ポケデレ〜不思議な生物とシンデレラガールズの日常〜 作:葉隠 紅葉
それは随分と無機質な空間であった。某所に建設された小さなマンション。その305号室と記載されたその空間にはベッドと簡素な机しか置いてなかった。とても人が住んでいるとは思えない無機質で空虚な空間。そんな空間の中に彼女はいた。
こちらの世界で購入したタッチパネル式の電子端末(スマートフォンというものらしい)から電子音が鳴り響く。どうやら共に来た仲間からの連絡らしい。シロナはその画面を確認するとそっと溜息をつきながら電話に出た。
『もしもし、シロナさんですか?』
「ダイゴ君…また悪い知らせかしら」
『いえいえまさか、朗報ですよ。例の…最後の穴は完全にふさぎ終わりました』
「…っ!そう、サイキッカー達がついに…」
『これでもう僕たちの世界からポケモンや人が流出していくことはありません』
「あぁ良かった…本当に良かったわ…」
電話の向こうから響く自身の後輩、ダイゴからの言葉に耳を傾けるシロナ。どうやら彼らの方もうまく行ったらしい。彼の言葉にシロナ自身も言葉を弾ませながら返答をする。
椅子にもたれ掛かって自動販売機から購入した紅茶の缶を傾ける。だめだ、どうにもこの世界の飲食物はシロナ達の口には合わない。人工甘味料やら着色料やらは人工物臭く、全てがオーガニック製品で製造された故郷の味にはとても合わない。
「さっき同行したエリートトレーナーの一人から連絡もあったわ。数時間前にも一人シンオウ地方の男性を確保したから…うん、あと数人探せば仕事は終了ね」
『そうですか…長かったですね…』
「えぇ本当に…」
ポケナビに表示されたリストをなぞりながら答える。そのリストには…人物の顔と名前、職業や行方不明になった状況が事細かに記載されていた。彼女たちの世界でも神隠しと言って話題になった行方不明者リストである。ずらりと並んだ彼ら彼女らを救うために一体どれほどの時間を費やしてきた事だろうか。
ここまで来るのに本当に長かった。想えばシロナにとっては随分と不思議な日々であった。想えばあの日、カンナギタウンに神隠しとして迷い込んだ佐々木千枝を救出した事から何かが変わったのだろう。彼女が私達の世界に迷い込んだ時から不思議な縁が結ばれたに違いない。
時の回廊から彼女を見送った日から度々千枝の事は思い出していた。元気に暮らしているのだろうかと、心配には思ったもののなにせ文字通り住む世界が違うのだ。もう死ぬまで会うこともないだろうとは覚悟していたが…まさか数年後にこうして彼女のいる場所へと自分も行くことになるとは夢にも思わなかった。
始まりにあったのは混沌のうねり。星も、宇宙すらもない永遠の闇の中でそれは産まれた。はるか昔、混沌より産まれ出でたかの存在は自身をアルセウスと定義した。
アルセウスは願う
光あれ、と
光の中から、その創造神は二体の半身を産み落した。余りにも巨大で、膨大なエネルギーの塊。そのうちの一体は時を支配するようになり、もう一体は空間を司るようになった。
時の神 ディアルガ
空間の神 パルキア
更にアルセウスは願う
心あれ、と
そうして三体の心が産まれた。その心はそれぞれ感情を、意思を、知識を司るようになった。そうして幾つもの世界が創造された。我らが母アルセウスはその中に惑星を造り、更にその中に生命を産み落した。産み落された生命にはたくましく育つようにと「ある遺伝子」を組み込まれた。そうしてポケモン<<彼ら>>が産まれた。
そうして母アルセウスはそれを見終えると再び次元の壁を踏み越えて別の次元へと旅立った。世界から世界への移動、並行世界への干渉である。とある世界では世に秩序と安寧を示し、とある世界では進化した超文明に滅亡をもたらした。そしてまた別の世界では…まだ四足でしか歩けなかった猿という種族にまた別の遺伝子をもたらし進化を促したという。そうして母はあらゆる次元で「神」となり、あらゆる伝承と逸話で語られるようになった…らしい。
真相は誰にも分からない、けれど確かなことはある。それは私たち知性体、否全ての生命の陰には創造神アルセウスの手が及んでいるという事である。
本来世界というものは壁によって隔たれている。とても分厚く、目に見えぬ障壁。シロナ達が住む世界、シンデレラ達が住む世界。それらはとても近く、決して交わらない筈だった。
それがほんの少しの行き違いによってほんの少しだけの穴があいた。そうしてその穴に、佐々木千枝が迷い込んだ。あの日、幼かった千枝をシロナ自身が確保できた事はきっと幸運だったのだろう。千枝を保護して一年間シロナは寝食を共にしてきたのだ。千枝自身は世界を渡る際にその記憶を消されてしまったが…
そうしてその後、あの災害が起こった。
後に起こった事件、犯罪者集団首領「アカギ」の手によるこの事件は、後に大災害として語られる。時の神と時空の神を呼び出してこの世界を破滅させ、新たな世界を創造しようとした愚かな男。彼の手によって安寧を脅かされた二柱は怒り、文字通り神の手による天罰が彼らへと下ったのだ。
神と神による激突。アカギと2柱によって引き起こされた時空震が空間にねじれを起こし…時空と次元の狭間に12個の綻びを生んだ。その綻びは大きな点となり、やがてはそれが巨大な穴となった。
人も、物も…そして多くのポケモンも飲み込む大きな穴へと。そうして私たちの世界とこの世界がつながった。不安定ながら、繋がりを持ってしまった。シロナたちが気が付いた時には既に数え切れぬほどのポケモンたちが流出してしまっていたのだ。
『今でもぞっとしますよ。次元の壁の損傷に気が付くのがあと少し遅ければ…』
「ロケット団の元秘密基地…サファリパーク…シンジ胡…そしてシロガネ山。様々な地方から多様な穴が広がったものね…そのせいかこの世界でもやけに多種多様なポケモンが移住しちゃったし」
『えぇですが…穴は完全に塞げました。もう被害が出る事はありません』
「そう…ね。今度こそ本当にお別れかしら」
『…良かったんですか?』
「え?」
『ポケモン達を回収してこなくて…もう完全に根付いちゃいましたけど』
「仕方ないでしょう…何十万単位のポケモンの回収と関わった人間の記憶改竄だなんて…とても現実的じゃないわ」
『……』
「後のことはこっちの世界の住人に任せましょうよ」
電話の向こう側で沈黙を続けるダイゴ。どうやら彼は私たちの判断に満足がいっていないようだ。無理もない、この世界の歴史を知ったときはシロナ自身も絶句したものだ。およそこの2000年間は同胞たちによる戦争ばかりしているというのだから恐ろしい。
シロナたちが住む場所は平穏な場所である。少なくとも人を明確に傷つける武器や古代兵器の類は遥か昔の盟約より破棄されて久しい。元より創造神アルセウスの庇護のもと言葉も文化も宗教も統一して既に数千年と経っているのだ。国という物を捨て地方と呼び名を変え、私たちは過激な技術進歩ではなく神の庇護のもとの安寧を選んだのである。
そんな人間達からすれば文化や宗教の違いだけで人を傷つけあえるこの世界が酷く歪で醜いものに思えてしまうのだ。ましてや肌の色の違いだけで人を差別するなど狂気の沙汰である。
この世界では当初…ポケモンへの兵器の使用や彼らの軍事利用が目前まで行われそうになったのだ。あと一歩、シロナたちが来るのが遅ければポケモンと人間とを巻き込んだ世界戦争だって起きかねなかったかもしれない。
世界各国の首脳への極秘会談、各メディアへの裏からの干渉、犯罪組織へのけん制と撲滅活動。それらと並行して行ってきたのが漂流者の保護、そしてポケモンと人間との調和活動である。一歩間違えれば大惨事につながるようなこれだけの綱渡りを行ってきたのだ。各地方の四天王やチャンピオンクラスの協力がなければと思うと…今でもゾッとするような話だ。
「ポケモンの戦争利用、虐待、歪な進歩。どれも気にしてもしょうがないわ。そうならないように陰で支えてきたんじゃない」
『……』
「もう少し人を信じてみなさい。人もポケモンも、いつまでも守られなきゃならない程弱い存在ではないわ」
『…シロナさんには叶わないな』
「ふふっだって貴方より先輩だもの」
電話越しに聞こえる彼の溜息。そんな溜息にシロナはクスクスと微笑みながら答えた。どうやら随分と時間がたっていたらしい。いつのまにか手元にあった缶コーヒーから湯気は消えていた。
そっと机に立てかけた写真たてを眺める。それは元の場所から持ってきた唯一のものである。写真の中には笑顔でシロナと共に写真に写っている千枝の姿があり…
『それじゃ…また漂流者を探しに行きますね』
「私もネットサイトの更新だけしてから行くわ」
『あぁ例のサイトの…K・Sってのは安直だったんじゃないですかね』
「…私は気に入っているからいいの!」
そういって電話を切ったシロナ。ダイゴからの言葉が恥ずかしかったのか少し頬が紅くなっている。まぁアルファベットの方はともかく博士というのは少し気恥ずかしいものだ。
K・S博士
意味はカンナギタウンのシロナ博士、である。考古学者としてタマムシ大学を始めとした数々の研究機関で講義も行っている彼女ではあるものの、やはり先生、と博士、では違うものだ。彼女らプロトレーナーにとって博士とは天上の存在であり憧れを抱く存在なのだ。
異世界で一度くらい名乗ってみたかったという子供のような願望であったのだ。まぁ事実この世界にとってはポケモンの概念を定義した超重要人物となっているのだから、ある意味では彼女も本望なのかもしれない。
「ポケットに入るからポケットモンスター…か」
こうしてみると何とも感慨深いものだ。ポケットには夢が詰まっているというが…それと同じくらい大切なものが詰まっているに違いない。きっとこれを名付けた人はそんな大切な何かを、未来を担う子供たちに抱いてほしくてそう名付けたのかもしれない。
勢いよく背伸びをするシロナ。さぁこの世界に留まるのもあと僅かだ。そうして立ち上がった彼女の背中には未来への希望が伴っている。そんな彼女のポケットには一つのフレンドボールが入っていた。かつて大切な友人と再会を誓い合ったその友情の欠片。そのフレンドボールには幼いころに千枝が描いたサインと刻印が入っていた。
Fin