ポケデレ〜不思議な生物とシンデレラガールズの日常〜   作:葉隠 紅葉

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【黒埼ちとせと新しいペット2】

 芳醇なパンの香りが室内に広がる。そのキッチンに備え付けられた巨大なオーブンの中にはふっくらと膨らんだパンがいくつも並んでいた。一人のメイドが前日から仕込んでいた自家製パンである。イタリア製のオーブンの中でそれらは美味しそうな匂いを放っていた。

 

 どうやら上手く焼けたらしい、白雪千夜は自身が焼いたパンの出来を確信し力強く頷いた。オーブンから完成の合図であるベルの音がした。千夜は自身の手に白いミトンの手袋をつけるとゆっくりとオーブンの蓋を開けた。

 

「……よし」

 

 中から現れたパンを見て満足そうに微笑む千夜。ポケモン達と暮らし始めて1年間、すっかり日課となってしまったこのパン作り。もちろん主人であるちとせの朝食の為でもあるがそれだけではない。このパンを食べる存在がこの屋敷には他にも2匹ほどいたのだ。

 

「ズバ〜♩」

 

 1匹のポケモン、ズバットが彼女の元へとやって来る。どうやら開け放った窓から入ってきたらしい。ポケモン達が暮らすからと幾つかの部分をリフォームした黒埼屋敷、この窓もまた改装済みであった。

 

 その巨体でも入れるようにと改装された窓の一枠から音もなく侵入してきたズバット。そのズバットに対して千夜は視線を向けると挨拶をした。朝日と風によって、木の葉が揺れる音がする。

 

「おはようございます」

 

「ズバ〜」

 

「パンが焼きたてですが食べますか?」

 

「ズバ!」

 

 敬語を使って話しかける千夜。そんな千夜の言葉にうむとばかりにメスのズバットは頷いた。そうして彼女は焼きたてのパンに近づくと前足(?)と嘴を器用に使用してパンへとかじりついた。

 

モグモグ

ゴックン

 

 一口でパンを食べ切ってしまうズバット。彼女は気に入ったのかその後2つばかり食べてはもぐもぐと咀嚼をする。きっと美味しいと思っているのだろう。けれどズバットには目がなかった。彼女自身、感情をあまり表現する性格ではなかった為、他者からすると表情がなんとも理解しづらかった。

 

 その喜怒哀楽を完全に感じ取る事ができるのは主人であるちとせだけであった。こうして1年間世話をするようになった千夜ですら、単調な感情がなんとなく理解できる程度であった。

 

「おいしいですか?」

 

「〜〜」

 

「そうですか、では改めて朝食の準備を致します」

 

 ズバットに対して敬語で接する千夜。なんともおかしな関係であったがこれが彼女達にとっての日常であった。一応は黒埼ちとせにとっての大切なペットである。ましてや人並み以上の知性と感情がある以上、敬語で接するのが一番無難な選択であると気がついた千夜。1年前の出会いと騒動以来そう接するようにしている。

 

 テレビのリモコンを自分で操作して美容に関する情報番組を見るズバット。その光景を見た瞬間千夜は深く考える事をやめた。彼女は一流のメイドなのである。プロフェッショナルに溢れる彼女はそんなズバットを怒らせてはいけない存在なのだと理解したのだ。ただ単に思考を放棄しただけとも言えるが。

 

 彼女はキッチンの外に備え付けられた業務用冷蔵庫を開けにいく。そうして中から冷蔵された巨大な豚のブロック肉を取り出した。とあるルートから定期的に購入している家畜の死体である。その豚の半身を巨大な器に入れて、そっとズバッとへと差し出す。

 

 するとズバットは音もなくその巨大肉に近寄っては嬉しそうに牙を突き立てた。ブロック肉に突き刺さる巨大な牙、その先からチューチューと死後数時間の新鮮な豚血を美味しそうに吸うのである。これが彼女の朝食であった。

 

「……」

 

「〜〜♩」

 

 正直に言ってかなりグロテスクな光景である。1.2mもの巨大コウモリが肉に牙を立てて血を吸うのである。ズバットが肉食であるという訳ではなく、あくまで肉に通っている血を吸っているのである。

 

 しかしその事を考慮してもなお恐ろしい光景であった。口のはしから血を垂らしながらキーキーと鳴く巨大コウモリを初見で平然と観察できる者がいればそれは中々の強者であろう。

 

 ちなみにデザートは血液ジュースである。真赤な血液がたっぷりと入った輸血パックを開けて木のコップへと注ぐ。そうして中身をストローでチューチューと吸う味こそがズバットの何よりも好物なのである。これは裏のルートから仕入れたーーいや、素材元については記載するのはやめておこう。

 

 

 ともあれこうしてズバットの朝食は終えるのである。食事は1日に一度だけでよく、他にもきのみや果物といった物も食べる。とはいえ数日に一度はこうして‘ごちそう’を食べるのが彼女達の日課となっているのであった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

「おいお前、食事だぞ」

 

 ぐーぐーと眠りこけているナエトル。そんな彼に対して千夜はそっと呼びかける。そうして千夜の部屋の中で睡眠をとっていたナエトルはパチリと目を覚ました。

 

 部屋の端に設けられたベビーベッドのような空間。1m程度の木製のベッドに最高級の日本製タオルが敷き詰められたその空間。その中でむにゃむにゃと口を開閉させる彼。ナエトルは寝ぼけた瞳のまま千夜をそっと見上げた。

 

「ナエー」

 

 彼は千夜の事を見つけると嬉しそうに彼女の元へと寄ってくる。あれからかなり親密な関係になったらしい。トコトコと四つの足を一生懸命に動かして彼女の元へと近寄る彼。そうしてナエトルは嬉しそうな声をだしながら千夜の足にすりすりと頭をこすりつけた。

 

 どうやらおはようと言っているようだ。1年も共に過ごしている二人は今ではそれなりに密な意思疎通ができるようになったらしい。彼女はわざわざしゃがんでまで彼の頭をそっと撫でてあげた。

 

 ピョコピョコと動く苗木、その根本の部分を撫でられるのが彼は好きなのである。その美しい手でそっと彼を慰めてあげる千夜。口調は厳しい彼女だったがその表情はなんとも穏やかなものであった。そうして数分ほど存分にかまってあげた千夜はバケットを彼に差し出す。

 

 焼きたてのパンがいくつも詰まっているそれ。木製の小さな籠からいくつかのパンを取り出しては彼に差し出した。これがいつもの彼の朝食なのだ。それらのパンを見つけた彼、瞳を輝かせて嬉しそうにそれに見入っていた。

 

「ほら、ごはんだ」

 

「ナエーー♩」

 

「相変わらず…お前は食いしん坊ですね」

 

 仕方なさそうに苦笑する千夜。この1年間ずっと共に過ごしてきたのだ。彼がどのような性格でどのような生物なのかも理解できるようになっていた。彼は泣き虫で甘えん坊で…そして優しい奴なのだと。意外に頼れる男らしい姿を、彼女はそっと思い出す。

 

過去に起きた事件を振り返る

ポケモンによる事件

巻き込まれたお嬢様の騒動

 

 誰をも頼れなかった千夜とちとせを救ったのは紛れもなく彼らだったのだ。窮地に駆けつけてくれたズバットとナエトルの事を思い返す。あれから随分と色々な事があった。衝突も和解も実に多くの事があった。

 

 話そうとすればきっと随分と長い話になってしまうだろう。ともあれ千夜にとって彼は、今ではすっかりパートナーとなっていた。己が芯から頼れる相棒になったのである。

 

 ちなみにニックネームはつけていない。「お前」と呼んでいるのは何故なのだろうか。もしかすると一種の愛称なのかもしれない。あるいは千夜にとっては「お前」と呼ぶ事が愛であり一種の信頼に繋がるのかもしれない。

 

 お嬢様には敵が多い。それは様々な意味でもそうだ。自身もまた人には言えないような暗い、苦しい過去を背負ってきた女だ。千夜にとってはお嬢様こそが全てでありそれ以外は瑣末な存在であった。少なくとも以前はそうであった。

 

 彼らと出会って以来自身の表情が劇的に柔らかくなっている事に、千夜は気が付いていない。トコトコと走り寄って自分に甘えてくる彼の存在にいつからか敵意を抱く事も忘れてしまった事を。毎日幸せそうにむにゃむにゃといびきをかく彼の姿にきっと無自覚に癒されてしまったのだろう。

 

たまに見る夢は炎が荒れ狂う夢であった

全てが一切の慈悲なく壊れていく

 

大切な人が

大切な物が

すべてその炎によって消えていく夢

 

 その時から、彼女は何かを求める事をしなくなった。夢を見ることを恐れ、何かに逃れるように職務に明け暮れるようになったのだ。そんな冷徹な彼女を変えた存在がいるとするならば、それはきっと…。

 

 ふと彼に触れてみる。呑気な顔をしながら、美味しそうにパンにかじりつくナエトルの頭を撫でてみる。彼のあまりに能天気な、いつもらしい表情に千夜はつい笑みをこぼしてしまう。ありふれた少女のように無邪気に微笑む。メイド服を着た彼女はしゃがみこんだまま、頰に手を当ててくすくすと笑った。

 

 

「お前は…変わらないな」

 

「ナエー?ナエ〜」

 

「お前はいつまでたっても甘えん坊の食いしん坊だという話です」

 

「ナエー!!」

 

「ふふっ…」

 

 そんな事ないよ、とばかりに怒るナエトル。彼のプンプンとした怒りなど長続きはしない。ナエトルはいくつかのパンを食べているうちにすっかり笑顔を取り戻してしまう。そんな彼の表情の変化につい声をあげて笑ってしまう千夜。

 

それはかつて災害で家族も故郷も

全てを失ってしまった彼女には珍しい心底からの笑みであった。

 

 

 


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