これはずっと前から考えてました。
──なんで、お前が生きているんだ。
これは、誰に言われたのだったか。
──なんでお前が生きて、あいつが死ななければならなかったんだ。
──お前はもう、十分に生きただろう。柱になって、名誉を得て。
槇寿郎……いや、違う。
──あいつは何も得られなかった。何も為せないまま、死んでいった。
──あまりにも短い人生だ。
──何故助けてやれなかった。何故。
──お前のその力は、万人を救うものだろう。
家族、仲間、恋人。
──何故、お前だけがのうのうと老いさらばえている。
うん、ごめん。
──お前の周りで何人死んだ。
ごめんな。ごめん。
──お前が代わりに死ねばよかったのに。
悪い、それだけはできない。
私には、まだやるべきことがある。
──救えないお前に、何ができる。
怨嗟の声に背を向けて、光の方へと向かう。
──老いぼれが1人戻って何になる。
いないよりはましさ。
──また無駄な40年を繰り返すつもりか。
そうなったらまた40年頑張るだけだ。
──どうせ、皆死ぬんだ。何をしたって無駄なんだ。
うるせえ、そろそろ黙れ。
呼吸をする。
波紋の呼吸。
淡い光が、身体を包む。
もう、声はしなかった。
***
ゆっくりと、重い瞼をこじ開ける。
見覚えのある天井。蝶屋敷か。
あれからどれ程経ったのだろう。上弦の参は?杏寿郎は?
次々と湧き上がる疑問を一旦無視して、全身の血流に意識を集中させる。
内臓……は、既にある程度治癒が進んでいる。
肺も問題ない。呼吸に支障はない。
次に四肢──こちらは少し傷が深いな。
神経にまで達していないのは運が良かった。
機能が回復さえすれば、また動かせる。
──と、ここまで思考して、手を包む温度に気が付いた。
分厚い包帯に包まれてて感覚が鈍いが、覚えのある人肌。
「──あ゛、」
わか、と呼ぼうとして、痛みと共に酷い声が喉から漏れる。
そうか、
「おはよう、汐。生き延びてくれて何よりだ」
無理に話さなくていい、と、いつもの柔和な微笑み。
ずっと看ていてくださったのだろうか。
バサバサ、と何かが派手に落ちる音。
同じ部屋にいた──ええと、確かきよちゃん、が、落とした包帯の束をそのままに、大慌てで飛び出していくのを見送る。
程なくして、なほちゃんとすみちゃん、アオイちゃんを連れて戻って来た。
4人とも、目に大粒の涙が浮かんでいる。
「綾鼓さ゛ん゛~!」
「よかったです~!」
「もう目が覚めないかもと思って~!」
「よかった~!本当によかった~!」
私の服やベッドのシーツにしがみついて、泣きじゃくる4人。
「し゛ん゛……」
おっと、この声じゃまずいな。
少し待ってて、と手で制した後、それをそのまま、首元に添える。
意識を集中。
陸の型・琥珀で、今生み出せる波紋を、ありったけ喉に注ぎ込んだ。
あ、あ、と少しだけ発声練習をして。
「──心配かけて悪かったな。看病してくれてありがとう」
滑らかに出てきてくれた声を聞いて、尚のこと号泣する4人を全員まとめて抱きしめる。
背中を撫でさすりながら、
***
「──そうか、上弦の参は取り逃がしたか」
するすると、包帯を解く真菰から、気絶した後の状況を聞く。
随分と手馴れている。この1か月間で何回この作業をしたのだろうか。
申し訳なさに、胸がいっぱいになる。
「……綾鼓さん、その顔はやめてください」
厳しい声が、傍らに座っていた錆兎から飛んできた。
「貴女が生きていてくれたことに、目を覚ましてくれたことに喜びこそすれ、上弦の参を討てなかったことを責める者などいません。そんな奴がいたら、俺自ら鍛え直してやります」
「……ありがとうな、錆兎」
あまりにも強く、優しい言葉に、泣きそうになりながら、笑う。
「ちょっと錆兎、そんな言い方したら逆効果だよ。この人、何も考えていないように見えて結構気にしいなんだから」
「先んじてこうでも言っておかないと、延々自己嫌悪で塞ぎこむだろう。どっちがより面倒臭くないか、という話だ」
「私のことをよく理解していただけているようで何より」
互いにふんすと胸を張って言う姿に成長を感じつつも、そんな風に思われている──そして、間違っていない──ことに若干ショックを覚えつつ、笑みを乾いたものに切り替える。
こいつら、私の性格分析に微塵も疑いを持ってねえ。
左近次め、この子たちを本当にまっすぐ育てたな。
「……痕、残っちゃいましたね」
包帯を解き終えた真菰が、それを纏めながら、呟いた。
「ん?ああ──こればっかりは仕方ないさ。寧ろ、これくらいで済んで万々歳、ってところだぜ」
久方ぶりに外気に晒された両腕を持ち上げ、仰ぎ見る。
喉が快復してから、再びの陸の型・琥珀で全身を治療した。
幸いにして後遺症等は無く、全快できたが──自然治癒が進んでいた皮膚には、そのまま、痣のような傷跡が残った。
指先から二の腕まで走るそれは、
この調子だと、まだ包帯を外していない両脚も、同様のことになっているだろう。
「まあ、ちょっと見苦しいものではあるが、この程度なら籠手の装備を着ければ隠せる。問題は無いだろう」
握り開きを繰り返して、動作に違和感がないことを確認しつつ、言う。
「……そうやって、自分の身をないがしろにするところは、本当によくないですよ」
「まったくだ。元々そういうきらいはあったが──今回ばかりは、本当にいただけない」
……あ、まずい。
そう思った時には既に遅く。
懇々と、ベッドの両側から2人に挟まれる形で始まるお説教。
曰く、自分諸共焼くなんて何を考えているのか。
曰く、あの場には何人も隊士がいたのに、何故1人で相手取るなんてことをしたのか。
曰く、いくら快復が常人より早いとは言え、やっていいことと悪いことがある。
曰く、曰く、曰く──。
無限に湧いてくるのではないかと思う程の言葉の数々を、肩をすぼめた状態で甘んじて受け入れる。
水の呼吸一門、こういうところは本当に容赦ない。
川のように淀みなく、交互に静かに正論を突きつけてきやがる。
途中でしのぶが様子を見に来て、やっと解放される──と、思ったが。
「丁度良かった。私も綾鼓さんに言いたいことが山ほどあるんですよ」
はい、ごめんなさい。
***
ぺたり、と床に上体を押し付ける。
1か月寝たきりで
波紋法は"呼吸"のリズムに、その全てがある。
"呼吸"さえ整えれば、自然に筋肉もパワーも鍛えられる。それが波紋。
呼吸を維持して、鍛錬と休憩を繰り返しながら、1日を過ごす。
数日経てば、もうすっかり調子を取り戻した。
すぐにでも前線に戻りたいものだが、一向に任務の指令が来ない。
心配してくれて嬉しいなあ、と、休憩時間に目を通す。
皆、私の快復を祝ってくれると同時に、鬼殺への強い意志表示を記している。
やはり、上弦に関する情報が共有されたというのが大きいのだろうか。
何にせよ、やる気があるのはいいことだ。
私も早く復帰して力になりたいんだけどなあ。来ないなあ、指令。
返事の文を珊瑚の足に括り付け、飛ばす。
さて、休憩終わり。鍛錬再開だ。
蝶屋敷の廊下を進み、訓練場へ向かう。
「む」
正面の角から見えた巨躯に、声を漏らす。
岩柱──悲鳴嶼 行冥。
「よっ、行冥。久しぶり。息災か?」
片手を上げて、挨拶。
じゃらりと数珠を鳴らした行冥は、いつものように両の目から涙を流した。
「おお、これは、綾鼓殿……無事、快復なされたようで……何より……南無阿弥陀仏……。見舞いの文も出せず、申し訳ございません……」
「いやいや、真っ先に鴉で見舞いの挨拶をくれたじゃねえか。ありがとうな。
ところで、何で蝶屋敷に?負傷でもしたか?治してやろうか?」
見たところ、怪我などはなさそうだが──と、身体をひと通り眺めたところで、その背後の気配に気づく。
──ん?
「南無……今日は、私の弟子を診ていただくために、参った次第です……ほら、玄弥……挨拶を──」
行冥が身体をずらすことで、その姿が視界に映る。
大きい図体に、刈り上げられた頭。
迫力のある四白眼は、しかしどこを見れば良いのかわからない、とばかりに視線をうろつかせている。
──その全てが、些事だった。
勢いのまま、彼の肩を両手で掴む。
戸惑うような行冥の言葉が聞こえた気がしたが、耳に入らない。
見開き、揺れる互いの瞳がかち合う。
──
まさか、まさか、まさか。
「──行冥、悪い、決めた」
震える唇を叱咤して、無理矢理動かす。
「──こいつ、私の継子にする」
綾鼓 汐
無事復活。やったぜ。
真菰と錆兎に言われたから表面には出してないものの、内心は自己嫌悪でいっぱいいっぱい。
40年かかって
昏睡中の怨嗟の声は、実際に言われたものもあるが、その多くは本人による、自分を責める声。
自覚は無い。
任務がなかなか来ないのはやる気MAX柱たちが凄い勢いで鬼を殺していっているから。
皆頑張ってるなあ。私もいっそう頑張らないと。
珊瑚
綾鼓の鎹鴉。メス。
代々綾鼓を担当している一族の出。珊瑚で5代目。
生まれた時から世話をしてもらっているので、綾鼓は第二の親のような存在。
いずれは自分の子供を産んで、綾鼓に顔を見せてやりたいと思っている。
だから長生きしてほしい。
綾鼓が昏睡している間は、絶えずやって来るお見舞いの手紙や贈り物の運搬のため、ひたすら飛び回っていた。