ポケデレ〜不思議な生物とシンデレラガールズの日常〜 作:葉隠 紅葉
一匹のサンドが観客席に座っていた。そのちいさな体をちょことんと丸めながら硬いプラスチック製の座椅子に座る彼。野球を観戦しに来た周囲の人間達は行儀よく座る彼のことを興味深げに観察していた。二つ隣にすわる眼鏡をかけたTシャツの青年などカメラを片手にまじまじと観察していた。どうやらサンドを見るのは初めてのようであった。
汐留グランド野球スタジアム、ここでは休日にも関わらず実に多くの人間達で賑わっていた。キャッツVSアングラーズ。この試合は数日前から多くのファン達が待ち望んでいた大人気マッチでもあったのだ。ここにいるサンドもまた、自身の主人に連れられてこの野球スタジアムへと観戦しにきたのである。
サンド、じめんタイプのネズミポケモン。その小さな手足にちょこんと飛び出た尻尾がトレードマークの愛らしいポケモンである。小さなアルマジロを想像するとわかりやすいかもしれない。小さな、と言っても体長は55cm程度もあるが。
そんな彼はジュースを飲んでいた。飼い主が買い与えたのだろうか。映画館で販売しているような巨大な紙で作られたコップ、その中身を甘い炭酸飲料で満たしたそれをコクコクと美味しそうに飲んでいた。
足をぷらぷらと揺らしながら両手でジュースを抱え込み飲み続ける彼の姿は大変愛らしかった。前方の席に座っていた女子大生が黄色い声をあげながらスマートフォンで彼の写真をとっている。そんな彼のもとへ一人の美女が現れた。20代前半の、黒髪をした実に可愛らしい女性であった。
「やーごめんごめんお待たせー!」
ユニフォームとオレンジ色のキャップをかぶった彼女はにっこりと笑いながらサンドの隣へと腰掛けた。姫川友紀、である。腰にメガホンを付け、首元には赤いストライプの入ったスポーツタオルを身につけている彼女はにこにこと微笑みながら大好きな野球観戦の準備をし始めた。
手に持っていた購入したばかりのビールを大事そうに抱えながらそわそわとし始める彼女。野球観戦は彼女にとって最大最高の娯楽であったのだ。それはもう猫におけるまたたび、ニャースにとっての小判、ピカチュウにおけるケチャップのような存在である。つまりは欠かすことのできない存在であった。
そんな彼女の様子にあきれ気味のサンド。彼はため息をつきながら再びコクコクとジュースを飲み始めた。彼女とは長い付き合いである。彼女の野球観戦と飲酒が趣味というおっさんのような嗜好にはもう慣れてしまった。
姫川友紀が嬉しそうにカバンから帽子を取り出す。それは彼女がこの世のなによりも贔屓にしている野球球団、キャッツの公式会社が販売している「キャッツ応援キャップ!」であった。アルファベットの「C」に二本のツノが生えたような特殊なロゴをしたその子供用キャップ。それを彼女は嬉しそうにとなりに腰掛けているサンドの頭へと被せた。
「今日はねー大好きな佐々木が出るんだ!あとはね、最近だと五十嵐なんかも注目でね♩」
「…キューン」
「えへへー楽しみだなー!あっこの帽子はこの間買ってね!それで…」
にへへと嬉しそうに笑いながら今日のキャッツの見所について語り出す友紀に対して無表情をつらぬくサンド。気分は少女に着せ替えをさせられるお人形である。そうしてブスーっとジト目をするサンドの頭にはキャップが、首元には子供用のメガホンが取り付けられた。
帽子やらなんやら、野球観戦グッズで身を固められたサンド。そんな彼の姿に姫川は嬉しそうに話しかけた。自身の家族も野球好きに染まってくれて嬉しい、と言わんばかりの様子である。じつはその家族はあまり野球観戦が好きでない、とは気が付いていない様子であった。悲しい事実である。
「かわいいよパンちゃん!今日もいっぱい応援しようね」
「…キュー」
「声が小さいぞー!ほら一緒にー!」
フレーフレー
頑張れキャッツ!
フレーフレー
負けるなキャッツ!
自前の応援歌を大声で叫び出す彼女。まだ試合が始まる40分も前である。周囲に座る少年少女たちにくすくすと笑われる彼女。それでも彼女はふふんと嬉しそうにスタジアムに向かって笑みを浮かべた。
彼女はまっすぐな人間であった。好きなことには一直線という彼女の気質をサンドは大いに気に入っていた。まぁ飲酒と野球観戦についてはほどほどにして欲しいというのが正直なところであったが。
二日前ベッドの下でへそをだしながらいびきをかいていた彼女のだらしない姿を思い出しながらサンドはふりふりと小さくメガホンをふる。しっぽもまた手の動きにつられてかふりふりと小さく、小気味よくふれていた。
試合が始まる。その日の試合は今シーズン始まって以来の大盛り上がりの試合模様であった。打って打たれて、守って打たれる。そんな大接戦の試合であった。キャッツの選手陣もまた大いに奮闘しその姿にファン達は魅せられていく。まさに熱狂といった様子であった。
始まって30分間、友紀は自身の膝元にサンドを座らせるというおきまりの観戦スタイルを守っていた。が、いつの間にか熱狂してしまっていたらしい。時には大声をだし、時には応援バルーンを飛ばす彼女。
メガホンを振り回し怒声をとばすおっさん、スポーツタオルを精一杯振り回す少年に混じって誰よりも大きな声を出す彼女。いつのまにか自身の膝に座らせていたサンドを跳ね飛ばしてぴょんぴょんと飛び跳ねながら歓声をあげていた。
「うぉおおおお!!いいよぉおお!!!打てぇえーー田口!!!」
「…キュー」
黒髪が特徴的な美人である姫川友紀。黙っていなくても美人であるがもう少しおしとやかになればもっと男にモテるだろうに、と思ってしまうサンド。彼は彼女が置いたバッグの隣で自身の体を「丸め」ながら考える。
尻尾と手足を収納したこのスタイルはやはり落ちつくらしい。サンドというものの種族ゆえに、だろうか。凸凹の少ない、実に見事なまるまり方であった。のちに346プロダクションのポケモンコーチに絶賛される彼のまるまりは一人の女の野球観戦による弊害だと知るものは誰もいない。少なくとも今の所は。
そうして試合が終わるまでの数時間、彼は丸まりながらすやすやと睡眠を取り始めた。いつのまにか大歓声の中、眠れるようになってしまった自身の適応力にあきれながら彼はやすらかに夢を見始める。