甲高い声とともに、激しくギターが弾き鳴らされている。
色取り取りの衣装を着た女の子たちが、歌いながら踊り、踊りながら笑っている。流れている歌は、最近流行っているアニメの曲でしょうか。あまり見ないので、何とも言えないのですが。
那珂、という艦娘は、なぜかアイドルに拘る。
いったいどんな過去がそうさせるのかは、今も専門家の頭を悩ませている。それらしき史実が全く見当たらないからだ。
当の本人は全く気にせず、今日もアイドル活動に勤しんでいる。
容姿端麗で、今日という日を護る艦娘のアイドルは当然人気だった。海上に設置されたステージの上で、那珂やバックダンサーが躍る。その度に、観衆の声は大きくなる。
大本営も、ここぞとばかりに活動を支援していた。市民の理解なしで活動できる軍隊は存在しない。彼女たちに限らず、艦娘が生み出す経済効果は莫大だ。今や崩壊した資本主義経済に代わり、艦娘経済なんていう単語が生まれている。
自分のやりたいことができる、それは素晴らしいことなのでしょう。今日と言う日が、今日でなければ。
ステージを見下ろす護衛艦の中、彼女は冷ややかな目線を向ける。
陽炎型駆逐艦八番艦『雪風』は、だが思う、それはそれで、良いのかもしれないと。
今日は、特別な日だった。
艦娘のステージを挟み込む形で、大型の護衛艦が二隻、配備されている。しかし主砲にもミサイルにも、全てロックが掛かっている。装備を今日使う可能性は、ゼロだからだ。代わりに乗っているのは、あらゆるジャンルの『屋台』だった。
雪風の隣を興奮した子供が走り抜け、親が申し訳なさそうに頭をさげつつ、我が子を追っている。穏やかな日差しと波の代わりに、人々の話し声が飛び交えば、あっと言う間に騒がしくなる。自然の鳴らす轟音が、むしろ懐かしい。
食べ物を扱う屋台の前には人が立ち並ぶ。可愛らしいエプロンで焼きそばを作るのも、また艦娘だった。いや、職員のほとんどは、艦娘だった。しかし不快感はなく、彼女たちは皆楽しそうにしている。今日は『観艦式』と言う名前の、祭りだった。
観艦式は本来別の時期にやるものだが、戦争初期の混乱により、時期がずれ、ここに落ち着いてしまったのである。だがこの観艦式は、雪風の知る時とは大きく違っていた。艦娘が世界の中心になった時代に合わせているのだ。
だが、雪風からすれば、あまり面白いものではなかった。
平時であれば、これで良かったのかもしれない。しかしまだ、戦争は終わっていないのだ。晴れ渡る青空を見上げた途端、少し眩暈がした。
瞬間、空が燃えていた。
艦載機が空を覆いつくし、無数の爆弾が雨となり降り注ぐ。それを浴びた仲間が一隻、また一隻と燃えていく。全身火だるまになった彼女たちは、言葉にならない悲鳴を上げ泣き叫んでいた。
「殺してくれ」突然聞こえた声に振り返る。
いたのは、死に掛けの戦友だった。しかしもう、自分で死ぬことさえできない鉄屑になっていた。もう助からないなら、いっそ、お前の手で。顔も手もなかったが、あの人の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
きっと私もそうだ、でも私は私ではなく、ただの駆逐艦。
自分がどう思おうと関係ない。私を動かす人が、雷撃処分のために魚雷を発射する。したくないと叫んだ、魚雷を撃ったあの人も、泣きそうな顔をしていた。
魚雷が直撃し、雷撃処分が完了する。爆風の隙間から、彼女の顔が見えかけて――そこで、眩暈が収まった。
雪風を、見知らぬ外人が見下ろしていた。
「大丈夫ですか」
彼の手を取り、雪風は立ち上がる。
その人に背中をさすって貰うと、吐き気が少しづつマシになっていく。彼から見れば、突然体調を崩した子供に見えているのだろう。
「艦娘とは、急に体調を崩すものなのかね」
「気づいていたんですか」
「私も軍事関係者だ、賓客として、ダイホンエイに呼ばれたのだよ。今日はいいものを見させてもらった」
お祭り騒ぎの観艦式だが、もう一つの側面を持っていた。
海外に、日本の軍事力を見せつける意味である。日本は世界有数の艦娘大国であり、その分野の政策も進んでいる。艦娘の社会参加プログラムを施行したのは、日本が初めてだ。
「どうでしたか」
「君と同じだと、思うがね」
雪風は、改めて下を見下ろす。
笑顔を見せつけ、それに笑顔を返す人々。楽しそうに、そして一生懸命に作業をする艦娘たち。
「気持ち悪い、です」
「だろうな」
「私達が、悪いとも限りませんが」
「観艦式をここまで賑やかにする必要はないとは、誰もが知っている。だが真面目、軍的にやれば、平和憲法が問われる」
第9条、通称平和憲法では、自衛以外での戦闘行動は認められていない。だが日本は、艦娘大国として莫大な軍事力を得てしまった。しかし今更、大国の座からは降りられない。軍事力をアピールしつつ、『戦力』ではないと誤魔化すため――結果、観艦式は、まるで学園祭のようになった。
だが、艦娘がそれを意図した訳では無い。
むしろ、解体されて人間に戻るために、必要な訓練だ。問題はその裏に、薄汚い策謀が行き交っている所だった。
「おお、今度は艦娘同士の模擬戦闘とは」
「楽しそうですね」
「楽しいとも、これほどの茶番はそうそう見られまい」
言い返す気は、全く起きなかった。
この光景は、平和は、艦娘によって支えられている。
しかしその実態は、先程視たフラッシュバックと同じ、過酷な死地への船出。そして、無数の犠牲。
それを知りながら――もしくは知らないで、笑顔で人々は『死んで来い』と送り出す。艦娘も『行ってきます』と、笑顔でいく。子供のように無邪気で、狂ったレクリエーションの数々。これは、これでも平和と呼べるのか。
雪風の今日が、『今日』でなくなったのは、直ぐ後の事だった。
観艦式が終わり、船が呉鎮守府へ戻る。雪風は客に紛れて自室へ戻ろうとした。だが、艦の中に、ぽつんと人影がいた。何の気なしに覗き込むと、金髪の子供がいた。親とはぐれたのだろうか?
その予想が絶対に違うのは、すぐに分かった。
子供の頬や痩せ、服はボロボロ。手元には屋台からくすねたであろう残飯が握られていて、半分だけ齧られている。
「大丈夫ですか!?」
声をかけ、体をゆすると僅かに反応があった。意識はある。
重症ではない、衰弱しているだけだ。病院へ連れていく選択肢は、あまり取りたくない。荷物らしきものはない、パスポートもない。不法入国以外考えられなかった、だがこんな子供が?
まず話を聞いてみないと、判断がつかない。雪風はその子をいったん、自分の部屋に連れ込むことにした。危険な行為は承知だ、だができるなら、何か力に成りたいと雪風は思うのだった。
部屋の暖房は最大、これ以上冷えないように毛布でくるんでおいた。
警備の眼を掻い潜るのは苦労したが、観艦式の片付けで慌ただしいのが幸いした。雪風は医者ではなかったが、長年の経験から、このままいけば目を覚ますと確信していた。明日以降どうなるかは、不安ではあったが。
「起きましたか?」
予想通り、彼が目を覚ます。雪風を視界に入れた瞬間、少し驚いたが、すぐに落ち着いた。ゆっくりと体を起こし、冷静に周りを見渡す。
「ここは鎮守府、場所は呉か?」
「ええ、そうです」
「ふーん、そう」
少年は体を起こすと、部屋に供えられていたペットボトルを勝手に開け、一気に飲み干した。妙に図太いが、それくらいの元気は出てきたらしい。袖で口を拭き、彼は雪風を睨み付けた。
「で、僕をどうするつもり?」
「……どういう意味でしょう?」
雪風の返答に、彼は更に怒りを募らせる。
「僕が不法入国をやったのは、知っているんだろ?」
「それは知っていますが」
「じゃあ何で警察に突き出さない、決まっている、僕が誰だか知っているからだ」
「……いや知りませんが?」
彼との問答は、全く要領を得ない。
雪風はただ、倒れていた子供を助けただけだった。不法入国の理由は、その後聞けばいいと思っていた。だが起きた途端にこれだ。
「貴方は、誰なんですか」
しかし、ただの不法入国ではなさそうだ。
起きてすぐ、ここが鎮守府だと理解していた。私が艦娘なのも、気づいている。第一こんな子供が、単身不法入国することがおかしいのだ。
ただならぬ理由がありそうだ、そう雪風は考えた。
「僕は……ジョン」
「名前?」
「ジョン・Hだ、それで十分だろ」
しかしそれは、紛れもなく偽名だった。ジョンでHと来たら、後に続くのは『ワトソン』しかないじゃないか。言うまでもなく、推理小説シャーロック・ホームズに登場する彼の相棒である。
「嫌なら、ジョン・Dでも良いけど」
「
「真に受けるなよ、バーカ」
男性死体の推理をするホームズではない、そもそもジョンは死んでいない。そう反応した雪風をジョンは嘲笑う。少しばかしムッとしたが、それはそれで嬉しくもあった。多少なりとも、心を開いている証拠だからだ。
「まあ良いですよ、でジョンさん」
「ジョンで良いよ」
「じゃあジョン、貴方が亡命した理由は、なんですか」
「それ、言わなきゃだめなのか?」
怒っていいだろうか、雪風は問うた。とんでもない天邪鬼を拾ってしまったようだ、この子供はどれだけひねくれているのやら。一周回れば愛しいのかもしれないが、あいにく雪風は、そこまで大人ではない。
「言いたくないなら、そう言って下さい」
「別にそうじゃない、あんたには関係ないだけだよ」
「素直ではありませんね」
「そりゃどうも」
これは、長丁場になるかもしれない。
亡命の理由が分からなければ、やれることは限られてくる。だが鎮守府の一室で、長い間匿うことはできない。いずれ露見する。そうなれば私も、彼も終わりだ。私が捕まるのは別に構わないけど、彼が捕まるのは、きっと駄目だ。
「一つだけ教えてください、大本営に掴まりたいですか」
「それはヤダよ」
「即答、ですか」
「拷問も尋問も、強制も……痛いのは嫌いだからね。大本営もきっと、
あいつら、とは誰のことだ。いや、どの組織のことだ。
聞いてみたかったが、一つだけ、と言ったのは雪風だ。これ以上の質問は許されていない。言ったら多分、また腹の立つ返しをされる。だから言うことは、決まっていた。
「分かりました、では貴女を大本営に渡すことはしません」
「どうだか、そんな話で騙されるわけないじゃんか」
「信じてください、雪風は、約束を守ります」
言葉だけでは、伝わらない。
言葉以外の全てを使っても、心は伝わらない。だからこそ、彼に想像してもらうしかない。信じていると、約束を守る雪風の姿を想像して貰うしかないのだ。せめて気づいて欲しくて彼女は、真っ直ぐ彼の眼を見つめて約束した。
「……あっそ」
「いいですか、部屋から出ないでください」
「分かっているよ、お前の機嫌を損ねたくはないからな」
しかし、どうしてだろう。
どうして彼は、こんなにも疑惑を向けてくるのか。どこからか、亡命してきたのは間違いない。しかし生まれ育った国を棄てると言うのは、大きな犠牲を伴う。
そうまでして亡命する理由の多くは、紛争だ。深海凄艦が現れるより前、冷戦が激しかったころ、超大国の代わりに戦っていたのは、中東やアフリカ、中南米といった、第三各国の国々だった。
核を使わなくても、大国同士が戦えば甚大な被害が出る。WW2はそうだった。だから彼らは、代わりに自分たちの支援する、小さな国に戦わせたのだ。おかげで大規模な戦いは起きず、世界規模で見れば平和が維持された。しかしそれは、小国の犠牲を伴う平和でもあるのだ。
*
とりあえずジョンを部屋へ残し、雪風は食堂へ向かうことにした。
ピーク時を過ぎた食堂には、ほとんど人がいない。まだ観艦式の片付けが終わっていないのだ。雪風は最初から、参加するメンバーではなかった。とはいえ、時間通りにいかないのはいつものこと。カウンターには夕食がいくつか作り置きされていた。
「あら、雪風さん。今日は遅かったんですね」
振り向くと同時に、雪風は首を限界まで上げなくてはならなかった。何度見ても、大きい。180センチは確実に超えている。男性と比較しても、尚巨大である。彼女を、雪風は昔からよく知っていた。
「最後までいたので、大和さんは、今お帰りですか?」
「はい、演習が終わったので。中々の相手でしたが勝ちました」
「観艦式の時の相手ですね」
「しかし、たまには実戦に出たいものです。兵器は使われてこそ、なのに」
観艦式で行われた模擬演習、片方の旗艦は大和だった。
戦艦大和、言わずと知れた、日本が誇る超弩級戦艦である。その圧倒的戦闘能力は、WW2の時から知られていた。魚雷を喰らっても、そのまま平然と航行する。艦載機386機の波状攻撃を受け、やっと沈んだなど。逸話は幾らでもある。
しかし、その代償として、燃費が壊滅的に悪い。
加えて決戦兵器として建造された結果、迂闊に喪失するのを避ける為、なかなか出撃ができなかった艦でもある。艦娘になっても、生憎そこは変わらなかった。
「ああ、違いますよ、今の役目は不満ではありません」
無言を勘違いした大和が、慌てて両手を振る。
「連合艦隊旗艦として、日本の軍事力を見せつける。それにより、外国からの干渉を未然に防ぎ、戦闘を避ける。それは艦娘の立場を守り、国民を守ることになる」
動物や昆虫の中には、派手な色合いをしている生き物がいる。その多くは強力な毒を持っていたり、捕食者を一撃で殺す程の力を持っている。警告色というものだ。襲えば死ぬ。事前に通告することで、無駄な戦いを避ける。軍事力のアピールも同じだった。
「核が脅威を失った今、人間同士の戦争を避けるためには、私達が抑止力にならねばならない。その矢面に立つのが大和なら、これほど誇らしいことはありません」
と、乾いた笑顔を向ける大和は、少し可哀想だった。あの戦争を経験して、黄泉から召還されて、やることが宣伝担当では、何とも言えなくなる。雪風自身の立場も問題だった。
彼女は、建造されてから――十八年目の艦娘だった。彼女は見た目こそ子供だが、実際は艦娘出現の、最初期から戦い続けている、歴戦の戦士でもあった。そんな私が慰めても、嫌味にしかならない気がした。
「ああ、それと提督から連絡が」
大和も嫌だったのか、話題をすぐに変えた。
彼女が懐から取り出したのは、一枚の写真だった。
写っているのは恰幅の良い外人の子供、金髪に蒼い眼。
「この子は」
「密航者です」
息を呑む音を、聞かれていないだろうか。体格はまったく違っていたが、写真の少年は間違いなく、ジョン・Hだった。この写真が取られたのは、数年前の時だった。取られた場所は、ソ連だったらしい。大本営が苦労して入手した一枚、と大和は言った。
「こんな子供が密航者なのでしょうか?」
「ええ、ですが、ただの子供ではありません。雪風さんは、『白鯨』を知っていますか」
「もちろんです、噂の新型深海凄艦です。有名ですね」
アーセナルギアを主人公とした噂話、レイテの英雄、ソロモン諸島の救世主は、もはや知らない者はいなかった。実在を信じるかどうかは、また別の話として。ちなみに雪風は信じていた――というより、間接的に、彼女の存在を知ったのだ。
「ですが、この写真の少年と、白鯨にどう関係があるのでしょうか」
「いえ、それが、大和も半信半疑なのですが……」
目を左右に動かし、大和は自信なさげに呟く。彼女が確証のないことを言うのは珍しい、いったいなんなのだ。
「白鯨の、開発者みたいなんです、この少年が」
大和の気持ちが良く分かった。
白鯨を、開発した? この、15歳程度の少年が? 生体からして良く分かっていない深海凄艦を? あの天邪鬼、想像以上の爆弾だった。
「本当なんですか?」
「ええまあ……提督は、そうおっしゃっていました、提督が言うなら、そうなんでしょう」
「大本営は、どう動くのでしょうか」
「捕縛するつもりらしいです、提督はそうおっしゃっていました。白鯨の場所や技術、取れるものは多いので、取れるだけ取るつもりです」
「まさか、拷問も?」
「必要ならするそうです、密航は犯罪ですし、それに今この時期、問題が起きると威信に関わります。観艦式は明後日までありますし、明々後日も行事があります」
あの学園祭じみた観艦式は、今日で終わりではなかった。明後日まで、二日間開催される。また明々後日には、更に大きい行事が控えている。むしろ、観艦式はその前座だ。メインのイベントで、国防を歌う行事で密航者が出たら、日本の軍事力は疑われる。
「大本営は今探していますが、ことがことなので、一般の艦娘には知らされていません。ここだけの話でお願いしますよ」
「分かりました、雪風、誰にも話しません」
「ええ、頑張りましょう」
雪風と大和は、お互いに笑いあった。張り付いた笑みに、気づかないフリをして。
強大な軍事力を、平和のためとアピールする。当の艦娘たちは、知らないままで。そのために一人の子供を犠牲にすることが、正しいとは思えなかった。
雪風(艦隊これくしょん)
陽炎型駆逐艦八番艦「雪風」の艦娘。駆逐艦の見た目相応に、小さな子供の姿をしている。しかし実際はほぼ最初期から戦線に立ち、いまだ現役で戦っている本物の古強者であり幸運艦。
長いこと戦ってきたため、軍の内外問わずコネクションが多く、余りの影響力の強さに大本営は危険視しているが、手を出せないでいる。
尚その当人だが、最近成熟し過ぎた人格と見た目のギャップに頭を抱えている。