ツェリノヤルスクに存在する地下工場の全貌は、もはやGRUでさえ把握し切れていない。
あまりに広く複雑に入り組んだ通路、隠し通路まで含めればもう分からない。下手に歩けば、二度と地上は拝めない。
把握できていないのは当然だ、地下工場を建設したのはGRUではなく、他の人間だからだ。では誰かと聞かれても、それは明確には答えられない。WW1からWW2の間の時期、ソ連ができて間もない頃に、ここは建造された。
ここツェリノヤルスクは、常に歴史の闇を抱え込んできたのだ。闇工場から、GRUの大要塞、そして深海凄艦の基地。闇の奥深くに、
空母ヲ級に案内された質素な小部屋にガングートは入る。壁の端には監視カメラが設置されている。変装を解くには早い。ヲ級はガングートに対して、あれから一言も話さなかった。改めて質問しようとする気も出ない。
椅子に座り、小さくため息をつく。
あのヲ級の言葉が頭から離れない。すべきことは分かっているが、その監視がここまで入っているとは思わなかった。
しかし、わざわざ警告までしてきたということは、あのヲ級でも工場の奥まで入れないのだ。かなり厳重な警備をしているのは間違いない。最終的にスネークが侵入するといっても、果たして私は辿り着けるのか。
「入るぞ」
ドアをノックする音がして、川路が入ってきた。何の変装もしていない『人間』の恰好に言葉を失う。
「安心しろ、監視カメラの映像は偽装されている」
そういうことか、川路が写っていて警備兵が来ていないのが証拠だ。ガングートは窮屈な深海凄艦の服を脱ぎ捨てて、本来の服を簡単に羽織る。どうせまた着なければならない、内側からスネークの侵入を補助するのが、表上の役割だ。
「さっきのヲ級はお前の部下か?」
「そうだ、と言っても、内通者のような奴だが」
地下工場も一枚岩ではない。KGB以外にも壊滅を望むものもいる。深海凄艦にだっている。川路はそういった個体に接触し、この地下工場の中に潜伏し続けていたのだ。無論、工場の工場もかなり把握できている──訳でもないらしい。
「注意しなければならない点が一つ、この工場は、普通では全てを探し切れない」
「どういうことだ?」
「地下空間に、
まさか、そんな声が漏れそうだった。
姫級が支配した海域は赤く染まる。そうなる寸前の臨界した、時間や空間が滅茶苦茶になることを、その光景からビーチと呼んでいる。
しかし、普通そこに入ることはない。
ビーチができても、普通はすぐ赤い姫級のテリトリーとして安定してしまう。艦娘が、その発生現場に居合わせない限りは観測できない。ガングートも、アフリカで深海海月姫が展開したものを知っているだけだ。
「いったい誰が」
川路が、やや画像の乱れた写真を出してくる。監視カメラの映像を一部切り取ったものだ。多くのflagship級の中央に、明らかに目立つ、青白いオーラを纏った姫級がいた。
それが何の姫なのか、ガングートは知っていた。
「君なら、その姫を知っているな」
「……こんなところで、生きていたのか」
いわゆるゴスロリの黒いドレスで全身を覆い、しかし顔は病人のように青白い。全身にも青いオーラを纏い、不気味な笑みを常に浮かべている少女のような姫級。陸上型の中でも、更に特殊な個体、ソ連はこれを、『北端上陸姫』と呼称していた。
「致命傷を負わせたつもりだったんだが」
「しかし、死んだことを確認してはいない。それが原因で、君はKGBを追放されたのだろう?」
昔ガングートは、任務の一環としてこの北端上陸姫の暗殺を命令されたことがあった。だが追い詰めたものの、トドメを指す寸前で逃げられてしまったのだ。その間に致命傷を負わせたからどの道死ぬだろう、当時はそう思っていた。結局任務は未達成になり、やがて追放されたのだ。苦い記憶を突かれて、すぐ別の問題に話を変えた。
「だが、奴にビーチを創る能力はなかった。それは間違いない」
ビーチを維持する為には、深海凄艦として不完全であることが必要だ。深海海月姫は、自分が『姫』だという自覚を持っていなかった。そしてヴァイパーが手綱を握ることで、ビーチを制御した。
なら、北端上陸姫も不完全な姫なのか?
そんな筈がない。一度相対しただけだが、そんな能力があれば、当時もっと活用していた筈。少なくとも、数年前までビーチの力は持っていなかった。
「お前が奴を取り逃がしてから数年──その間に、ビーチの力を得た可能性がある」
「そんな簡単にできるものなのか」
「現にビーチは展開されている、普通の空間とビーチが、扉一枚を隔てて隣り合い、そうやって工場ができている。ビーチを経由しなければいけない部屋さえある」
川路の証言にはやや疑問が残るが、この目で確かめれば済むことだ。問題なのは、果たしてイクチオスを発見できるか──そして、目当ての物を、手掛かりだけでも──発見できるか、それに尽きる。
「あいにくだが、イクチオスの場所は私にも分からない」
「それは良い、ここまで手引きしてくれて感謝する。あとは勝手にやらせて貰う」
「ああ、お互いその方が良い。ただ、ビーチ以外の構造については把握している、一応、私の無線を教えておく」
周波数を把握して、川路は部屋から出ていった。私も急いで行動しなければならない。再び変装用の服を着込み、ゆっくりと部屋をあとにする。
まさか、北端上陸姫がいるとは思ってもみなかった。
死んだと思っていた奴に会った時、私はどんな思いを抱くのだろうか。目を閉じれば蘇ってくるのだ、彼女に砲撃を撃ちこんだ、あの時の──血しぶきが。
*
目の前は一切見えない、視界は暗闇に塞がれている。音も何一つ聞こえない、ソナーが教えてくれる探知音以外に手掛かりはない。そんな水中に不快感を全く抱かないのは、私が潜水艦だからだ。
伊58が教えてくれた水路を泳ぎながら、スネークはそんなことを思っていた。勿論緊張感はある、碌な武装を持っていない今、見つかれば終わりだ、いつものことだが。
何隻か、同時に通ることを想定されているのか、水路は思ったより余裕がある。だが、あちこちに侵入者用のソナーが備え付けられていた。スネークはその中を、人間用の潜水装備だけで泳いでいる。
下手にソナーも使えない、通路の地図は頭に叩き込んであるが、ほとんど手探りで進んでいる。私が潜水艦でなかったら、この緊張には耐えられなかっただろう。あらゆる五感を塞がれた状態での行動は、凄まじい恐怖を呼ぶものだ。
進む為の手掛かりはまだある。時折真上を通過していく敵潜水艦が、水流やタービンの泡を残していく。彼女たちの向かう先も、だいたいは地下工場だ。同じ場所へ向かえば、少なくとも近い場所には辿り着ける。
酸素残量には余裕がある。時間がかかってもいい、逃げ場さえないのだ、徹底して慎重に進もう。スネークは、地面に指をつける動きさえ丁寧に行っていく。その音を、ソナーが拾わないとも限らない。
指先をつけ、またつけ、その度に水流を感じ、進路を決めていく。
単調な、しかし桁外れの緊張を強いる行為を、機械的に繰り返していく。その内、スネークの神経も摩耗していく。
潜水艦の航行する音が、聞こえない筈の、敵の息が耳元で聞こえ出す。意識を背ける訳にもいかず、止まることもなく、首元にナイフを突きつけられながら、恐怖を押し殺して泳ぎ続ける。
体温が奪われているのか、感じにくくなっていくのか。その疑問すら凍っていき、こわばる四肢から感覚が消えていく。意識が遠のいていく、まさか酸素がなくなってきたのか、時間をかけ過ぎたのか。
死の恐怖が、一瞬頭をよぎった。
スネークの意識が浮上する。彼女の指先が、今までと違う感触を訴える。顔をゆっくり上げると、閉じた瞼越しに光が感じられた。真上から木漏れ日が刺している。
通路の端に体を寄せ、顔を水面に出す。今までいたジャングルとは少し違う。木々も多いが、それよりも岩場が目立つ地形が広がっている。もう少し遠くを見れば、見覚えのある岩山があった。麓には、核爆発が作った湖がある。
水路を抜けたのだ、そう理解した途端、体の力が抜けて、ソナーに当たり掛けた。背筋を凍らせながら、慎重に水路から出る。これで見つかったら余りにも間抜けだ。
もう少し歩けば、工場の正面入り口が見える。その何処かから、工場内部に侵入できるが──その手引きは、ガングートにしてもらわなければならない。予定通りなら、工場内部に潜りこめた筈だ。
無線すべきか、出られないかもしれないが、繋いでみるか。耳元に手を当てて、地面にしゃがみ込んだおかげだろう、
反射的に、山小屋で敵から拝借したライフル銃に手を取る。サイレンサーはない、さすがに撃つのは不味いが、使えないことはない。背を屈めながら、足音の来た方向の、反対側に回りこんでいく。
だが、妙だった。敵の姿が全く見えない。草の背丈は高いが、匍匐前進でもしなければ、完全には隠れられない。
まさか、そう思い、片角のサーマルゴーグルを起動させる。
そこには予想通り、草に完全に隠れている、とても小さい、子供の様な敵が3隻、ハンドガンを持って歩いている。
PT小鬼群だ。あの体格なら、草むらに完全に隠れられる。気づいていなければ、間違いなく撃たれていた。スネークは自身の幸運に感謝しながら、小鬼に接近していく。
さすがにスネークの体格では、音は消し切れない。だからこそのスニーキングだ。自分自身を自然と同化させ、違和感がないように溶け込んでいく。歩いた時に草が擦る音も、風で擦れたように錯覚させていく。
「動くな」
背後まで近づき、最後尾の小鬼に、ライフルを突き立てながら囁く。硬直した小鬼の口にハンカチを捻じ込み、声が出なくなったところを閉め落とす。地面にゆっくりと寝かせて、再び次の小鬼へ近づいていく。
三匹、きっかり気絶させたところで、スネークはようやく一息つけた。殺してはいない、普通の、中立区の警備兵だったら、殺す理由はない。まあ、今更仕留めるつもりもない。気絶させた時点で、侵入者がいると分かるのは時間の問題だ。
それよりも問題なのは、どうやってこいつらが、
〈どうかしたでちか〉
「敵に待ち伏せされていた、お前の教えてくれた通路でな」
〈まさか!?〉
伊58に無線を繋ぎ、おもむろに探りをかける。彼女の驚きに嘘の様子はない、G.Wも同じ意見だった。少なくとも、彼女である可能性は低い。北条とケッコンまでしそうだった伊58が、彼を裏切ることは考えにくい。
「この情報を他に知っている奴はいるのか?」
〈そこのG.Wと、わたしと、後はガングートぐらいでち〉
「……消去法でいけばあいつになるか」
しかし、彼女に裏切る理由なんてあるのだろうか?
と思ったが、スネークは気づく。そもそも私は、モセスに来てからのガングートしか知らない。それ以前、ソ連でどんなことをしていたのかは、興味さえ無かったのだ。
更に伊58は、ガングートが予定にないところに何回か立ち寄ったのを見たらしい。元グラーニン設計局や、地下工場の残骸などを見ていたらしい。
このまま、ガングートの手引きのまま侵入して良いのだろうか。
そう不安になっても、今更予定は変えられない。せめて、ガングートがどこから来たのかは知っておこう。スネークはG.Wに簡単な調査を頼み、無線を切った。
*
ガングートが変装して利用した正面通路が目の前にある。予想通り、警備はとてつもなく厳重だ。中立区本来の兵士が持っている兵装とも違う。艦娘ではなく、対人戦も想定した手持ち火器を多く備えたeliteやflagshipがひしめいている。
警備網にも穴がない。分かってはいたが、ここを抜けるのは不可能だった。だからこそ、ガングートが別の入り口を探してくれている。不安でも、それを頼る以外に道はない。変な空気にならないよう気を使いながら、彼女に通信を繋ぐ。
〈こちらガングート、スネークか〉
「そうだ、正面入り口についた。侵入路は見つかったか?」
〈ああ、何とか確保できた。だが時間はそうない、そっちにソリトンレーダーのデータを送る〉
多分だが、私とガングートの物理的な距離は近い、だから通信が成り立つ。G.Wが受信したデータがソリッドビジョン化し、角の裏側に写っていく。映像の中にガングートの影があり、スネークの下にいた。
〈正面入り口の壁沿いにいくと、小さい窪みがある。偽装されているが、そこが通気口になっている。30秒後から数えて、1分間だけロックを解除できる。その間に滑り込むんだ〉
「解除し続けられないのか」
〈警備の往来が激しい、変装していてても怪しまれる。それに、規定時間以上ロックが外れているとアラームが鳴る。潜りこめたら、再ロックを忘れるな〉
時間がないのはあっちも同じだ。早口でまくし立てて無線が切れた。
悩んでいる暇はない。スネークは顔を出し、兵士の配置を頭に叩き込む。残った時間で、兵士ごとの首の動きを感じ取る。
走っても通気口まで十秒はかかる、慎重に行くからもっと時間はかかる。スネークは既に、繁みの中を飛び出していた。邪魔になる予感しかしないのもあり、ライフルはその場に置く、代わりに小鬼のハンドガンを拝借した。
飛び出して、同時に水面にハンドガンを撃ち込んだ。
当然警備たち全員の意識が、ほんの一瞬だけそちらを向く。そこに、針一本分の空白ができる。スネークはまさしく蛇のように、その隙間に体を滑り込ませていく。繁みから、入口前に積まれた資材まで接近できた。
警備の乱れはすぐに直り、侵入者を見つけるために敵が動き出す。増援が呼ばれるまでの数秒がチャンスだ。近くの気配が、一人分動きだしたのを見て、資材から飛び出す。目の前には、背中を向けて走り出す兵士がいる。その背中にくっつき、少しだけ前に進む。
スニーキングは完璧だ、気配は完全に消されている。喧噪に紛れたスネークを捉えるには、完全に視界に収めるしかない。そんなチャンスは与えず、自分の感覚を信じて、一つ一つの資材の影を走っていく。
最後の資材を抜け、窪みのある場所に辿り着く。視にくいが、確かにフェンスがあった。そこに手をかけ、開けようとした。
だが、フェンスが動かなかった。時間はまた、数秒余裕があるにも関わらず、開かないのだ。
血の気が引いていくのが分かった。周囲を見渡す余裕はありはしない。足音が間近に聞こえ出す。駄目もとでもう一度手をかける。固かったフェンスは、今度はいとも簡単に外れてくれた。
すぐさまダクトへ滑り込み、スロープ状の通路を落下していく。出口ギリギリのところでブレーキをかけ、足音を立てないように着地する。ガングートに言われた通り、再ロックも行った。
ガングートはいない。敵の往来のはげしい場所では長くとどまれない。そう聞いたが、今のスネークは素直に信じられなかった。とにかく、どこかに身を隠したい。手ごろそうな倉庫を見つけ、そこへ侵入する。
「どういうことだ、なぜロックが解除されていなかった」
真っ先にG.Wに無線を繋ぐ。この不信感をどう片付ければいいのか、彼女には分からなかった。
〈分からん、だが、少なくともガングートは一度、ロックを解除したようだ〉
「なに?」
〈さっきフェンスのロックを解除したのは私だ、その時、アクセスログの痕跡を見た。ガングートが一度解除したあと、
誰かがこのコンソールに接続して、ロックをかけ直したのか。あんな一瞬で、どうやってやったのか。その誰かは、今どこに行ったのか。またタイミング良く妨害が起きた。胸のざわめきは更に高まっていく。
〈再ロックをかけたのがガングートなのか、それ以外の誰なのかまでは分からない。監視カメラの情報でも取れれば話は別だが〉
「あそこのコンソールからはいけないのか?」
〈完全な独立端末になっていて、工場側のネットワークには行けなかった。いずれにせよ、今は進むしかない〉
半ば無理矢理な説得を受けて、工場の奥に進む為に動きだす。どこかにマップデータにアクセスできるコンソールはないだろうか。恐らく、地下工場見た目以上に広い。地図無しで探索するのは難しい。
ある程度適当に歩くと、正面の入り口が見えた。さっき起こした騒ぎがまだ残っている、敵の数は多いままだった。
その時、入口真正面のエレベーターが、このフロアで止まった。同時に兵士に緊張が走る。この騒ぎの現場を、上官が見に来たといったところか。
スネークは、そいつの姿を見て、一瞬固まった。
深海凄艦も艦娘も、おせじにも戦闘向けではない恰好をしているが、その姫は群を抜いて浮いた格好をしていたからだ。
だからこそ、資料を見た時も、見た目を一発で覚えられた。
ガングートが言っていた、この地下工場を支配する姫が歩いている。俗にいうゴスロリ衣装をまとった、異様な威圧感を放つ姫。
彼女は間違いなく、北端上陸姫という姫だった。
〈北端上陸姫が、そこにいたんですか!?〉
〈声が大きいぞ青葉、お前、あの姫のことを知っていたのか〉
〈知っているも何も、艦娘だったら大体知ってますよ? あの姫は有名ですから、悪い意味で〉
〈何をやったんだ〉
〈本土上陸ですよ〉
〈本土? ロシアに?〉
〈はい、世界単位で見ても、本土への直接上陸を成し遂げて、しかも一部を制圧しちゃったのは北端上陸姫ぐらいですから〉
〈珍しい……に決まっているか。だが、あの姫にそこまでの戦闘能力があるのか〉
〈えー……その、有名になった理由が別にありまして〉
〈なんだ〉
〈滅茶苦茶残虐なんです、深海凄艦の中でも、特に。言うなれば外道です。沈めるのを楽しんで、無意味な拷問や殺戮に歓喜する、同じ姫にさえ嫌悪されていると……〉
〈……どうなんだ、北方棲姫〉
〈青葉の言う通り、私の同じ北方だから会ったことはある。二度と話したくない。恨みを晴らす訳でもない、世界をどうこうしたい訳でもない。ただ、沈めることが快楽になっている。言うよ、あれと同族扱いしないで〉
〈だそうです〉
〈……そんな奴が、なぜ、世界を変えようとする愛国者達にいるんだ?〉