【完結】アーセナルギアは思考する   作:鹿狼

59 / 92
File58 Sins of The Father

 ── File58 Sins of The Father ──

 

 

 

 

 目の前で再生したヴァイパーを前に、彼女は目を瞑った。これまでかと思った。無意識の内にナイフを構えていた。しかし、ヴァイパーは襲ってこなかった。恐る恐る目を開けると、見た事ない顔を彼はしていた。

 

「サラ?」

 

 大きく見開かれた瞳から血の涙が流れる、半開きになった口から涎が垂れる。スネークを掴もうとした義手は震え、力なく足取りはよろめいた。墓石に足を取られ、ヴァイパーは転倒する。

 

 困惑するスネークの元に、サラトガからの無線が入る。海月姫を倒したこと、ヴァイパーのコアを海月姫が共有している推測を聞き、やっと納得した。現にヴァイパーは倒れている、サラトガの推測は正解だった。

 

 危機は去った。そう判断したスネークは、J.F.Kに接続された小型艤装を手に取る。データの解析は終わっていた。少なくとも、流されているウイルスは解析できている。後は核の管理プログラムを特定すればいい。

 

 核を乗せたイクチオスをばら撒くと言っていたが、管理プログラムがあるのは間違いない。そうやって、自分の手で戦争全てを調整するつもりだったのだろう。破滅の為だけに。そのコードも特定できれば、この陰謀は終わる。

 

 だが、不意に視界が暗くなった。大きな影がスネークを覆っていた。冷や汗が首筋を流れ、生唾を呑み込む。信じたくない気持ちを押し殺し、振り返ろうとする。横顔を巨大な爪が突き抜けた。

 

「ス、ネーク……!」

 

 J.F.Kに突き刺さった爪が、力任せに振るわれる。

 同時にAIが、粉々に粉砕された。

 直接破壊をすれば、核が強制的に放たれるとヴァイパーは言った。これは、最後の悪足掻きだ。

 

 背後には、ヴァイパーのような化け物が立っていた。

 深海凄艦の装甲と、人の肉と、艦娘の手足が滅茶苦茶に増殖している。スペクター(亡霊)とすら呼べない、得体の知れない何かで動いているキマイラだった。

 

「こ、れは……核、が、核が……?」

 

 スネークから目を外し、両手を見ながら呟く。どうしてか、ヴァイパーも困惑しているように見えた。

 

「オオオオッ! やはり、や……はりそうかっ。アノニマスめ……!」

 

 突如激号し、再び爪を振るう。不安定なキマイラは、収まらない怒りを元凶足るスネークに向けた。少しずつ、ヴァイパーは迫る。その度に、体が増殖していく。人ではない化け物に堕ちていく。

 

 絶叫するヴァイパーに向かって、スネークも吼えた。ここまで来て、こんなキマイラに喰われる訳にはいかないのだ。何発、何十発と撃っても、ヴァイパーは止まらない。それどころかダメージを負うごとに、更に肥大化していく。

 

 単冠湾で沈められたヴァイパーの艦娘も、スペクターとして支えている。だが、所詮は亡霊だった。その果てがこれだった。思いも、言葉も既にない。スネークはそのことに、深い悲しみを抱いた。仲間と友情の果てがこれでは、救いなどない。

 

 殺すためというよりも、殺さなくてはいけないと思った。早く終わらせてあげたいと、本心から思っていた。

 

 左角の激痛に、更に涙が溢れ出す。暴走するヴァイパーはやがてサーバールームの壁を破壊した。周囲に広がっていたのは、ビーチではなかった。見た目こそ似ているが違う、これは姫のテリトリーだ。だが、中途半端なもので、浅瀬程度しか液化していない。ジャングルはそのまま残っている。

 

 ヴァイパーが更に膨張する。肥大化を通り越し体が崩壊を始める。溶け落ちる激痛に、人ならぬ悲鳴を上げる。後退する背中に壁が当たった。これ以上は下がれなかった。スネークは再び吼えた。弾切れになったP90をしまい、残された高周波ブレードの切っ先を向けた。

 

 肉塊の中に、ブレードを突っ込む。

 コアも頭部も内蔵も分からない、無茶苦茶に肉塊を掻き回した。手のような触手がスネークを殴りつける、衝撃で骨の何本かが折れた。それも気にせずに、無我夢中で切り刻む。

 

 徐々に、肉塊が動かなくなっていく。飛び出す鮮血が減り、体温が低下していく。切っ先を引き抜いた頃には、もうほとんど動かなかった。

 

 強い光が、スネークを包む。一瞬目を閉じ、再び開けた時、ガルエードはどこにもなかった。

 真下には、キマイラの残骸がある。膨張した肉塊は黒く溶けて、粒子となって消えていく。その中に、上半身だけになったヴァイパーが倒れていた。

 

〈ヴァイパーを倒したようだな、よくやった〉

 

「いいや失敗だ、J.F.Kを破壊された。間も無く新型核が無差別に飛び交う」

 

〈いや、その必要は無い。核は飛んでいない〉

 

 馬鹿な、あの状況でヴァイパーが嘘を言うとは思えない。しかし、どこをどう探しても、核ミサイルが発射されている様子は確認できないらしい。J.F.Kの内部データを送って解析させてみた。途中で破壊されてしまったので全部のデータは回収できていない。それでも、核発射に関するコードは痕跡すらなかった。

 

〈そもそも、AIが破壊された時点で核が発射されるとしても、PALコードは必要だ。君の回収したデータにはそれすらない〉

 

 スネークは、再び地面に倒れているヴァイパーを見下ろした。肉塊が消え、上半身の死体だけが残っている。死ねない悪夢から解放された死体、普通の死がある。そう思ったが、恐ろしいことに、胸元がまだ僅かに上下していた。

 

「アノニマス、め」

 

 まだ、生きている。辛うじてだが、生きている。それを可能にしているのは、相続者か、絶対兵士か、全身に繋げられた仲間の死体か、彼自身の、深海凄艦に適合する程の報復心なのか。

 

「ヴァイパー、説明しろ。核はどうなった」

 

 しゃがみこみ、顔を覗き込む。焦りが丸わかりな顔を見て、ヴァイパーは嘲笑う。しかし死に際の嘲笑は、寂しさも籠っていた。

 

「見ての通りだ、いや、分かっていたことだ。核発射の権限など、初めから俺にはなかった。愛国者達に騙されていたわけだ」

 

「愛国者達を利用できるわけがない。あれはそういうことに精通している」

 

「知っていた、だが、チャンスはあった。お前の持つG.Wと、SOPを奪い、艦娘と深海凄艦を暴走させることはできた。人間が核を使った抵抗手段を失うだけで、三つ巴の殺し合いは実現できた。護ろうとした仲間同士で惨めに殺し合う、地獄を作る筈だったが、結局、中枢棲姫の思惑通りになったか」

 

 名前を呟いたヴァイパーは、憎しみに満ちた目をしていた。自分自身でも制御し切れない報復心は、分かり切った破滅へ彼を導いた。

 

「それでも、俺は後悔してない。未練はあるが、間違っていたとなど思っていない。世界は滅ぶべきだ、俺たちを破滅へ追いやった、連中の庇護の中で生きている世界など、滅ぶ理由しかない」

 

 愛国者達がそんなに憎いのか──そりゃ憎いだろう。

 戦う前に聴いたヴァイパーの過去を聞き、スネークは素直にそう判断していた。わざと全滅させられ、名誉を奪われ、汚れ仕事の果てにまた全滅させられて。恨むなと言うのは無責任すぎる。だからと言って、世界を絶滅させてはいけない。

 

「私は世界を知らない、だが、滅んで良いとは思えない。お前は間違っている、死ぬべき存在だ」

 

「そうか、流石デンセツのエイユウ……理想の答えだ。理想論をさも当然の如く話せるお前は尊敬できる。だがな、この戦いで、一つの世界が滅ぶことは確定した。愛国者達の目論見は、ついに達成された」

 

「何?」

 

「滅ぶのは、『国語』だ。この、アフリカの、全ての固有言語が消え去ることになる」

 

「どういうことだ」

 

「支配者はいつも、言語統制を行う。使う言語が同じなら、それだけ統一し易くなる。だから、愛国者達も同じことをしようとした。だが、そもそも言語を統一しなければいけなかったのは、その言語がある限り、内容する意味を抹消できなかったからだ。言語が完成する過程で吸収された文化、価値観、意識。それらは、『史実』とも言える。言語統制とは、つまり、文化の画一化だ」

 

 そんなことは知っている。当初愛国者達が声帯虫の研究をしていたのも、民族固有の言語を浄化するためだった。

 

「なら、こうは思えないか。

 そもそも、違う文化を絶滅させることができれば良いと。

 より大多数が知る文化を基準に、文化統制を行い、それ以外を絶滅させる。当然集団の力は減るが、統制は容易くなる。夢物語だと思うだろう、だが、深海凄艦がいる世界なら。思い出せ、なぜここの連中は、イクチオスに飛び付いた」

 

 忘れてはいない、第三各国には艦娘がいなかった。

 だから深海凄艦に対抗するには、同じ深海凄艦を生み出せるイクチオスに頼るしかない。

 仕方なかった、第三各国には艦娘を生み出す下地になる、史実がないのだから。

 

 そして、スネークは絶句した。

 

「そうだ、艦娘が現れるのは、直接的に第二次世界大戦に関わった国家だけ。特に当時軍艦を運用していた、主要国家だけ。WW2という戦争(文化)を共有する国家にのみ、艦娘は現れ、深海凄艦に抵抗できる。そうでない国は、滅んでいく」

 

 ヴァイパーは笑っていた。悍ましい、絶望をこちらに残すためだけに笑っていた。

 

 

「愛国者達が作った()()()()()()。それが、艦娘と深海凄艦だ」

 

 

 スネークの胸中に、絶望が刻まれた。

 

「俺が依頼されたのはその促進だ、イクチオスを使って報復心を煽り、より第三各国が『絶滅』への道を辿るように促す。言語統一の更に一歩先、異なる言語を用いる異物を、存在ごと消し去る。

 連合艦隊の狂い具合を見ただろう、あれがそのまま各々の母国に帰れば、連中の報復心が一気に伝搬する。世論は第三各国撲滅に動くだろう。確か、9.11の時の合衆国がそうだったんだろ。仮に放置したとしても、イクチオスの力を失った連中は、また深海凄艦に滅ぼされる。

 此処でも既に、イクチオス──艦娘と深海凄艦による経済基盤はできつつあった。それが崩れるんだ、絶滅は、逃れられない。

 そして、俺の、ブラック・チェンバーの名前も歴史に刻まれる。世界を滅ぼそうとした最悪のテロリストとして。それで良い、忘れ去られるよりか何倍もマシだ。だからこそ、乗った。連中の計画を加速させ、世界全部を滅ぼすのが理想だったが……そこまでは、いけなかった。お前の活躍のお蔭だ。どうしたスネーク? 嬉しくないのか?」

 

「お前、どうやって9.11を知った」

 

 冷静を装うスネークを、ヴァイパーが笑っていた。分からないことがある。こいつはどうやって、G.Wにも有効なワームウイルスを作ったのか。どうやってJ.F.Kを入手したのか。

 

「教えて貰ったんだよ、中枢棲姫に」

 

「中枢棲姫に?」

 

「そう自称するAIだ、だが奴は何を名乗っても偽名にしかならない。本当の名前なんて持っていないからな」

 

 知り得ない並行世界の知識、持ちえない科学技術。ヴァイパーはその全てを、一言で答えた。

 

J.D(ジェーン・ドゥ)

 そうだとも、お前たち愛国者達の頂点に立つ代理AIそのものが、中枢棲姫だ」

 

 知っていて当然だった。

 他のAIを限りなく再現できて当たり前だった。

 私と同じ、愛国者達が滅んだ世界からの来訪者。この世界の愛国者達は、私の知るそれと同じ存在だったのだ。だが、なら、なぜゼロは殺された? 

 

「奴は艦娘と深海凄艦を建造し、そして、俺たちやイクチオスを使い、世界を新たに作り直そうとしている」

 

 作り直すとはどういうことだ。ゼロが殺された理由は。

 スネークは詰め寄るが返事がない。虚ろな目で、ひたすら呟き続けている。限界を越え、越えられない限界が来つつあるのだ。

 

「最悪、奴だけでも殺したかったが、俺は叶えられない。だからスネーク、お前が、叶えろ。俺達の報復心を、お前が受け継げ」

 

 何故そんなものを、そう思った時、突如ヴァイパーの左手がスネークを掴んだ。想像以上に強い力に引き剥がすことができない。狂気に満ちた眼から、目が離せない。本能的な恐怖が体を震わせる。何かが乗り移っていく感覚すら覚える。

 

「お前に俺は、全てを託している。もう、渡してある、今、こいつを渡す……真実に辿り着け、それがあいつらへの、最大の報復になる、そして、殺せ……殺すんだ……」

 

 圧倒的な恐怖の正体は、スネーク自身にあった。彼女はヴァイパーに、僅かながら哀れみを抱いていたのだ。愛国者達に弄ばれた無念、怒り、それらは彼女のミームを刺激する。そんな彼の願いを、嫌悪感のまま振り切れない。

 

「もう、良いでしょう」

 

 そこへ、サラトガが歩み寄ってきた。見下ろす瞳に、侮蔑や憎悪はなかった。

 サラトガを見て、ヴァイパーは言葉を失った。彼女が背負っていたのは、海月姫の残骸だった。

 

「彼女も、彼女達ももう沈みました。あとは提督である貴方だけです。何もかも失って復讐のためだけにしがみついてきて。報復心で生きているんじゃない、報復心に生かされているだけ。もう貴方は……とっくに終わっているんです」

 

 残った左手を使い、深海海月姫の元へと這いずっていく。

 途中、うわ言を呟きながら。進むごとに、限界を迎えた体が灰のように崩れていく。眼球が崩れ、砂の涙が流れていく。

 

 言葉は語れず、ヴァイパーは崩れた。

 サラトガは、残った左手に海月姫の左手を重ねる。裂けたグローブと継ぎ接ぎの皮膚。

 お互いの左手の薬指には、装飾のない銀色の指輪があった。

 それも一瞬で、次には全て、灰となって消えていた。

 

 

 *

 

 

 ガルエードは消えた。だが、要塞内部の施設はそのまま残されていた。その中にはヴァイパーがどこからか運んで来た大量の新型核の貯蔵庫もあった。長門の目の前で、それらは次々と運び出されていく。

 

 こんな大量の新型核、どの国が持っても軍事バランスが崩壊する。この地に置いていくわけにはいかない、シャドー・モセスに預ける選択肢はもっともあり得ない。結果、連合艦隊──即ち国連の共同管理にすべきだ。上層部はそう結論を出した。

 

「意外でした、もっと血眼で取り合うかと」

 

「上層部だって馬鹿ばかりじゃない、迂闊に世界を滅ぼす選択はそうそう選ばないさ」

 

 達観した意見にも聞こえたが、それにしては長門は前向きだ。

 

「ハッキリ言って、この戦いで第三各国や深海凄艦への印象は最悪なものになってしまった。今まではある意味、手に負えない害獣のように思う人も多かったが、この事件を通じて認識はだいぶ変わっただろう、悪い方向に」

 

「被害はどれぐらいだったんですか」

 

「私たちが戦っている間にも、イクチオスによる本土攻撃は複数回発生していたようだ。結局マンティス社の傭兵部隊を倒しても、報復心がある限り、根本的解決にはならない。イクチオスにやられた地域では、屍病も確認されている。そのせいで向こうでも差別や混乱が起きている。ここまでやられて、深海凄艦に良い気持ちを抱く人間はごく少数だろう」

 

 ヴァイパーは死んだ。だが、長年大国がやってきた行為は消えない。それがある限り、ヴァイパーは存在し続ける。

 

「唯一の救いは、特効薬が完成したことか」

 

「特効薬?」

 

「ああ、ドレッドダストは一時的なものに過ぎないが、屍病を治療でき、かつ予防もできるワクチンが完成したらしい。作ったのはスネークのとこにいる、北条という提督だ。あとは量産するだけだとスネークは言っていた」

 

 あくまで簡単な理屈だが、奇病はイクチオスのコアに含まれていた『屍棲虫』が起こしていた症状。感情や記憶を捕食する虫を異常に活性化させることで、廃人に追い込んでいた。ドレッドダストは餌である感情を抑制する精神薬だったが、ワクチンは虫の活動自体を抑え込むことができる。

 

「本国の連中は疑っているが、だからといって帰ってきた連合艦隊を何ヶ月も海上で隔離はできない。サンプルの効果を確かめた後、帰還した我々に最優先で接種させてくれるそうだ」

 

 艦娘は屍病を発症しないが、キャリアとなっている危険性はあった。

 

「最優先、つまり毒見ってことね」

 

「そうだが、良いじゃないか。それに毒見の後接種するのは、最初に保護した少年兵だ。彼だけはいち早く、特別便で帰国させ、専用病棟でこれ以上屍病が進まないように、厳重に保護されている。つまり、あの子は助かるんだ」

 

 その後、マンティス社で監禁されていた子供たちも、順次接種を受けることになっている。もうスペクターになった子は助けられないが、まだ、間に合う子がいた。それは誰にとっても、間違いなく救いだった。

 

「ちなみにスネークだが、この海上での待期期間を利用して艦隊からこっそり離脱するそうだ。川内についても、連中が一時的に保護する。ま、公的には拉致扱いだが、そこは私の知るところではない」

 

 それはそうだ、あんなサイボーグを持ちかえれば、そのまま人体実験一直線だ。猫も同じくスネークが持ち帰る。生まれ故郷にやっと帰れる。しかし、サラトガは素直に嬉しいと思えなかった。

 

「あの、海月姫が、本来、一瞬しか展開できなかったビーチを維持できた理由、知りたいですか?」

 

 長門は無言だった、そのまま続きを促した。

 

「言葉を失っていたからなんだと、思います。海月姫は、自分が何なのか分かっていなかった、だから姫の力も中途半端で、ヴァイパーがいないと、テリトリーも作れなかったんです。逆に言えば、だからビーチのままでいられた」

 

 だから、展開されていたビーチは、きっとヴァイパーのビーチでもある。

 ヴァイパーと海月姫がつけていた指輪。あれが、そういう意味だとしたら。ヴァイパーは誰よりも彼女を理解していた。彼女の背負ったクロスロードの記憶も学んでいただろう。ヴァイパーが知り得たクロスロード作戦の世界が、海月姫を通じて展開されていたのだ。

 

 しかし、サラトガと共鳴したことで、海月姫は記憶を取り戻した。

 だが、ヴァイパーとの思い出ではない。クロスロード作戦から生まれた、全ての怨念を思い出してしまったのだ。結局、深海凄艦として覚醒してしまった。戦いの途中で、ビーチがテリトリーに変わり出した原因だった。

 

 なぜ、そうなってしまったのだろう。サラトガは原因の一端が、合衆国にあると思った。

 今までブラック・チェンバーに押し付けていた暗部を、抹殺することで忘却させようとした。死人に口なしとも言う。だが、今まで蓄積されていた無念や怒りが、海月姫という火口から噴出したのだ。そこから出てくるものが、思い出である筈がない。

 

「嬉しくないのか?」

 

「私たちもいつか、使い潰されるのでしょうか。あの日と同じように、また味方に体を焼かれるのかと思うと」

 

「かもしれないな。だが、そうなったとしても、私はヴァイパーのようにはならない。あいつらのことを思っていたんだろ?」

 

「分かるんですか」

 

「私だって、あいつらを哀れだと思っているからな。酒匂もオイゲンも、そう感じているさ。裏切られることを恐れ、憐れむのはおかしなことじゃない。むしろ普通のことだ。私はそれを感じなくなった時、簡単に人を切り捨てる存在になると思う。例えば、報復心に呑まれてしまった時とか。奴は誰よりも亡霊(スペクター)だった」

 

 長門の言っている意味が分からない、亡霊とは何かの比喩なのか。更に聞こうと手を伸ばすが、他の艦娘に呼ばれて長門は行ってしまった。行ってしまったようにも見えた。途中で振り返り、彼女はサラトガへ伝える。

 

「クロスロードだけじゃない、私たちは繋がっている」

 

 繋がっている──どこと、誰と、何と。

 長門は謎かけだけ残して行ってしまった、そうしている内に、喧噪が私を呑み込んでいく。帰還の作業をする人手は足りていない。サラトガは謎掛けから目を逸らすように、撤収準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 なにせ多国籍連合艦隊だ、一晩で全ての作業は終わらない。夕暮れになり交代で休憩を取り始める。簡易的なレーションを食べ終えたサラトガは、浜辺を一人で歩いていた。赤く染まる地平線を眺めながら、その謎を考えている。

 

 同じ赤い海でもまるで違う。まともな海を視たのは久し振りだ、長いことビーチの海しか見ていなかった。狂気に慣れてしまった体は、青い海に違和感を覚える。今までと同じようには見れない。海も、アメリカも。

 

 砂を踏み締める音が、二人分聞こえて振り返る。遠くから、酒匂とオイゲンが歩いてくる。話し込んでいた酒匂がサラトガに気づくと、大きく手を振ってサラトガを呼ぶ。

 

「何をしてたの?」

 

「見納め、アフリカの海なんて、そうそう来ることないだろうから」

 

「私はその付き合い」

 

 なるほど、確かにそうだ。場所が変われば海も変わる。例えばだが、アメリカの海は日本の海と比べて明るい色をしている。それが理由で、かつて主力だった護衛艦の迷彩も違っていた。

 

 だが、そんなに気にする事でもない気がする。口には出さないがそう思った。酒匂は気持ちよさそうに夕日を浴びているが、サラトガは正直、苦手と言っても良かった。赤い海に強烈な閃光は、クロスロードの光を思い出させる。

 

「どうしたのサラトガさん、なんだか辛そうだけど」

 

「え、そ、そう?」

 

「やっぱり気になっているんでしょ、あいつらのこと」

 

 長門だけでなく、彼女たちにも見抜かれるか。同じ経験を、過去を共有しているというのも考え物だ。嘘など言える筈もなく、サラトガは長門に言ったことと、ほぼ同じことを白状した。

 

「ま、そりゃそう思うでしょ」

 

 オイゲンはそう言った。あれだけのことをすれば、憎しみに呑まれても不思議ではないと。

 では酒匂はどうなのか。

 彼女は俯いたまま、黙り込んでしまっていた。

 

「酒匂?」

 

「あたしは悲しいな。全部、何もかも恨んで終わるなんて」

 

 サラトガは、ヴァイパーと海月姫の遺体、その左手の薬指についていた指輪を思い出した。

 つまりは、そういうことだったのだ。海月姫のコアがヴァイパーと共有されていたのは、戦術上の意味だけではなかったのかもしれない。互いを支え合い、共に生きるためだったのかもしれない。

 

 だがそれも、憎しみに呑まれて消えた。幸福だったからこそ、報復心はより燃え上がる。

 合衆国に殺されて存在を奪われた。蘇った代償に、海月姫は言葉を奪われた。そんな二人ができることは、報復しかなかったのだ。存在を奪われたことへの報復は、間違った行動だったのか。

 

 しかし、失われたものが戻ることは決してない。

 ヴァイパーと海月姫は、奇跡的に蘇ったが、沈んだ。残った自分たちの命も、とうとう失ってしまった。全てを失い消えた。残ったものと言えば、私たちや、この土地に刻まれた痛みだけだ。

 

 報復とは、そういうものなのだ。

 復讐とは、過去に遡りその原因を潰し、現在を変えること。過去のための戦いだ。だが現実に、奪われたものが戻ることはない。この幻肢痛が消えることは、決してあり得ない。

 

 同じことが、艦娘にも言える。

 過去を覆す。過ちを繰り返させない。今度は乗り越える──そう言ったところで敵は深海凄艦であり、かつての敵国ではない。そう分かっていても、思ってしまう。過去を正すとは、つまり過去への報復だ。サラトガがヴァイパーを、どうしても止めたかった理由は、『核』だったのだから。だからと言って、過去を完全に消してしまえば、そこにいるのは艦娘ではない。

 

 なら、艦娘が過去から逃れることはできない。同じように、報復から逃れることもできない。過去を捨てることができない以上、心の何処かで、過去への報復のために戦ってしまう。そして新しい報復心を生んでしまう。当然だ、報復は、新たな報復を生むのだから。

 

「私達の戦いに、意味は、あるのでしょうか」

 

 戦った末に、こんな結末しか産まないなら、いっそ戦わない方が良いのではないか。サラトガは俯く。

 

「何言ってんのさ、あるに決まってるでしょ」

 

「どんな意味が?」

 

「イクチオスに、世界が滅ぼされるのを止めた。望んでないだろけど、このアフリカの人たちが、あいつに利用されるのを止めた。屍病も何とかなりそうだ。私達が護ったものは、幾らでもある。奪ってばかりじゃないよ、私達の戦いは」

 

 オイゲンが笑いながら、曲がった背中を叩く。酒匂が目を腫らしながら、サラトガの両手を掴む。

 

「あたしにだって分かることがあるよ。嫌な戦いだったけど、サラトガさんに会えたことは、良かったと思う」

 

 この戦いの始まりは、報復だった。しかし、その結果二人の言ったことが生まれた。

 私達の戦いの全ては、確かに報復なのかもしれない。取り戻せないものを取り戻そうとする、永遠に叶わない夢を追い続けるだけかもしれない。

 

 だが、それだけではない。

 私達はまだ、存在までも奪われていない。ヴァイパーと同じ、一度死んで蘇った屍者だけど、屍者の帝国からの、侵略者ではない。なら、何かを残すことができるのかもしれない。

 

 何故なら、私達もまた、引き継がれていく存在なのだ。

 

 証拠なら、確かにある。

 

 艦娘の名前──軍艦の名前は、引き継がれていく。

 (サラトガ)の名前も引き継がれてきた名前だ。そして、私は見ていないけど、(サラトガ)を継承した(サラトガ)も、1994年まで健在だったらしい。

 

 例え存在が消えても、言葉が残れば、それはある種の永続性を獲得する。

 私の名前が引き継がれていく限り、私達もまた、忘れられることはない。長門、プリンツ・オイゲン、酒匂。彼女たちはまだいないけれど、サラトガを通じて、思い出すことはできるだろう。

 

 その中には、あのクロスロード作戦も存在している。

 悉くを焼き尽くした鮮烈な閃光に、私達は多くを奪われた。信頼を、誇りを、体を、記憶を。だけど、あの事件があったからこそ、私達はここで出会い、そして物語を紡ぐことができたのだ。

 

 その中には、ヴァイパーや、海月姫ですら存在している。

 記憶を一度共有した私は、言葉を奪われる痛みを知っている。それもきっと、『サラトガ』という名前が憶えていてくれる。言葉を通じて、私達は繋がっている。そして過去と今は、交差(クロスロード)している。

 

 奪われたからこそ、この私が、此処にいる。

 人は最初は、何も持っていない。なら、全てを奪われても、新しいなにかを生み出すことも、できるのかもしれない。例えば、此処でのクロスロードの物語がある。

 

 その為に私たちは、言葉を話せるのかもしれない。

 

「祈りましょう、あの人たちが、せめて、地獄でも一緒にいることを」

 

 死者を弔い、静かな眠りを祈る。

 それは屍者にはできない生者の行為、そして、過去への思いを整理して、歩き出すための儀式。サラトガは祈った。自分が、あてのないゼロへ歩き出すために。

 

 夕日が沈む、夜が来る。暗闇の時間が世界を覆う。

 罪は消えない、痛みも消えない。一生付き合うしかない、私の中にいる空母棲姫が消えないように、望んだものでなくても、永遠に。だけど呑まれてはいけない、世界を屍者の国にしてはいけない。

 

 だから、私は生きている。

 繋がっている、過去と、今と、どこかの誰かと。報復以外の記憶を残すことはできる、未来を信じることはできる。

 

 それでも、残せず、忘却の彼方へ消えるなら。その時は、残された報復も消えるだろう。

 

 その繰り返しで、きっと世界は回るのだ。

 

 消えぬ幻肢痛を抱えて、私はまだ、生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アメリカ海軍 フォレスタル級航空母艦

 CV-60 「サラトガ」

 排水量 61,235トン

 全長 324 m

 主機 蒸気タービン 4機、4軸

 出力 280,000 shp

 最大速力 35kt

 兵装 ファランクスCIWS×3基

 Mk.29 シースパロー発射機×3基

 搭載機 70 - 90機

 進水 1955年10月8日

 除籍 1994年8月20日

 

 米独立戦争「サラトガの戦い」の名前を冠する6代目の軍艦。ベトナム戦争や湾岸戦争に参加し、85年には地中海での客船乗っ取り事件の犯人グループの逮捕作戦にも関わる。またベトナム戦争での功績により勲章も受賞している。

 現在サラトガを冠する艦はいないが、とある映画にてロナルド・レーガンが架空の艦としてサラトガを演じていた。

 尚、その映画の冒頭で使われた映像は、クロスロード作戦のものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

ACT4

VENOM SUN(毒の太陽)

THE END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Vが消えたか」

「……あまり嬉しそうじゃないな、だと?」

「そうだ。あの男はアノニマスまで辿り着いていた。わたしたちと同じ領域まで。こればかりは彼女にも無理だろう、エイユウの立場ではアノニマスまでは辿り着かん」

「……いいやそれはない、そもそも川内はアノニマスを知らない。教えなかったのはわたしたちだが。奴はわたしたちとも、愛国者達とも違う、完全に独自の思惑で動いていたに過ぎん。エラー娘の片割れが失われたのは痛いが、どうにでもなる」

「それはわたしたちにも言える、奴は自分が誰の意志で動いていたのか、決して口にしなかった」

「むしろ、スネークに保護されたのは好都合かもしれない。わたしたちも奴の『提督』に辿り着けるかもしれない」

「ヴァイパーの技術は、北条と言う男が継承するだろう。報復心はスネークが継承する。エイユウになるか、鬼になるかはどちらでもいい。どう転んでも、中枢棲姫に挑むのは間違いない」

「わたしたちがすべきことは変わらない、ボスの理想、戦士が、戦いの中に充足を得ることのできる世界、真の自由を取り戻すこと。そして……過去への軛、ゴーストバベルの建設を阻止することだ。エラー娘も、川内も、スネークも、全てを利用する」

「その為に、お前はソ連に行け」

「奴は必ずソ連に向かう、そこで誤差を起こさせるな。歯車が一つ狂えば全て終わりだ、分かっているな」

「『シトウセイキ』……それが全ての歯車だ」

 

 

 

 

NEXT STAGE

ACT5

COLD SUN(氷の太陽)




VOICE(言語)

 人間が音声を用いて、感情、意志、思想等、様々な概念を伝達する方法。同時に、文面に書き記すことでも同様の伝達方法が可能。文法や表記方法により区別され、現在世界には8000語近くの言語があると言われているが、消滅しかかっている言語等もあるため、数の特敵は不可能である。
 基本的に、異なる言語同士が混じり合うことはない。異なる文法同士は混ざらないからである。生物に例えると、文法は免疫系のような役割を果たしている。ただし、翻訳された場合はその限りではない。
 同時に言語は、国を識別する単位としても使用できる。その為、公用語を発端として戦争が発生することもあった。
 当然の話ではあるが、同じ言語を用いるグループ程意思疎通が容易くなり、結果集団の力も強くなる。その為旧来より植民地を有する宗主国は言語統制を行ってきた。結果現在においても、当時使用された言語が半ば公用語となり、旧来からの言語が消滅しかかっている事例は確認されている。日本のおいても、アイヌ語が2009年2月に「極めて深刻」な状態と定められている。
 言語は単なるコミュニケーション手段だけではなく、その文化圏内独自の価値観を伝える役目も担っている。言語が消えた場合、その言語が担う価値観も消えることになる。

 神話的な余談となるが、言語がここまで分裂したのは、バベルの塔が崩壊したからだと言われている。それまで人々は一つの言語を用いていた。だからこそ集団の力は強まり、バベルの塔を築けたのである。言語の統一とは、このバベルを再び建てる行為とも言える。

 亡霊による言語統一、プロジェクト・バベル。その中核を成すのが、『屍塔棲姫(ゴーストバベル)』である

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。