ポケデレ〜不思議な生物とシンデレラガールズの日常〜 作:葉隠 紅葉
【黒埼ちとせと新しいペット】
ふと目が覚めると、隣には『ナニカ』が居た。白雪千夜は隣で眠りこけるそれを見つめてそっと息を飲んだ。昇りゆく朝日が幼い少女である彼女を照らし出す。小鳥達のさえずり、まばゆいばかりの朝日が彼女の自室を彩っていた。
寝ぼけていた頭に血液が通っていくのを感じる。自身がかけていたブランケットの端をぎゅっと握りしめながら、千夜は無言でその生物を見つめた。屋敷に備え付けられたベッドからはスプリングがかすかに軋む音がした。
それは亀のような生物であった。亀のような、と表現したのはその生物が明らかに亀では無かったからである。彼女は敬愛する主人、黒埼ちとせの元で様々な教育を受けて来た。
基本的な座学や家事全般といった事を学んだ彼女。年齢は12歳前後とかなり若いが一般知識だって一通りにある彼女。だが彼女の中の常識と照らし合わせても頭から苗木を生やした亀がいるとは到底思えなかったのだ。
大きさは40cm、洋服ハンガー程度の大きさだろうか。それは四本の短い足を持ち、背中には大きな茶色の甲羅を背負っていた。どうやら土で出来ているらしい、そっと手で触れて見るとわずかに湿り気を帯びているのが千夜にも分かった。頭から生えた苗木が元気よくぴこぴこと動き彼女の鼻腔を刺激した。
彼女の胸元によりかかるようにして睡眠を取り続けるその生物。ナエトルと呼ばれる彼は気持ちよさそうにむにゃむにゃと口を動かしていた。そうしてその口からはでっぷりとよだれを垂らしながら彼女の衣服とシーツをこれでもかと汚しーーー。
「おい」
「ナエっ!?」
殴りつける千夜。彼女は拳を握り、ゲンコツを彼の頭にむかって叩きつけた。叩き起こされたナエトルは何が起きたのかと混乱をする。ベッドの上でおろおろとする一匹のポケモン。涙目で千夜を見上げたナエトルはぎょっと悲鳴をあげた。
「動物の癖によくも…っ!」
「ナ、ナエ…」
「いいかこのお屋敷はお嬢様の物だ。このベッドもこのシーツも、お前がよだれをかけて土で汚したものは全てお嬢様の物なんだぞ」
「ナ、ナフェ…」
かの生物のほおをつかむ千夜。そうしてほおを両手でひっぱりながら説教を始める。彼女にとってちとせお嬢様は掛け替えのない存在である。自分という存在に意義を与えてくれたこの世のなによりも大切な御方なのである。
それをこの生物に、不法侵入されたばかりかよだれと土汚れで屋敷を汚されたのだ。これには温厚な彼女と言えど怒らざるをえない。なによりも侵入を許してしまった自身が、千夜には許せなかったのだ。
警備はどうなっていたのかと、警備会社と監視機器に対して言いようのない怒りをぶつける千夜。彼女はさっさと自身の普段着であるメイド服に着替えるとかの生物をきっと睨みつけた。彼女の鋭い眼光にひえっと怯える表情をするナエトル。千夜は衣装タンスの中にあった予備のゴム手袋を身につけるとかの生物に対して近寄った。
どうやらさっさと屋敷から追い出してやりたいらしい。なぜヨーロッパに亀がいるのかだとか、そもそもこれは本当に亀なのかだとか。そういった疑問よりも屋敷を汚された怒りの方が大きかったらしい。
彼女はナエトルの甲羅をムギュッと掴むとそのままドアの方へと歩き出していく。じたばたともがくナエトルに対して彼女は無慈悲に言葉を告げた。
「今すぐに追い出してやる…っ!」
「ナエー…」
「そんな顔をするな。亀鍋にされないだけ有り難く……ん?」
ナエトルの甲羅を掴んだままふと固まる千夜。なにか違和感を感じるらしい。訳も分からない胸騒ぎを感じながらキョロキョロと彼女は周囲を見渡した。
ここはヨーロッパ某所の屋敷である。都会から外れた立地に建つその屋敷には、当然周囲にやかましい民家や商業施設などなかった。このような時間帯からゴソゴソと音がするなどこれまでの生活にはなかったのだから。彼女は不安げに独り言を呟いた。
「何か様子が…」
バリィーーン!
突如、何かが割れるような音がした。陶器のような物が勢いよく割れる音。彼女はハッと息を飲む。その音の出所がちとせの部屋から出た物だと気が付いた彼女。その端正な顔立ちを青ざめて、千夜は唖然としてしまう。
まさかお嬢様の身に何かが起こったのか
そう理解した彼女は捕まえていたナエトルを部屋の隅に投げ捨てて勢いよく走り出した。自室から出てお嬢様の部屋へと向かおうとする。ナエトルのぷぎゃぁという悲鳴を背に彼女は全力疾走を行った。
お嬢様…
お嬢様ッ!!
鳴り止まない鼓動、うるさいくらいの心音を押さえつけながら一人のメイドは必死で主人の部屋へと駆け付ける。あと十m…あと数メートル…。そうして全力でドアノブへと飛びつき勢いよく回しーーー
「お嬢様っ!!」
「うふふっくすぐったいわよ」
「ズバーッ♩」
膝から崩れ落ちた。
へなへな、ペタンと床へ崩れ落ちてしまう千夜。御身体の事情もある、最悪の事態すら想定していた彼女にとって今のちとせの姿は色々な意味で予想外であったらしい。
彼女の敬愛する主人。ここヨーロッパでも有数の屋敷を持つ黒埼ちとせはそこにいた。少なくとも五体満足の状態で微笑んでおられた。床に女の子座りをしたまま呆然と自身を見上げるメイドに対して、ちとせはにこりと微笑んだ。
「あら千夜ちゃん、どうかしたの?」
コウモリと戯れる美少女がそこにはいた。流れるような金色の髪、宝石のような透き通る赤い瞳をした少女。クォーターであり吸血鬼の末裔を自称する黒埼ちとせがそこには居た。彼女はその美しい容姿で、優雅に自身の従者へと笑いかけた。
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「あはは、あなたって甘えん坊なのね♩」
コウモリと戯れるちとせ。そのコウモリはちとせの絹のような極上の美髪に顔をうずめては嬉しそうに鳴き声をあげていた。その様子をじっと見守る千夜。なんともカオスな状況がそこにはあった。
どうやら気がつくと隣にその生物がいたらしい。ベッドの中で眠るその生物に、最初こそ驚いたものの接して見ると敵意がない。それどころがコミュニケーションを取ってみると嬉しそうに懐いてきたそうだ。
ちとせ曰く、体をそっと撫でてあげると、気持ちよさそうに声をあげる所が可愛いのだとか。先ほどの陶器が割れるような音、とはその生物が誤って体をぶつけてしまいツボを割ってしまった音らしい。それをきいて千夜は全身を恐怖で震わせながら全力を込めた作り笑いをした。
引きつった笑みを浮かべながらその生物を観察する千夜。なるほどコウモリとは可愛い物なのかもしれない。だが絶対にそれはコウモリではないはずだ、と彼女は固く決意する。
でかすぎるのだ
1.2mものコウモリがいてたまるかと
その生物には目が無かった。青と紫で構成されたその体に在る物は巨大な耳と口だけであった。人間の頭部くらいなら簡単に飲み込めてしまうだろうその巨大な口からは四つの鋭い牙が生えていた。中学生程度でしかない千夜とちとせなど一瞬で食べてしまえるだろう。
人間並みに巨大なコウモリなどただのバケモノである。一昔前のホラー映画に出てきそうなその外見、よく確かめなくても恐怖であろう。小学生ならば一生のトラウマものである。千夜はいつ襲われるかと気がきではなかった。
本来ズバットとは80cm程度のサイズの毒/飛行ポケモンである。その巨大な口から発した超音波をこれまた大きな耳を使ってキャッチし獲物を捕まえるのである。だが別時空の常識から言ってもこのズバットは規格外のサイズであった。進化したゴルバットが1.6mであることを考慮しても1.2mはかなり異常なサイズであった。なによりもその性格が異常であった。
「……っ」
「ズバー…」
機会を伺ってその巨大コウモリを追い払おうと考える千夜。懐に忍ばせたスタンガンをそっと握りしめ、いざとなればその身を挺してでもお嬢様を守ろうと千夜は考える。だが彼女のそんな考えを見透かすかのようにそのズバットは静かに千夜に対して威嚇をするのであった。
目のない顔で睨みつけるような視線を向けてくるズバット。その鋭い眼光に思わず恐怖する千夜。先ほどの『のんびりよだれ亀』とは比べ物にならない威圧感であった。
本来ズバットは人に慣れにくい種族である。彼らの生息地は洞窟といった暗く閉鎖的な環境であり、普段は群れで生活する種族である。間違っても初めて出会った人間に対してこれほどまでに懐き、重視するような生物ではない。ましてや嫉妬に近い感情を抱くなど…。そのメスのズバットはあらゆる意味で規格外の存在であった。
「うん?二人ともどうかしたの…?」
双方ともに睨み合う、そんな彼女達に対してちとせはそっと問い尋ねた。彼女からすれば愛する使用人と仲良くなった動物が睨み合っている者なのだから不思議に思ったのだろう。千夜は静かにちとせへと視線を送った。
ここはヨーロッパである。都会から外れたこの森林地帯ならば確かに珍しい動物もいるだろう。だがどう考えても、このような巨大な化け物がいるとは思えなかった。というより思いたくなかった。こうしている今、この瞬間に襲われてしまえば…そんな恐怖を抱えながら千夜は必死で思考を続ける。
そんな一触即発の空気の中、どこからか気の抜けたような鳴き声がした。どうやらドアの外からやってきたらしい。木製のドアを頭でおしあけながらその生物はのそのそと部屋に入ってくるのであった。その部屋へと入ってきた生物に対して二人と一匹は視線を向けた。
「ナエー…」
「なっ!?」
ナエトル、である。千歳に部屋の隅に投げられてしくしくと涙を流していた彼。そのナエトルはやんわりと遅い速度のまま彼女達がいる部屋へとやってきたらしい。まるで翁の散歩のような鈍い速度で、あくび交じりにやってくるその様。どうやら彼は‘ずぶとい’性格のようだ。
むにゃむにゃと寝ぼけながら部屋へと入ってくるオスのナエトル。そんな彼に対してちとせは黄色い声をあげた。嬉しそうな声をあげながらかの生物へと歩み寄ろうとするちとせ。
「
「あら!何この子!」
「ナエ〜?」
「あなた、とっても可愛いわ!」
「お、お嬢様!近づいては…」
「ふふっよーしよし良い子ね」
「ナへェ〜♩」
「あはは、だっこされて変な声出てるー♩」
ちとせは彼に近寄るとそっと胸に抱きかかえた。彼女の柔らかな身体に包みこまれるナエトル。どうやらかなり心地が良いらしい。
ナエトルは気持ちよさそうに目を細めながら、彼女になされるがままになっていた。ほおや体をつつかれながらもナエトルはじっと動かなかった。少女特有の甘い蜜のような香りに包まれながら、つぶれたカエルのような妙な鳴き声を出して彼女の胸元に背中を預ける。
そんな様子を見て嫉妬したのだろうか。ズバットは自分もかまえと言いたげに彼女に対して頭を擦り付けてくる。キーキーと甘えるような声を出すズバットに、ちとせはにっこりと微笑みながら優しく答えた。
「うふふ、ごめんね。あなたをおろそかにした訳じゃないわ」
「ズバー!」
「ふふっくすぐったいわ…あはは♩」
ナエトルを抱きかかえ、ズバットに甘えられながらちとせは幸せそうな声をあげた。それは僕である千夜自身あまり見たことがないような、実に楽しげな声であった。千夜は驚くとともにその動物(?)達に対して醜い嫉妬のような感情を募らせていく。
お嬢様に笑顔になってもらいたい
常日頃からそう考えていた彼女にとって、それが出来なかった悔しさはどれ程であっただろうか。そんな複雑な感情をこじらせていた千夜。一方ちとせは嬉しそうな声をあげながら独り言をつぶやいた。
「あは♩かわいい♩わたしのものにしていいかな」
「えっ?」
「というかするね♩」
無慈悲な宣言が降る。嫉妬だとか憎悪だとかを募らせていた千夜にとってその言葉は残酷な死神の鎌に等しい言葉であった。100万歩譲って亀は良いにしてもその超巨大コウモリはあまりに危険であろう。
法と倫理さえ許せば今すぐにでもショットガンをぶちこんでやりたいと考えている千夜は必死にお嬢様を説得しようと試みる。彼女は恐る恐るといった様子で主人へと話しかけた。
「お、お言葉ですがお嬢様…そいつらは危険で…」
「お世話を よ ろ し く ね♩」
従者の必死の願いなど、主人には通じなかった。ましてやこれまでそう見た事もない程の満面の笑みである。メイドである千夜には断れるはずもなかったのだ。こうして白雪千夜にとって非常に不本意な事ではあるが、一匹の亀と巨大コウモリを飼育する事になったのである。