爆音と共に掻き消えた神通の声が、耳の奥底で残響している。
戦艦棲姫と空母棲姫。二隻の姫の集中砲火は、神通の体をきっと跡形もなく吹き飛ばしているだろう。滅茶苦茶な衝撃が、無線機越しに青葉も消し飛ばそうとする。
このまま動けなければいい、どのみち艤装がないから、動きたくても動けない。此処まで私を牽引してくれたレイは、今深海凄艦と戦っている。そんなことしなくても、良いじゃないか――そう思った時、背中に強い衝撃が走った。
何だ、と振りかえると、二機のレイが青葉に引っ付いていた。
レイたちは驚く青葉に眼もくれず、巨大な鉄の塊を押し付けた。言うまでもなく、青葉の艤装だ。神通が護ってくれた、私の命そのものだ。
瞬間青葉の体が、ドクンと脈動した。
艤装と連動し、彼女の体が動き出す。泣きたかった、喚き散らして蹲りたい。その全てを押し込んで、青葉は走り出す。止まる訳にはいかなかった、此処で沈んだから、彼女の犠牲の意味が、分からなくなるから。
間もなくして、青葉は古鷹たちと合流した。安否の分からなかった皆が生きていると分かり、また涙が毀れそうになる。だがまだ流せない、何一つ終わっていない。それどころか、悪化している。
「青葉、神通さんは?」
「彼女は、沈みました。青葉の艤装を護ろうとして」
絶句する古鷹の顔が観ていられなかった。何処か納得している加古、目をおろおろさせ聞き返してくる衣笠。塞ぎこんだ空気が私たちを押し潰そうとしてくる。
私たち第六戦隊は建造された頃から、ずっと彼女に鍛えられてきたのだ。彼女を失うことは、自分の中で一番大きかった自分が、死んだのと同じだ。
「アーセナルは無事なのかな」
衣笠の言葉に、青葉はハッとした。コロンバンガラ基地で別れた後のことを知らない。青葉は慌てて、アーセナルに無線を繋いだ。
〈青葉か……〉
アーセナルもまた、尋常ではなく暗いトーンだった。
あの後アーセナルは即座に戦艦棲姫から逃げ出し、隣接するベラ飛行場の戦闘機を一機奪って脱出していた。その際囮として、青葉について来たのとは別の、もう一機のレイが犠牲になったらしい。
〈きっとこの世界の技術では補給できないだろう、大きな損失だ〉
「今はどちらに?」
〈サボ島沖近海の上空だ、何処か安全に降下できる場所を探している〉
「あの、言い辛いことがあるんですが」
〈……神通が死んだことか〉
「知ってたんですか?」
レイの損失ではなく、神通の死に心を痛めている。
しかし青葉が思ったのは酷い考えだった。英雄に求めているのはそんな感情ではない、こんな時だからこそ、仲間を鼓舞する強い言葉だ。
〈G.Wと無線が繋がってな、全部聞いた。あいつが死ぬ羽目になった原因も〉
「どうしてそこで、G.Wが出てくるんですか?」
〈……神通が死ぬように差し向けたのが、そいつだからだ〉
頭の中が真っ白になった。空っぽに成った心と頭。そこに耳小骨から何かが侵入し、食い破ってきた。何かが笑いながら、旗印を立てている。
〈それは違う、勘違いをしないでくれ〉
〈G.W!〉
〈我々は最善の方法を提案しただけだ〉
G.Wの演説が、青葉の脳内で始まった。
ヘンダーソン飛行場からの爆撃機に囲まれて、浮上できなくなっている。しかも対潜装備を整えた駆逐艦に囲まれているから、下手に動くことも出来ない。仮にミサイルやレイを発艦しようものなら、即座に位置を掴まれて、爆雷と爆撃に見舞われる。故に動けなくなり、事前に予定していた援護ができなくなったのだ――と。悪びれる様子もなく、当り前の内容を当たり前に説明していた。
「何ですかそれは、貴方のせいじゃないですか。貴女がもっとしっかりしていれば、こんなことは起きなかったのに」
〈それについては謝ろう、だが今はそんな事に構っている状況ではない〉
「そんな事!?」
彼女の死をそんな事で片付けようと――「青葉!」と古鷹が、私の肩を掴んでいた。痛い程に強く、顔を怒りで滲ませている。私だけが怒っているのではないのだ。少しだけ落ち着き、ゆっくりと怒りを吐き出す。
〈白鯨には逃げられた、もうソロモン諸島にはいないだろう。作戦は失敗だ、白鯨を利用することはもうできない。それに連合艦隊の出撃が早まったという情報が入った〉
対連合艦隊用兵器として建造された白鯨は、その性能を試す機会を狙っていた。哀れにも標的になってしまったのは、明日出撃する予定だったショートランド泊地の艦隊だ。出撃のタイミングで奇襲を仕掛けてくるだろう。
「ちょっと待って、連合艦隊が早く出るってことは、白鯨を投入するタイミングも合わせるってこと?」
〈そうだ、深海凄艦は実地試験の開始時刻を早めた時間に再設定した。艦隊の出撃まで後18時間だ〉
〈18時間か、移動時間も踏まえると戦闘に費やせるのは、数時間だな〉
地平線から昇った太陽は、もう真上から熱を浴びせている。
今から18時間後だと、丁度夜明け前辺りに連合艦隊は出撃する。神通に助けられた二水戦の皆が戦艦を護り、次々と沈んでいく光景が、陽炎に浮かぶ。青葉は首を強く振り、幻を風に流した。消えない部分は雪に埋めた。
「まだです、まだ半日はあります」
〈そうだ、そんな事に構っている時間はないのだ〉
青葉は頭を捻る。
肝心の策は思いつかない。
しかし言ってG.Wに何ぞ聞きたくもない。
今更になって青葉は、アーセナルがG.Wを毛嫌いする理由が分かった気がした。
〈悪いが一時的に無線を切らせてくれ、このままだと敵機に見つかりそうだ〉
「分かりました、青葉たちも注意しながら向かいます。アーセナルがいるのは確か――」
〈サボ島沖の上空だ、無事を祈っている〉
ブツンと切れた無線が、神通の最後と重なる。
だが、また会えると青葉は信じていた。彼女はそう簡単に沈みはしない。そして私たちも絶対に沈まない。例えそこが、あのサボ島沖だとしても。
「青葉、それは?」
「……それって?」
「自覚してなかったの? さっきからずっと、凄い力で握ってたよ」
古鷹の目線の先には、愛用のカメラが握られていた。
戦場に出る時は何時も、ドッグタグのように艤装に取りつけていた。青葉の手はカメラを握り、指先はシャッターボタンに触れて震えている。
一番新しい写真は、綺麗な朝焼けだった。
昇り行く朝日の中に、とてもとても、小さな光があった。
見間違いか、思い込みか。
だがその写真はあの瞬間、神通が沈んだ方向に向けて取った写真だった。
それは無意識で行っていた。
「古鷹、絶対、絶対に生きて帰りましょう」
「……青葉?」
「このカメラの中には、神通さんの思い出がいっぱいあります。青葉はそれを残したいです、あの人の記憶そのものを」
誰かの心の中で神通が生き続けていれば、少しでも彼女が救われれば。そう願いながら青葉は、空っぽのフォルダに写真を収めた。このカメラを手にした時から作成していた、名前のないアルバムに。
だが我々はその名前を知っている。それはS3であり、運命だ――誰かがまた、脳髄で笑った気がした。
青葉との無線を切ったアーセナルは、一旦戦闘機を着陸させることにした。
もうじきヘンダーソン飛行場の哨戒範囲に入る、急がないといけない。万一見つかれば、パラシュートなしのスカイダイビングの始まりだ。恐らく人生初めての体験にして最後に景色になる。さぞ良い眺めに違いない。
だが迂闊に降下させても、地上の深海凄艦に包囲される。今のところは見当たらないが、ソロモン諸島の小さな島々の、何処に重巡や軽巡が潜んでいるか分からない。艦娘や深海凄艦の小ささは、こういう時に最大の効果を発揮する。
腹をくくるしかない、アーセナルは戦闘機を海面に近付けていく。
ジャングルまみれの孤島に着陸できるだけの滑走路はない。海面への胴体着陸しかない。やれるかどうかでない、もう選択肢は多くはない。
知識にそって
脱出のため解放したコックピットに、濁流が押し寄せる。降下のGで詰まっていた呼吸が、更に妨害されて苦しみが増す。戦闘機は激しく揺れ、機体ではなくアーセナルの腸を揺さぶった。出す物なんてないのに吐き気が込み上げてくる。
息が吸えないのに、出て行こうとする。耐えがたい苦痛の中、アーセナルは意識をスニーキング・モードに変性させようと試みる。ステルスは自分を外部と同化させる技術だ。自己が無くなれば、この苦痛も多少は緩和される筈。
しかし、始めての状況だからなのか、意識は完全には切り替わらない。やはり拮抗した苦しみが、肺を痛めつける。それでも何とか、冷静な判断力は確保できた。最低限安全な速度になった時、コックピットから飛び出して海面を転がった。
〈大丈夫ですかアーセナル!? 凄い音が聞こえましたけど〉
「問題無い」と言うのも無理だった。しばらくぜいぜいと息を切らし、漸く返事ができた時は、青葉が腹の底からため息を漏らすぐらいの時間が経っていた。だが奇妙なのは、そんなことをしていたのに、何処からも攻撃が来ないことだった。
「妙だ。敵がほとんどいない」
〈本当ですか? 実は青葉たちも何です。敵艦は何処へ行ってしまったんでしょうか〉
「あれだけの数が霞のように消えるとは思いにくい」
白鯨についていった訳ではあるまい。あんな大人数で行けば奇襲作戦の意味がない。仮にそうだったとしても、全ての敵艦が一斉に消えることなど不可能だ。
思い当たる可能性はある。
攻撃を仕掛けて来ないだけで、周囲の島々に潜伏している可能性だ。予感が外れるのを祈りながら、アーセナルはレーダーで付近を探るようレイに指示を出す。
数秒後、送られてきたデータには、無数の光点が光っていた。
「不味いな、周囲の島々から、動きを見張られている」
〈何ですって!?〉
慌てた声と共に、観測機を飛ばす音が複数聞こえる。
その間にアーセナルは、胴体着陸に成功して使い物にならなくなった戦闘機を見つめた。着地の衝撃で胴体の塗装は剥げちている。その下には深海凄艦の黒色ではなく、人工物の色があった。
人間の兵器を深海凄艦が変異させたのだろうか? 無茶苦茶だが、そもそも存在からして奇妙な私たちだ、この程度ならアリだろう。首を上げると、同じく衝撃で圧し折れた羽から、機銃がぶら下がっていた。
P90よりは役に立つかもしれない。多少なりとも艦の力を発揮できる今なら、戦闘機の機銃も振り回せる。アーセナルは機銃を拝借し、一瞬だけ戦闘機に祈りを捧げた。兵器か人間か曖昧な私は、この戦闘機にも命らしきものを感じていた。
〈いました、敵艦です。でも何もしてきません〉
やはりそうか。機銃を抱きかかえたアーセナルは機銃をいったん水につけ、深海凄艦の変異に防水加工が含まれているのを確認して、海中へと潜る。幸い潜水艦は見当たらなかった。これでいたら、詰んでいた。
〈不気味なんですが〉
〈動きは読まれているということか〉
積極的に仕掛ける気がないのは、もう空母棲姫がほとんど勝っているからだ。アーセナルたちによる白鯨の破壊は失敗し、白鯨はショートランドに向けて出撃した。青葉たちが脱出し、大本営に白鯨を知らせたとしても、その時にはもう、
〈仕掛けてこないなら、逃げてもいいんじゃないか? 戦艦棲姫に狙われている私は無理にしても、お前たちなら〉
〈何を言ってるんですか、逃げませんよ〉
感情が乗りにくい体内無線同士なのに、青葉の口調はやけに強く感じた。
〈逃げたって帰る場所がなければ意味がない、それにあそこは神通さんと過ごした場所です。命まで奪われて、思い出の場所まで奪われるなんて、絶対に阻止しないと。それにアーセナルだって、青葉は助けたい〉
思い出、その一言が砕けた硝子のように、アーセナルの胸に刺さる。
細かい破片が血流に乗って、全身を巡りながら血液を傷つける。最後に心臓に辿り着いて、目を覚ますような激痛を知る。アーセナルの全身が、何かを自覚する。
脳裏に、神通が沈む光景が浮かんだ。
実際に見ていないのだから空想でしかない。しかしそれは現実を上回るリアリティを持って、アーセナルを攻め立てた。想像以上にショックを受けていたのだと、やっと彼女は自覚した。
〈済まない〉
〈良いですよ別に、でももっと英雄らしくあって欲しいです〉
〈私は英雄ではない、神通一人さえ守れなかった。仮の
青葉は何も言わなかった。しかし否定の沈黙ではないようだった。
背中が何かむず痒い、今まで感じたこともない変な気持ちになっている。アーセナルとは冷静で、自分の目的のためなら何でもする彼のようなスネーク――と自分で規定していた。だがそれは、どうも違うらしい。
〈神通さんが沈んだのは、私のせいです〉
〈部下の責任は上官の責任だ、だから私は絶対に生き抜く。このソロモン諸島を出て、自由に生きる〉
償い、とはまた違って思えた。
罪悪感こそあれど、贖罪に逃げるのは嫌だった。だが生命がDNAを紡いで死ぬように、艦も人も
それにはもう一つ訳がある。それは、過去に生きることとは、我々の理想とするモデルケースなのだと、私は知っている。
アーセナルと合流した青葉は、さっそく今どうすべきかを話し合った。
しかし分かったのは、どうやってもやることは変わらない事実だけだった。
空母棲姫の撃破である。
ソロモン諸島を支配する彼女が沈めば、白鯨も深海凄艦も全て沈黙する。
そして空母棲姫を沈めるのに必要なのは、やはりアーセナルギアが有する無数のミサイル群だ。こればかりは代替できない。空母棲姫単体ならともかく、護衛に展開している深海凄艦を考えると、接近しなければ使えない高周波ブレードは無理。レイのミサイルでは足りない。
〈第三次SN作戦の最終目的は、ヘンダーソン飛行場の破壊だった。だからそのために、アーセナルが占拠した基地には
古鷹が持ち出したのは、対地兵器の一つである三式弾だった。内部に無数の攘夷弾子を内蔵し、時限信管によって円錐状に放射する特殊弾頭である。
史実での話になるが、本来三式弾は対空用兵装だったが、殆ど効果がなかった失敗作である。しかし対地兵器としては中々の活躍を見せ、実際に過去のヘンダーソン飛行場にも、撃ち込まれている。
艦娘が現れて以降は対地兵器としての特性に振り切り、地上基地を破壊する為には欠かせない弾丸として、三式弾は重宝されている。本来の役目と、都合によって創り変えられる。それはルンガ飛行場からヘンダーソン、そしてホアニラ国際空港となり、今深海凄艦によってヘンダーソン飛行場に戻されたのと、似たようなものだった。
〈私たちがいた基地に、これが置いてあったの。敵の数減らしが終わった後で、戦艦や重巡に積む予定だったんだ〉
〈その前に基地が制圧され、連合艦隊が壊滅した訳か。だがこれで飛行場の破壊方法は手に入れた〉
〈でも、敵もそれを見越しているみたい〉
〈敵艦隊が見つかったのか?〉
〈いました、主力艦隊の大多数が、サボ島沖周辺に展開しています〉
青葉からの報告に、アーセナルの眼は鋭くなる。
少ない選択肢から、空母棲姫はこちらの動きを予想できたのだ。飛行場の破壊のため、サボ島近海へ来ることを。攻撃の必要などない、ゆっくりと待ち構えていればいいだけだったのだ。
〈やっぱり、おかしいですよ〉
〈サボ島沖夜戦に、状況が似ている点か?〉
青葉と古鷹が、同時に押し黙る。そう、サボ島夜戦が勃発したのは、第六戦隊がヘンダーソン飛行場に三式弾を撃ち込もうとしたからだ。戦場を作っているのは深海凄艦だ、なら運命の軛を演出しているのも、深海凄艦になる。
〈似ていようが構わない、空母棲姫の策に嵌るようだが、実際やれることはこれしかない〉
〈アーセナルの艤装があれば、こうはなりませんでした〉
〈何が言いたい?〉
青葉が口にしたのは、アーセナルが意図して避けたかった話そのものだった。
〈敵はどうして此処まで貴女を追い詰められたんですか。誰もアーセナルギアを知らない筈なのに、何で弱点を知ってるんですか〉
〈分からないな、空母棲姫なら知ってるかもしれない〉
だが、事実として深海凄艦はアーセナルギアを知っている。それどころか、アーセナルの根幹に関わる『S3』まで。しかしサボ島沖夜戦――史実にいなかった私を、意図して排除した理由とは、史実再現を完全にする為なのか。その訳は。
〈深海凄艦は、何なんですか〉
彼女たちが海に現れてから二十年、何度も何度も使いまわされ、海に捨てられた古新聞。霞んだ文字だけが、滲んで浮かび上がっていた。
〈そういえばさっき、酷くむせてましたけど、大丈夫でしたか?〉
〈ああ、乗っていた戦闘機からダイブを決めたんだが、上手く行かないものだ。あの程度の衝撃に耐えられないとは……〉
〈仕方ないですよ、鉄の塊から、いきなり人の体ですもん。青葉だって……神通さんに教えて貰って、やっと今ぐらいまで動けるんですから〉
〈そういうものか〉
〈むしろ、ドロップして一ヶ月も経ってないのに、
〈スニーキングのことか? まあお前にとっての海野十三と同じく、私にも潜入任務のプロフェッショナルが二人いたからな。片方は新人だったが〉
〈スニーキングですか……割と興味がありますね〉
〈訓練でしないのか?〉
〈基地型深海凄艦の攻略用に、最低限の訓練は受けてますけど、アーセナルみたいに気配とか……そのレベルまではやりませんから。そうだ、何か分かりやすい秘訣とか無いんですか? 折角なので聞いておこうかと〉
〈……やはりダンボール箱だろうな〉
〈…………はい?〉
〈ダンボールは潜入任務における究極の相棒だ。被ってじっとしていれば敵兵の眼や監視カメラを欺ける〉
〈は、はあ〉
〈武装を施せば敵を倒すことも、銃弾を防ぐことも出来る〉
〈それは、凄いことで〉
〈それだけじゃないぞ、ダンボール箱はなんとな……物資を積み込んで運ぶことができるんだ〉
〈……………………〉
〈……やはり可笑しいと思うか?〉
〈はい〉
〈やっぱりか……いやおかしいのは