燃え盛る敵艦を横目に見ながら、主砲を撃つ。
足を止めてはいけないが、同時に敵の動きを予想しなければならない。基本中の基本、できて当たり前の動作。しかし新米の神通には、それさえ意識しなければできなかった。
多摩や木曽、妹の那珂はそれを平然とこなし、確実に敵艦を処理していく。息もあがっておらず、まだまだ余裕がありそうだ。神通の息はもう上がっており、どんどん砲撃がまばらになっていく。
全然役に立てていないことに、神通は顔をしかめる。
経験が足りていないのは仕方がない、しかし此処まで使えないとは正直予想外だった。客観的に見れば、多少なりとも強くなっているのかもしれない。だが肝心の自覚は、まるで持てずにいたのだ。
敵艦隊を倒し、泊地へと帰還した神通。
あれから数日、外見上は立て直したが、中身はまだボロボロだ。正門をくぐれば、あちこちがブルーシートに覆われている。それでも重要な場所は優先してもらい、入渠ドッグは、襲撃された日の翌日に使えるようになっていた。
だが、神通は運よく小破もしていない。なので入渠ドッグではなく、肌についた潮風や雪を落とすため、普通の風呂に入っていた。元々は大人数で入っていたであろう巨大な浴槽にいるのは、神通と那珂だけだ。
「あー、しみる……」
「そうですね……」
当たり前だが単冠湾泊地は大湊より更に北、ほぼソ連寄り。なので尋常ではなく寒い。艤装による耐熱保護はあるが、寒さは暑さを全て遮断するわけではない。触覚も戦場では重要だ、それを全て感じ無くなれば、かえって轟沈に近付く。
そういう理由だと分かっているが、やはり寒いものは寒いのである。だからこそ余計に、湯船が心地よく感じるのだが。
「この泊地には慣れた?」
「多少は」
しかしこれを慣れたと言っていいのか、神通には分からなかった。何せ今のところ木曽や多摩とコミュニケーションを取るタイミングは、戦場しかないからだ。
というか、実戦以外する暇がなかった。
あの着任早々おきた襲撃から数日、深海凄艦の攻撃は絶え間なく続いていた。配属されている艦が少なすぎて、近海の哨戒をする余力すら残っていないのだ。だから事前に発見できず、泊地の近くまで近づかれてしまう。
一応哨戒として、潜水艦がいるらしいが、一隻が警戒できる範囲は小さい。
さすがに泊地内部まで押し入られることはあれ以来ないが、普通なら防衛失敗と見なされてもおかしくない状況に、何度も追い込まれている。たった数日でこれだ。
こんなこと言える立場ではいが、絶対に新人を配属していい泊地じゃない。
「アハハ、本当に大変な場所に来ちゃったね」
元ブラック鎮守府として、派手な行動は取れない。しかし北方防衛はしたい。世論と現実の板挟みにあった結果が、海域防衛もギリギリな軽巡艦隊だ。
同情してくれる妹の存在が、数少ない救いだった。
「潜水艦の方とは、まだ会ってすらいないのですが」
「一人で哨戒をしてるんだもん、しょうがないよ」
その潜水艦だが、どうも彼女だけは事情が異なっているらしい。那珂も他の方々も詳しく知らないが、彼女だけは新たに配属された艦ではない。つまり元々単冠湾泊地にいて、解体された後も残っていた艦娘だ。
「潜水艦の方は、なぜ泊地に残ったのでしょうか」
「愛着があるんじゃないかな。元々ブラック鎮守府だったとしても、そこで仲間と戦ってきたんだし」
彼女に会えるのは何時になるだろう、そう思いながら神通は、湯船の中に体を沈めた。
風呂を出た神通は、その足で工廠へと向かう。入渠ドッグに続いて復旧された重要な施設だ。近くには工廠妖精が忙しなく動き回っている。彼女たちの助けがなければ、ドッグの復旧もままならなかった。
艦娘の艤装を制御しているのも妖精たちだ、この時代の発展は、なにごとも妖精に支えられている。悪意の欠片もないのっぺりとした、のんきな顔をしているが、彼女たちの双肩には重い物が圧し掛かっているのだろう。
「いつもありがとうございます」
と言っても妖精たちは、何のことか、と首を傾げるばかり。苦笑いしながら神通は、工廠の扉を叩いた。
「どうぞー」
扉を開けると、重厚なオイルの臭いが吹き出してくる。中に一歩踏み入れると、その臭いは更に強まった。様々な工業機械が所狭しと置かれており、黒ずんだそれらを赤いバーナーの光が照らす。
「ちょっと待っててね! すぐ終わるから!」
明石は声を張り上げて言ったが、大半は機械の轟音に掻き消される。神通の返事も同じだ。びっしりと詰まった機械と轟音、溢れるような熱に汗が流れ始める。ここだけ北方とは別世界のようだ。
「お待たせ、今換気するから」
と、作業の手を止めた明石が窓を開く。途端に冷え切った単冠湾の空気が流れ込み、思わず身震いする。
「あの、それで、何故呼ばれたのでしょうか」
「艤装のメンテナンスと、微調整。神通がいたのは横須賀でしょ?
明石がスパナを指した先に、神通の艤装が置かれていた。さっき出撃から帰ってきたばかりなのに、もう新品みたいに綺麗なっている。
「……なら私は?」
「あとは最終調整だけ、神通の感覚と合うか、実際に装備しながら調整していくから。早速だけど、これに着替えて」
手渡されたのは作業着のような衣服だった。
「本当は着任してすぐにでもしたかったんだけど、ほら、ここ、襲撃が三日に二回はあるからさ、中々暇がなくて」
改めて聞くと、本当にひどい最前線だ。
あとの作業は、特に問題無く進んでいた。感覚に合せると言っても、それで大きな変更があるわけでもない。背負ってみて、そんなに違和感もない。
「艤装の方は問題ないね、あとは細かいレベルの調整かな」
「細かいレベル?」
「そう、それが終わったら本当に終わり。川路さーん! ちょっとー!」
「うるさい、聞こえている」
それはもう不満そうな顔で、メカニックの川路が機械の影から顔を出す。目の隈が酷い、疲労の色が強く出ている。同時に彼の後ろから、同じく顔色の悪い女性が顔をのぞかせた。
「……そちらの方は?」
「伊58、みんなはゴーヤって呼ぶでち」
彼女が、ずっと一人で哨戒をしていた潜水艦か。彼女もまた神通と同じ作業着姿で、艤装を背負っていた。
「ゴーヤの方は終わった、ゲノム情報との反応も良好だ、問題無い」
「そういうことならゴーヤは寝るでち」
「お風呂ぐらい入ってもいいんじゃないですか?」
「今入ったら溺死するでち、潜水艦が溺れるとか冗談じゃない。仮眠室を借りるでち」
本当に疲れているようだ、色々話してみたいことはあるが、それより休ませてあげるべきだ。それより気になることがある。
「あの、最終調整とは何をするんですか?」
「艦娘の保有する特殊な遺伝子と、艤装、及び妖精のリアクションに問題がないか調べる。それが私の担当だ」
「妖精の……リアクション?」
「そう、艦娘のもつゲノム情報の解析は、この15年間でほとんどが完了しつつある。その過程で艤装を稼働させるメカニズムも解明された、彼女たちがオカルトの住民だったのは昔の話だ」
川路は神通の体に、遠慮なく様々な解析機器を取り付けていく。機械をメンテナンスするような無遠慮さに、神通は何とも言えない気持ちになる。
「艦娘の遺伝子には、多くの戦闘に適した遺伝子がある。専門家たちはそれを仮にソルジャー遺伝子と名付けた」
「戦闘に適した遺伝子なんて、あるんですか?」
「存在している、環境適応能力に、海上の動き方。ストレスを感じにくい精神。戦い方が遺伝子レベルで組み込まれているのだ。その中でも特に重要なのが、艤装遺伝子だ。妖精はこの遺伝子があるか否かで、君達が艦娘なのか判断する」
つまり、自分が艦娘だという身分証明書のようなものか。
艤装を動かすのはあくまで妖精だ、艦娘の意志を拾い、妖精がそれを忠実に実行する。この証明書がなければ、妖精は艦娘と認めてくれない。今からの最終調整は、艤装をいじったことで、その機能に異常が起きていないかを確かめるテストなのだ。
「じっとしてていいですよ、テストといっても、神通自身が何かすることはありませんから。じっと耐えればいいだけです」
といって明石が取り出したのは、鋭利な注射器だった。
神通は反射的に、左腕を押さえていた。注射器の先端が光を照り返すたびに、肌がゾワリとする。
「……苦手なんですか」
「……恥ずかしながら」
「採血しなければ遺伝子サンプルは取れない、君は艦娘だろう、我慢しろ」
そんなこと分かっているが、そういう問題ではないのだ。と抗議の目線を向けてみるが、その頃には既に堪え難い痛みが、左腕を貫いていた。
「はい、終わりです」
少し涙目になった神通から、川路が目を逸らす。やはり痛い。これも遺伝子とやらのせいか。
「そんな目で見るな、別にこれを研究目的で利用しようというわけではないんだから」
「研究? 艦娘のゲノム情報は解析されたのでは?」
「遺伝子特定は終わり、次のステップとしてこの遺伝子を人間に組み込む研究が始まっている。
その話題は、神通に不快感しか与えなかった。彼女の反応を知ってか知らずか、川路が採取した血液を解析機器に入れて、話し始める。
「艤装遺伝子やソルジャー遺伝子が人間に組み込めるようになれば、建造という不安定な方法に頼らず、艦娘を安定して建造できるようになる」
「人間を艦娘にするんですか」
「利点はまだある、クローン法に抵触しないところだ。現在国際法で艦娘の無差別な建造は禁じられている。これは軍事的側面もあるが、クローン法に抵触する恐れもあるからだ。だが人を素体にした建造なら、遺伝子コードがまるで違うから法に触れない」
「まあ
「深海凄艦への対抗が理由なら、どんな行為も正当化できる。時間の問題だ」
建造で産まれた艦娘から今みたいに遺伝子を取り出し、それを人に埋め込む。そうして生まれた艦娘は、どんな存在なのか。少なくとも、今のように艦娘が特別な存在ではなくなるのは間違いない。艦娘の安定供給も、分からなくはない。だが、護るべき人々がそうやって前線に送り出される未来は、余り考えたくなかった。
「何だか、夢の無い話ですね」
「実際まだ夢物語だよ、遺伝子解析は進んだけど、肝心の部分が明らかになってないもの」
「肝心な部分?」
「そもそも、艦娘の遺伝子はどこからやって来たのか。親から受け継がれてきたわけでも、遺伝子治療で埋め込まれたわけでもない。なのに開発資材と、鉄やボーキから、何で遺伝子ができるのか……」
「しかし悪い話ばかりでもない、艦娘のゲノム解析が進んだおかげで、艤装遺伝子の排除――つまり『解体』により、艦娘を人間に戻せるようになった。もし艦娘が人間に戻せないままだとしたら、それは恐ろしいことだ」
また川路が無造作に、解析機器を外していく。気づかない間に、テストも終わったらしい。何か自分の体に変化が起きた気もしない。遺伝子レベルの変化に、当人が気づくのは不可能だ。だが確かにそこにある。見えないが実在する存在、それはルーツの分からない艦娘のようだと神通は思った。
検査は終わったが、二人の仕事はまだ残っている。いつまでも居座っていては邪魔だ。神通は風呂上がりの私服に着替え直し、工廠を後にする。しかし湯冷めした体に、単冠湾の空気はとてもよく効く。
くしゃみが出たが、同時に吹いた暴風がその音を掻き消す。さて、二度風呂をするべきか、素直に仮眠を取るべきか。神通はどちらも選べずに、泊地の中をフラフラと歩き回る。
歩く、と言っても、妖精が復旧させてくれた場所はまだ少ない。元々瓦礫が少ない海岸線ぐらいしか、歩ける場所はない。当然すぐに飽きてきて、神通は結局宿舎へと戻ろうと道を引き返す。
「一人で何してるんだお前」
不意に背後から掛けられた声に、神通は飛び上がった。
「木曽さんと、シエルさん?」
「休憩時間じゃなかったのか、体が持たないぞ」
海賊のようなマントを風で翻すその姿は、言うまでもなく神通の憧れになっていた。しかし彼女はかつて、タンカー護衛の任に失敗し、民間人に多数の犠牲者をだしたらしい。だからこそ最悪轟沈しても問題ない、この泊地へ飛ばされたのだという。
もっとも神通からすれば、そんなことはどうでも良かった。彼女がかつて何をして、今どう思っていようと、この単冠湾を護っているのは間違いない。憧れる理由はそれだけで十分だ。
「ちょっと眠れなくて、お二人は?」
「オレは少し、こいつと話すことがあってな」
「そうだ神通、お前も話してくれ。こいつら私の話を妄言だといって聞かないんだ」
シエルが見るからに不満そうに、眉をひそめている。何の話か分からないが、特段拒否する理由もない。三人はそのまま海岸線を、横に並んで歩きはじめる。
「我々を襲ったレ級を覚えているな?」
「ええ、当然です」
むしろ忘れられるわけがない、あの襲撃は神通の中で、軽いトラウマとなっていた。
「なら、私がどう奴を殺したかも覚えているよな?」
「はい、シエルさんが首を捻じ曲げて――」
「だが生きていた」
ただの人間が深海凄艦を倒したことも驚いたが、首が真後ろまでねじ曲がったまま、レ級が立ち上がった恐怖に比べればなんのことはない。しかし、今思い出しても信じがたい光景だ。そのレ級は明石と川路が乗ったジープに突き飛ばされ、崖の下まで落ちた筈だが。
「あの後私はこいつらに調査を依頼したんだ。仮にレ級が泊地近海で生き延びているとしたら、大変なことになる」
「……とシエルはありえないことを繰り返しているって訳だ。何度も言うが首が折れて生きている深海凄艦はいない」
「神通も同じモノを見たんだぞ、貴様たちの努力が足りないんじゃないか?」
そういう訳か、と再びにらみ合う二人を見て、一人納得する。まあ当事者だった私でさえ信じがたいのだ、無理もない。
「お前に言われてレ級を探してみたが、どこにもいなかった。間違いなく死んでいる。そもそもレ級がいたって話自体怪しいもんだ」
「何故だ、明石や川路も見ているぞ」
「そん時は猛吹雪でシルエットしか見えなかった筈だ、お前らだってレ級の姿をちゃんと見たのか?」
「……確かに見ていないが」
本来戦艦レ級は、南方海域を主な生息地としている。極々稀にとんでもない場所に出現することもあるらしいが、その活動拠点は変わらない。此処は北方の最前線単冠湾泊地。レ級の生息域とはかけ離れている。
「見間違いだったんだろう、レ級がこんな場所にいる筈がない。仮にそうだったとしても、もう消滅してるさ」
「首を折ったぐらいで、沈むのでしょうか」
「沈む、間違いなく」
間髪入れずに、木曽が断言した。
「深海凄艦と艦娘、それと人間の遺伝子情報はほとんど変わらない。特殊な力が有る以外は人間と同じだ、だから首が折れれば、どんな深海凄艦だって死ぬ」
「深海凄艦の遺伝子解析は進んでいない筈だ、仮定の話だろ」
「確かに連中は死ぬとすぐ消滅しやがるから、死体を調べられず、研究が進んでないのは事実だ。だが無理矢理鹵獲した奴を調べることはできる」
やはり、首が折れて生きていられる深海凄艦はいないのだ。だからこそ一層、あのレ級の謎が深まる訳だが。
「もういいか? お前がしつこく言うから、ゴーヤまで駆り出して探したんだ。いい加減打ち切りで良いだろ」
「止むを得ないか、悪かったな」
名残惜しそうな顔をして、シエルが溜め息をはく。
話し続けている間に景色は変わり、泊地の防波堤から岩礁の方まで来てしまった。太陽は闇夜へと沈み、黒ずんだ水が岩にしぶきを浴びせている。これ以上行けば戻るのに時間がかかる、それにいい加減休まないと、明日に響きそうだ。
「もうそろそろ戻るべきではないでしょうか」
「ああ、明日もどうせ、連中が襲ってくるからな」
来た道を引き返し、明かりの消えた泊地を目指す。余計な明かりを出していたら、空襲の良い的だからだ。しかし何故かシエルだけが、その場から動こうとしない。
「待て」
「何だ、まだあるのか」
「ああ、それも、とびきりヤバイ奴がいる」
奴? 人でもいるのか、だがこんな場所に?
シエルの見る方向は暗く、神通には何も見えない。しかし木曽は発見できたらしく、ある一点を見つめていた。
「おいおい、マジかよ」
「何がいたんですか? まさか深海凄艦でも」
「観れば分かる」
二人が警戒心を撒き散らしながら、そこへと歩いていく。ある程度近付けば、それが何なのか神通にも見えた。だがそれは全く予想しえない存在だった。いや、本来ならここに居てはいけない存在だ。何故なら――
「――北方棲姫?」
それこそ、今単冠湾泊地を攻めている艦隊の、主でなければいけないから。
シエル・プリスキン
憲兵隊業務を委託されたPMSCsの社員として、単冠湾泊地に配属された人物。言動は冷徹だが、業務はしっかりとこなすタイプ。
本人はフランス系日本人を名乗っているが、しかしプリスキンはアメリカ系の姓であり、顔つきにはアジア系の面影も見える。
だがだからといって銀髪は青い眼が目立つことはない。他の艦娘の髪色と比べれば、まだ地味だからであろう。
尚正体はシェル・スネークである。