「なーなー実弥ぃー機嫌直してくれよー」
ずんずんずかずかと先を歩く背中に声をかける。
怒気を孕んだ沈黙が痛い。
羽織に縫われた「殺」の文字が、嫌に存在感を放っている気がした。
こんな態度をとられている心当たりはある。ありすぎる。
炭治郎と禰豆子の裁判の後、直接詰め寄られたもんなあ。
それにちゃんと応えずに自傷行為への説教を優先させてしまったから有耶無耶になって……うぅん、私が悪いなこれ。
こじれないうちに、と今日の合同任務中に弁解しようとしたけどもろくに口を利いてくれなかった。悲しい。
それでも連携はしっかりとれていたし、今も引き離すことなく一定の距離を保ってくれているから、ほんと根はいい子なんだよな。
それはそれとしてこの態度は心に来る。つらい。
「こないだちゃんと話してやれなかったのは謝るからさ。とりあえず会話しようぜ?な?任務も無事に終わったことだし、おいしいおはぎでも食べながら──」
「今日、少しでも鬼に情けをかけるような素振りを見せたら、即座に
2日ぶりに聞く声は、苛立ちと安心感の間で揺れ動いていた。
「……いつも通りだった。鬼の群れを歯牙にもかけず、鎧袖一触に蹴散らしていく様は、俺の知っている"波柱"そのものだった」
「そりゃ、まあ、どうも」
「わからねェ。"悪鬼滅殺"を掲げながら、鬼を信じられる神経が。
「……お前は真面目だなあ」
「はァ?」
ぽろりと零れた言葉に、低めの声が返ってくる。
あ、やっとこっち向いた。
──禰豆子のことがまだ納得できてないんだろう。いつまで経っても考えがまとまらなくて、けれど中途半端に思考放棄することもできないから、堂々巡りに考え続けるしかない。
そんな自分に、苛立っている。
「別に、無理して納得しなくていいんじゃないか?今は若様の意向に従っているだけ。人を襲うものなら即滅殺。そんな奴が柱に1人2人はいていいだろ」
「……認めてほしいんじゃないんですか」
「鬼殺隊に公認されただけで万々歳だからな。個人の心情にまで口出しはできまいよ。それに、お前みたいな──
「…………」
口をへの字にする実弥。
これは怒っているというより、不服な顔だ。
下っ端どもの遠吠えを真に受けなくていい、って言ってくれたのはこいつだったか。
ともかく、苛立ちは収まったようなので、さて改めておはぎ食べに誘おう、と、したところで。
地を揺らす、爆発音。
「────ッ!」
言葉はなく、2人で同時にその方向へ駆け出す。
人気の少ない田舎道から、生い茂る木の群れの中へ。
枝を伝い、木の葉を踏み荒らし、先へ、先へと進む。
ひどい異臭に顔をしかめながら木が途切れた地点で立ち止まった──否、
「……なんだ、こりゃ」
なぎ倒されて転がる木々と、それを灼く赤黒い液体。
ジュウジュウと音を鳴らしながら舞い上がる蒸気が、異臭の源だった。
肉が、血が、焼け付く匂い。
そして、何より。
それらを撒き散らす──巨大な肉塊。
4本足のついた鮟鱇の如き体躯の表面からは、溶岩のような血肉が絶えず溶け落ち、地面を焼いていた。
緩慢な動きに合わせて、木の幹が小枝の如くへし折られていく。
「鬼……かァ?」
「恐らくはな……。この大きさは流石に見たことがないぞ。何で今まで気づかなかったんだ」
現実から目を逸らしたくなる衝動を堪え、こいつの頸を如何にして獲るか、思考を巡らせる。
酸か、はたまた高熱か──どちらにせよ、あの血肉に直接触れるのはまずい。
頸一点を狙うにしても、巨大すぎて日輪刀では刃渡りが足りないだろう。
ならば。
「まずは身体を削る。実弥、あの肉には触れないように──」
直感。
2人同時に、散るように、跳ぶ。
次の瞬間、轟音。
木の群れを押し退けて、その鬼が突進してきた。
先程までとは打って変わった俊敏さで、周囲を蹂躙していく。
奴が通った後には、草の根一本残っていなかった。
「おいおい……」
こんなのが人里に下りたらとんでもないことになるぞ。
この有様になるまでに何人喰ったんだ、こいつ。
再び、緩慢な動きでこちらに向き直る鬼。
鮫や鰐を思わせる鋭い牙が、どろどろに融けた体表の上で、ほぼ唯一前後を判別できる要素だった。
その牙の上部──額にあたる部位が盛り上がり、ばつん、と勢いよく
ぎょろりと辺りを見渡す、巨大な一つ目。
遠目からでもよくわかる──"下弦"の字。
「十二鬼月……!」
実弥の殺気が膨れ上がる。
数字が刻まれていないのが不可解だが──そんなことは些事だ。
何としても、ここで倒す。
「実弥!奴が速いのは直進だけだ!横っ腹から削ぎ落とせ!」
「言われずともォ!」
言うが早いか、緑の刀身が煌めいた。
砂塵を巻き上げ、竜巻の如き鎌鼬が、鬼の太った腹を抉り、貫く。
──風の呼吸、壱の型・塵旋風・削ぎ。
爆ぜるように飛び散った肉片が、草木を焼く。
横一文字に開いた胴体の穴は──しかし、湧き上がる肉液で、すぐさま埋められた。
ちィ、と舌打ちをする実弥に、不定形の足が伸び迫る。
──波紋の呼吸、壱の型・山吹。
手刀を振り下ろし、中腹でそれを焼き切る。
手の側面が焼ける、嫌な音がした。
波紋を流し込んだ足の切断面から、駆け上がるように肉が灰と化していくが──それを上回る速度で増殖する肉が、崩壊を押し流す。
ままならない状況に歯噛みする暇もないうちに、2回目の突進。
動線から外れた木に飛び移り、難を逃れる。
「全く堪えてねぇな。やっぱり狙うのは頸かァ」
「だな。私が
「承知」
端的に応えた実弥が、鬼の前へと躍り出た。
素早い動きで翻弄しながら手足を切り刻み、動きを封じる。
更に上──鬼の背中を見下ろせる高さまで登り、茂る木の葉に手をかざす。
波紋で増幅された生命磁気を流し込み、そのまま地面目掛けて飛び降りた。
──波紋の呼吸、伍の型・
磁場に押し固められた葉は空気を捉え、滑空しながら私の身体を運ぶ。
実弥に縫い付けられている鬼の上、おそらくは後頭部にあたる位置に到達したところで、磁気を解除。
バラバラに解けた葉の群れは、波紋を纏って硬度を増したまま──鬼の頸めがけて降り注ぐ!
無数の刃と化したそれらが肉を削ぎ、貫き、焼く。
ぼろぼろと肉が崩れ落ち、瞬く間に頭部が痩せ細った。
狙うは、葉の雨が止み、増殖再生が開始するまでの、一瞬き。
「──実弥ィ!」
落ちながらの視界に、風が巻き起こった。
──風の呼吸、陸ノ型・黒風烟嵐。
脇構えからの一閃。
数多の鎌鼬を起こしながらのそれは、頸を確実に捉え、刈り取った。
べちゃり、と間抜けな音を立てて地面に広がった頭に続いて、着地。
衝撃に痺れる足腰をそのままに、実弥の方へ向き直ろうとして──気付く。
鬼の身体が、崩れていない。
切断面から肉が湧き流れる様を見て、理解する。
頭部の再生を待たず、膝を沈み込ませる鬼。
三度目の、突進の構えだ。
鬼の正面に立つ実弥の首根っこを引っ掴み、遠ざけると同時に、拳を振るう。
──頸が落ちて、肉の層が薄くなっている今が好機。
多少強引でもいい。このまま中の本体まで波紋を伝える!
腕を振り抜き、切断面に拳を埋める──前に。
視界の端に、鈍い緑が映った。
耳のすぐ傍を鋭い風が通り、矢の如く飛んできた
それを認識した瞬間、拳が向かう先を、強引に曲げた。
肉の向こうから──刀の柄頭へ。
──波紋の呼吸、肆の型・
力任せに殴りつけ、刃が完全に見えなくなるまで、肉の中へと押し込む。
拳から鋼へ。
波紋が、中枢に直接流れ込む音。
鬼は、数瞬その身体を強張らせ──決壊したように、肉を弾けさせた。
肉片の雨に視界を遮られながら、かろうじて目にしたその本体は、しかしそれも人の形をしていなかった。
複数人の四肢が折り重なり、無理やり繋ぎ合わされたような、おぞましい肉塊。
瞬きの後には灰と散っていったその姿に眉をひそめながら、それでも一件落着と、深く息を吐く。
後に残った日輪刀を手に持ち、振り返ると──そこには、鬼よりも鬼らしい形相の、持ち主が。
今日一番の怒気に肌をひりつかせながら、ここから近い茶屋におはぎが置いてあったかと、必死に記憶を辿り始めた。
綾鼓 汐
下弦ってこんなに強かったっけ?肉の芽の暴走か?
どんどん状況が動いてきてるなあ。私も頑張らないと。
この後、咄嗟に庇ったことや特攻じみた攻撃をしようとした件で実弥からお説教返しを食らう。
不死川実弥
最前線で鬼を狩り続ける綾鼓のことは尊敬している。それはそれとして孫みたいな可愛がり方はやめろォ。
戦闘などで言葉が荒くなりがちなので敬語が中途半端。
体術に関しては手合わせの相手がほとんど綾鼓であるため、大なり小なり影響を受けている。戦闘面で相性がいい。
肆の型・銀鼠
『
金属を伝わる波紋疾走。
水分を含む植物等と異なり、直接触れた状態でないと波紋を流せないため、汎用性は低め。
綾鼓に剣才さえあれば、刀に波紋を纏わせる文字通りの「日輪刀」が可能だったが、残念ながらそうはならなかった。
念の為と、小刀や鎖などの金属製品は常備している。
伍の型・萌葱
生命磁気の波紋疾走他、生命体に作用する波紋。
血流操作から転じての自律動作の制限・操作や、波紋を纏わせての遠距離攻撃が可能。
汎用性の高さでは上位に入る。
「下弦」の鬼
下弦の弐、参、肆、陸が融合した結果、鬼舞辻の血による細胞の自己崩壊と鬼の自己再生能力が暴走した姿。
崩れたところから再生し、再生したところから崩れていく。
四人の意識は完全に消滅し、崩壊の痛みと鬼の本能としての飢えしか残っていない。
下弦の解体にあたって、最期の有効活用とばかりに鬼舞辻が作り出した怪物。
鳴女の血鬼術によって綾鼓を狙って送り出されたが、あえなく撃退された。やはり所詮は下弦か。
共闘不可の呪いを解いて四人同時に襲撃させる?なぜ柱もろくに殺せない連中にそこまでしなくてはならない。身の程を弁えろ。