ポケデレ〜不思議な生物とシンデレラガールズの日常〜 作:葉隠 紅葉
その人形はゴミ捨て場に捨てられていた。全身が擦り切れてボロボロになっていたその人形。彼の体は、血やら泥やらよくわからない汚れに塗れていた。それをじっとみつめる小学生の少女、白坂小梅。
「……」
ぼーと何かに魅入られるようにそれを見つめ続けてしまう。それはホラーが好きな彼女にとってあまりに魅力的に映ったのだ。
怖いのである。全身が1.1mとかなり大型なその人形(ぬいぐるみ?)は全体が薄汚れた灰色をしている。ずんぐりとした胴体からは尻尾が生えていた。何よりも特徴的なのはその頭部であろう。
血走ったような真紅の目玉がぎょろりとこちらを睨んでいるのだ。その口もまた怖い。金属製のジッパーのようなものがその大きな口に縫い付けられているのだ。怪奇映画に出てくる殺人鬼を彷彿とさせる顔でもあった。
正直言って可愛くないデザインである。その証拠にこのゴミ捨て場は住宅街の通り道であるはずなのに誰一人その人形に注視しようとはしていなかった。道ゆく人々はそそくさと立ち去っていくし、その人形を見た小学生の少年少女達は、皆が悲鳴をあげて逃げ去っていくほどだった。
アニメキャラのグッズだと思われているのだろう。そのデザインの醜悪さに眉をひそめる人々。休日の貴重な時間を無駄にはしまいと人形を無視するかのように帰宅していくのであった。ゴミ捨て場にその少女は佇んだ。
「……」
ふとその人形に近寄ってみる小梅。物凄く精巧につくられたその人形からは生命の息遣いが感じられた。まるで今にも動き出しそうな程の現実味を感じる。くんくんと匂いを嗅ぐと、その体からは錆びついた鉄くずと鮮血のような独特の匂いが感じられたのであった。
「……誰にも見られてないかな?」
周囲を見回す彼女。幸いこのゴミ捨て場は彼女の自宅からそう離れてはいなかった。また今日は土曜日の半日授業が終わったばかり。時間も猶予もたっぷりとあった。じりじりと照りつける午後の太陽の下、彼女は思わず長考してしまう。
「……いい」
ぽつりとつぶやく小梅。そう、彼女はこの人形が欲しくて堪らなかったのである。この醜悪な血と呪いのオーラが、ホラー映画さながらの不気味なデザインが、堪らなく彼女の琴線に触れてしまったのだ。
白坂小梅は大のホラー好きである。それはもう愛してやまないと言っても過言ではないだろう。なにせ小学生にして趣味がホラー・スプラッタ映画鑑賞・心霊スポット巡りと言った筋金入りのホラーマニアなのだから。英才教育にもほどがあるだろう。
そんな彼女にとって眼前の存在はまさにファンタジーが飛び出してきたようなものなのである。鼻先ににんじんをぶら下げられた馬、ハリウッドスターを目前にしたOLのような物である。つまり、彼女は興奮していたのだ。
瞳をきらきらと輝かせる彼女。そっと人形に寄り添って抱きしめてみる。するとぷにゅりと名状しがたき感触が彼女を包み込んだ。生暖かい人肌の温度、同時に背筋をぞくりと刺激する恐怖の感覚。小梅はぞくぞくと己の体が反応する事を抑えられなかった。
「い、いいかな……本当にいいのかな…?」
他人のものを盗むのは良くない
でも…ゴミ捨て場にあったものだし良いのかも
当時小学生であった彼女。倫理観といった物をよく理解できていなかった彼女はつい誘惑にまけてしまう。その人形を抱きしめた彼女はいそいそと帰宅していくのであった。
いけないことをしている、という罪悪感をひしひしと感じながらもその人形を手放すことができなかったのである。こうしてジュペッタと呼ばれるぬいぐるみポケモンは白坂小梅の自宅へと連れられていくのであった。
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幸い何事もなく自宅に到着した小梅。ほっと息をついた彼女はそのままその人形を見下ろした。自身の体のように大きなそのボディは全身がぼろぼろであったし、なにより血と泥で汚れきっていたのである。フローリングに垂れていく汚れを見つめる小梅。
「まずはお洗濯…なのかなぁ…?」
可愛らしい小顔をかしげて思案する彼女。血と泥にまみれた姿も素敵であったがやはり人形だ。清潔な方がこの人形も嬉しいだろう。そう考えた彼女は彼をお風呂場へと引きずっていった。
大きな浴槽の中に人形を押し込む小梅。そうして今だに寝ぼけたままでいたその人形に対してシャワーをかけ始めた。そのシャワーはゴミ捨て場で安らかに眠り続けていた彼にとってこの上なくはげしいモーニングコールとなって降り注ぐ。そのぬいぐるみポケモンの第一声が浴場に木霊した。
「グゲェ!?」
「うん…今何か声がした…?」
お風呂場に響く悲鳴のような声。だがその小さな声はシャワーの水音によって掻き消えてしまう。きっと空耳だろう、そう考えた彼女はその人形の顔面に向けてシャワーをかけるのであった。最大出力で、思い切りぶっかけた。
「〜〜〜っ!?!?」
「うん、キレイキレイ…」
徐々に綺麗になっていく身体に対してにっこりと微笑む小梅。その笑顔は100パーセントの善意から来る物であった。弾けるような笑顔であるのが尚更たちがわるかった。ぐぽぐぽと押し込まれていく激流に身動きがとれない人形。そんな彼の口に石鹸が突っ込まれた。
「っ!?」
「お口も…綺麗に…」
ごしごしと無理やり押し込められた石鹸に対して驚愕する人形。呆然としている間に泡立っていく己の口内、および全身の感覚に恐怖していく。生涯で初めての感覚に思わず呆然と固まってしまう。硬直した人形の身体を彼女は端正込めて洗っていくのであった。
その小さな手で丁寧に洗浄を続けていく彼女。やがて彼の体から血と泥のよごれが落とされていく。そうして彼の体は見違えるように綺麗になっていくのであった。
ようやく終わりか。全身がくたくたになった彼は手足を動かせないまま呆然と床に寝転ぶ。手足を投げ出してぐったりとする彼。だがそんな彼に対して少女の無慈悲な言葉がかけられた。
「えーとこの後は…脱水と乾燥…だったよね?」
「…?」
洗濯という名の大事業を行われた彼。彼はぐったりとしたまま呆然と彼女を見上げた。今この少女はなんと言ったのだろうか、その言葉を反芻するぬいぐるみポケモン。ダッスイとカンソウ…?
ポケモンである彼にとって聞いた事がない単語であった。びちょびちょになった彼に対して小梅は優しくタオルをあてがった。にこりと微笑む少女は彼の体をぎゅっと抱きかかえる。やがて彼は理解する。その意味と恐ろしさを、その身をもって理解する事になる。
「グギャァっ!」
「これで綺麗になるよね…よかったねお人形さん」
ドラム型洗濯機へと閉じ込められてしまう彼。何が起こったかわからない彼は内心でパニックを引き起こす。一時的な『こんらん』状態へと陥る彼。その大きな体を折りたたまれるようにして入れられた真っ暗な空間。ぽつぽつと開いた穴、押してもびくともしないふた。全てが味わった事のない恐怖の対象であった。
え?
冗談でしょう?
そんな驚愕の表情をするジュペッタ。全身で嫌な予感をひしひしと感じてしまう。まるで、ほろびのうたをアリーナ席で鑑賞させられるピッピのような心境。そうして彼にとって拷問の時間が始まった。始まってしまった。
『グギャァアアア!?!?』
「脱水は三回…乾燥モードは3時間…っと」
『ゴッポォ!グギィ〜〜っ!?』
「えへへ…お人形さんが手をふっているみたい」
恐怖からドラム洗濯機のふたにすがりつくジュペッタ。ふっているみたい、ではなく全力で千切れんばかりに手をふり乱しているのだが、どうやら蓋の向こう側が曇っている為かよく見えないらしい。小梅もまた誤認したまま満面の笑みで手を振った。
ここで擁護しておきたい事は彼女がまだ小学生であったという事である。家事もろくにおこなった事のない少女が善意からおこなった行動であるのだ。彼女は紛れもなく善性の人間であり、優しさを持つ少女なのである。
まちがっても彼女自身が猟奇的な行動をしたくてこのような行動をとったわけではないのである。綺麗にしたいからといってこのような所業は絶対に行ってはいけない事も確かであるが。
人形(ぬいぐるみ)はその素材にもよるが基本は手洗いか陰干しを行うべきなのである。まちがっても浴槽にぶちこんで洗濯機で乾燥をしてはいけない。
肉体がこの上なく頑丈であり、縮小化という性質を持つポケモンだからこそ耐えられた苦行であろう。繰り返すが決して大切な物を洗濯機にぶちこんではいけないのである。それは人形でもポケモンでも生命体でも禁忌の行為なのだから。
こうして白坂小梅はこの世界において初めてポケモンを洗濯機にぶちこんだ少女となったのであった。その後洗濯機から取り出されたジュペッタは半日ほど白目をむいたまま気絶していたようである。