ポケデレ〜不思議な生物とシンデレラガールズの日常〜 作:葉隠 紅葉
コポコポという音が響く。事務所の誰かが持ち込んだであろうコーヒーサイフォンの音だ。待機室に置かれたその焙煎機械の中ではいくつもの豆達が踊っていた。それはまるでこの浮世における幻想のようであった。
この現代社会に踊らされているボク達もあるいは似たような物なのかもしれないな、二宮飛鳥はそう考えてふと笑った。
ブラジル産の良いコーヒー豆の香りを堪能しながら彼女は午後のまどろみを堪能する。先ほど淹れたコーヒーをマグカップへと移し替えながら彼女は席に着いた。そんな彼女に対して先にソファについていた先客、早坂美玲が声をかける。
「あれ、アスカ?」
「なんだい?君も飲みたいのならご自由にどうぞ」
「いや、ブラックコーヒーが好きなんじゃなかったのかなって」
「ブラックコーヒーか…懐かしい響きだね」
飛鳥はマグカップを傾ける。その中は漆黒の珈琲…ではなく茶色い液体が入っていた。ミルクをたっぷりと入れたカフェオレのようなコーヒーであった。
よくわからないと言った表情をする美玲。彼女はソファの上で寝転がりながら同室で佇む飛鳥を見上げた。一方飛鳥はカップを片手に不敵な笑みを浮かべる。
「美玲、所詮それは味覚の嗜好でしかないものだよ」
「えっ」
「万物は流転するという事さ。人もセカイも忙しなく変化を求めるものだ…味覚もまた同様に、ね」
「う、うん?」
「人は他者からの視線を気にするものだ。だが他の影響を受けてまで己の欲求を歪める事は本当に正しい事なのかな?ボクはそうは思わない」
「つまり甘いものが飲みたいんだな」
「そうとも言うし…そうとも言わない。まぁ君の好きなように解釈をすると良いさ」
そう告げた飛鳥。彼女はカップを傾けてコーヒーを堪能する。湯気が立ち込める茶色いまどろみが、レッスン終わりの彼女の肉体をいたわっていく。それはまるで天使の如く優しく悪魔の如く激しい旋律であった。
まるで楽園を追われたアダムのような心境であった。禁断の果実といえど身体はそれを求めてしまう。あるいはその根源的な欲求こそが人の原罪と言えるのかもしれない、そこまで考えて飛鳥は再びふっと笑みを浮かべた。
『A級ライセンス(悪)!1ヶ月で完全攻略!』という分厚い参考書を読んでいた美玲。彼女はその分厚い冊子を睨みつけるとため息と共にテーブルにおいた。どうやら小休止するようだ。
飛鳥と美玲はテーブルの上に置かれた菓子に手をのばす。茶色いお盆の上に置かれた色とりどりのお菓子達。それらに手を伸ばす少女達。梱包紙のぺりぺりと破れる音が待機室に響いた。そうして盆上のお菓子達は二人と一匹の心を癒していく。
「美味しいね」
「ん…美味しいな」
「ほらクロイツ、君の分のクッキーだ。食べると良い」
「クゥウン」
飛鳥が傍にいる自身の相棒へと語りかける。そうしてソファの隣で寝転んでいた
ドイツ語で十字架を表す「クロイツ」という名前から命名されたルクシオを眺める美玲。高さ0.8mの電気ポケモン。その鋭いつめ先と長い尻尾が特徴的なでんこうポケモン。ソファの上でまるでライオンのような雄々しさを放っている。
ドイツ語で十字架を意味するその名前。正直にいってかなり独特なネーミングセンスである。飛鳥本人は最高の名前だと思っているらしい。罪を背負ったボクにふさわしい名前だとかなんとか。ちなみに電気関係から「サンダー」「ボルト」「トール」とかなり迷ったらしい。このラインナップを考慮すると、或いはクロイツと命名されたのはルクシオにとって幸運な事だったのかもしれない。美玲はそんな飛鳥とルクシオに話しかけた。
「ルクシオはクッキーが好きなんだな」
「あぁどうやら糖分は人にもポケモンにも有益なようだね」
「そういえばうちのヤミラミもお菓子好きだったな」
「何が好きなんだい?」
「栗饅頭」
お菓子を片手に返答する美玲。そうして彼女は隣の倉庫へと遊びに行ったヤミラミのことを考える。ヤミラミは明るい所を好まないのだ。本来洞窟に住んでいる彼らにとって昼のこの時間帯は遊ぶか眠るかのどちらかの行動をするものだ。そんな美玲の考えをよそに飛鳥とルクシオはコミュニケーションをとる。
「彼はこのチューイングガムが好きでね。ほら、お食べ」
「ガウゥガゥ」
「多分要らないって言ってるぞ」
要らないとばかりに首をふるルクシオ。抜群の相性、とは呼べないだろう。飛鳥はすこし悲しげにため息をついた。珈琲を飲んで喉を潤す彼女。
「ふっ…人と人が分かり合えないんだ、どうして彼らとコミュニケーションが取れると思い込むのかな」
「いや、だいぶ分かりやすいぞ」
「だが、だからこそ結べる絆がある…ボクはそう信じている。君もそう思うだろうクロイツ?」
「ガウッ!」
飛鳥の声に応える、ルクシオ。どうやら相性はともかくかなり仲がよいらしい。というよりは飛鳥に対してルクシオが付き合ってあげているとも解釈できそうだが。ともあれ彼女がいうように絆は確かにあるようだ。
ソファの上で感嘆の声を漏らす美玲。絆があるかどうかではなく、飛鳥の厨二的な言語を理解できるルクシオに対しての感嘆の声である。よくもまぁあれを理解できるものだと美玲は感心をした。
クッキーをポキリとかじる。チョコチップが混じった1パック30枚入りのそれをもぐもぐと堪能していく。そうして美玲は自身のスカートにポツポツとクッキーの破片をこぼしながら独り言をつぶやいた。
「進化か…格好良いな…」
思わずポツリと呟く美玲。その視線はルクシオに向けられていた。確かコリンクから進化をしたはずだ。この一族は更にもう一段階、つまり計二回も進化をするというのだ。美玲としてはこの進化が羨ましいのであった。
彼女のそばには、相棒であるヤミラミがいる。だが、ヤミラミは進化をしない種族だ。少なくとも学者からはそう判別されている。ヤミラミの姿に不満があるわけではない。だが、一生進化をしないと言われると…やはり切ない思いはどうしても残ってしまうのであった。
可愛い進化
格好良い進化
色々種類はあれどやはり目に見える変化というものは好ましいものだ。とはいえサイズやタイプが変わるとそれだけで飼育が大変な部分も出てくるのは事実だが。そんなことを考えている美玲に対して飛鳥はこう告げた。
「進化…それは本当に必要な事かな?」
「え?」
「機が熟すれば向こうからやってくる。ボクらは焦らずそれが来るのを待てば良いのさ」
「でもヤミラミは進化をしないって…」
「外見よりも重要なのは中身さ。変わらぬものがあるように、変わるものもまた在る筈だろう?」
「うーん深いような…深くないような」
飛鳥の言葉にうーんと首をかしげる美玲。まぁともあれ彼女のいうことにはなんとなく理解はできる。ようは外見の進化だけに囚われるなという事だろう。美玲はそう納得をした。
そうしてふと机の上に放置していた参考書を眺める。A級ライセンス対策と書かれたそれを眺めながらふと美玲は思い出す。そういえば、と美玲は自身の向かい側でふっとキザな笑みを浮かべる友人に対して尋ねてみた。
「ところで飛鳥はライセンスが取れたのか?」
「うぐっ…」
「…今動揺しなかったか?」
つぶれたカエルのような声を発してしまう飛鳥。そのうめき声をかき消すように彼女は笑みを浮かべた。こほんと咳払いをする飛鳥。そうして彼女はふっとキザな笑みを浮かべながら再び答える。
「ラ、ライセンス…それは本当に必要な事かな?」
「多分必要だと思う」
「機が熟すれば向こうからやってくるものさ」
「いや、ウチはそうは思えないんだが…やっぱり飛鳥も取れてないんだな…」
コーヒーを掴んだ手が震える。そうして飛鳥は今度こそ困ったような顔をしながらそっと天井を仰いだ。それは虚ろな瞳であった。まるで宿題を忘れてきてしまった小学生のような…目の前で電車を逃したサラリーマンのような。そんな虚ろな表情をしてしまう。
そう彼女、二宮飛鳥はこの間めでたく7回目のライセンス試験に落第したのである。B級(電気)限定という難関試験は14歳の少女には少々荷が勝ち過ぎたらしい。少なくとも飛鳥にとってはそびえ立つ壁に等しかった。まるで資本主義と社会主義を断ち分けるベルリンの壁に等しい、そんな障害であった。
「セカイは…ボク達を拒絶するか…」
「多分政府だと思う」
「ふっ…社会体制への反抗。それもまたロックだね」
「いや、李衣菜みたいな事言って逃げるなよ」
美玲からの鋭いツッコミが入る。それを笑って受け流す飛鳥、いや笑い事ではないのだが。ともあれ彼女達はどちらもライセンス試験に合格できないでいるようであった。
11歳(小学五年生)以上で一匹まで
13歳(中学生)以上から二匹まで
15歳(高校生)以上から三匹まで
ポケモンの飼育可能数はこのようになっている。ポケモンの飼育申請書によってポケモンの捕獲と飼育が可能になり、ライセンスの有無によって公共の場所への連れ込みや公式バトルへの参加が可能になる。だが、定められた規定以上にポケモンを捕獲、飼育することは法律で禁止されているのである。
これはポケモンの乱獲といった行為を防ぐための処置でもある。ちなみに成人時からはこのような規定はなくなり、もう少し規制はゆるくなる。
C級ライセンス:中学受験相当
B級ライセンス:高校受験相当
A級ライセンス:大学受験相当
試験のレベルをこのようにイメージすると理解しやすいかもしれない。無論、一概には言えないし一般的な学力と安易に比較できるものでもないが。ポケモンに関する知識だけでなく一般常識等も兼ねて出題されるのである。
ポケモンにバトルをさせる事には大きな責任も伴う。けが人が出た場合の救急対応、街並みへの被害、災害時のポケモンへの行動指示。これらの行為には一般常識も必要になってくるからである。
余談ではあるが飛鳥のルクシオは飼育した段階で既にルクシオであったらしい。飛鳥自身はバトルを行なったことは未だ一度もなかったりする。本人としてはもの凄くバトルには興味があるが如何せんB級(電気)限定試験がむずかしいのだから仕方がない。なにせ電気関係は人気且つ難関なタイプ試験としても有名なのだ。
Q一般個体のエレブーは最大で何ボルトまで放出できるか答えろ
Q野生のビリリダマの『じばく』を防ぐために有効な手段を以下の選択肢から選べ
このような特殊な知識が必要になるのである。他のタイプに比べても比較的困難な部類に入る試験であろう。その代わりに日常への恩恵は大きいだろう。電気タイプとはこの都会においてハイリターンな存在なのである。
頭を抱えてしまう飛鳥。自身の学力が特段に劣るとも思えないが14歳の少女にとってB級限定は少々困難すぎるのだ。そんな悩みを抱えて言える飛鳥に対して美玲は仕方ないなとばかりに答えた。
「仕方ないなぁじゃあ今度一緒に勉強するか?」
「え?」
「今度早苗さんが教えてあげようかって。多分頼めばB級ライセンスの試験対策もやってくれるんじゃないかな」
「さ、早苗さんが…?なんでまた…」
「さぁ、なんでかウチにもよく分かんないけど」
「うぅ…なんだか彼女の指導は厳しそうだね」
「そうかな?ウチはヤミラミの為ならなんだって頑張るぞ」
「……」
「飛鳥も一緒に勉強教えて貰ってもいいですかってさ、ウチからもお願いしてあげるから」
「ふっ座学は他人からの影響を受けないものさ、有難い申し出だが…」
「でもルクシオと一緒に旅行とか行きたいだろ?」
「……」
「…一緒に勉強するか?」
「…うん、おねがい」
コクリと頷く飛鳥。どうやら彼女もルクシオの為に努力するようである。甘いコーヒーを勢いよく飲み干した飛鳥。そうして彼女はネットで新しく参考書を探し始めた。こうして飛鳥と美玲は自身の家族の為にも一層座学に励むようになったのであった。