ポケデレ〜不思議な生物とシンデレラガールズの日常〜 作:葉隠 紅葉
多田李衣菜は感嘆の声を漏らした。ソファの上ですやすやと眠るその生物を見て彼女は静かに瞳を輝かせた。その生物を起こさないように事務所の扉をそっと閉める。
「…おぉ」
思わず言葉が漏れる。そうして李衣菜は思わず周囲を見渡した。どうやらこの室内、事務所の中には誰もいないようだ。コチコチとなる壁掛け時計の音を耳にしながら李衣菜はほっと息をついた。そうして改めてその生物を見つめる。
「か、かわいい…」
それはペンギンのような生物であった。空のような透き通るブルーの身体、頭巾をかぶったような丸い頭。瞳を閉じてスースーと寝入っているそのポケモン、ポッチャマと呼ばれるペンギンポケモンであった。
ビルの上階に位置するその346プロダクション、シンデレラプロジェクトのメンバーに割り当てられたその事務所には見知らぬポケモンなど普通入らないものだ。李衣菜は思わず首をかしげる。はて、誰かポッチャマを飼っているアイドルなどいただろうかと。
グレイシアを連れたアナスタシア
ポポッコとチュリネを大切にする智絵里
ペロリームと仲が良い諸星きらり
そうして同期のメンバーの手持ちポケモンを確認する李衣菜。だがどうにもポッチャマを引き連れたメンバーなど思い当たらなかった。では誰か他のアイドルの手持ちポケモンなのだろうか。李衣菜はそっと思考にふける。
とはいえそんな疑問など目前の可愛らしい生物の前にはちり紙に等しかった。つまり今の彼女にとってはどうでも良いという事である。李衣菜思わず生唾を飲む。そうして彼女はスマートフォンをそっとかの生物にかざした。理由は勿論、写真を撮る為である。
カメラアプリを起動させながら、被写体をカメラのレンズに収める。そうして息を飲んだまま彼女はかの生物の写真を撮った。震える指先でボタンを押していく。
パチリ
スマートフォンからカメラの音が鳴る。そうして中の記憶媒体にポッチャマの可愛らしい寝顔が記録されていく。その出来を確認しながら彼女はなおも写真を撮り続けた。それは午前中に取り終えたジャケット撮影の仕事に勝るとも劣らん気迫であった。
「そーと…静かに…」
「…ポ…チャァ〜」
「……はぁあ〜〜」
カメラのレンズ越しに寝言を言うポッチャマ。すやすやと眠りながらお腹を出して眠るその生物を見つめて李衣菜はそっと目元を抑えて呟いた。もう我慢などできなかった。
「かわいい……かわいい!!!」
事務所にいるのは彼女一人だけである。そうして彼女は心からの叫びを出す。スマートフォンを握りしめながら嬉しそうに飛び跳ね、はしゃいだ。
「かわいすぎるでしょっ!!」
拳を握りぶんぶんと振り回す。そのあまりの可愛らしさに彼女自身平静を保っていられないようだ。彼女は興奮するかのように呼吸を荒げながらぴょんぴょんと小さく飛び跳ねた。クール属性に所属するアイドルとは到底思えない姿。可愛らしいキャラクターに飛び跳ねる幼女その物である。誰にも見せられないような可愛らしいアイドルの姿がそこにはあった。
「この愛らしさ…えへへ〜」
口元をにんまりと歪めながらポッチャマの写真を撮り続ける李衣菜。彼女はにへへとだらしなく微笑みながらせわしなく手元の指を動かして画像フォルダを潤していく。
実は彼女、可愛らしいポケモンが大好きなのであった。隙あらば周囲の人物に「もしも飼うならドラゴンポケモン!」と常々言っている彼女。実は誰にも言えない秘密があった。つまり…可愛らしいポケモンに目がなかったのである。
好きなんだ
だって女の子だもの
ポケモンが世に現れて以降、彼女は可愛いポケモンをピックアップしてはそれを眺めてにやにやとするのが裏の趣味であったりする。インターネットでキュートなポケモンを調べてはその画像を保存したり、ネットニュースで美しいポケモンをチェックするのが彼女の日課でもあった。
中でもポッチャマは「りいな調べ!いつか飼いたい可愛いポケモンランキング!」において堂々の第8位に位置するレジェンドポケモンである。
その可愛らしいルックス。宝石のような蒼く、つぶらな瞳。ぺたぺたとした肌触りの良い黄色いヒレ。全てが天使のように愛らしく美しい。水ポケモンにおいてはぶっちぎりの人気ポケモンなのである。
そんなポッチャマの魅力にメロメロの李衣菜。だからこそ気がつけなかったのだろう。彼女の背後からは一人のアイドルがやって来ていた。彼女はそっと閉じられたドアから事務所へ入る。そうして一人にやにやとスマートフォンを掲げているアイドルの背後に立って声をかけた。
「李衣菜ちゃん何やってるのー?」
「どわぁああああ!?」
背中から声をかけられて驚く多田李衣菜。思わず手にしていたスマートフォンを落とさんばかりに動転し、飛び上がってしまう。そんな彼女の背後で一人の少女、赤城みりあがきょとんとした顔で多田李衣菜を眺めていた。
赤いスカートにロングTシャツを身につけた彼女。おしゃれに気を使っていない年相応といった装いの彼女。みりあは小さなポシェットを肩にかけながら李衣菜に声をかけた。
「お仕事終わったんだー…何やってたのー?」
「えっ!?べ、別に何もー…」
「うわー!後ろに誰かいる!何この子!!」
みりあはソファで眠るポッチャマに気がついたらしい。彼女は目を見開いてそのポケモンに見入った。どうやら珍しいみずタイプポケモンが気に入ったようだ。彼女はソファに駆け寄ると嬉しそうにそのポッチャマを眺めた。
「この子かわいいー!李衣菜ちゃんのポケモン!?」
「ち、違うよ?私がそんなロックじゃないポケモンなんて飼う訳ないし」
「ろっく…?」
「とにかく!私のじゃないから」
思わず強い口調で否定してしまう李衣菜。このように彼女自身はかわいいポケモンが好きだと言う事を周囲には秘密にしているのであった。どうやら可愛らしいポケモンは彼女の基準ではロックではないらしい。
クールでロックなアイドルを自称する彼女にとって愛らしいポケモンは相応しくないようだ。少なくとも彼女自身はそう考えている。ともあれ彼女はこのような事情からポケモンにも周囲のアイドル達にも正直に接することができないでいた。
スマートフォンのホーム画面をイーブイの写真にしているだとか自室の壁にピカチュウがサーフィンしているポスターを飾っているだとかそんな事は絶対にバレてはいけないのである。本当は誰よりも駆け寄って抱きしめたいと考えている李衣菜。だがプライドが邪魔をして行動する事ができなかった。なんとも可愛らしい葛藤である。
そんな彼女の葛藤を他所にみりあはそのポケモンに手で触れる。あっ声を出してしまう李衣菜。そんな彼女をよそにみりあはえへへと微笑みながらポッチャマを撫で始めた。
「えへへー良い子良い子ー♩」
「あっ…」
「お姉ちゃんですよ〜」
みりあはポッチャマをぎゅーと抱きしめる。まるでぬいぐるみを抱くように優しく温かく抱擁を行う。正直言って羨ましい光景である。その愛らしい光景に李衣菜はそっと息を飲んだ。
みりあの腕の中でなおも眠り続けるポッチャマ。両手両足を投げ出して少女に抱えられるその姿は筆舌に尽くしがたいキュートさであった。ぺたんと投げ出されたヒレがまた愛らしい。思わず写真を何十枚と撮りたくなってしまう李衣菜。彼女は自身の欲望をぐっと我慢する。
「この子誰の子かなぁ」
「さぁ…誰もポッチャマは飼ってなかったはずだけどね」
「ポッチャマ?」
「その子の種族だよ。みずタイプでペンギンポケモン」
「へー!李衣菜ちゃんって詳しいんだね!!」
「くわ…っ!?ぐ、偶然知ってただけだから!別に調べてた訳じゃないからね!?」
慌てたようにいいわけをする多田李衣菜。彼女はそっとスマートフォンをポケットにしまいながら焦るように言葉を紡いだ。しかしみりあは聞いてはいなかった。どうやら抱きかかえているポッチャマに夢中なようだ。しかしどうやら大きな声で騒ぎすぎたらしい。件のポケモンが静かに覚醒をした。
「ポチャァ…?」
どうやら目を覚ましたらしい。ポッチャマは眠たそうに瞳をこすりながらキョロキョロと周囲を見渡した。そのしょぼしょぼとした瞳、眠たげで気だるそうな瞳はそのルックスも相まって反則的な可愛らしさを産む。
その仕草が一人のロックアイドルを‘メロメロ’していた所でミリアがやさしく声をかけた。彼女はポッチャマを両手で抱き抱えたままにっこりと微笑んだ。
「李衣菜ちゃんもだっこしてみる?」
「えぇ!?」
「はい、どーぞ♩」
だっこしたポッチャマを嬉しげに掲げるみりあ。どうやらポッチャマのかわいらしさを李衣菜にも理解して貰いたかったらしい。彼女は嬉しそうに、丁重に扱いながらポッチャマを彼女の眼前へと掲げた。
「うっ」
ポチャァ?
何が起きているのかわからない。寝ぼけているポッチャマのその可愛らしい瞳に思わず心臓が高鳴ってしまう李衣菜。顔を赤く染め柄そっとポッチャマと視線を交わす李衣菜。
ちょっと位良いじゃないか
それもまたロックだよ
心の中の悪い(良い子?)な部分がそう告げる。そんな心の声に思わず反応してしまう彼女。そうして彼女はごくりと唾を飲み、そっと手を伸ばした。あと数センチ…彼女の指先が徐々に迫っていく。そうしてポッチャマに触れようか、という所で…
「ポチャ!ポッチャマッ!!!」
「ぶへぇっ!?」
ビンタを
された
アイドルらしからぬ言葉を吐きながら倒れ込む李衣菜。彼女はビンタされた衝撃のまま床に身を投げ出した。李衣菜ちゃん!?と思わず驚愕して駆け寄るみりあ。ほのぼのとしていた空気が一転して変貌した。
実はポッチャマは人に懐かない種族である。そのプライドの高さはポケモン界でも随一である。とある別時空、ヒカリという少女に連れられた個体は暴れる、生意気、わがままな性格とかなり手を焼く個体で有名でもあった。
なにせポッチャマとは進化をすると『ポッタイシ』へと成長しさらに気性が荒くなるのである。群れを作らず孤高であり続けるその姿。ましてや『エンペルト』ともなれば皇帝ポケモンとも呼ばれるようになる。その性質、圧倒的な強さから名実ともに最強のみずタイプへとなるエリート種族なのである。
つまり何が言いたいかというと…非常に人馴れしにくい種族であるということである。ましてや初めて接する人間などこのように邪険に扱われて当然なのである。興奮のあまりこの性質を忘れてしまっていた李衣菜はその事を痛い教訓と共に思い出した。
「い…いはい…」
「あっ…逃げちゃった」
プンプンとお怒り状態のポッチャマ。彼は睡眠を邪魔されたと解釈したのだろう。そのまま気持ちの良い昼寝場所を探すために再び放浪するのであった。胸を張って堂々と部屋を後にするその姿、幼いながらも貫禄が滲み出る後ろ姿であったらしい。
ほおにヒレ型の赤い紅葉を残しながら多田李衣菜は床に寝転がる。そのまま彼女は涙目で独り言を呟くのであった。