どうか平にご容赦を。
1. The end of Hero(英雄の最期)
その日は、夏の暑さの残る処暑だと朝のニュースで言っていた。
およそ十年間続いた連合との戦いに終止符を打つべく作戦会議を行った後にほんの数分見た天気予報が思い出され、どうでもいいと頭を振る。
諸悪の根源は打倒した。
奴の力の源の両の手のひらは上腕中程で折れており、右腕に至っては関節の数を数えるのが億劫になるほど、ぐしゃぐしゃにしてしまったほどだ。
今は打撃による脳震盪と痛みによるショックで青天の様相で昏倒している。
勝利の余韻よりも喪失感の方が大きい。
勝ちの代償としては失うものが大き過ぎた。
僕だけに限って言ってもまず間違いなく助からない。
右目の喪失と左足首の切断。
左脇腹もボロボロに崩壊してしまっていて止め処なく出血している。
その為か、夏の暑さは感じず、逆に震えるほど寒い。
適当に拾い上げた、半ばで崩れ落ちた標識を杖に、痛む身体を推し、血の足跡を残しながら進む。
最愛の人が斃れた場所を目指して。
まるで神野の悪夢の再現だ。
どこもかしこも崩れ、壊れ、いびつな更地になっている。
歩きにくい足元を霞む目で確認しながら歩く。
途中で転がることなく、歩む僕は存外器用だったのかもしれない。
亀にも劣る歩みで進むと子供の圧し殺した鳴き声が遠退く聴覚を叩いた。
もう少しだと一踏ん張り。
瓦礫の小山を這って登り、その一番上から幼い女の子と最愛の人が居るのが見えた。
「…ッ!?デクぅぅぅううう!!!」
僕に気付いた女の子は擦り剥いて流れる血を気にせず僕に駆け寄ってきた。
「もう大丈夫だよ。悪い敵(ヴィラン)はやっつけたから」
痛みも疲れも何もかもを置き去りに笑顔を浮かべてみせた。
この子は不安だったんだ。
心配ない、と安心させてあげなきゃいけない。
僕はヒーローなんだ。
だから、これはやらなきゃいけない。
ヒーローとしての義務なんだ。
痛みも疲れも感じさせない笑みを浮かべろ。
それ以外に拘っている暇は今はない。
「でも…っ!ウラビティがっ!あたしを庇って…っ!!」
「大丈夫。インゲニウムがこっちに向かってるって。君はもちろん僕らも必ず助かるさ」
元気を繕い、声を張って彼女に応えた。
「ここは瓦礫の陰になって見つかりにくいかもしれないから君は瓦礫の向こうにまっすぐ歩いて行ってくれるかな?もう危険はないから大丈夫だからね?」
本当なら彼女を連れて行くべきなんだが、如何せんこれ以上どこも動かせそうにない。
一人前のヒーローとして、情けない限りだ。
「で、でも…っ!」
「大丈夫だから。僕はウラビティの応急処置をするから先に行ってて?ね?」
愚図る彼女を奮い立たせ、何とか助けを呼びに行ってもらった。
それを横目に確認しながら再度標識を握った。
少女が辿った十数歩があまりに遠い。
残り五歩程度の距離で握力を無くし、ベシャリと倒れ臥す。
「遅くなってごめんね、お茶子さん。」
不恰好な匍匐前進で残りの五歩を埋めた後、割れたバイザーを除けながらそう声を掛けた。
「…あー…デクくん…おつかれさまぁ…。」
寝起きのような半目でこちらを見る彼女の髪を左手で撫でつけながら「ただいま」と言う。
「…あー、髪。僕の血で汚しちゃった。落とすの大変かも…ゴメンね…」
「…いー…よー…。お互いボロボロだし…仕方ない…よ…。」
息も絶え絶えの様相なのにそう感じさせないような、ふにゃりとした麗らかな笑みを浮かべる。
「その表情。ずっと好きだったんだよなぁ、僕…。もっと早く言えば良かったね…」
「そんなん…今更やん。私だって…デクくんの笑顔ずーっと…好きやったよ…」
お互いに血塗れ、死の手前だと言うのにそう感じさせない雰囲気を醸し出してる。
「デクくん…今インゲニウムが…オーバーキュア連れて…こっちに走ってる…って…。」
「飯田君とエリちゃんが…。間に合う…ゴポッ…かなぁ…。」
不意に訪れた吐血に身体を動かすこと叶わず、手で抑えるのみに止まった為、数滴彼女の頬を濡らした。
「ゴメンね、汚しちゃったね…。」
「大…じょーぶ…。デク君のなら…へーき…へーき…。」
えへへ…と力無く、されど力強い笑みを浮かべる彼女。
そんな笑顔を見てこちらも笑顔になる。
「長い戦いも…終わったし…これから平和な時代になる…よね…」
「そーだよ…私たちが頑張ったんだ…って…きっと教科書にも載っちゃうよー…」
「『斯くして…ヴィラン連合の首魁はヒーロー…ウラビティとヒーローデクの奮戦に…より…討たれたのである』って感じ…かな…?」
「…えー…私の方が…先…なの?」
「僕はそうが…いいなぁ…」
「じゃぁ…そう出版社の人に…お願いしないと…だね…」
「まずは無事に…生きて戻らなきゃ…だね…」
「そー…だねー…」
取り留めもない会話を続けるもの呼吸が段々浅くなっていく。
繋いだ手の力が抜けて行くのを互いに感じていた。
「なんだか…寒いねー…」
「僕も寒いや…なんだか…眠くなってきたよ…」
「ダメだよー…『寝たら死ぬぞー』…って言うじゃない…」
彼女は冗談めかして言い、状況にピッタリなものだった為に、お互い小さく声に出して笑い合った。
「デク君…『次』って…あるのかなぁ…」
「どうだろう…あったら…ゲフッ!ゴポッ…いい…なぁ…」
先程吐いてから抑えていた血が気道から逆流し、我慢しきれず再度吐く。
「お互い…間に合いそうに…ないねぇ…」
「そー……だねぇ…。」
コンクリート地の窪地に倒れていたこともあって僕らの血は瓦礫に染み込むこともなく混ざり合い、小さく浅い池となりヒタヒタと水面を揺らしていた。
「次も…君を好きになるよ…」
「あたし…もー…」
互いに笑い合い、そしてそのまま目を閉じた。
眠る時のように意識が浮上する感覚。
手に握ったままの彼女の手の感覚がある気がする。
こうして。
デクこと緑谷出久とウラビティこと緑谷お茶子はその生涯に幕を下ろした。
…はずだった。