急ぎ、拠点に戻る私とシェーヌ。
買ってきた荷物を倉庫に置き、ピサールがいるという部屋まで足早に進んでいく。
「……無事、なのでしょうか」
自分自身、生きた心地がしなかったから、同じように怪我を負っているであろう彼女の安否が不安だった。
「大丈夫っ。アスクレピオスの治癒にも、いつも助けられてるから絶対平気っ」
私が下を向かないように、シェーヌは背中を押してくれていた。
道中、不安で怖かった私に対しても彼女は何回も大丈夫と繰り返していた。
……信頼関係というものだろう。私も、信用したい。
部屋の目の前に到達する。
緊張で、心臓の鼓動が速くなる。
彼女の容態は良いのだろうか。
……私は、ピサールさんと話すことはできるだろうか。
もし、話せたとしても何を話せばいいのだろうか。
わからなかった。けれども、私はどんなことがあっても受け入れる覚悟を持たないといけないというのは感じていた。
「扉、叩くね」
「……はい」
トントン、とシェーヌが扉を叩く。
私の心の準備はまだ完全にはできていないけれども。向き合わないといけないとは思っていた。
少しの時間を空けて、中で治療を行っていたアスクレピオスが顔を覗かせてきた。
「……怪我の手当ても止血も、万全に行ったわ。意識もちゃんと取り戻したわよ」
「よかったぁ……」
胸をなでおろしたのはシェーヌだった。
私もほっとしていた。
もし、これが最期の出会いだったらと考えるとぞっとする。
……しかし、治療していたアスクレピオスはなんだか何故だか不満そうな顔をしていた。治療のことで文句がいいたい、という雰囲気ではなさそうだけれども、むすっとしている。
「……意識を取り戻したのはいいけれど、その瞬間、唐突に葡萄酒を要求してきたんだけどね」
「ぶ、葡萄酒? どうして」
「わからないわ。大怪我していて、意識を取り戻したばっかなのに、急にお酒を飲もうだなんて、到底考えられないわよ、健康の為に安静にするべきよ、普通は」
心配だからこそ、葡萄酒が飲みたいと急に言ってきたピサールに対して口を尖らせているのだろう。
「……無事に意識を取り戻してくれたことは、もちろん嬉しいと思ってるわ。ただ、それとお酒は別。安静にしていたほうがいいのに、要求するなんて持ってのほか。シェーヌもなにか言ってあげたらいいと思うわ」
「え、それは……趣向品だから……制限するのは、ちょっと大変かも……」
「それでもこういう時は控えるべきなのっ」
「そ、そうだよね、うん!」
呆れ半分、安堵半分という口調でシェーヌに提案をする。
アスクレピオスには頭が上がらないといった様子だ。
……それにしても、目覚めた瞬間に葡萄酒が飲みたいというなんて、やっぱりピサールさんらしい。
「あの、ピサールさんにお声をかけても大丈夫でしょうか」
初対面なので、強気に出るのも良くないだろうと、控え目に提案する。
「……この子は?」
「えっと……今診ているピサールと同じ世界から来たミストルティン……っていえばいいのかな」
「どういうこと?」
「元々は彼女と同じ隊で戦っていたのです。色々あって別行動になっていましたが、彼女のことはそれなりに知っていると思います」
色々、というには本当に多くのことがありすぎたような気がするけれども、今の話の本質はそこではない。だから、端的に説明した。
少し考えた後に、アスクレピオスは頷いてくれた。
「わかったわ。……貴女もミストルティンみたいだし、いざという時の回復はできるわよね」
「はい、彼女の治療なら慣れています」
あの世界で隊の治療を担当していたのは私だ。だからそれなりに慣れているといっても嘘ではないだろう。
「状態も安定してきたから、悪化することはないとは思うけど……もし、何かがあったらすぐ報告してくれると助かるわ」
「その時は即座に呼びます」
「助かるわ。……道具整理も兼ねて私は少し席を外すけれど、シェーヌはどうするの?」
「そっちのお手伝いをしようかな。医療器具、多そうだし……」
「私を監視しなくてもいいんですか?」
「……アメーラなら、変なことしないってわかるから」
「どうしてですか」
「優しいから、かな?」
「……隊の姫じゃないけど、大丈夫なの?」
「一緒に買い物に行った私は、大丈夫だって思ってる!」
「……お人よしなんだからっ」
それでもアスクレピオスはシェーヌの言葉を信じることにしたそうで、よろしくと、ピサールのことを頼んだ後に道具整理に向かっていった。
部屋を少し進んで、ピサールの下へ向かう。
彼女が普通のピサールではなく、ピサール・聖鎖・サマエルであるというのは一緒に戦っていたのもあって把握している。
……彼女がどういう性格なのかも、一緒に戦っていたという関係からも理解しているつもりだ。
ピサールの元まで到着する。
ベッドで上体を起こして気だるげにしている姿は、いつもあの世界で見ていた彼女の姿のようだった。
「……ピサールさん」
どう話しかければいいのかわからなくて、彼女の名前を呼びかけた。
「ミストルティン、生きていたんだ」
「……お互いに、ですね」
「やっぱり、死ねなかったってことかぁ」
「……そうですね。……死ねなかったみたいです」
厭世的な目。
どこか、生きることを諦めているような様子は変わっていなかった。
それ以上、会話が続くこともなく、数分、沈黙が部屋を支配する。
……静かな時間。短いはずなのに、いつも以上に長い時間に思えるくらい。
お互い、生きているというのは実感できる。それでも、いざ顔を合わせてみると、こうして会話しているのが嘘のようにも思えてしまう。
あの日のことが昨日のことのように思い出される。
どれくらいの時間が経過していたのかはわからないけれども、それでもあの鮮烈な出来事を忘れることなんてできなかった。
「死こそ救済、なんて思ってたんだけどなぁ」
「……私たちは、救われたのでしょうか」
「さぁね〜。私にもよくわかんないや」
死こそ救済、というのは彼女の口癖だった。
どうしようもない世界の未練を断ち切ることができるのが死である以上、それが救済であるのは間違いない。そう、彼女は話していた。
……けれども、本当にそれは正しかったのか。
死にかけるような思いをして、わからなくなってしまっていた。
それはピサールも同じだったようで、難しそうに考え込んでいた。
「……死ねば楽になれるならば、そうした方がいいって思ってました」
「けど、ミストルティンはすぐ死のうとか行動に移していなかったよね?」
「……いいえ、この世界に来てからすぐ、生きているのを確認して……死ぬことを考えてました」
「わぁ、行動的」
絶望しか残されていないから、未練なんてない、楽になれると考えての行動だった。
そうした行動をとっていたというのに意外さを感じたのか、普段のペースを保ってはいたものの、ピサールは驚いた表情になっていた。
「……でも、止められてしまいましたけどね」
「慣れないことをしようとするから〜」
「今思うと、迷いがあったというのもあると感じます」
「迷い?」
「本当に、これでよかったのかって」
効率的に死ぬことを考えるならば、首を絞めるよりも効果的な方法はあったはずだ。それでも、わざわざ痛みを伴うように死のうとしたのは、無意識の中にも何か意味があったのかもしれない。
冷静になって考えてみると、それを感じる。
私の話を聞いてピサールは、少し考え込んだ後に、言葉にした。
「きっとそれはまだ、未練があるからだよ」
「未練? 私が、ですか?」
「あんなどうしようもない絶望の世界で、わざわざ一生懸命頑張って、よりよい未来の為にと努力してたのは、ミストルティンでしょ?」
「……そうかも、しれませんが」
無意味なことだったのかもしれない。けれども、もう少し良い隊にしようと自分の身を削る覚悟でいたのは事実だ。
……同じ隊にいたというのもあって、私のことをよく見ている。
「私はもうどうでもいいや〜って思って葡萄酒を呑んだりしてたのに、ミストルティンは呑んでくれなかったし」
「……お酒、苦手ですから」
「だよねぇ。そんな気はしてた」
酒癖が強くなるマスターから、なにかあるとすぐに怒鳴られたりしている中で、お酒というのもに恐怖を感じてしまっていたというのはある。
現実逃避の象徴、狂っている世界の原因などと思い込んでしまっていた。
「マスターに誘われても呑んでなかったよね」
「……感覚的に駄目だったんです」
「マスターのことが?」
「お酒のことです。マスター様のことではありません」
「冗談だって」
「……わかってます」
はぐらかすように言われたので、ムッとして返す。
お酒は駄目でも、マスターが嫌になったということはなかった。
「一途だよね」
「誰がですか」
「ミストルティンって」
「……どういうことですか」
「散々痛みつけられたりしたのに、マスター様って言って慕っていたことに驚いてるだけ」
「……私に価値を作ってくれた方ですから。どんなことをされたとしても、それだけは変わることのない事実です」
今という瞬間まで私が生きていけた理由は、マスターに救ってもらえたからに他ならない。どんなことをされたとしても、苦しい思いをしたとしても今、私がこうして生きているのはマスターのお陰だ。だから、私は私なりに慕っているにすぎない。
「お酒が入ったマスターにはつらい表情をしてたけど」
「……それは、お酒が悪いんです。それに、環境も……」
「言い訳じゃない?」
「……自覚は、しています」
「やっぱり」
嫌いになったというわけではないけれども。
それでも、荒れていくマスターの姿を見ていて胸が苦しくなっていたのは事実だ。
どうすればよかったのかを考えて、考えすぎて息苦しくなることなんて何回もあった。
その度に、いつも変わらない様子だったピサールに、無理をしすぎるのはよくないよと言われていたのはよく覚えている。
「……でも、あの世界で、ミストルティンなりに頑張ろうとしてたのは凄いと思うかな」
「そう、ですか?」
「私もマスターも諦めていたのに、ミストルティンだけが一生懸命だった。それって自慢してもいいことなんじゃない?」
「……しかし、最終的には、全部失敗という形で終わってしまいました」
「そうかなぁ。そんなこともないと思うけど」
いつものような態度ではあったけれども、今日のピサールはなにかが違う雰囲気だった。
……後ろ向きではなく、どこか前向きなのだろうか。
やることなすこと無駄だから、何もしないという態度を取っていないように思えた。
「結果的にマスター様を守れなかったから、私は、全部うまく行かなかったと思っていますが……」
「でも、偶然でも私とミストルティンも生きてるじゃない? もっと、望みをもった方がいいと思うんだけどな〜」
「望み、ですか」
「マスターが生きているって」
「それは……」
今、この瞬間、彼女から言われるまで、考えたこともなかった。マスターが生存しているかもしれないなんて。
諦めていたわけではない。それでも、あの状況で助かるなんて思っていなかったから、そんなことを言われるなんて想定してなかった。
「ほら、私を助けてくれるキル姫もいたし、この世界は争いばっかりの世界に比べたらいくらかは救済されそうなところはあるかもな〜って」
「……マスター様に、会える」
「あくまで可能性だけどね。でも、そういう希望を持つことって大切なんじゃない?」
複雑な気持ちだけれども。
会って、何を話せるかなんてわからないけれど。
……本当に、会っていいのかもわからないし、会える保証はないけれども。
あのマスターは、マスター様は私の原点なのだ。
会えるならば、やっぱり会ってみたい。
「……ありがとうございます」
「どうしてありがとう?」
「……以前より、前向きになれそうな気がしましたから」
「私だけがきっかけっていうことはないと思うけどね」
「……どういうことですか」
「ん〜、あの世界にいた頃よりもずっと表情が明るいかなって」
「私が、ですか?」
「うん。切羽詰まった表情で、敵に攻撃的なことを言ってた時よりもずっといい顔」
「……世界が、違いますから」
「だよね。あの世界は、どうしようもない世界だったけど、この世界は好きになれるかも」
この世界で感情を打ち明けたことによって、私も何か、変わることが出来たのかもしれない。
孤独で、信じるものも少なくて、闇雲に頑張っていた時の私より、良い私に変われているのならば、それは幸福なのかもしれない。
「でも、あのマスターにもし会うことが出来たら、なんて言おうかな〜?」
「……何か、言いたいことがあるんですか?」
「いくらお酒が入ってたとは言え、酷い言葉とかばっかり言ってたから、それについてはちゃんと怒らないとな〜って思って」
「……私は、気にしてませんでしたが」
「いや、気にしてたと思うよ〜? いつも、泣きそうな顔になってたし」
「それは、私の心が弱いからで」
「……ミストルティンはさ、もう少しだけ甘えてもいいと思うよ?」
真面目な表情で、ピサールがそう言葉にした。
真剣に、私のことを心配している。
「甘えるなんて、そんなの……」
「一人で抱え込んじゃって、暴走して、不安定になっちゃうと、できることもできなくなっちゃうんじゃないかな〜って」
深く、考え込むようにピサールが続けて言う。
「……私たちを襲撃したキル姫も、そうだったでしょ?」
「助け合える道があるって、必死に言っていましたね」
「でも、その気持ちが走りすぎて、平和を祈るが為に攻撃的になってしまった。それって、あの世界にいた時のミストルティンと似てるって思うんだよね」
「私と、彼女が?」
意外な言葉だった。
そんな私の気持ちを置いて、彼女の話は続いていく。
「一人で抱え込んで、頑張らないといけないって思い込んで、自分の本当の気持ちに嘘をついて生きちゃうなんて、面倒だと思わない?」
「……それしか道がないなら、仕方がないと思います」
「そんなことないんじゃないかなぁ。だって、ミストルティンには私もいた。あの世界でも、気持ちを抜く機会はあったと思うんだよね」
「……そんなの、今更です」
「じゃあ、今更じゃなくすればいいんじゃない?」
そういってピサールは私の方に身体を寄せた。
私は近くの椅子に座っていたから、完全に触れる位置にはいけなかったけれども、彼女なりに気を遣ってくれているのかもしれない。私のことが、心配で。
「……これでは、どらちが怪我人かわからないですね」
「ミストルティンは心の怪我人、私は体の怪我人ってことでいいんじゃない? だから、ミストルティン、癒してほしいな〜」
「……わかりました、ピサールさん」
そっと手を添えて、治癒の力を注ぎこむ。
彼女の身体が温かい。生きていると実感できる温かさだ。
「ミストルティンも、心が癒されたんじゃない?」
「……わかりません」
「そっか」
「……でも、ピサールさんがいてくれてよかったとは思ってます」
前を向いて生きるなんてことはまだまだできないかもしれないけれども。
それでも、やれる限りのことはしていきたいとは思った。
……信じられる仲間に、時々甘えながら、一生懸命。無理をしないように、支えあいながら。
「……こういうことが、依存ではなく共存ということなのでしょうか」
「う〜ん、わかんない」
「ですよね」
いつものペースに戻って彼女はわからないと言葉にしていた。
……彼女の気ままで、怠惰とも思える態度は私とは正反対かもしれない。
相性最悪、という部類になるのかもしれない。それでも、なんだか安心する。不思議な関係だ。こういう関係は大切にしていきたい。
「あっ、お話料金で葡萄酒が呑みた〜い」
思い浮かんだかのように、その言葉を口にするあたり、やっぱりというかなんていうか、彼女らしくて安心した。
「……お酒ではない葡萄の飲み物でなら、乾杯しますよ」
「え〜、お酒じゃないの〜?」
「お酒、苦手ですから」
「……まぁでも、奢りの飲み物はやっぱりそれでいいのかも。今度、元気になったら色んなことを話したいからね」
なんだかんだで一緒にいたという縁は、繋がっていくのかもしれない。
私は私なりに、彼女は彼女なりに頑張っていたとするならば、これまでのことも無駄ではなかったのだと思う。
……私たちみたいに、きっと、マスターも、苦しい中で努力はしていたはずだから。
「……ピサールさん、回復したらどうするんですか?」
「ん〜? 考えてなかったかも」
「……私と一緒に、シェーヌさんの隊にお邪魔するというのはどうでしょうか」
やれることを見つける為の提案だった。
……けれど、何故か彼女には意外そうな顔をされた。
「ミストルティンが別のマスターの隊に入ることを提案するなんて意外かも」
「……この世界を知る為の足掛かりという理由と……もっと、自分を成長させるためです」
「……居心地がよかったからだったりも?」
「……それも事実です」
「じゃあ、ミストルティンの提案に乗っかろうかな〜」
あっさりと承諾してくれた。
今度は私があっけにとられてしまう。
「……いいんですか?」
「面倒ごとはミストルティンがやってくれそうだから、いいかな〜って」
「……ピサールさんらしいです」
「でも、こういう関わりも大切だからっていう気持ちもあるからね?」
「……もちろん、わかっていますよ」
不真面目そうで、それでもやるべき事は考えていたりする。それが、ピサールという存在なのだ。だから、彼女の心配はしていない。
「さてと、もう一回眠ろうかな〜」
「それなら安心するまで一緒にいますよ」
「それは頼もしいかも」
治癒をしながら彼女に寄り添う。
出来なかったこと、成し遂げられなかったこと。色々ある。
けれども、これからできることを考えていきたいと思った。
……あの、仮面を被ったキル姫は、私のように心を打ち明けることはできたのだろうか。
回復の手を緩めず、頭で考える。
彼女も、共感してくれる仲間がいれば、もっと気軽に話せる相手がいれば、襲撃という手段を取らず、別の方法で何かを成し遂げることができたのだろうか。
……考えても、わからない。
絶望しかなかった世界は、どこまでも他人を疑うような世界で、手と手を取り合うなんてことを考える余裕なんてなかった。だからこそ、私も、マスターも、ピサールも、あのキル姫も心が疲れ果ててしまったのかもしれない。
……私が出来ることは、あの時できなかったことを、理解すること、手と手を取り合うこと、依存という形ではなく共存という形で他人と接することを忘れないようにすることだ。
……あのキル姫も、誰かと共存できるように考えられるようになる出会いが訪れればいいな。
心の中で、ひっそりと祈ってみた。
相互理解のある素敵な世界を夢見て。