 廊下ですれ違う前に、暁は声をかける。

「新しい艦娘さん?」

 気さくに話かけた暁に、そのツインテールの髪を揺らす艦娘――正規空母と思しき――は快く答えた。

「そうよ。舞鶴艦隊に新しく配属になった、正規空母の瑞鶴よ」

 なるほど正規空母か、と響は納得した。

「私は暁、長距離偵察部隊の艦娘よ、こっちは響」

「灰住なんて名前もあるけど、伊達と呼ぶ人もいる。好きに呼んでいい」

 暁と響は簡単に自己紹介をすませた。

 だが、彼女は、響の姿を見るなり引きつった顔を浮かべた。

 何かまずい物を見たような、そんな顔だった。

 

「ちょっと……待ってよ……嘘でしょ?」

 ぶつぶつとうわ言が漏れる。立ち尽くす彼女を前に、響は記憶の中から手繰り寄せた顔と名前を思い浮かべる。

「やあ。瑞槻、久しぶりだね」

「あ、あんた……」

 本名を呼ばれた彼女――瑞鶴はわなわなと震わせていた手を握り締める。一呼吸してから、気を落ち着かせた瑞鶴は平静を取り戻したようだった。

「――ここで会うなんて奇遇ね」

「何年ぶりだろうね?会えて嬉しいよ、本当さ」

 響はさっと手を差し出す、一瞬迷った後に、瑞鶴はその手を握り返した。

「忘れはしないわよ」

 強く握り返しながら、瑞鶴は言葉に静かな力を込めて呟いた。

「誰が忘れるものですか」

 

 瑞鶴が立ち去った後、隣で一部始終を見ていた暁は何事かと目を丸くしながら、響を見た。

 花形の正規空母、それこそ舞鶴の精鋭部隊にはお似合いの新鋭艦。そんな艦娘が響を知っている――と言うのは不思議な光景であった。もっとも、暁から見れば冗談みたいな経歴を持っている響には何があっても不思議ではない。

「さっきの正規空母、響の知り合い?」

 暁の言葉に、響は頷いた。

「ああ。昔水雷戦隊の新人指揮官だった、あの時は阿武隈だったかな?私が補佐していた」

「それだけの関係?」

「……それだけだと思うかい」

 響の複雑な顔を見て、暁は成る程、と理解した。伊達に長年組んでいるだけあって、彼女の性格とその言葉が、全てを物語っていると察した。

「……相変わらず響は女たらしね」

「向こうから告白して来たんだ。てっきり関係は自然消滅したものだと」

 肩を竦めながら、響は続けた。

「ま、後でじっくり話はしておかないとね……」

 

 

 その日の夜、とっておきの冷えた缶ビールを持って瑞鶴の自室へと向かった響は、この選択をした自分を呪いたくなった。

 最初こそ、積もる話を静かに片付けるつもりだった瑞鶴は、アルコールに踊らされるがままに感情を爆発し続けていた。近隣の艦娘から苦情が入るかと響は思ったが、幸か不幸か両隣の部屋は空室だった。

 すでに3本近くビールを空けた瑞鶴は大声で響に長年の感情を爆発させ続けていた。

「ほんっとサイテー!このクソ女!アバズレ!腐れ外道!」

「随分とご立腹のようだね」

 ちびちびとビールを飲んでいた響は、一向に収まらない瑞鶴の爆発に冷や汗を浮かべていた。

「あたしとの関係は遊びだったんでしょ!?」

 空になったビール缶を握りつぶしながら、瑞鶴は叫んだ。

「あたしがどんな思いで水雷戦隊の指揮をしてたか知らないでしょ!来る日も来る日も、慣れない業務や駆逐艦と作戦行動して、ようやく鳴れたと思ったら、煙みたいに消えちゃって!必死になって探して、それでも見付からなくて、忘れたくて横須賀まで行って必死に勉強して空母になって、古巣の舞鶴に戻って前線に来たら素知らぬ顔のあんたが居て、平静でいられると思うの!?」

「いなかったのはロシア政府からの公に出来ない仕事があってね、でもロシアの生活は楽しかったよ。黒海はとても良い場所なんだ」

「そういう話じゃない!!」

 机を破壊するかのような勢いで握り拳を叩き付けた瑞鶴は、すっかりアルコールが回った赤ら顔――酔いか怒りか解らない顔で身を乗り出し、響の襟元を掴んで引寄せた。椅子から腰が浮いた響は、声もあげずにじっと瑞鶴の目を見た。

 相変わらず綺麗な瞳だった。艦種転換で、軽巡から正規空母へと変わってもそれは同じだった。金髪だった頃に比べて更に綺麗になったかもしれない、と響は呑気に考えた。

「あたしが……あたしがどんな思いで……」

 わなわなと震えるその手は、やがて弱々しくなっていく。

「すまなかった。私に飽きて自然消滅したものだと、てっきり思っていた」

 響は呟いた。

「遊びだなんて思ってはいなかった。でも、ロシアに行く時に別れを言うべきだったと思う」

 瑞鶴の手が緩み、響を放す。

 がくり、と2人は椅子に腰を下ろす。頭を垂れた瑞鶴は泣いていた。

「ねえ、今別れるのなら、最後に私の願いを聞いて」

「何だい?」

 瑞鶴は顔を上げた。

「今晩だけは、私と一緒にいて」

 懇願するような言葉に、響は頷いた。

「いいさ……気が済むまで」

 

 

 

 

 1週間後、響たちはトラックから遠く離れた海の上にいた。

 彼女たちの任務は「パスファインダー」とも呼称される危険な長距離偵察だ。

 海を真っ赤に染める深海棲艦支配海域に突入し、敵海域の中から突破できそうな箇所を探す。それを元に、本隊の連合艦隊が「深部」を叩くためのルートを切り開く――実際には天候や状況に運も絡むが――という危険な任務である。

 まともな艦娘が付く仕事ではないため、こういった長距離偵察任務は自ずと各基地で最も手練のベテラン艦娘たち、それも水雷屋として長年勤め上げてきた軽巡や駆逐艦たちが行う事が多い。

 今日の出撃もまた、いつもと同じ面子であった。

 旗艦の軽巡1隻、響と暁、そして3隻の駆逐艦――舞鶴の主力部隊の栄えある駆逐艦娘たちで編成された部隊だ。この中で一番経験豊富なのは響で、事実上の隊長でもあるが、他も負けず劣らずで、開戦以降、幾多もの激戦を潜った女たちであった。

 

 バケツをひっくり返したような赤色に染まった海面を走りながら、深海棲艦の支配海域を通行するのはいつも肝が冷えた。

 しかし、いちいち気にしていたら務まらないのが長距離偵察部隊で、響は並みの艦娘が逃げ出したいと思うようなその海域を、警戒しながら進んでいた。

 

「……このルートで合ってるといいんだけど」

 双眼鏡を片手に周辺を警戒していた夕雲型の艦娘が呟く。

 海図を引っ張りながらルートを選定していた旗艦の軽巡は、困ったような声を上げた。

「予想よりも“行けそうな”ルートを選んだつもりだけど……静か過ぎるわね」

 その言葉に、併走して警戒していた響は少しの緊迫感を憶えた。

「静かすぎるのは、良くない」

「私もそう言おうと思っていた所」

 響の言葉に、暁が続ける。

「上手く行き過ぎてる」

 

 この任務において平穏無事という事は、まず無い。

 いつも、何かしらの敵と遭遇し生傷を増やして帰還するのが常な仕事だ。それなのに、このルートを選択してから駆逐艦の1隻とも遭遇はしていなかった。

 軽巡がレーダーの画面に目を光らせる。

 いつもなら軽口の応酬が続いていたが、いつしか全員が押し黙り、周囲の警戒を続けている様子だった。

 

「レーダーに感あり、距離180、方位は――」

 レーダーの画面に視線を落としていた軽巡の艦娘が、顔を上げた瞬間。水柱が針路上に立ち昇った。

 ――接敵か、いや、まだこちらも確認していない筈なのに。

「散開ッ!」

 そう響が考えた瞬間。軽巡は大声を上げて散開を指示する。その瞬間、6隻は一糸乱れぬ状態で散開する。遠距離からの砲撃を受けた際に行う基本行動だった。訓練と場数が物を言う。

 遠くから砲撃の炎が光り、砲弾が空気を切り裂く飛翔音が響き渡る。

 戦艦クラス……または「姫」クラスと称される最脅威目標からの砲撃だと響が知った瞬間、恐れていた事態が起こる。

 響の反対側へ散開していた艦娘が、水柱に飲み込まれた。

 その瞬間、爆発と炎が上がり、水しぶきが離れようとしていた響に張り付いた。水滴が海面に降りかかる中、ぼとぼとと金属の破片――特型駆逐艦の艤装だった物が降り注ぐ。

 それに混じって、水面に落ちていく制服の切れ端が視界に映ったが、響はそれを深追いしないようにした。

 “それ”は布だけではなかった。

 

 そして、砲弾が飛んで来た方向を見て響の背筋に冷たい物が走った。

 そこは、先ほどまで自分たちが通過していた地点であった。

アンブッシュ(待ち伏せ)だ!」

 アドレナリンが迸る絶叫に近い声が無線越しに響き渡る。

 完全な待ち伏せだった。偵察部隊は魔女の大鍋へと放り込まれていた。

「撤退します!私について来て!!」

 軽巡の頼り甲斐ある言葉に、残りの艦が呼応しようとするが、飛び交う砲撃の嵐がそれを妨害する。

 深海棲艦の航空機がいないのがせめてもの救いか、響にはそんな事を考える余裕があった。もっとも、それは一時的な物だ。脳裏の片隅に追いやった僚艦の戦死という事実だけは消える事は無い。

 頑張って旗艦へ付いていこうと、応戦をしていた夕雲型が踵を返そうとした瞬間、飛翔してきた砲弾が彼女の身体で爆ぜた。爆発と共に艤装の破片が撒き散らされるが、直撃を免れたのか水煙の向こうにあったシルエットは人の姿をまだ保っていた。

 だが、それも2発目の直撃で粉々に打ち砕かれた。

 

「戦死2名、まずいぞこれは」

 感傷に浸る間もない切羽詰った陽炎型の言葉に、軽巡は少しの間、沈黙した。

「響、こっちへ!」

 言われるがまま、響はスピードを上げながら軽巡の横につける。無線も必要ない程に距離を詰めると、軽巡は手に持った海図と偵察データを投げ渡す。響はそれを受け取った。

「頼んだわ、響なら突破出来る」

 そう言われ、響は黙って頷いた。

 

 軽巡は陽炎型へと指示を飛ばす。

「暁と響を援護するわ、私に付いてきて!」

 そんな無茶な、と彼女は声を上げるが、軽巡は覚悟を決めた顔を浮かべて話しかける。

「水雷屋の端くれなら――」

「――当たって砕けろ」

 わかってるわね?という軽巡の言葉に陽炎型は頷いた。

 彼女も駆逐艦娘として覚悟を決めた様子だった。2人は、暁と響とは逆の方向……今まさに追撃せんとする深海棲艦の大部隊へと針路を変える。敵の砲火を引き付けながら、時間を稼ぐため進んでいく。

 

「響ッ!」

 暁が声を上げる。

 私についてこい、そう語りかけるような力強い眼差しを向けられた響は頷いた。主機が唸り声を上げ、派手に海水を巻き上げながら2人の特型駆逐艦はぴったりとくっ付くように接近すると、速度を上げた。

 自分たちがどこを走っているかは大体の見当がついていたが、その先が包囲を脱出し友軍の確保する前線へ戻る出口なのか、それともすり潰され、水面に飲み込まれていく地獄への入り口なのかは知る良しも無い。

 海面から姿を現し、咆哮を上げて襲い掛かろうとするイ級を主砲で牽制し、蹴散らしながら2人は後ろも振り返らず進み続ける。

 速く。

 ただ速く。

 

 殿軍を勤めた友軍の砲声もいつしか途絶え、深海棲艦の砲声だけが響く中、2人はただ全速で走り続けた。

「思い出すよ」

 響は手に持った連装砲から空になった弾倉を引き抜いて投げ捨てる。

「レイテ湾もこうだった」

 落ちた空の弾倉が沈むよりも速く、新しい弾倉を連装砲に押し込みながら響は冷静に呟く。

「縁起の悪い事を言わないで、あれよりはマシでしょ?」

 暁が海面を蹴って飛び跳ねたイ級を空中で撃ち落す。連装砲の一撃で頭部を消し飛ばされたイ級が、暁の頭上を飛び越えて海面に激突する。

 豪雨のように降り注ぐ砲弾が水柱を何本も海面に作りあげる中、響は海面を踊り子のように舞いながら後ろを振り向く。速度を上げて追いかける深海棲艦の重巡と雷巡を見ながら、響は魚雷をすべて発射した。

 海面に吸い込まれた魚雷が、扇形に広がる。2本は外れたが、残りは命中し水柱と爆炎を上げる。

「魚雷はカンバンだよ、脱出まで持つかな?」

 すぐさま前に向き直ると、響は報告した。

「大丈夫よ、私ならまだ――」

 

 何かを言おうとした暁が、不意にある方向を向く。

 それに気が付いた瞬間、飛んで来た深海棲艦の小口径砲弾が鈍い金属音を立てて暁の艤装に命中する。その瞬間、主機から黒煙が上がり、暁はがくりと速度を落としていく。

 響は声を上げ、落伍しかけた暁の手を掴んだ。

 暁が驚きで眼を見開いたのは一瞬で、煙突から黒煙と炎が盛大に噴き出したのと、速度が目に見えて落ちていくのを見て、嫌に冷静な顔へと戻った。

 ――ダメだ。

 響が叫ぼうとした瞬間、暁は響の顔を見て微笑んだ。

「放して」

 懇願するような、泣き喚く子供を諭すような声だった。

 戦闘の音にかき消されるような小さな声は、何故か響の耳にはっきりと飛び込んで来た。

 

「ダメだ」

 ぐい、と力を入れて響は暁の手を引っ張ろうとする。

「お姉ちゃんの言う事が聞けないの?」

「1ヶ月生まれたのが早いだけで?」

 軽口が出たが、ばらばらと大雨のように水柱で巻き上げられた海水が前身を打つたびに響は焦った。辺りを見回すと、大量の深海棲艦が彼女たちを包囲せんとしていた。

 どうすればいい、と響は自分に問いかける。艦娘としての人生で、ここまでの窮地は無かった。

 余裕の無さが沈黙を生み始める。包囲の穴はどこか、彼女を引っ張り続ける事で速度はどれほど落ちるか、残弾は、深海棲艦の数は。

 そんな事を考えている内に、響は残酷な結論へと辿り着こうとしていた。暁がすぐに出した結論に。

「鈴音ちゃん」

 暁は、響の“名前”を呼んだ。

 

「先に待ってるから。走り続けて、何があっても」

 暁は連装砲を構えると、水面にその砲口を向ける。

「ダメだ!」

 響が大声を上げる。暁は、ニッコリと笑った。

 暁が連装砲のトリガーに指を掛けた。

「最後くらい、お姉ちゃんでいさせて」

 

 爆発音。

 水しぶきが上がり、その衝撃で響の手は暁の腕から剥がれた。

 速度を落とし、徐々に距離が離れていく中で響は必死に手を伸ばして暁に触れようとするが、腕は虚空を掴むばかりで彼女を捕える事は出来ない。響は速度を落として、彼女を再度掴もうとするが、近寄よろうとする響を拒むかのように連装砲が向けられた。

 暁は笑って、手を振ってから踵を返して、追撃してくる深海棲艦へと向き直る。

 機関が故障し、小さな爆発が起こる中、暁はその連装砲を振りかざして叫ぶ。

 空気を震わせる声――悲鳴ではない、荒々しい戦士のような叫び声が、響の耳へと突き刺さる。正視する事が出来ず、響は前を向いて全速力で海を走り続けた。

 

 砲声と爆発音が響の背中に反響するが、やがて、それは遠く離れるに連れて小さくなり、消えた。

 

 響が傷一つなく戻ってきた事は、驚愕と共に迎えられた。

 舞鶴の艦隊にとっては忘れられない一日であった。長距離偵察部隊の一人だけの帰還。全滅で終わらなかった事に艦娘たち、そして指揮官たちは驚いたが、響の報告が上がるに連れて、それは奇跡とは程遠い、犠牲の上に築いた結果だと誰もが知る事になった。

 

 大規模作戦の終了が上層部から伝えられ、ここトラックの前線基地ではひとまずの平穏が続いていた。

 あの出撃から2週間が立ち、深海棲艦の主力部隊を撃退した事で勝利に沸き立つ部隊も多かったが、手痛い犠牲を払った舞鶴の海外派遣艦隊は、どこか厳粛とした雰囲気に包まれていた。

 彼女たちは、内地での通常任務へ戻るため、トラックを後にした。

 

 

 

 

 舞鶴基地の宿舎屋上で、響はベンチに座りながら空を見ていた。

 屋上まで上がってきた瑞鶴は、晴れ渡った秋の青空を見ながら、響の下へと歩み寄った。

「ねえ、響」

 瑞鶴は響の名前を呼ぶ。

 反応は無かった。ただ、黙って虚空を見つめながら、長々と灰を蓄えたままの煙草を手に持ち続ける。煙草の煙だけが、風に揺られていた。

「響」

 もう一度瑞鶴は名前を呼ぶ。

 ようやく、響は目だけ動かして瑞鶴を見た。

「……どうしたんだい?」

 響は静かに尋ねた。瑞鶴は溜息を吐きながらも、響の隣に座った。

「どうしたもこうも無いでしょ」

 元気ないじゃない、と瑞鶴は続けようとするが、言葉が出なかった。

 あの出撃で何が起こったかは、報告書を読んだ瑞鶴には手に取るように解っていた。彼女にとって触れてはいけない部分に踏み込むのではないか、そんな怖さを感じてしまう。

 

 前線での任務を終えて帰国してから3ヶ月、彼女は一変してしまった。

 仕事はこなし続けていて、艦娘として海の上にいる事もあれば事務仕事をする事もある。後輩への指導も行っているし、完璧な仕事と言える。ただ、仕事中であってもプライベートの時間であっても、彼女はまるで抜け殻のように生きていた。

 会話は必要最低限。呼びかけても反応が無い時もあれば、丸一日ベッドから出てこない時もある。かと思えば明らかに溺れるように酒をあおる事もあり、酒に強い彼女が潰れる日も時おり見かけた。

 まるでロボットのように、ただ艦娘として生きているだけの彼女を見て周囲も避けているように思えた。本来であれば響とよくつるんでいる付き合いの長いベテランの艦娘たちがいたが、その艦娘は、あの太平洋の水面へ消えて二度と帰ってこなかった。

 他の艦娘たちも、響の階級と立場を考えて話かける事が中々出来ず、彼女へ積極的に接しようとする付き合いの長い艦娘と言えば瑞鶴ただ1人となっていた。

 

 2人の間に沈黙が続く間、響は煙草の火を消すと、また新しい煙草を手にって口に銜えた。

 慣れた手つきでライターを手に取るが、オイルが切れているのか、火花だけが散るだけで、フリントを削るジャリジャリとした音だけが響き渡った。

 見かねた瑞鶴が、ポケットから安物の電子ライターを取り出す。

「ほら」

「ん」

 短く返事をすると、響は瑞鶴にようやく煙草に火をつけて貰った。

 紫煙をふぅ、と吐きながら、響はまた押し黙った。

 瑞鶴は、ベンチに置かれた響の手にそっと手の平を重ねる。響はそれを拒絶せず、不意にぐっと握り返した。冷えた響の指は、微かに震えていた。

 沈黙と時間だけが流れる中、瑞鶴はただ、彼女が元通りになる事を心の中で祈る他なかった。

 

 

 

 

 翌週の舞鶴基地は忙しかった。

 午前中に大規模演習があり、それぞれの部隊が出払っていたこの日は膨大な事務作業が残っていた。瑞鶴もまた、基地のオフィスで上官である最近来た艦娘――陸奥と遅くまで書類仕事に追われていた。

 艤装転換を終えたばかりで「陸奥」としての日は浅かったものの、瑞鶴にとっては歳が近く親しみ易い雰囲気の新しい上官で、実際に1ヶ月前の赴任とは言え、気さくにあだ名や本名で呼ぶほどの仲になっていた。

 

「ねえデラ(奥寺)さん」

「何?」

 書類を整理していた陸奥に、瑞鶴は話かけた。

「響の事なんだけど」

「ああ、あの子ね。大方、言いたい事は解るわ」

 陸奥は渋い顔を浮かべながら書類を整理する手を止めた。

「どう接していいかわからない、って話でしょ?」

「そうだけど……」

 どうしていいのかわからない、という瑞鶴の言葉に陸奥は唸った。それから少しの間を置いて答える。

「あの子は多分、心の整理が追い付いてないんだと思う」

「心の整理?」

「そう。響が前線から戻った後、前任の隊長は響をいつもの任務につかせたでしょ?精神的なショックにならないように、敢えて仕事を与え続ける事で気を紛らわせる為だったんじゃないか、って思うのよ」

 そうすれば向き合える余裕がそのうち出来てくるから、と陸奥は続けた。

「でも、あの子の場合は様子が違う。亡くなったのは家族以上に親しかった戦友だって聞いてるし、後の4人だって、響とは公私で付き合いもあったという話は聞いているわ。トラックに帰還したあの日から、あの子は“壊れて”しまったんじゃないかと思うの」

 その話に、瑞鶴は思わず怖くなった。

「私だって、僚艦全員を一気に失うなんて事は無かった。まして、あの部隊で戦死した暁は一番付き合いが長かったらしいから、心の傷も治りづらいと思う。もしくは、もう一生治らないかも……」

「……そんな」

 瑞鶴は言葉に詰まった。

「私だって、大切な後輩が死んだなんて聞いたら立ち直れない」

 陸奥はデスクに飾った写真に視線を移す、そこには鈴谷だった頃の彼女と、艦娘ではない少女が笑って写っている。

 だからこそ、私は現場に居続けなきゃいけないんだけど、と陸奥は続ける。

「でも、艦娘となった以上は事実と向き合わないといけない。艦娘になるという覚悟はそういう事よ。これ以上酷くなるようなら、一度横須賀のリハビリセンターにでも連れて行くしか……」

 机の上に置いたコーヒーに陸奥が手を伸ばした瞬間、部屋のドアを荒々しく叩く音が聞こえた。

 

 勢い良くドアを開けたのは、彼女の部下の駆逐艦だった。

 走ってきたのか、ぜえぜえと息を切らしながら、その駆逐艦は部屋の中に上官がいた事に安堵した。ただ、それは一瞬ですぐさま不安な表情へと戻る。

 いきなりの出来事に陸奥は目を丸くするが、すぐに「どうかしたの?」と声をかけた。

「響が……響がいません!外出したきり戻ってこなくて」

「基地の外まで買い物にでも出かけたんじゃない?」

 陸奥が「何を大袈裟な」と言わんばかりの声で返すが、不意に書類を纏めている手が止まった。彼女の怯える声と状況から、ある可能性が脳裏へ浮かんでいた。

「……いつから?」

「夕方です、1700くらいから」

 陸奥は反射的に時計を見る。時刻は既に夜の2100だ。

「響と連絡は?」

「ダメです、携帯電話も、仕事用の携帯も置きっぱなしです。それから……」

 彼女は震える手で、一枚の紙を差し出した。

「これが響の机の上に」

 陸奥は急いで席を立つと、彼女の手から紙を受け取った。数行だけ読み終えた所で、陸奥の顔はたちまち青醒めた。その顔は一瞬で、報告に来た彼女にすぐさま向き直る。

「基地司令へ報告は?」

「まだです」

「今すぐ!私は待機中の部隊を呼び出すわ、復唱しなくていい、早く!」

 陸奥の言葉に、彼女は「はい!」と答えると部屋を走って後にした。

 何事か、と事態を見守っていた瑞鶴だったが、デスクに置かれた電話の受話器を掴み、すぐさま内線を繋ごうとしていた陸奥が瑞鶴にその紙を手渡した。

「何があったの?」

 まだ状況をよく掴めていない瑞鶴だったが、手渡された紙を見て瑞鶴は全てを理解した。

 響のたどたどしい筆跡と、それに踊る文字達。

 

 それは自殺を仄めかす内容の遺書だった。

 

「あの子、死ぬつもりよ。もしかしたら、もう遅いかも」

 陸奥の言葉に、瑞鶴の全身から血の気が引いた。

 

 

 

 

 真夜中の日本海を眺めながら、響は砂浜に腰を下ろしていた。

 秋の肌寒さを感じながらも、煙草の火と、後ろの道路の街灯だけがぼんやりと輪郭を照らす闇の中で、響はカウントダウンを始めていた。この煙草を吸い終わったら、すべてを終わらせる予定だった。

 

 響は簡単な遺書を書き、自室の机の上へと置いていた。止められるのも嫌だったので、自分の携帯も、仕事用の携帯も置きっ放しにしてきた。

 それから、適当な理由をつけて夕方に基地をそっと抜け出した。タクシーを拾い、人気の無い浜を選んで降りてから、そこで暫く物思いにふけった。幸い、誰も来る事は無かった。

 

 艦娘になった時の事。

 艦娘として忙しく駆け回り、世界中を旅した事。

 激しい戦闘の中で色々な出会いと別れがあった事。

 同僚と恋仲になって、結局別れて、また再会した事。

 大切な仲間たちが、全員太平洋に散った事。

 目の前で親友が死んでいった事。

 自分だけ、そこで生き残ってしまった事。

 

 煙草を一本、また一本と吸い終えるたびに思い出を振り返り、最後の一本を消費した。

 フィルターのギリギリまで吸い終えた煙草を捨て、全て吸い終えて空になった箱を脇へと置く。

 時間だった。

 

 艦娘の自殺はニュースになる。響も、恐らく新聞の片隅に名前が載るだろうし、親族にも悲しい報せが届くだろう。死を嘆く同僚もいるかもしれない。

 今この時間、もしかしたら響が基地に戻らない事に不安を感じている同僚や、遺書を見つけて必死に響を探そうとかけずり回っている同僚もいるかもしれない。

 でも、それは結局、いつか時間の流れに忘れ去られるだろう。ニュースは記憶になり、記憶は記録になり、いずれ埃を被り、古い遺跡のように埋もれ、やがて風化する。

 遺書をもう少し丁寧に書いておきたかった事を悔いたが、響は気にしない事にした。

 どうせ死ねば気にしなくていい。

 

 艤装を付けてなければ、海に浮く事はない。浮く者もごく稀にいるが、響は前者だ。

 打ち寄せる波が、裸足のつま先に触れる。冷たい感触を感じながら、響はただただ、暗闇に溶けた水平線の向こうへ行きたかった。

 ――そこで彼女に会えるだろうか?

 くるぶしまで波に漬かりながら、響はそのまま歩き続けようとする。

 

「随分季節外れの海水浴ね」

 不意に後ろから、声を掛けられる。

 響は振り向こうともしなかった。振り向いて確認するまでもない。

 足を止めて、その声の主に尋ねる。

「邪魔をしないで欲しいな、瑞鶴」

 後ろに立っているであろう正規空母に刺々しい言葉を投げかける。

 どうしてここがわかったんだい?と響は尋ねるが、瑞鶴は空を指差して「夜偵を飛ばした」と答えた。

「舞鶴から海の底にでも転属するつもり?深海棲艦になって帰ってきたら許さないわよ」

「笑いに来たのかい?それなら他所の奴を当たってくれないか」

 ポケットからスキットルを取り出し、中身をくいっと煽ってから、響は険悪な声色で瑞鶴の言葉に返した。

「笑いに来たんじゃないわ、止めに来たのよ」

「ならお断りだね」

 響は即答した。

 一歩、二歩と足を進める。冷たい海水が、ふくらはぎまで触れていく。

「……私の旅はもう終わったんだ、放っておいてくれ」

「馬鹿じゃないの」

 瑞鶴の静かな言葉を聞いて、響は足を止める。

 

 沈黙が流れる。

 打ち寄せる波の音と、髪を揺らす風の音だけが2人の間に響いた。

 沈黙を破るように、瑞鶴は口を開いた。

「何で、あんたが死ぬ必要があるのよ」

 瑞鶴の声は震えていた。

「また私を置いて、どこへ行くつもりなの?ねえ」

 響はすぐに答えなかった。

「彼女の所へ行けると思うから」

「行ってどうするつもりなの?“私は自ら命を絶って全てを投げ出して会いに来ました”って頭下げて言うつもり?」

 うるさい、そう言おうとした響だったが言葉は出てこない。

 お節介だと思う言葉が、今は不思議と懐かしく聞こえる。

「あの子は死んだ、でもあんたは生き残った。あの子にとって、響が生き残る事は本望だったに違いないわ」

 瑞鶴は、喉の奥から搾り取るようなか細い声になりながらも、続けた。

「だから、お願い」

 震えはじめた声は、今にも途切れて消えてしまいそうだった。

「もうやめて」

 

 ――足を進めたい。

 ――この冷たい海に、溶けるように消えていきたい。

 そんな気持ちが、瑞鶴の言葉にかき消されていくような、そんな気がしていた。

 

 響は口元を僅かに釣って微笑んだ。

 自嘲ともつかないそれは、寂しげな笑みへと変わった。響はスキットルをポケットへ仕舞い込みながら、振り返って瑞鶴を見た。

 瑞鶴は、今にも泣き崩れそうな顔をしていた。

 

 

 引きずられるように浜から連れ出された響は、そのまま道路へと戻った。

 急いで停めてきたであろう瑞鶴の車と、同僚の陸奥の車が車道の脇に停められていた。不安な表情を浮かべていた陸奥の顔が、響を連れてきた瑞鶴を見て安堵の表情へと変わった。陸奥はすぐさま携帯を取り出して上官に電話を掛ける。この騒ぎの顛末は基地司令にも届けられるだろう。戻れば大騒ぎに違いない。

 なるべく大事にしてほしくないな、とふてぶてしく思っていた響だったが、すぐに瑞鶴に引っ張られ、車の助手席へ手荒に押し込められた。

 さっきとは打って変わり、腹を立てている様子の瑞鶴は、運転席に座るなりご丁寧にドアへチャイルドロックまでかけると、窓から顔を出して「デラさん、この馬鹿送ってくる!」と叫ぶなりエンジンを回して急いで車を発進させた。

 

 基地までの道のりを走らせながら、気まずい沈黙が流れる。

 しばらくしてから、沈黙に耐えかねた瑞鶴が口を開き始めた。

「死ねば、あたしへの良いトラウマにもなるって思ってたでしょ。絶対忘れないだろうって」

「まあね」

 響は淡々と返した。

「元カノに一生消えない傷を残したいとか、あんたって本当にサイテーね。それとも」

 瑞鶴は溜息を吐きながらも続けた。

「“覚えていてほしかった”から?」

「……うん」

 響の返事に、瑞鶴は一際深い溜息を吐いた。

「忘れるわけないじゃない……ばか」

「だと思った」

 シートに背を埋めながら、響は微かに笑った。

「……ねぇあんた、自分のした事が分かってるでしょうね?非番の連中も呼び出して海からも捜索したし、隊どころか府警まで動員してあんたを探しに駆けずり回ったのよ。この落とし前はキッチリ付けさせて貰うわよ」

 苛立たしげに捲くし立てる瑞鶴を前に、響はげんなりとした顔を浮かべた。

「今さっき死のうとしてた人間相手に容赦ないね」

「当たり前よ」

 瑞鶴の運転する車は基地へと近づいていく。

「あんただって、泣く時は泣くのね」

 瑞鶴にそう言われ、響は頬を指でなぞる。生暖かい体液が、指先に触れた。

 ぼろぼろと、忘れようとしていた感情を思い出して、涙が溢れていた。

 

 

 

 

 分遣隊の自室で写真を眺めていた響は、それからの事を思い返した。

 

 基地司令官は怒ったものの、最終的に響を仕事へと復帰させた。前例の無い騒ぎを起こした割には寛大な処置と言えた。

 それから暫く艦娘として働き続け、艦娘として引退しようと思っていた矢先に山形の基地から呼び声がかかった。それも、響が昔前線で肩を並べて戦った一期生同期の数少ない生き残り、戦艦山城からの直接の命令であった。

 瑞鶴との関係も、今度こそそこで終わる事になった。彼女は、再び前線へと舞い戻る事を決めた。

 別れの朝に「あんたと会う事が無くなって清々する」と虚勢を張った瑞鶴は、結局、彼女と別れる寸前に堪えきれずに泣き出した。

 そんな彼女を見ながら、響は大きく手を振って別れた。

 願わくばまた会える日が来るといい――そうも思ったが、恐らくそれは叶う事はないだろう。 

 新天地の漁港分遣隊の仕事は決して平穏無事と言えるような事も無かった。不穏な空気の中で始まった田舎町の仕事でも、嵐がやって来て、過ぎ去った。

 ただ、今は平和そのものだった。願わくば任期が終わるまで、それか、この分遣隊が必要とされなくなる日まで平和である事を願うしかない。

 

 手に取った写真の彼女は笑っている。隣に座る自分は、今とそれほど変わらない。

 だが、写真に写る彼女は決して歳をとらない。

 記憶になり、思い出となった彼女の事をふと思う。一度は自分から会いに行こうとした、彼女を。

「……もう少し艦娘でいようと思う」

 独り言を口から漏らす。

 寂しげな微笑を浮かべてから、響はその小さな指で写真をなぞる。

「そっちに行くのは遅くなるけど、それぐらいは許してほしいな。まだ、ここにいる後輩の面倒を見なきゃいけないから……」

 そう言うのも無理はない。

 何人かが本隊へ異動となり、近い内に新しい後輩――特型駆逐艦がやってくる。この1人部屋状態の響の自室も、もうじき相部屋になるはずだ。新人が来れば忙しい日がくるだろう。楽しみなのか面倒なのか解らない気分ではあったが、響にとっては恐らく前者だ。

「それに、ここは飯も美味いし仕事も丁度いい。ここにいたら良かったのに」

 

 響はその写真を大事に缶にしまい込む。

 ロッカーへと缶を戻すと、テーブルランプを消して、そのままベッドへ入った。

 昼の疲れが眠気になって押し寄せる中、まどろみの中で響は懐かしい仲間たちに向けて心の中で「おやすみ」を呟き、そのままいつもの明日を迎えるため、眠りに落ちていった。

 




【こぼれ話】
 響が主役の回。概念のまとめで積み上げられた響もといヒビキチャンというミステリアスなキャラの過去を描く、という一作ですが完全に手癖を全開にして書いた回でした。帰省中ほかにやる事がなくひたすらこの回の原稿書いてた思い出。
 響本人から語られる物語ではなく、防人ガールズの各々が持ち寄った「響の噂」を供述していく形でストーリーを作ろうと思ったのですが上手くいかなかったので直感に頼って響の過去を描きました(冒頭はその名残)。この子何者なんですかね。ヒビキチャンヨクワカラナイ。
 元上官の恋人、苛烈を極める戦場、家族より親しかった戦友の喪失、尖った言い回しなど、かなり書いていて冒険した作品でしたが、いつもの作風はあんな感じです。
 あの時、「走り続ける事」を選んだ響が、解隊という「走り終える時」まで何を知って何を得たかは、いつか書いてみたいし、いつか来る地元出身の艦娘との出会いが彼女の心を変えてく話とかも欲しいですね。誰か書いて。
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