理不尽という言葉が頭を過っていた。
この世界も、私の身体も、歪んでいく存在も、狂っていく人も、すべてが理不尽だ。
抗うように生きる中、心が憔悴していっているのはわかっていた。
この世界に疲れ切っているというのも理解はしていた。
……私と同じような存在である彼女だけは、どこか遠くを見ているかのように、世界のことすら気にしていないような雰囲気だったけれども。
赤い、まるで血のように紅く染まっている空を見上げてはため息をつく。
……最近は、そればっかりだ。
どうしたらもっとうまくいったのか、頑張れたのか、褒めてもらえたのか負担にならなかったのか役立たずと呼ばれなかったのか。様々なことが思い浮かんでしまい、いつだって頭が痛い。
「精一杯頑張る、ということができればきっと幸せ……かもしれませんが……」
私にそんなことができるはずがなかった。
頑張るという気持ちばかりを先行して、過剰に敵を撃退しても、それが当然のことだと認識されれば、頑張ったという評価には繋がらない。この世界で、努力するという行為そのものにどれほどの価値があるかなど誰にもわからないのだ。
逆に、私なりに一生懸命にやったとしても、それが結果に結びつかなければ、それは役立たずの証明となる。戦えないキル姫に存在意義などない。成果を残せない兵器など、利用価値はないという判断で。
そうなれば、私は無能の烙印を押されることになる。兵器として不完全、出来損ないだと。
拠点にしている住居からきついお酒の匂いを感じたことはいくつかあった。葡萄酒の熟成したような匂いではない。もっと、過激で攻撃的な度の強いお酒の匂いだ。その匂いを嗅ぐ度に、心が痛む。
(……元々は、あんな方じゃなかったのに)
私が仕えているマスターは、いい人であったと記憶をしている。今のマスターがいい人だと、言い切るのは……残念なことに、難しい。けれども、優しい人であったのは真実だ。少なくとも私にとっては、恩のある存在なのだから。
マスターは、役立たずで、どうしようもない存在だと協会から烙印を押されていた私を庇い、なんとかキル姫として活動できるようにしてくれた。もしも私がそこでマスターと会うことができなかったならば、私はキル姫として生きることもできないまま、使えない兵器……不良品扱いを受けて、そのまま処分されていただろう。
私は、杖のキル姫、ミストルティンである。だが、そのミストルティンの中でも特に身体的に弱い個体だった。本来のキル姫は力に秀でたもの、技や速さに特化したもの、体力が豊富なもの、強い魔力を持ったもの、平均的に優秀なものと、様々な特色を持っている。小耳に挟んだ話では、『王姫』や『匠姫』などの呼称でマスターには呼ばれているらしい。
しかし、私はその何れかにも分類することのない出来損ないのキル姫だった。生まれつき、ミストルティンの中でも強い能力といったものをもっていなかった。その為、バイブスとの契約を果たされることもなく、役立たずとして廃棄されかけていた。
私のマスターは、そんな私に対して、ある手段を使うことによって活躍の場を与えてくれた。それは、『霊装支配』という力だった。
いつ、どこから伝わった技術かも、この世界のものなのかもわからなかったけれども、それを使えば、私は捨てられることがなくなるということを知った。だから、私はその技術を使い、力を得るきっかけを得た。
そうして、私は『ミストルティン』から『ミストルティン・獣刻・ドリュアス』として生きることになった。
力を得て、外で戦いを繰り返す中で気が付いたのは、私のような存在は珍しくなかったということだった。
霊装支配の力を使わず、戦っているキル姫もいたけれども、私のように霊装支配を利用しているキル姫も何回か見かけた。私と同じ隊に所属している『ピサール』も『ピサール・聖鎖・サマエル』で、霊装支配されている姿だった。私だけが特別、ということはなかったのである。
隊によっては、通常のキル姫よりも攻撃的な性格に『調整』されていたり、命令に従うように乱暴に扱われていたりと、過激な扱いをされていた。敵対していたマスターとの戦いの中で、苦しんでいるキル姫をいくつか見たことがあった。無謀な突撃を要求されて、涙を流しながら攻撃を仕掛けてくるキル姫だってい存在していた。
……私の隊には自由意思はあり、死を前提とした突撃のようなものがなかったのは幸運だったと信じている。……心の傷として焼け付くほど、あの時の、あの瞬間のキル姫の表情が浮かんでくる。悪夢として、襲い掛かってくることだって、何回もあった。
……終わりの見えない戦争ともなると、精神的にも身体的にも憔悴してしまうものだ。それは私を救ったマスターにも、影響を与えていた。
救ってくれた当初は、笑顔があったのを覚えている。頑張ろう、みたいな励ましの言葉があったのも記憶している。……優しいマスターだった。
しかし、繰り返される戦いの中で敗北が重なり、やがて、個人の力ではこの戦争が終わらせることができないという現実を知ると、まるで、その現実から逃げたいという気持ちの表れのように、酒癖が強くなっていった。……そのころだったか。私が「元々は役立たずの癖に」と言われるようになったのは。
お酒の勢いに任せて、様々な感情を吐き出した後は、いつもマスターは謝ってくれた。それだけで私は幸せだった。……見捨てられたわけじゃないとわかるだけでも。
悪いのはこの世界だ。
マスターだけが悪いわけじゃない。
……悪いのは、人を酔わせるお酒だ。現実逃避として人を狂わせる、お酒だ。
だから、私は、お酒を好きになれない。
何回も繰り返し目を逸らして、それでもせめて、やれる限りのことはやっていこうと、決意していた。後悔のないように、私の意思を持って。
しかし、その日々は唐突に幕を閉じることとなった。『希望』を信条に持ったキル姫の到来によって。
熱心に平和の為に努力を重ねている彼女の姿は、私の目から見てもとても眩しかった。
この世界でも疲れ切っていない、まさに希望の象徴のような存在であったと思う。彼女にとって不幸だったのが、私のマスターと遭遇してしまったことだった。
マスターは、もうこの世界を受け入れることを諦めていた。騙し討ちをして、他人を蹴落とし、協力を拒み、奪い、侵略する。そのような思考に囚われていた。
まっすぐすぎる彼女からすると、それは悪い刺激になってしまったのだと思う。まるで、覆すことのできない『絶望』のように。
不意打ちを取る形で攻撃を仕掛け、その結果、彼女との交渉は決裂。これでよかったのかと内心、心配している私に対して、マスターは肩をトンと強く叩いて全部うまくいくと言葉にしていた。……お酒の匂いを漂わせながら。
そして、再び『希望』を信条に持ったキル姫が訪れた。しかし、その様子は依然とは異なっているようにも思えた。
自分の感情を封じ込めるような仮面。それが私には本当の自分を隠しているペルソナのようにも思えた。その姿が、自分にも心当たりがあり、胸が苦しくなった。……私も、私の心を押しつぶしているのではないか。彼女と同じように心に仮面を被らせているのではないか、と。
……仮面を被っていた彼女は、彼女なりの使命を果たすべく、『信念』の名の元、私からすべてを奪い去ってしまった。数少ない戦友も、マスターも居場所もすべて。
……全て、失ってしまった。
かすれた声で、狂ってしまいそうな意識の中で、せめて仇だけでも取りたいと、殺してしまいたいと思い動かした身体も、技も届かず、私は彼女にあっさりと切られてしまった。
……依存する心を持つから弱いと言われながら。
……走馬灯のように頭の中で過去の出来事と今の出来事が繰り返し交差する。
身体が、熱い。焼けるように熱い。身体全体が悲鳴をあげている。
朦朧とした意識の中、手で触れてみると掌が赤い血でいっぱいになった。
(……私は、やっぱり、出来損ないだったのでしょうか)
もう声にもできなかった。
苦しくて、頑張って、それでも未来があると信じて、足掻いても、それでも無理だった。
……この世界は理不尽だ。
(でも、出来損ない私でも、祈ってもいいのならば……)
これだけは祈っておきたかった。
(『希望』と『信念』を持ったあの方が、道をこれ以上踏み外しませんように……)
息の絶えたマスターの手を掴むことはできない。ピサールの手を掴むこともできない。そんな私が思い浮かべた最期であろう言葉は祈りだった。
……皆、殺されたというのにこんな言葉がでてくるのは自分でも不思議だった。
張り詰めた声で『信念』を貫くと言葉にしていた彼女の言葉が響いたのかなんて、自分でもわからない。もうすべてが終わってしまったから、恨む理由が浮かばなかったからかもしれない。私にも、もうわからない。
(依存していたなんて……)
私自身の境遇的にそうするしかなかった。それでもそれ以外に道はあったのかもしれない。
だが、依存していた私の選択が間違えていただけなのかもしれない。間違えていたから切られたのかもしれない。
(……もう、わからない)
意識が途切れていく。
絶望しかない世界。私にできたことはどれだけあったか。私自身の考えは否定されるべきだったか。すべてが、わからない。
ただわかったのは、私の命の鼓動が薄れていくという感覚だけだった。
……嫌になるほど、理不尽な感覚だった。
朦朧とした意識の中、突如大きな音が鳴り響いた。
地面が揺れる音か、それとも別の音か。わからないが、異質な音だったのは間違いない。
大地が揺れている。
空が裂けている。
まるで、世界の景色が変わるような感覚。
……これは、走馬灯の続きなのだろうか。
……なんだとしても変わらない。どの道、私は助からないのだから。
(死こそ、救済……)
一緒に戦っていたピサールの言葉を思い出す。
死に向かう瞬間になって考える、というのも変な話ではある。とはいえ、彼女の言葉には説得力はあったのかもしれない、そう今になって感じる。
(絶望しかない世界の救済は……死、しかない……)
もっと生きたいと思ってしまった自分の不甲斐なさを今更ながら呪いたくなる。
けれども、もう呪うことだってできないだろう。
(……せめて、もっと幸せに、生きてみたかったです)
歪み狂い、それでも赤く染まる空を見つめながら、そんな言葉が頭を過った。
……せめて、私のような存在でも幸せになれる世界があったら、よかったのに。
マスターも、仲間も絶望に心を潰されることのない世界があったら、よかったのに。
一途に幸福を願う。
視界が暗くなっていく。
最期に見えた空は、今までに見たことがないくらい青く広がっていた。