やはり、姫はこの海域にいるのだ。アーセナルは笑みを隠せなかった。
エラー娘という妙な存在と遭遇してから一か月間、アーセナルは自分を追う姫を探し続けていた。
今尚進み続ける海中の景色は、エンガノ岬を脱出した頃から碌に変わっていない。海上に出たとしても、見えるのは小さな島と雲、地平線。突き抜ける風は蒸し暑く、それもあって尚の事、海中に潜み続けていた。
きっとソロモン諸島でも、海底は大して変わらない。
そう思っていたが、こうも長期間水中ばかり眺めていると、違いが分かってくるものだ。僅かな水温の違い、棲息している生物。そして敷き詰められたように広がる、軍艦の死体。
この中に自分を沈めようとする姫を叩き落とすこと、それはきっと、とても良いことだ。血の混じり出した海中で、アーセナルは笑い続けていた。
それは紛れもなく苦難の一ヶ月だった。
潜水艦は基本隠密性を重視した艦だが、海中ホワイトハウスとして建造されたアーセナルギアは違っていた。永遠に機能し続ける合衆国よろしく、半永久的に動けるように、彼女は機関に原子力を用いていた。
だが、存在しる原子力潜水艦の大多数がそうであるように、アーセナルも静音性に著しい難を抱えている。最新技術の粋を用いても、この欠点は回避しきれなかった。
加えて戦艦大和約80隻分という巨体を動かすのには、大量のタービンが要る。これもまた、騒音の原因になっていた。というより巨大過ぎる時点で、アクティブ、パッシブソナー問わず、発見されやすい。
結果アーセナルは、徹底して隠れ、逃げ続ける事を余儀なくされたのである。無論ミサイル兵器をふんだんに使えば皆殺しは簡単だったが、それで本命の姫に会った時、『残弾ナシ』では笑うに笑えない。
〈アーセナル、哨戒に出した『レイ』が帰還している〉
〈どうだった?〉
アーセナルは海中を航行しながら、同様に海中を潜航する『レイ』という兵器を格納していく。G.Wが報告するよりも前に、レイに取りついた妖精が、我先にと手柄を説明しだす。しかし水中なためか、妖精の声は全く届かなかった。妙なところで現実的だと、アーセナルは何だか感心した。
〈ここから南方より20キロ離れた地点に、深海凄艦の補給拠点らしき建造物があった。流石に詳細までは分からなかったが、中々多くの資源が集められていた〉
〈なら、それだけ重要性も高いか〉
体内無線なら、水中でも問題なく会話できる。アーセナルは口を動かさずに、G.Wの報告に応対していた。
〈加えて小規模だが、地上飛行場基地も発見できた〉
〈飛行場か……〉
アーセナルは、ソロモン諸島(この場合は第二次世界大戦中の)において、米軍を優位に立たせたヘンダーソン飛行場を思い出す。
元々はルンガ飛行場といい、旧日本軍がガダルカナル島に建造した飛行場だったのだが、米軍はこれを逆に乗っ取ってしまい、ヘンダーソン飛行場に改名したのだ。完成したばかりの基地は、それ以降味方だった日本を苦しめることになる。
だが今向かう場所はヘンダーソン飛行場と位置が異なる、別の基地だろう。
〈どうする?〉
〈破壊か、占拠か。いずれにせよ何らかのアクションは仕掛けてみたほうが良いな〉
空襲の威力を削げば、ミサイルの節約に繋がる。
補給物資の中に、青葉を修復できるものがあるかもしれない。
これで姫を焙りだせれば、は欲張り過ぎかもしれないが。どう転んでも得しかない。
〈青葉と衣笠は? 本気で救出するのか?〉
〈手数が多いことに越したことはないだろ、お前も同じことを考えているんじゃないのか〉
〈アーセナルギアは弱点が多い、迂闊に行動を共にするリスクは避けるべきだ〉
〈秘匿主義も結構だが、死んだら元も子もない〉
アーセナルは無線を切断し、飛行場へ進路を向けた。
あの孤島で青葉に言ったことは、紛れもない本心だ。如何に強力なミサイル兵器といえど、尽きてしまえばどうしようもない。重巡クラスが二隻もあれば、戦闘補助に護衛――いざという時は文字通りの盾にすればいい。
しかし、どうも引っ掛かる。
青葉はアーセナルギアを知っているそぶりを見せていた。だが一か月間、艦娘はおろか深海凄艦の前にも姿を表していない。
なら、初回の戦闘か。
あの一瞬も目撃から、噂が広まったに違いない。
艦娘の間でどう自分が広まっているか考えると、憂鬱な気分になってくる。アーセナルはより一層、深く潜航した。
アーセナルギアという艦は、言うまでもないが最新ハイテク技術で構成されている。
米軍を統制する戦術ネットしかり、イージスシステムや空軍の
つまり、アーセナルギアは自力での索敵能力を殆ど持っていないのだ。
流石にレーダーぐらいはあるが、イージスシステムに比べると劣る。
しかも潜水艦にも関わらず、周辺を探るのに不可欠なソナーさえ装備していない。
それもまたある意味
しかし、現在時刻は夜になっている。
チャンスだ、第二次世界大戦基準の航空機だと、夜は殆ど飛行できない。アーセナルはこの隙をつき、海面へと浮上した。考えてみれば当然だが、潜水艦だって潜っているより、浮かんでいる時の方が速い。
この隙を突き、アーセナルは飛行場まで猛進する。夜なので当然偵察機は飛んでいない。飛行場の位置は軍事衛星を通じ、G.Wが教えている。警戒しなければならない潜水艦も、今はソロモン諸島の包囲網に投入していて数が足りていない。
歓迎すべきことだが、アーセナルは難しい顔をしていた。
ソロモン諸島を潜水艦で包囲するのは分かる。だが内部の偵察がおろそかになってまで、包囲する価値がこの諸島にあるのだろうか。
考えている内に時間は経過し、飛行場がレーダーに映り込む距離に到達した。
結局ここに至るまでに潜水艦には遭遇しなかった、だが駆逐艦や軽巡洋艦がうろついているのが見える。アーセナルは気づかれる前に、再度海底へ潜航し、ソナーに掛からない為に動きを止めた。
〈それで、占拠か? 破壊か?〉
〈まずは基地の中身を見てからだ、艤装は頼んだぞ〉
アーセナルは、海底で艤装をパージする。
彼女は一部の装備だけ残し、迷いなく、
それは艦娘を少しでも知っていれば、信じがたい行為である。
艦娘は生身でも強力なパワーを発揮できるが、固有の力――海に浮かんだり深海凄艦に有効打を与えたり――を発揮するには、艤装の装備が必須である。
しかしアーセナルは生身で、人間では死んでしまうような海底を泳ぎ続けていた。
いや正確には生身ではない。
ほんの僅かだが、彼女は艤装を装備していた。
マントのように彼女を覆う、無数のミサイルユニットを搭載したメイン艤装。
それとは別に、サブの艤装が存在していたのだ。
肩から伸びる触手、もしくは蛇のような形状をしたスネーク・アーム。更に腰回りに据えられた、二振りの高周波ブレード。
この中でアーセナルは、高周波ブレードを装備して、深海を泳いでいた。
どうにも、いや本人もよく分かっていないが、明らかにアーセナルギアの兵装ではないこれらの武器も、艤装として認識されているらしい。
証拠に忌々しいグレムリンどもも引っ付いている。
尚、この事実を教えてくれたのもグレムリンども。自慢げな態度に腹が立ったのを覚えている。
ただ艦の速度で動けなくはなるし、装甲は普通の人間と同じになってしまう。
危険性は跳ね上がる。
だが単独で基地に潜りこむなら、これで十分だ。
それにあの艤装は巨大過ぎて、潜入にはとても向かない。
〈こちらアーセナル、敵飛行場への潜入に成功した〉
資材を揚陸するためのドッグから、アーセナルは素早く上陸した。まばらだが敵兵の姿が見える。地上で動くためか、ツ級やネ級など、二本足で動ける深海凄艦が配備されていた。アーセナルは付近の資材に、姿を隠す。改めて基地の様子を伺いながら、G.Wと無線を続ける
〈行けそうか?〉
〈問題はない、今から基地内部を調べてみる〉
〈本当に大丈夫か?〉
〈くどいな、何かあるのか?〉
変にしつこく心配してくるが、親切心とかそういったものはあり得ない。よってアーセナルは不気味にしか思えなかった。
〈アーセナル、君は潜入任務の経験がない。VRでの訓練もしていない。素人以下だ。その状況でスニーキングを行うのは、危険が大き過ぎる〉
絶対に態度には出さなかったが、アーセナルも大きな不安を抱いていた。艦だった頃、内部に潜入工作員を抱え込んでいた為か、スニーキングに関する知識はある。だが実行したことは一度もない。いやまだ生後一ヶ月で、経験している訳がない。
それに今は普通の人間と変わらない。
普段なら意に介さない機銃の一発でさえ、致命傷になり得る。
今までとは比較にならない死のイメージが纏わりついている。
〈やるしかないだろ〉
〈そうか、ならそうしてくれ。我々にはどうしようもないからな〉
〈――いや、『レイ』を何機かスタンバイさせておいてくれ〉
不安を拂拭しようと、強い口調で言ってみた。しかし払いきれず、結局『レイ』を頼むことになってしまった。今は実際に潜入しながら、経験を身に付けていくしかない。
揚陸した地点から奥に、一際大きな建造物が見えた。
G.Wの情報が正しいなら、あれは飛行場を制御する管制塔。つまり航空機を飛ばすために、周辺のデータが蓄えられている。アーセナルはまずそこに侵入してみることにした。できるならより確実に情報を得られる場所に潜入したい。初めてのスニーキングへの不安が、こんなところにも表れていた。
高周波ブレード同様、艤装として装備していたサブマシンガン、P90を構えながら、裏口から入り込む。内部には管制塔らしく、余計な物資は置かれていない。ただ最上層のメイン・ルームに向かって、螺旋階段が続いているだけ。
しかし、素直に上に行かせて貰えるとは思えない。
薄暗い上階からは、無数の足跡が聞こえる。
監視カメラも設置されている。
どうやっても途中で見付かってしまうだろう。
無理矢理突破できるかもしれないが、危険過ぎるように思える。
こういう時、彼らならどうしただろうか。
アーセナルは自分の中に残る、潜入工作員たちの動きを思い出す。馬鹿正直に歩き回る真似はしていない。冷静に周囲を観察し、利用できる環境を利用していた。自分にもできるだろうか、という疑問もまた棄てた。彼等も任務中、こういった不安は極力排斥していたからだ。
アーセナルは彼らの
迷いなくダクトの鉄格子に高周波ブレードを押し込み、その中へよじ登る。この中を通れば、見つかることはあるまい。監視カメラの類があるかないかは、流石に想定の仕様がないので諦める。
ギリギリ体が収まる通路の中を、アーセナルは両手のみで進んでいく。全身を動かしたら騒音で気づかれるかもしれない。見られることは無いが、聞かれる可能性はある。思っていたよりも、安心感がない。全身への圧迫感が、焦りを生みそうになる。
アーセナルは息を整えながら、四肢を踏ん張り、真上へと延びるダクトを進んでいく。一階、二階、三階――そこで、足跡とは違う異様な音を耳にした。それは僅かだったが、何か生々しい物を何度も殴る音だと、確信した。
いったん進路を変え、三階のダクトを這いずり回る。音の発生源に、間もなく辿り着く。やはり殴る音、人を殴る音だ。更にくぐもった悲鳴も聞こえる。アーセナルは、真下の鉄格子から、音のする一室を覗き込んだ。
「サア、イイカゲン、ハイテモラオウカ」
人型の深海凄艦――確か、戦艦タ級だ――が、優しい声で語り掛ける。しかし対象の女性は部屋の中央からロープで吊るされ、麻袋を頭からかぶされている。優しさなど欠片もない、これは拷問だ。
「ハカナイノナラ、マタ、イタイメニアウ」
しかし拷問されている彼女は、全く動じない。麻袋越しでも、決して何も言おうとしない意志がアーセナルにも伝わった。逆にタ級は、更に苛立ち始める。
「オマエノニガシタ連合艦隊、イキノコリハドコニイル?」
「……私、一人ですよ」
「キサマ!」
激情に駆られたタ級だったが、拷問はもうできなかった。天井から舞い降りたアーセナルの蹴りが後頭部を直撃し、卒倒する。他の深海凄艦も驚いている間に、一瞬で制圧された。
「大丈夫か?」
「……誰ですか?」
アーセナルは彼女の麻袋を取り、ブレードでロープを切断する。重力に従い地面に激突されても困るので、片手で受け止めて地面に下ろす。視界を取り戻した彼女は、目の前の人物が誰か分からず困惑していた。
「私はアーセナルギア、一応艦娘だ」
「アーセナル、そうですか、ありがとうございます、助けて下さって」
聞きなれない艦名に驚くこともなく、彼女は素直な感謝を告げる。痛みに顔を歪めながらも立ち上がり、膝の埃を払う。全身傷まみれだったが、その体から出る勇ましさは、全く衰えていなかった。
「私は軽巡、『神通』です」
と言い切った途端、耐え切れなくなりその場に崩れ落ちてしまう。相当酷い拷問を受けていたらしい。連合艦隊の生き残りについて、だったか。多分青葉たちのことだが、彼女は他に何か知っているのか。
「お前はもしかして、連合艦隊の生き残りか?」
「確かにそうです、連合艦隊第二艦隊旗艦を務めていました。ですがどうしてそれを?」
「衣笠から聞いた。お前が随伴艦を逃がすために囮になったと」
「衣笠!? 彼女も取り残されていたのですか!?」
「青葉とやらもだ」
「そんな……」
座り込んでいた全身から、更に力が抜けていく。彼女からしたら、第一艦隊も第二艦隊も、とっくに脱出しているものだと思っていたのだろう。しかし二隻も取り残されている。全くの無駄ではないが、神通の任務は不完全に終わってしまっている。だがアーセナルにとって重要なのはそこではない。
「質問がある、お前は『姫』を見なかったか?」
「この海域を支配する?」
「ああ」
「それなら、見ました」
アーセナルの胸の内から、どろりとした歓喜が溢れ出た。笑みが隠せない。やっと当たりを引いた。姫を狙う連合艦隊の生き残りなら知っていると思ったが、ビンゴだ。その興奮が声に出ないよう抑えるのが大変だった。
「何処で見た、今は何処にいる?」
「此処です」
笑みが、途端に張り付いた気がした。
此処? この管制塔に、今姫がいる?
興奮が止まらないが、尚抑え込む。
獲物は目の前だ、なら最も警戒を高めないといけない。
「この管制塔の最上階に、姫はいました。もう別の場所に行ってしまったかもしれませんが」
「今がチャンスという訳か」
どの道行かなければ分からない。アーセナルは立ち上がり、階段へ向かおうとする。しかしその肩を神通が掴み、静止させてくる。
「待ってください、貴女が姫を狙う理由は、今はいい」
神通の眼は虚ろだった。度重なるダメージが限界に来ているのだ。だが、肩を掴む腕の力は尋常ではない。アーセナルも、無理に引き剥がそうとは思わなかった。
「ですが、やるなら急いでください。このままじゃ、全部手遅れになる」
「手遅れ?」
「私も、青葉たちも、古鷹たちも……泊地も……壊滅、してしまう」
肩からずるりと手が落ちて、神通は昏倒した。
このまま放置しておいても何ら問題はないが、有事の際に使えないのも困る。
まだ目処は立たないが、修理の目処が立てば、彼女もきっと戦力になってくれる。
アーセナルは最低限度の止血だけ済ませる、これで失血死は免れた。彼女の発言は気になるが、今此処で姫を殺せば、杞憂に終わる。
彼女は再び、ダクトの中に身を潜ませた。ついでに敵兵に見つからないよう、神通も押し込んでおいた。脱力した人間は、やけに重く感じた。
〈改めて、君の装備する艤装について説明する〉
〈分かった〉
〈君の艤装は普通の艦娘と違い、メイン艤装とサブ艤装の二段で構成されている〉
〈スネーク・アームや、ブレードがサブの艤装だな?〉
〈そうだ、対してミサイルユニットや、
〈それで……いくつか問題があるんだったな〉
〈艦の力はメイン艤装に有る。故にサブ艤装だけだと、君の『艦娘としての力』は激減する〉
〈例えば?〉
〈実際の艦と同じ耐久力や、航行速度……そういった要素が失われることになる〉
〈つまり、海面に浮かべるの以外、ただの人間と変わらなくなる訳か〉
〈そうだ、今の君が深海凄艦の攻撃を受けたら、肉片一つ残らずにGAMEOVERだ。絶対に敵に見つかるな。
〈了解だ、