【完結】アーセナルギアは思考する   作:鹿狼

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File41 戦乱に棲くう姫

 瀬戸内海を飛び越えて、エノラ・ゲイがヒロシマへと飛び去っていく。昔とは違い、完全無人制御として再設計された速度は、人間では出せないレベルになっている。仮にスネークがミサイルを発射しても、命中確率は極めて低かった。

 

 しかしこの事態は、戦艦水鬼からしても、少し予想外の状態だった。

 まさか、そこまでやるとは。江田島から更に離れた洋上で、水鬼はエノラ・ゲイの去る空を見上げていた。

 

 あの体調不良は、()()()()の切り札だ。数でも質でも劣ってしまうあいつらが、米ソ日の三大大国と渡り合う為の数少ないカード。しかも正体不明のJOKERだ。だが、何回も切ってしまえばそれだけ正体へのヒントを与えてしまう。

 

 だからこそ、ここで成功させたいのだ、大きなリスクを背負ってでも。何としても、この世界の全てを滅ぼしたくてたまらないのだ。ヒロシマへ核を落としたいのだ、それが目的なのだ。

 

 想像し難い報復心を想像しながら、水鬼は欠伸を隠さない。

 彼女にとってはどちらでも良かった、世界が終わってしまうなら、それならそれでも構わなかった。最後に起こる第三次世界大戦に、自分がいれば良いのだ。

 

「良い朝ね、そう思わない?」

 

 誰よりも生きた分、誰よりも戦争をしていた駆逐艦に、水鬼は問い掛けた。

 

 

 

 

―― File41 戦乱に棲くう姫 ――

 

 

 

 

――2009年8月6日8:00 瀬戸内海

 

 エノラ・ゲイが発艦されてしまった、それを止める為にはメタルギア・イクチオスにアクセスし、艦載機の制御権限を奪わなくてはならない。しかし、それには今権限を持っている水鬼を沈めなければならない。

 

 また発生した異常現象の中、水鬼をまともに相手できるのは雪風しかいなかった。そもそも今から追い付ける場所にいるのも、雪風だけだったが。残る時間はおおよそ十分、世界が終わるまでの、最後のチャンスだ。

 

「本気で、核を撃つのですか」

 

「冗談で、核を撃つと言うのかしら」

 

「撃つように見せかけるのが、核抑止ですよ」

 

「抑止の時代は今日で終わり、明日からは新しい抑止力の時代、嘘で誤魔化す必要なんてないの」

 

 艦娘と深海凄艦の戦争が、人間同士の戦争を抑止する。大規模な戦争が起きないだけでも、十分な価値がある。しかし、その為だけに、核を落とさないといけないのか。どうしてもそうとは思えなかった。

 

「でも、貴女は本当に、運が良いわね」

 

 水鬼が、椅子のようにもたれ掛かっていた艤装の腕から降りて、雪風を見ながら歩く。彼女を見定めるように、周りを歩く。

 

「この海の中から、丁度良く私を見つけだして。あいつらの切り札からも、射程距離外にいて。流石は幸運艦」

 

「経験ですよ」

 

「そうだったわね、最初期から前線で戦ってる古強者。でも私もそれなりに、長く戦場にいるわ、簡単にはいかないわよ?」

 

 水鬼の艤装が、轟音を立てて動き出す。大和の艤装とは比較にならない程巨大かつ、獰猛な鉄の獣が、低く唸るだけで、背筋が凍りそうになる。本能的に格が違うと、分かっているのだ。

 

「世界は平和になるべき、だからこそ、最初で最後の核がいる。この一発が、新しい時代を作り上げる!」

 

「違いますよね?」

 

 しかし恐怖はなかった、雪風は当然のように、その一言を発した。

 

「平和、望んでませんよね?」

 

 一瞬、驚いた顔をしたが、水鬼はすぐ、いつもの薄ら笑いに戻った。

 

「なぜかしら」

 

「だって、水鬼さん、全然必死じゃないんですもん」

 

「……必死、じゃない?」

 

 流石に驚いた顔をした、だが雪風から見ると、それさえ取り繕ったものにしか見えなかった。

 

「平和じゃなくて、戦争も終わって、生きること以外できなくても、みんな、必死で生きようとしてました。先の見えない真っ暗闇の中で、がむしゃらに足掻いていました、雪風も、必死で頑張りました」

 

 ただ生きるだけでも、人間はまだ頑張れる。そのエネルギーがどこから来るのか、雪風は敢えて答えを求めなかった。きっと人によって違うし、ましてや当時兵器だった自分では、機械の眼でしか見れない。求めたとしても、それは自分だけの真実だけだ。

 

「でも水鬼さん、貴女全然頑張ってないじゃないですか。核発射も一回阻止されて、今、もし倒されたら終わりなのに、ヘラヘラ笑ってばっかり」

 

「楽しみなのよ、これから始まる時代がね」

 

「そうですか、でも楽しみなの、平和じゃないですよね」

 

 確信をもって、雪風は断言した。

 

「望みは、戦争ですか」

 

 戦艦水鬼が歩みを止め、雪風をじっと見つめる。平和の為、そう語る仮面の下では、何も感じていなかったのだ。そして、能面さえも偽りなら。

 

「完敗だわ、そこまで、分かっているなら、意味はない」

 

 能面に、亀裂が走る。瞬く間に広がり、口角を上げた時に、砕けていった。水鬼は心底嬉しそうに笑っていた。

 

「目的は平和という目的じゃなくて、手段の代理戦争ですか。手段が、目的でしたか」

 

「その通り、平和など建前でしかない。むしろ、こんな代理戦争での平和を本当に実現できる訳がない。艦娘が代わりに戦う? その間は平和? 馬鹿でしょう、人は追い詰められれば何でもできる、できてしまう。例え世界が滅んで、核の効かない私達だけの世界が生まれる、と分かっていても、撃つ決断をしかねない。死なばもろとも、その意気込みが、時に世界を滅ぼすのよ」

 

 死なばもろとも、水鬼の言葉を聞き、雪風はスネークを思い出した。自爆を顧みず、イクチオスにミサイルを叩き込んだ鬼気迫る瞬間。あの行動は結果として、核発射の一時的な阻止を成功させた。しかし同じ意志は、核発射を現実にしてしまう。どちらに転ぶのかは分からない。不安定な天秤に賭けざるを得ない平和、その対価が、終わりのない代理戦争だ。

 

「だけど、こうとも思わない。大切な者の為に死ねるのなら、大切なモノを護って死ねるなら本望だと。大切なモノ達を、憎悪で蹂躙できれば、どうなっても本望だとは、思わないかしら」

 

 誰かを護れれば?

 そんなことは何回も思った、何十回と感じ何千回と後悔した。けど多くを手放すしかなかった。零れ落ちたモノを拾う手は、冷たい水しぶきを切るだけだ。だからこそ余計に思ってしまう、今度こそはと。

 

「思うでしょう?」

 

 悪鬼のように、水鬼が笑った。

 

「思いますよ、仕方がないでしょう、雪風は、『雪風』なんですから」

 

「私も同じ、あの時の無念、憎悪、怒りは全て此処にある。私たちの報復心は、此処にある。完全に鏖殺したいという欲求は決して止まらない。けれど考えたことはないかしら、そうして鏖殺した先で、誰と戦えば良いのか。

 戦争は終わる、やがて終わる。例え私たちが彼岸から無限に現れるとしても、戦争は終わるでしょう。その終わり方は、深海凄艦が艦娘と人間を滅ぼすものかもしれない。逆かもしれない。じゃあそれで殺し合いは終わる?

 いいえ、構図を変え、規範を変え、新しい殺し合いが始まるだけ。深海凄艦だって一枚岩じゃない、D事案もある。凄まじい殺し合いになる。でも別に構わない、深海凄艦はそういう存在だもの。

悲惨なのは、艦娘の方。護りたいもの、護りたい人。人間、誇り、思い出、仲間、過去。そういったものを護り、平和を勝ち取るために、貴女達は戦っているのでしょう。でも絶対そうならないわ。

 だって、艦娘は強過ぎるもの。通常兵器は通用せず、艦艇サイズの兵器を簡単に陸上、屋内へ持ち込める。メタルギアなんかよりも、よっぽど革新的だわ。そんな兵器を、どの国も所有している。核に対抗するには核が必要だった、じゃあ艦娘には?

 そう、深海凄艦がいなくなって始まるのは、艦娘同士の沈め合い。

 今までは深海凄艦が抑止していた大国間の争いが激化する。護る筈だった仲間に砲を向けなければいけない、殺し合わなくてはいけない。悲しい過去を、より一層惨たらしい形で甦らさなければいけない。核は世界を滅ぼすから使用されなかった、逆に言えば、世界を滅ぼさない程度に強い艦娘は、絶対に利用される。

 そんな未来は、決して望んでいないでしょう。

 なら、今を、理想的な戦争を永遠に続ければいい。平和の為の代理戦争を永遠に続ければいい。それだけで、貴女達の欲求は全て満たせる。

 深海凄艦という分かりやすい悪役を敵にして、仲間を、国家を、人々を、過去を守り抜く。静かな海を取り戻す。貴方達の理想とする役割を永遠に続けられる。私たちも、この恐ろしい憎悪を、永遠にぶつけられる。

 いずれにせよ、道はそれしかない。艦娘も深海凄艦も兵器なのよ、大和を見れば分かるでしょう、戦えないことを恐れるあの姿を。解体されても、人間社会に馴染めず軍に戻る艦娘を知っているでしょう。

 どうやっても、私たちは兵器。殺すための存在が、平和を享受できることなんてない。ましてや、平和など訪れない。永遠に、国家や時代に、平和の為と、翻弄されるだけ。なら続けましょうよ、平和の為の戦争を。

 その世界に行けるなら、世界がどうなろうと構いやしないわ。

 誰もがそれを望んでいる、貴女は感じたことがない?

 史実を違い、仲間を護れたことの達成感、仲間を沈めずに済んだ事の幸福感――戦場で感じる命の遣り取り、そのスリルと昂揚感を感じた兵士は、また戦場へ戻ってくる。ならば、兵器である私たちは、もっとじゃないの。何度でも史実を覆し、何度でも仲間を護る。私たち愛国者達の目指す天国の外側(アウター・ヘブン)でなら、それが実現できるのよ?」

 

「全く思いません」

 

 しかし雪風は、悪魔の誘惑をあっさりと跳ね除けた。

 

「何を根拠に?」

 

「雪風は、人間になれて良かったと感じているからです。戦う為の存在でも、戦うだけの存在じゃありません」

 

「戦場に居続けた貴女が、それを口にするの、戦うことしかしなかった貴女が――」

 

「どこでも変わりません、雪風は頑張るだけです。いつものように!」

 

 戦いに喜びを感じるのは仕方がない、どこか機械的で、不気味で、過去のトラウマを拂拭する度に高揚するのも仕方がない。だって私たちは亡霊だ、幽霊と言えば、過去にしがみ付く化け物だ。

 

 だが、生きている。どういう訳か心臓を鳴らして、感情に振り回される怪物だ。

 雪風が『雪風』として成すべきことは、一つしかない。生きること、例え核が空を飛ぼうと、沖縄へ特攻を命じられようと、いつもの様に、生かそうとすること。

 此処にいる、たった一隻の幸運艦は、その先にこそ、平和があると信じていた。誰かが生きているから、平和があるのだ。

 

「良イワネ、ソウイウノ、悪クナイ。デモ私モ頑張ルツモリヨ、此処ガ私ノ正念場――一歩モ譲レナイノナラ、戦争シカ道ハナイ」

 

 エノラ・ゲイ阻止限界まで残り十分、その針が鳴った時、二人の主砲は交差した。

 

「沈メ!」

 

 

*

 

 

――2009年8月6日8:05 瀬戸内海

 

 弾速、威力、全てにおいて水鬼の方が上だった。ギリギリのところで回避したものの、それでも凄まじい衝撃が頬を殴り飛ばす。そのまま吹き飛ばされてもおかしくないが、完璧な受け身を取れたのは長年の経験故だった。

 

 無茶をしたのは、射線を維持するためだった。水鬼の装甲の、つなぎ目を確実に狙撃すれば、多少なりとも効果がある筈。賭けの甲斐あって、雪風の主砲は完璧な軌道を描いて着弾した。

 

 だが水鬼は嘲笑うかのように、一歩も怯まず前進した。

 僅かなダメージも入っておらず、薄い漆黒のドレスにも焦げ目一つない。この時点で主砲が意味を成さないのは理解した。

 

 やはりシンプルに、魚雷しか通じないだろう。そもそも駆逐艦が主砲で戦艦を落とそうとする方が間違っている。雪風は、かつて軽巡神通と共に華の二水戦を背負っていたのだ。雷撃で負けるなど、恥でしかない。

 

「ドウシタノ、ソレデ終ワリカシラ?」

 

 水鬼が主砲に交えて無数の副砲を乱射する、挑発に乗ってはいけない、掠り傷でさえ致命傷だ。確実に雷撃を当てなければならないが、時間もない。雪風は自分の練度を信じ、弾幕の真正面に姿を晒した。

 

 水鬼は決して出鱈目に撃ってはいない、一発一発を確実に狙い、同時にそれが本命への誘導にもなるように意識している。分かっていても、主砲の狙いに入ってしまうような、高度な機械で計算された攻撃だ。

 

 だからこそ予測もできる、決め手の主砲が火を噴く直前、雪風は一発主砲を撃った。

 小さな砲弾は、発射直前だった主砲の砲塔に直撃した。破壊はできないが衝撃で狙いが逸れる、なまじ正確だった分、完全に外してしまった。

 

 本当なら主砲を発射する筈だった射線が、まるまる空白になる。そこに向けて、魚雷は既に発射をしていた。

 

「サスガネ」

 

 水鬼の主砲に砲撃が当たる時と、魚雷の直撃は全く同時だった。

 だが雪風は止まらずに、煙幕に向けて砲撃を放つと、それは水鬼の攻撃に当たり、二人の砲撃は相殺された。

 

「デモ、足リナイワ」

 

 煙の中から、ほとんど無傷の水鬼が現れた。

 魚雷のダメージは確認できるが、大きくはない。夜間ならもっと接近できるが、早朝ではこれが限界だ。

 時間をかけ、雷撃を続ければ勝てるだろう。しかし忘れてはいけない、この戦いが許されるのは、もう十分もない。

 

「アト、八分」

 

 エノラ・ゲイ阻止可能地点到達まで、あと八分。

 普通の方法では駄目だ、時間が足りない。核が落っこちた後に水鬼を沈めても、何も意味がない。時間が刻まれるごとに、水鬼が興奮していくのが良く分かった。

 

「サア、ドウスルノカシラ? 頑張ッテ魚雷ヲ続ケルノ?」

 

 雪風は生唾を呑み込んだ、きっと水鬼と同じぐらい、正気じゃない。少なくとも水雷屋の戦い方じゃない。

 けど、笑える程気分が高揚する。いや、無茶苦茶過ぎるからかもしれないが。

 

「何ヲ笑ッテイルノ?」

 

 水鬼の問い掛けに対し、雪風は無線機を掲げた。

 

「スネーク、聞こえてますか?」

 

〈……いったい、何の、用、だ!?〉

 

「この無線機、発信機ありますよね。それを目標に、ミサイルを発射してください」

 

〈馬鹿な、G.Wが使えない今、照準は碌に定まらないぞ〉

 

「あとで、目印を出しますから」

 

〈正気か!? この時間帯では、照明弾は使えないぞ、どうやって〉

 

「大丈夫、雪風は沈みません!」

 

 ほぼ一方的に無線を切ってしまった、けど決断は早いスネークのことだ、あと数十秒でミサイルの嵐がやって来る。

 

「訂正シヨウ、オ前ハ兵器デハナイ。タダノAIデハ、コンナ真似ハデキナイ。間違イ無ク狂人ダワ」

 

「それはどうも」

 

 だしぬけに、水鬼が砲撃を放つ。

 雪風は顔だけ動かして砲撃を回避し、入れ違い様に砲撃する。水鬼の姿勢は、砲撃を発射した反動で不安定になっていた、回避はできず、砲身にまた攻撃が直撃する。しかし水鬼は気にした様子もなく、嵐のような弾幕を張り続けていた。

 

 雪風もまた、さも当然のように弾幕を回避していく。接近させない為の、荒い照準ではあったが、しかし当たれば即死の攻撃を、涼しい顔でくぐり抜ける様は、水鬼に一種の感服さえ与える。

 

「大和ヨリ、ヨッポド機械ミタイネ」

 

「そうですか」

 

「後6分、マダミサイルハ来ナイワネ」

 

「来ますよ、絶対に」

 

 水鬼が何を言おうと、雪風は冷たい顔を崩そうとはしなかった。それが挑発だと分かっていた、乗れば最後、主砲を喰らって終わりだ。とことん無視するに限る、淡々と砲撃を放てばそれで十分だ。

 

 余りにも当たらないことに、水鬼が少し苛立ち始めた時、空から轟音が響き渡った。

 次の瞬間にはもう、海は火の海と化していた。

 次々と飛来するアーセナルギアのミサイルが海面に激突し爆発する、破片と衝撃が飛び散り、海を爆風で染め上げていく。

 

 こうなれば、水鬼も余裕はない。今まで雪風に向けていた副砲や対空砲は、全てミサイルの迎撃に当てざるを得ない。雪風と違い小回りに欠ける巨体の水鬼は、そうやって迎え撃つしかできないのだ。

 しかし水鬼はむしろ、より嬉しそうに浮足立っていた。

 

「残リ5分、後半分! 良イワ、良イ戦場ダワ!」

 

 満面の笑みを浮かべて、水鬼は右手を大空へ突き出した。落ちて来るミサイルを掴もうとしているようだった。だが右手は突如蠢きだし、変貌し始めた。激しく出血しながら右手その物が肥大化していき、内側から食い破るように、新たな右手が現れた。

 

 まるで、マグマがそのまま固まったような異形を更に突き破り、夥しい数の――対空砲――副砲――高角砲――機銃――が現れる。あらゆる対空兵装を文字通り固めた、異常な代物。それが元々水鬼の腕ではないのは、言うまでもなかった。

 

 並行世界で建造された21世紀の戦艦を嘲笑いながら、無数にあった筈のミサイルが迎撃されていく。対空レーダーも間違いなく入っている。簡単にいかないとは思っていたが、これは予想外だった。

 

「良イ義手デショ、スペクタート同ジ技術デ作ッテモラッタノ」

 

「不気味だと思います」

 

「正直ネ、デモ、何時マデソウシテイラレルカシラ!?」

 

 義手の砲火が、不意に雪風へ向けられた。

 アーセナルのミサイルを全て迎撃できる弾幕だ、付け入る隙間は全く存在しない。今までのように掻い潜ることさえできない、弾幕というより、それは密集した壁と言って良かった。そうなれば、戦艦と駆逐艦では蹂躙されるしかない。

 

 夜戦でもなく、隠れる場所もない。あるべき艦隊決戦の舞台で、雪風は追い詰められるほかなかった。

 だがそれでも尚、雪風は平然と動き回っていた。あくまで冷静に、攻撃の予兆を見極め、的確に対応し、僅かな隙間があれば、そこへ僅かな攻撃を加えていく。効果がなくとも、関係なく続けていく。

 

 再度ミサイルの迎撃に、義手を振り上げる時、雪風への攻撃は薄まってしまう。その瞬間に一気に接近し、至近距離からの雷撃を叩き込んでくるのだ。それでもダメージはないが、水鬼からすれば面白みがなかった。

 

「後四分、ソロソロ、終ワラセテモ良イカモネ」

 

 そう言って、今まで微動だにしなかった水鬼が、遂に動きだした。

 戦艦だから小回りは効かない、だが、さすがは深海凄艦の姫なのか。瞬間的な速度は、もはや艦で出していい勢いではなかった。

 

 スネークのミサイルは、相変わらず滅茶苦茶に降り注いでいる。承知の上だが、それは雪風の上にも落ちていた。それを回避しながら、かつ水鬼の砲撃も回避していたのだ。ハッキリ言って、精一杯だった。しかし水鬼まで突撃してきたら、対応できる可能性は殆ど無かった。

 

 それでも雪風は一歩も怯まずに、あえて水鬼へと足を踏み込んだ。

 振り下ろされた剛腕に向けて爆雷を投げ、衝撃で勢いを削ぐ。その一瞬を使い水鬼の股座へと滑り込み、雪風は水鬼の背負う艤装の後ろへ回りこんだ。

 

「ソノ程度デ、見失ウ訳ナイデショ!」

 

 水鬼の自律型艤装が、彼女の義手より巨大な剛腕を叩き付ける。確実に仕留めるために大振りで振るわれた腕に、雪風はその手をかけた。

 雪風の片腕が、ぐじゃぐしゃにひしゃげた。原型など留めず、跡形もなく消え去る。だが彼女自身はその代償に、艤装の腕を足場に跳躍する、着地した先は、水鬼の頭だった。

 

「全部、発射します」

 

 背中の魚雷発射管が回転し、水鬼の頭頂部を捉える。回避ができない程近くでばら撒かれた魚雷は、そのまま艤装へ突き刺さり、次々と連鎖爆発を巻き起こす。近くにいた雪風自身は巻き込まれた――かに見えて、直前で脱出していた。

 

 爆炎に呑まれる水鬼、持っている魚雷は全て発射した。普通ならこれで沈んでいるだろう、しかし、きっと、ほぼ無傷で突っ立っている。雪風はそう予想し、予想は完全に合致していた。少し焦げた艤装を唸らせて、全身の火器が動き出す。

 

 逃げようとするが、ここに来てアーセナルのミサイルが、雪風の周りにばかり落ち始めた。狙っている訳ではない、運が悪いだけだ。水鬼もこの瞬間を見逃さないように、照準を、時間をかけて整える。

 

「名残惜シイケド、オ楽シミハ、コレデオ終イ」

 

 水鬼に慢心はなかった、大量にばら撒かれるミサイルが、簡単に致命傷を与えることを理解していた。だからこそ、雪風を沈めるチャンスを決して逃しはしなかった。だからこそ、照準も、発射のタイミングも、完璧なものだった。

 

 だからこそ、雪風にとっても、完璧なタイミングだった。

 

 雪風の12.7センチ主砲が発射された。

 砲弾は水鬼の主砲の、砲塔へと吸い込まれていく。掠り傷にもならない、矮小な攻撃が当たった時――水鬼の砲塔が、圧し折れた。

 発射直前の、砲塔が。

 

 しかし、それは狙って行われたものだった。初めから、これが狙いだった。

 姫の艤装であっても、発射直後は高い熱を持ち、その分耐久が落ちる。その一瞬に砲撃を、何度も叩きこめば、いずれ圧し折れる。

 

 折るのは一本で十分だった、なぜならその瞬間は、水鬼がまさに砲撃をする寸前だったのだから。発射される筈だった砲撃は、折れた砲塔に阻まれ行き場を失う。逆流したエネルギーはそのまま主砲の弾薬庫へと雪崩れ込み、あとは全て、連動して爆発するだけだった。

 

 水鬼の艤装が、見るも無残に爆発する。水鬼本人も、近くにいた雪風も、爆風に巻き込まれた。むせ返りながら、それでも水鬼は倒れなかった。艤装は激しく燃えながら、黒煙を吹き出している。しかし、本人と義手はまだ無事だった。

 

「……巻キ込マレテ、沈ンダノカシラ」

 

「生きてます」

 

 振り返った時にはもう、雪風が跳ねていた。

 水鬼の予想以上にボロボロだった、片目は潰れ、華奢な四肢はどす黒く焼けている。艤装も大破し、黒煙をもうもうと吐き出していた。

 

 まだ動けるのが不思議な体で、雪風は、水鬼の義手に、文字通り飛び付いた。

 小突くだけでも、轟沈するだろう。まだ足掻くのか、駆逐艦一隻で、私の艤装を完全に破壊した。それで十分じゃないか――などと、一瞬でも考えた水鬼は、自身を呪い――雪風に惜しみない称賛を送った。

 

 水鬼は、この瞬間、詰んだのだ。

 

「離セ!」

 

「やです!」

 

 水鬼の眼には、恐ろしい光景が迫っていた。

 まばらだったスネークのミサイルが、全て、水鬼ただ一人に集中し始めていた。狙いが定まったのだ、頭上にある、立ち昇る黒煙が目印だ。駆逐艦と戦艦、計二隻分の、大破炎上の炎だ、遠くからでも、見えるに決まっている。

 

 迎撃する為の、対空兵装を詰めた義手には、雪風本人が抱き着いていた。

 発射しても、駆逐艦の残骸がそのまま防いでしまう。それ以前に、ここまで密着されていたら、またエネルギーが逆流する。

 

 水鬼は無事な腕で、義手に抱き着く雪風を殴りながら、ミサイルから逃げ惑う以外、もう道は無かった。スネークのミサイルは燃える水鬼を目印に、どこまでも追跡してくる。あと数分で、エノラ・ゲイが辿り着くのに。

 

「死ヌ気、貴女ハ死ナナイインジャナカッタノ」

 

「死にませんよ、でも命は賭けます、賭けた上で、雪風は生きることを目指します」

 

 ミサイルが、ついに水鬼を捉えた。

 ミサイルが目前に迫り、迎撃が間に合わない事を見届けて、雪風はひょいと、水鬼から離れた。

 

「……爆風ハドウスルノ?」

 

「運には自信がありますので」

 

 水鬼は、また笑っていた。

 嘲笑のような、満足しているような、少し悲しんでいるような、けど何処か安心しているような雰囲気で笑っていた。

 ミサイルが炸裂し、視界が真っ白に吹き飛ばされる。

 その閃光は、眩し過ぎる朝日よりも、ずっとずっと、白くて眩しかった。




PEACE(平和)
 一般的には戦争や暴力等で社会が乱れていない状態を指す。しかし一方で、戦争の為の準備期間だという考え方もある。また人間社会でない、自然環境においては、常に生物は生存闘争の中にある。これを自然状態とした場合、平和はむしろ非自然的な状態であるとイヌマエル・カントは考えた。よって非自然的状態を維持する為には、常に行動を続けなくてはならないと提唱している。
 また、平和を維持する為の方法の一つが『抑止力』である。ある方法を用いて、相手型の戦争行動を抑止するという考え方であり、必ず先手を取れる対艦巨砲主義も、撃てば必ず撃ち返される核報復も、同様の考え方に基づいている。
 しかし、いずれも確実な理論に基づいておらず、机上の空論でしかないとも言われている。実際に1962年のキューバ危機においては、報復行動も考慮した上で、核発射が実行される瀬戸際となっている。
 ただし現代においては、米ソによる二大大国構造が崩壊し、テロ集団でも核を保有する可能性が高まっている。この場合、特定の拠点や国家を持たない為、核抑止の理論が成り立たなくなる危険性が指摘されている。

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