File59 降下
「ただ正解のない答えを、おのれの意志で選ぶことを求められていた。歴史に運命を翻弄された彼女だからこそ、これからを生きるためにシンプルな
誰も近づかない場所に、それはある。
穏やかな日差しと、緩やかな風の中に、ただ、放置されている。何十年も立っていて、原型は留めていない。服はとうに風化し、体も崩れ落ちている。残された骸骨も、じきに風化して消えていくだろう。
だが、それは不思議と穏やかな光景だった。
どうしようもない孤独の中、悲哀に胸を抉られる寂しさを、人は覚えるかもしれない。しかし、それで終わりではないと、それはきっと知っている。
誰も近づけない場所に、それはある。
かつて、世界三度目と、四度目の核攻撃を受けた大地の隅に、その場所はある。
何人も訪れず、いつか忘れ去られるであろう場所。真っ白な湖の畔には、
鼻をくすぐる花の香りは、気づけば薬品の臭いに変わっている。いつの間にか、うたた寝をしていたらしい。真面目に睡眠はとっているが、こういった眠気は久し振りだ。スネークは、生まれた時の感覚を思い出していた。
半分開いた目に、強烈な光が差し込む。手術室にあるようなライトが、この部屋には多く設置されている。ただし治療目的ではない。拷問される犠牲者を、じっくり観察するためだ。本来の理由を知っていると、やはり、嫌な気分になる。
シャドー・モセス島基地地下一階にある拷問室で、スネークは眼を覚ました。
もちろん拷問ではない。この部屋が、スネークを調べるのにもっとも便利だったからである。大量の検査機器が、激しく光を点滅させて作動する。回収したデータは機器を介し、G.Wのバックアップを受けた研究室のスパコンに回される。
それでも、まだ時間はかかる。待っている間に、渡された患者用の白衣に身を通し、ガングートに渡されたコーヒーを啜る。シャツはややサイズがあっておらず、袖が大分余っていた。地下一階にすら襲い掛かるアリューシャンの寒さに、顔を顰める。温めようと、再びコーヒーを啜った。
「回転ベッドの寝心地はどうだった?」
「悪くはない、一人では勿体ないな」
「私には贅沢過ぎる」
ガングートはこの部屋の
コーヒーを飲み切ったスネークは、白衣の上に更に服を羽織る。その足で、北東B1階にある研究室へと向かう。露悪的なジョークの余韻が過ぎれば、過るのはやはり不安だった。
スネークは精密検査を受けていた。
理由は言うまでもない。そっと右目に手をやれば、ゴツゴツした食感の角が嫌でも分かる。右目の眼孔を突き破り成長した巻角は、まるで脳と直結しているようだ。残った眼はより真紅に染まり、肌はいっそ綺麗なまでに白い。
まるで、いや、どう見ても深海凄艦。それが今のスネークだった。
発端は、ビーチでヴァイパーと交戦した時に遡る。
ヴァイパーは何隻ものスペクターを従えていた。高性能な個体だった。その素材には、現地で誘拐した少年兵が使用されていたのだ。
それを知った瞬間、スネークは感情を抑えられなくなった。挑発と分かっていたから、暴走はしなかった。しかし、感情はそれとは別に吹き荒れた。その時、体に異変が起きた。元々機能を失っていた右目から角が生え、全身が変異したのだ。
「D事案とは別なんだよな」
「轟沈でなければD事案は起きない。だからサラトガ同様、何らかの理由で、深海凄艦が混じっている」
その深海の
「不安なのか?」
「不安……なのだろうな、恐くはないが、しかし、自分が何者か全く分からないままのは、良い気分ではない」
正直言って、どんな存在であろうと、さして興味はなかった。何であれ私は私だ。それさえ変わらなければ、後は構わないが、それはそれとして、正体はハッキリさせたい。分からないままなのは気持ちが悪い。
分からないなら、それでも仕方ないのかもしれない。アーセナルギアには『真実』など存在しない。あるのは偽装だけだ。
「何もない、なんてことはないだろ。何もない場所から建造される訳がない。誰かが関わって設計を練った結果、お前はいる」
「だが、艦娘だぞ? 建造方法も分かっていない」
「暗闇に隠れているだけだ、お前が建造された理由は必ずあるさ。もしかしたら、私達よりはマシな理由かもしれないぞ」
意味を確かめようとして、止めた。
ガングートはきっと、ヴァイパーの言葉を思い出している。WW2。そのミームを持たない文化を淘汰する民族浄化兵器。それが艦娘なのだ。
何の証拠もない戯言かもしれないが、信じていれば、それはガングートにとっての『真実』になる。気持ちの在り方で、真実は幾らでも造り出せる。
そうでないかもしれない、もっと、良い理由があるかもしれない。
スネークは励ましたかったが、言えなかった。そう語るには、アーセナルギアは余りに暗い理由で建造された。勿論、艦娘の自分にも言える。
余計なことは、今は考えなくていいのかもしれない。ただ冷静に、現実を受け止めるべきだ。データは嘘を吐かない。それを聞くために、スネークは研究室の扉を叩いた。
*
スネークが開くよりも先に、扉が開いた。明石が中から扉を開けていた。「どうぞ」、の声には張りがない。しかし、疲れている様子はない。漠然とした不安が研究室に充満している。北条や北方棲姫も似た様子だ。
コンピューターが吐き出すデータを裁く度に、北方棲姫は顔を曇らせる。北条はそれを見て眉間にしわを寄せる。まだ解析が終わっていないのか、彼女たちは慌ただしく動き回っている。邪魔にならないように、部屋の壁に寄りかかる。
しばらく待つと、北方棲姫から声がかかった。不穏な空気は漂ったままだ。スネークもつられて不安になる。この空気を造っているのが、スネーク自身の検査結果だから、余計に嫌な気持ちだった。
「まず、比較として見てくれ。これがサラトガの細胞だ」
「サラトガの?」
細胞の精密写真を眺めてみても、変なところはない。医学に詳しい訳ではないが、何の変哲もない艦娘の細胞にしか見えない。
「見た通り健康な細胞だ。『成り損ない』は、身体構造に影響を与えない。影響があるのは記憶や精神性だけだ。一時的に空母棲姫に変異した時も同じだ。細胞レベルでは艦娘のままだった」
「大本営のアーカイブに、徐々に深海凄艦化した艦娘があったが、あれは違うのか」
「同じだ。まるでオセロの盤面が黒くなっていくように、艦娘の細胞が深海凄艦の細胞に置き換わったのが、この事例だ。細胞同士は混ざっていない。肉体に占める細胞の割合が変わるだけ」
細胞にはDNAがあり、免疫がある。異なるDNAは排除される。そうすることで身体の異常を防いでいる。艦娘と深海凄艦では遺伝子コードが違う以上、お互いに攻撃し合うことになる。徐々に深海凄艦化したとしても、遺伝子が混ざることはない。
「そしてこれが、スネークの細胞だ」
採取されたのは、大きな角の生えた顔の近くの細胞だった。一番変化が確認し易いと予想できたからだ。しかし、スネークから見れば、ただの細胞にしか見えなかった。違うなら、早く答えて欲しかった。
「こりゃ、色々とんでもねぇことになる」
北条は緊迫した目線をスネークへ投げる。どういうことなのか、もう一度細胞を凝視する。それでも、素人には分からない。なのに、不穏な空気だけが高まっていく。
「良いから話せ、私には分からない」
つい、ぶっきらぼうな言い方になってしまい、少し冷静さを意識する。しかし、直後放たれた北方棲姫の言葉は、冷静を無意味とさせたのだ。
「スネークも、
言っている意味が分からなかった。私があの悍ましい継ぎ接ぎと同じだと?
「深海凄艦の細胞でも、艦娘の細胞でもない。両方の特性を持っていた。つまり艦娘でもない、深海凄艦でもない。正体不明の何かだった」
「馬鹿な、これはD事案の一種なんじゃないのか」
「違う。スネークがただの艦娘なら、こうはならない。艦娘の細胞が深海凄艦化するには、必ず轟沈のプロセスが要る。深海凄艦の記憶や意志が残ったとしても、ゲノム情報は引き継がれない」
「ならどこから深海凄艦のゲノム情報が来たんだ」
「お前だ」
北方棲姫は、スネークの胸元に指を突き付けた。
「最初調べた時には、僅か過ぎて見逃してしまった。スネーク。お前のゲノム情報は、艦娘と深海凄艦、そして──人間のDNAも保有している。
元々内蔵していた深海の因子が、負の感情で強まった。結果、ゲノム内での、深海の比率が高まった。これが、お前の変異の原因だ。深海凄艦になっていない。最初から、艦娘でもない」
純然足る艦娘が、ゲノム内に深海の遺伝子を持っている筈がない。人間の遺伝子もあり得ない。継ぎ接ぎなのは肉体ではなく、細胞だ。細胞単位でスペクターだったのだ。艦娘と深海凄艦のゲノム情報、そして
どんな答えも覚悟したつもりだった。しかし、予想外過ぎる答えに寒気が走った。より自分が、得体の知れない化け物のように感じられる。
提督適正も、姫の力も両方持っていた理由の説明がついた。
私は人間であり、深海凄艦でもあったのだ。だがそれは、どれでもない化け物の証明でもある。
「特に害はないんだよな?」
「ない。精神的に異常をきたしている様子はない。それは、全員見れば分かるだろ」
「だそうだ、なら、大きな問題ではない筈だ」
言われてみれば、それもそうだ。体の変化は凄まじいが、心の変化は驚くほどにない。価値観が変わったり、記憶が弄られた感覚もない。そんな異常があれば、G.Wが必ず気づく。今のところ、私はスネークだった。
だが、私は何者なのか。根本的な疑問は消えていない。
建造された時の記憶はない。D事案のように、海面を漂っていただけだ。どうやって生まれ落ちたのかが、欠落している。
「人格が変わっていなくても、異様なのは変わらない。ましてや、提督でもあり、姫でもある存在なんて、聞いたこともない。誰かが意図をもって、建造したと私は思う」
「それが、愛国者達だと?」
「まるで、屍者の王……いや、姫じゃねえか」
艦娘も深海凄艦も、一度は沈んでいる。ゾンビみたいなものだ。それら全てを統率できる力を、スネークは持っている。自覚してその力を振るえば、どれだけの影響があるのか予想もできない。
それは、G.WがSOPシステムを握っていること。SOPが艦娘に対しても有効なことと、無関係ではない。ヴァイパーは、艦娘をSOPで支配できると言った。試そうと一度思ったが、どうシステムを動かせばいいのか分からず、断念していた。精神が疑似的なシステムを構築していると言われても、使い方は分からない。
「実害がねえ以上は心配しても無駄だ、このまま、やれることをするしかねえか」
半ば諦めのように、北条が溜め息をつく。全てを知っているのはJ.Dか、死んだヴァイパーか、それとも、
*
一日が経過し、スネークは医務室から完全に開放された。
その間経過観察があったが、異常は起きなかった。より深海凄艦化することも、精神への影響もない。
その間、もう一度SOPが使えないか試してみたが、やはり駄目だった。G.W側からも、上手く制御ができない。ヴァイパーの言っていたことが嘘だという可能性もあり得た。だが、SOPのことまで知っていて、こんな嘘を吐く理由もない。
なぜ、私はこんな力を持っている。
私が、愛国者達により建造されたとしたら。それは、どんな形であれ、人の意志を纏める為の力だ。愛国者達の目的は、人の意志の統一だからだ。しかしSOPで支配するなんて、目立つやり方をするのだろうか。
〈間もなく目標地点に到達、準備にかかれ〉
軍人らしい、冷淡な声が聞こえた。つられてスネークも一気に冷静さを取り戻す。任務となれば、気持ちを切り替えることも容易い。酸素供給用のマスクを身に付け、スニーキングスーツの状態を入念に確認していく。
サバイバル用の道具を詰め込んだバックパックを背負い、最後に葉巻のセットをこっそり捻じ込んだ。オペレーターの声が響く。〈降下準備──1分前──〉スネークは立ち上がり、カーゴに立つ。
カーゴのハッチが、ゆっくりと開かれる。差し込んだ光が足元を照らし、腰を照らし、顔を照らす。眩しさに目を細める。眼前には、朝日に照らされる、広大なソビエトの大地が広がっていた。
「日の出か」
一人、ぼそりと呟いた。
私の向かう先も、光で照らされていればいいのだが。風に煽られ、否応なしに揺れる飛行機。その中を悠然と歩く。見下ろす先には、暗闇に包まれたジャングルがある。
〈時間だ〉
「アーセナルギアMk-2、任務を開始する」
大空に向かって、スネークは迷いなく飛び込んだ。
ソビエトの中にあって、ソビエトでない場所。立ち入りを禁じられた大地。ツェリノツヤスクと呼ばれた大地に向かって。
風の中、スネークは自由だった。誰にも監視されず、縛られない。自分自身にさえ囚われない。だが、アーセナルギアは潜水艦だ。間も無く重力に引かれ、落ちていく。つかの間の自由を噛み締めるように、風を感じ続けていた。
体に冷たい痛みがはしり、慌てて姿勢を丸める。急降下による凍傷になりかけていたのだ。小型艤装も装備していない。着地の衝撃で壊れる危険があった。装備しているのは、サバイバルグッズ一式が入ったバックパックしかない。
ソ連のジャングルが急速に近づいてくる。タイミングを見計らい、パラシュートを開く。減速しても、かなりの速度が保たれている。木々の葉や枝を掻き分けて、地面へと放り出される。着地と同時に一気に転がり、衝撃を逸らす。
体に異常がないことを確認して、すかさず木々の影に身を潜める。ここはもう敵地だ。どこから深海凄艦が現れてもおかしくない。体内にあるナノマシンを介して、北方棲姫に無線を繋ぐ。
「こちらスネーク、ソ連領内への侵入に成功した」
〈負傷は、していない?〉
「無事だ、思ったより着地の衝撃が少なかった。私の知る
〈時代の進歩、だな〉
酸素マスクの性能も高い。1964年と、2009年基準のものでは、比べ物にならない。しかし、スネークの記憶にあるのは、やはりビッグボスが行ったとされる世界初のHALO降下なのだ。やはり蠅のような形状のマスクを取り外しながら、周囲の様子を伺う。
基本ソ連──ロシアと言えば、極寒の大地だ。しかし、この辺りはアフガニスタンやパキスタンに近い。雨量も多く、赤道近くの亜熱帯気候となっている。結果、豊富なジャングルが形成されるに至っていた。
ツェリノヤルスクは、処女地の絶壁という意味だ。その名前の通り、ここには巨大な崖がある。ここからは見えないが、崖から流れてくる水の音なら聞こえてきた。動物の音が絶え間なく聞こえ、風が木々を揺らす。
人工の基地とも、海とも違う。騒がしい静寂があった。
何よりもここは、スネークの始まりの地でもある。もっとも初めに『スネーク』の暗号名を持った男が、単独潜入した大地なのだ。当然、ノスタルジーに浸るために来たわけではない。
それに、その頃と比べ、ジャングルは明らかに変異していた。
明らかに水の量が多くなり、木や地面の一部が
〈お前のルーツは、任務の為に、ここに来ていたな〉
「ああ、
〈あまり当てにするな。ツェリノヤルスクはスネークイーター作戦当時から、大分変わった。地形も変わっている〉
「温暖化の影響と、深海凄艦の影響だな」
だが、それだけではないだろう。
二度に渡る核攻撃の爪痕は、深々と大地に刻まれている。むしろ、地形が残っているだけ奇跡かもしれない。ソ連は未だに、ここを立ち入り禁止区域に指定している。核汚染が残っていると主張しているのだ。
もっとも、あれから40年以上経過している。使用されたのも、個人で携帯できる程度の、低威力の核だ。放射線は殆ど残っていない。にも関わらず、立ち入り禁止になっている理由は、後ろめたいものだ。
後ろめたさの暗闇にこそ、探している物がある。
ビッグボスの軌跡を再びなぞっているのは、偶然か、運命か、それともS3なのか。かつてと同じように、ナイフ一本を携えて、スネークはジャングルの暗闇へと踏み入った。
冒頭の引用は
『メタルギアソリッドスネークイーター』(著:長谷敏司/角川文庫)
による。
〈こちらガングート、降下は成功したようだな〉
〈ああ、だが私の知っているツェリノヤルスクと、随分様子が違う。別の場所に来たような気分だ〉
〈スネークイーター作戦から半世紀近く経っているうえ、深海凄艦の影響も受けている。昔の気分でいると足元を救われるぞ〉
〈ここまで変わるものなのか?〉
〈恐らく、一部の地形が長期間に渡って浸食された結果、海その物に転じてしまったんだろう。豊富な水源もある。力の触媒は元から多かった。もしくは……〉
〈何だ?〉
〈深海凄艦の源は怨念だ、このツェリノヤルスクには怨念が渦巻いている。想像を絶する、人らしさの欠片もない破壊があった。知っているだろ〉
〈核爆発か……あれも原因の一つか〉
〈そんな場所で、核を運用できる兵器が再び建造されている。悪夢の実在を許してはならない、頼んだぞスネーク〉