「ンー……イチバンチカイノハアノシマカ……ショッパナカラアタリナララクナンダガ……」
海上を滑り、レンが小さな島へと近付く。
この島はこれまでの目撃情報から絞り込んだ、ヲ級が潜伏していると思われる候補の1つ。
どうにかしてヲ級を発見して仲間として引き入れたいレンは、ぼやくように呟いていざ上陸……。
「……ヲッ!」
「ッ!」
しようとした矢先、突如として海中から飛び出した人影が杖のような物を振り下ろしてきた。
レンは咄嗟に右腕で受け止め、力任せに振り払う。
「……ヲ……」
曲者は身体を丸めて宙返りすると、海中から浮上した軽母ヌ級の上に降り立った。
牙の意匠を持つ、ヌ級に似た大きな黒い帽子に、身体を覆う黒い外套。
「……マジデアタッタ……オレノウンモステタモンジャネェナ」
そう、彼女こそレンが探しに来た空母ヲ級その人である。
ヲ級は風切り音を上げてステッキを振り回すと、ヌ級を蹴って再度レンへと打ち込んできた。
「ヲッ!!」
「ウオッ……! マテ! マテッテノ! オレハテキジャネェ! オマエヲツレモドシニキタワケデモ、ケシニキタワケデモネェ!」
尻尾の武装ユニットでステッキを受け、相手の腕を掴んで落ち着かせようとする。
ヲ級はそれを見てしばし考え、押しきろうと全身に込めていた力を弱めると、後方へ飛び退いて再びヌ級の頭へ着地した。
「……怪シイ」
「オマエニイワレタカネェヨ! コノカッコウミテワカルダロ!」
「騙シ討チスル気カモ」
「……ワカッタヨ、コウスリャイインダロ」
レンは尻尾を背中側へと巻いて収納し、両手を上げて戦闘の意思が無い事を伝える。
「オレハマエマデオマエノドウリョウダッタンダゼ。南方棲鬼……オボエテルダロ? アノヤロウノトコニイタ」
そこまで言われてようやくヲ級からも敵意が弱まる。
「……ジャア、ソノ同僚ガナニシニキタノ」
「イロイロアッテ、オレハイマニンゲンドモトイッショニイル。オマエニハオレトイッショニ、ソイツラノテダスケヲシテホシイ」
ヲ級は眉をひそめ、あからさまに嫌そうな顔をする。
「……戦イハ好キジャナイ」
「ワカッテル。ダガ、南方ノヤロウミテェナノガコノサキモフエリャ、イズレセカイヲマキコム……ドロヌマイキダゼ? タガイニアイテヲイッピキノコラズホロボスマデノナ」
「……ソレハ……」
「ソウナリャオマエノイシナンザカンケイネェ……イヤデモマキコマレルゼ?」
元よりこの戦争は深海棲艦からの敵意を切っ掛けとして始まった戦いであり、以来、両者は殺し殺されを繰り返し、相手への対抗策を次々に投入し、そして憎悪を募らせ続けて現在に至っている。
お互いに過激派が数を増やして台頭すれば、大量破壊兵器を投入しての根絶戦争も十分にありうる。
無論そうなれば産業廃棄物や放射能等による自然環境への影響も無視はできず、相手は滅ぼしたが周りは死の世界と化していた……なんて事も考えられるだろう。
「ソウナルマエニ、セメテカゲキナヤツダケデモツブサナキャナラネェ。トリカエシノツカナクナルマエニナ。……ソレニヨ」
レンは空を見上げ、憎い南方棲鬼の姿を思い起こす。
「南方ノヤロウガドンナヤツカ……オマエモシッテルダロ? ジブンタチ『オニ』ヤ『ヒメ』イガイノイノチナンザゴミドウゼンサ。テキニモミカタニモ、ヒツヨウノナイギセイガデルダロウナ。……ドウスル? ホットクカ?」
南方棲鬼はレンの知る深海棲艦の中でも最も残忍にして非情であり、彼女の指揮した作戦は多大な戦果を挙げると同時に、味方の下級艦艇の被害も大きい。
とどのつまり、いくらでも代えの利く駒としか考えておらず、その被害を度外視……時に捨て駒や、攻撃の巻き添えとなる事を初めから想定した戦術を立てるのである。
そんな彼女が方面司令官として重用されているのは、ひたすらに功績が大きいからだ。
大胆かつ冷徹な戦術で重要拠点を陥落させ、逆に敵の攻撃からは死守する。
言ってしまえば、かつて1度は日本の制海圏を奪い、他国との連携を完全に潰したのも彼女による作戦指揮であった。
人類の反撃によって戦線が後退しても、南方棲鬼直轄の日本南西海域はいまだ深海棲艦の支配下にある。
「カイセンイライ、ヤツノサクセンデシンダノハドレダケノカズダロウナ……テキモ、ミカタモダ」
彼女の冷徹さは、ヲ級もよく知っている。
ある時は一個艦隊を遊撃に出し、あえて敵にそれを発見させて殲滅させる事で油断させ、敵基地の場所を探って強襲、陥落を短時間で成し遂げた事もあった。
さらにある遭遇戦では、自軍前衛艦隊と交戦して釘付けになった敵艦隊に対し、苛烈な航空攻撃を行って艦1隻、乗員1人と残さず海の藻屑と変えたのだ。味方諸共に。
「オレタチハツカイステノヘイキダ。ダカラ、センジョウデシヌノハベツニカマワネェ、モトヨリソレガヤクワリダ。ダガヨ……ムイミニシヌノハゴメンダ。オレハイミノアルコトニイノチヲツカイテェ。ソシテオレハ、ニンゲントノコロシアイニハ……アンマリイミヲカンジネェンダヨ」
自我を持ってしばらくは、深海棲艦全体のために戦い続けてきた。
だが、続ければ続けるほどに虚しさが募り、疑問を抱くようになった。
そしてあの時……南方棲鬼によって、単なる情報収集のために自身の部隊が騙され、捨て石にされ、部下の大半が海の藻屑と化したあの戦闘で、その疑問は確信へと変わった。この戦争、そしてその果てに、意味など無いのだと。
「オマエダッテ、ソコニイミヲカンジネェカラダロ? コロシアイニイヤケガサシテニゲタノハ?」
ヲ級はヌ級の上に座り込み、下を向いたまま答えようとしない。
だが、その沈黙こそが彼女の答えなのだとレンは理解している。
「……オレトコイ。ニンゲントオレタチハ、コロシアウダケノカンケイジャネェ。ソレイガイノホウホウデセンソウヲオワラセルンダ。オレタチノテデソレヲミツケル。ココロノアルオマエナラワカルハズダ。……オレハ……アイツラノテキニハナリタクネェ」
レンは水面を静かに歩き、ヲ級へと腕を伸ばし、相手の反応を待った。
「……少シ……考エタイ。……ツイテキテ」
ヲ級はレンの差し出された手は取らずに立ち上がり、ヌ級に乗ったまま島へと移動し始めた。
レンがついていくと、そこは島の大部分を占める林の中の洞窟。
散らかっている手作りの道具、焚き火の燃え跡、蓄えられた食料……明らかな生活の痕跡からヲ級の暮らしぶりがよくわかる。
「住ンデタ、逃ゲテカラココニズット」
「ハァー…………トコロデヨ。サッキカラオモッテタンダガ……オマエ、ミョウニニンゲンノコトバガリュウチョウダナ」
レンのその言葉を受け、ヲ級は立ち止まって振り返り、わずかに微笑んだ。
「……暗イ海ノ中ト血生臭イ戦場シカ知ラナイ私ニトッテ、飛ビ出シタ世界ハ初メテガイッパイダッタ。初メテヤッタ魚釣リ、初メテ食ベタ木ノ実ノ味、初メテ見タ鳥ヤ獣……ソシテ……」
そのままヲ級が向かったのは、洞窟の一番奥……部屋のようになったそこに設けられた、木のベッドで静かな寝息を立てている少女を、ヲ級は優しい眼差しで見下ろした。
「初メテノ……トモダチ」
茶色い髪をした少女を見守るその目は優しく、まず敵へと向けるそれではない。
「ニンゲン……イヤ、カンムスカ」
「ソウ、
そして、レンに向き直ったヲ級の表情は、決意を固めた真剣そのものの色となっていた。
「私ハ白雪ヲ守リタイ。彼女ノ傷ヲ治シテ助ケテクレルノナラ、ソノ恩返シハスル」
「…………ワカッタ、カケアオウ。……トモダチ、カ……」
自分よりもずっとまっすぐに感情を向け、言葉を紡ぐヲ級から強い意志を感じ取り、レンもそれに応えるべく力強く頷く。
そして、この話を
「…………ん………………ヲ級さん……」
「ヲハヨウ、白雪」
目を覚ました白雪に、ヲ級はレンの事を話し、治療受け入れを条件として協力を約束した旨も説明した。
すると白雪は、幼さの残る顔に柔らかい微笑みを浮かべた。
「そうですか……私達以外にも……いたんですね、人や艦娘とわかり合えた深海棲艦が」
「ウン………………私、彼女ト一緒ニモウ1度戦ウヨ。トモダチ……白雪ノ暮ラス世界、ソシテ、コレカラモ私ニタクサンノ新シイ物ヲ見セテクレル世界ヲ、滅ボサセタクナイカラ」
ベッドの端に置かれたヲ級の白い手を、白雪の伸ばした手が握る。
「……人に絶望しかけた私ですが……その話を聞いてもう1度信じたくなりました。……私も一緒に戦います。友達は助け合うものなんですよ、ヲ級さん」
「…………ウン。頼リニシテル」
2人は笑い合う。
やがて再びやって来たレンと衛生兵によって白雪は鹿屋基地へと搬送され、当面傷の治療に努める事となった。
「白雪ヲ助ケテクレテアリガトウ、浅井司令」
ヲ級が大きな帽子を脱いで浅井に頭を下げる。
「よしてくれ。傷付いた艦娘を見捨てられるほど外道なつもりは無いってだけさ。それに礼を言いたいのはこっちだ。君とヌ級達の協力を得られて百人力だよ」
「しかし……」
と、眉をひそめた
「白雪さんを見殺しにしたという基地司令……岩川基地の
「ああ……件の基地司令だ。どうやらクロかな、これは」
「……はぁ……信じたくないもんだったが……残念だな。神通、岩川基地を探れ。……動くぞ」
「了解しました。……いよいよ始まってしまうのですね……ある意味では深海棲艦との戦闘よりも過酷な戦いが」
「ああ、見て見ぬフリはできない。艦娘に命令する立場の俺が言うのもおかしいが……あんな子をむざむざ死地に向かわせるような腐った奴は許しておけない」
それはむしろ、同じ艦娘の上に立つ者としての怒りだろう。
これまでいくつかの戦場を転々とし、様々な艦娘と出会った浅井だが、どこまでも健気で一生懸命な彼女達を死なせたくないがため、自分にできるだけの事を全力でやり遂げてきた。
だというのに件の男は……。
「……救うぞ。奴に利用されている者、搾取されている者、虐げられている者……その全てを」
「……はい。この神通、それがどのような苦行の道であろうとも、どこまでもお供いたします」
浅井の怒りに震える手を、神通の両手が優しく包み込んだ。
違う種族同士の友情は燃えると個人的に思ってるのです。
そしたらこんな事になっちまったのです。