上空を艦載機が覆っている。黒い曇天と見間違える程の分厚さ。積極的には襲ってこないだろう。そうやって自分を安心させないといけない。もし、あそこから爆弾が落とされたらとは、考えないように。
しかし、彼女を目にしてそのイメージは吹き飛んだ。
スネークは彼女を二度見する。知っている姿と若干違っている。服装や艤装が大幅に変化しているようだ。
それでも彼女だ。あの顔はまだ忘れていない。アフリカで出会い、生き延びる為に協力し合ったクロスロードの一人。空母サラトガと、遠く離れたハワイ近海で再開するとは、思ってもみなかった。
彼女がアフリカのサラトガという確信はあった。それでもP90のトリガーには指をかけておいた。艦娘には同じ見た目の別個体がいる。その危険性も否定はできない。最低限の警戒は忘れてはいけない。
と、少し睨み付けていると、突発的にサラトガが口を抑えた。何かは分かる。笑うのを堪えているのだ。不快感は別にないが、いきなりどうしたのか。口を抑えたまま、片手でスネークの指元を指す。
「
まさか。そう思ったが、直後G.Wが『かかりっぱなしだぞ』と無常に告げた。
飛行場棲姫を撃破した後、習慣的にかけ直していたのか。それとも、サラトガを見て安心したからか。どっちにしても、スネークも笑うしかなかった。
「お前が、連合艦隊を率いているのか?」
「
「そうだったか」
だとしても凄いな。スネークは内心感心する。確かアフリカ遠征の時は、殆ど実戦経験のない新兵だった筈。あれから数か月で、小規模とはいえ一部隊を任される程の成長を遂げていたのだ。
「あれからそれなりに努力したのよ、アフリカでの地獄を、二度と見ない為に」
スネークは眼を逸らしたくなる。覚悟と悲哀が入り混じった目線を向けられた。アフリカの光景と言われて思い出せるのは、正直グロテクスなビーチと屍棲虫──サイキックアーキアの変死体だけだった。
考えてみれば、サラトガにとってはあれが初めての大規模作戦だったのだ。大規模作戦など大体酷いが、これは余りにも辛い。護るべき人間に襲われ、仲間が変死していく様を身近で見なければならないなんて。
そして、そんな地獄の元凶の同僚が私である。いったい愛国者達を自称するAIは、この地上にどれだけの地獄を作り出したのか。屍者を叩き起こして、屍者の帝国を建造したのか。分からないせいで余計に腹が立つ。
「どうかしたの?」
「いや、今の姿は、改装後という訳か」
「
ただの改二ではなく、装甲空母と言うまた特殊なカテゴリーの艦だという。まあ細かいところはどうでもいい。以前より遥かに強くなっていることが分かればそれで良かった。と話していると、後ろから青葉がじっと見つめている。
「話し過ぎたようだ、先に行かせて貰うぞ」
相手が彼女なら、爆撃している危険性はかなり減った筈だ。青葉が訴えた通り時間が惜しい。急ぐに越したことはない。
「ちょっと待って、何処に行くの?」
「お前達と一応同じだ、中枢棲姫を殺す」
「……愛国者達?」
スネークは頷く。ある程度の事情は掴んでいるらしい。それなら尚更、止めたりしない。そう言って行こうとする彼女を、サラトガが止めた。彼女は後ろを指さす。仲間の空母機動部隊がいるようだが。
「送らせていただきます」
「いや、そこまでしなくても良いんだが」
「違うわ、これは
この先には、二種類の『ビーチ』が混在しているという。
ビーチを突破するためには、そこに縁のある艦娘が不可欠だ。中枢棲姫に繋がりがあるのはスネークである。だからこそ、本来後方で居座った方が良いアウターヘイブンが前に出ているのだ。
しかし、中枢棲姫は同時に、ハワイそのものに縁のある深海凄艦でもある。本拠地としている場所や、僅かな交戦記録から得た情報により、
二つの側面を持つ姫。その為に、ビーチも二種類展開できるのだ。一つの繋がりだけでは迷い続けるだけ。サラトガが選抜されたのは、彼女が真珠湾に縁があったからという理由もあったが、この繋がりだけでは突破できなかった。
「スネークがいれば、きっとビーチを越えることができるわ。だから一緒に来て欲しいの。一緒なら、他の艦隊からも護れる」
〈スネーク、迷う理由はないぞ〉
「言わなくても良い。そういうことなら、連れていってくれ」
スネークたちを取り囲むように機動部隊が陣形を組む。周りからも見え難くなった。敵意を持って襲ってくる連合艦隊がいないとも限らない。G.Wの言った通り、ここは素直に受けておくべきだ。
サラトガの合図に合わせて動き出す。一度『穴』の近くまで行っていたのか、位置感覚の狂いそうな赤い海を迷わずに航行している。これなら、想定よりも早くつけるかもしれない。我ながら、かなり運が良い。
もっとも、それで敵が攻撃を緩める訳がないのだが。
むしろ本陣に接近したことで、更に激化しつつある。それに当たりの感覚、いや『世界』が急激に変わって来ている。元々赤かった海は更に濃く、空が異常な色に染まっていく。
「ここからはビーチか」
「敵艦の激しさは比ではありません、スネークさんたちも援護をお願いします」
なるほど、そういう助け合いも欲しかったのか。
ビーチだけではなく、戦力的にも厳しいから、追加の援護が必要だったのだ。上手く乗せられたのだ。しかし、そこまで悪い気もしない。少しだけ口角を上げながら、スネークは高周波ブレードを引き抜き構えた。
*
中枢海域の光景は、もうこの世のものではなくなっていた。
ビーチはあの世との境目らしいが、それにしてもグロテクスだ。海と空はどす黒く染まり、僅かに見える陸地は生々しいクリムゾン・レッドに塗り潰されて脈動している。
世界が地獄なら、居座る深海凄艦も地獄だ。
もうイロハ級の姿は見えず、いるのは悉くが姫・鬼級になっている。戦力過多も良い所だ。逆に言えば、ここからは絶対に立ち入られたくない場所とも言える。
「いったい、どうやってここまでの姫級を揃えたんですかねぇ!」
「私に聞くな!」
「そういう
若干涙声の青葉が、嵐のような砲撃を回避しながら雷撃を放つ。彼女の言う通り異常な数だ。ここまでの姫級を集められるとは思えない。
恐らくだが、奴はサイキックアーキアを直接操ることができる。この力で姫級を増産したのではないか。代償として、知能はかなり落ちたようだが。
狙いは荒く、暴力の赴くままに武器を振りかざす。
単体で見れば何てことはないが、数が酷かった。さっきのイロハ級の軍勢より数が多いとはどういうことだ。
「スネーク伏せて!」
突如サラトガが覆いかぶさってくる。直後、さっきまで顔のあった場所を機銃が貫く。深海の艦載機が音もなく迫っていた。いや気づけなかった。まさか、連戦のし過ぎで感覚がマヒしているのか。
「あの姫級は、まさか」
青葉の見る方向には、艦載機を飛ばした姫がいた。
スネークの見た事のある姫だった。忘れようのない、沈没船をそのまま背負っているようなシルエット。サラトガが呟く。
「深海海月姫……また会うなんて」
同時に海月姫が絶叫する。ヴァイパーの建造した特注品のような機能はないが、それでも最上位クラスの姫級が動き出した。油断のならない相手だと、スネークは息を整え迎撃しようとする。
だが、駆けだそうとしたスネークをサラトガが塞いだ。
「スネーク、サラが護衛できるのは此処までみたいです」
「何だと」
「先に行ってください」
ここへ置いていけというのか?
そんな意味ではないと分かっているが、釈然としなかった。顔を顰めたのに気づいたのか、サラトガが近づいてこちらを見上げる。
「正直言って、中枢棲姫をどうにかできるのはスネークだけだと思います。貴女を送ることが、サラたちの勝利にもなるんです」
「そうだが……」
「スネークの役目は、ここでサラを助けることではない。そうですよね?」
全く言い返せなかった。彼女の言う通りだ、共闘を懐かしんでいる余裕はない。気が緩み過ぎていると、心の中で自らを叱咤した。顔を叩き、緊張感を取り戻す。再び目を開けると、戦場全体が見渡せた。
「ここまで送ってもらって感謝する。沈むなよ」
「
背を向けて航行を再開する。後ろから声が聞こえた。
「どうかサラの報復心も、持って行って下さい!」
何だその激励は。思わず目を丸くした。
物騒過ぎる。要らないと言いたくなったが、もう彼女の姿は見えなくなっていた。そういえば、一緒にいる間、サラトガは私に殺意を向けなかった。
D事案の成り損ない。それによって残った空母棲姫の報復心が消えたとは思えない。今だに彼女を苦しめている筈だった。しかし、そんな暗い感情は一切感じなかった。物騒な激励も心から私を応援していた。
「行きましょう、スネーク」
青葉に連れられて、中枢海域の奥地へ向かう。
サラトガはきっと、報復心と共存する方法を見つけたのだ。呑まれずに、無理に否定することなく生きる道を。いったいどんなものなのか、聞いてみたいものだ。
中枢海域の中央、巨大な大穴が徐々に見えてきた。サラトガ率いる機動部隊のおかげで、相当近くまで接近できた。本当に彼女には感謝している。しかし、その分敵艦の量が、また激増してきた。
この量の敵を突破するのは相当難しい。正面突破も、隙を突いて行くのも困難だが、やるしかない。残るミサイルを全て消費しなければならないだろう。もう少し付き合ってもらう。そう艤装を撫でて、真正面の軍勢を見据える。
〈待てスネーク〉
さあ行くぞ、というタイミングで無線を仕掛けるG.Wに少し苛立った。何かと言えば、多摩からの通信が入ったらしい。
〈聞こえているかにゃ〉
「問題ない、手短に頼む」
〈そこの護衛を全員囮にして、スネークが行くにゃ〉
多摩の提案は至極合理的だった。中枢棲姫を破壊できる可能性が高いのは私だ。加えて、大穴に飛び込んだ後はアーセナル級の内部を突破しなければならない。その点でも艦の構造を知っている私が行くべきなのだろう。
しかし、簡単に返事ができない自分もいた。私の為に、命を賭けさせていいものだろうか。そんな思いが心のどこかで、未だに燻っているのだ。こんなことをしている時間はないと分かっていても。
〈スネーク、心配はいらない。アウターヘブンの彼女たちに任せるんだ〉
「エラー娘、なぜそう言える」
〈それは君が考えるべきことだ。エイユウとして、彼女たちの意志を知ろうとしなくてはならない。一度戦っただけのサラトガが、何故君に託したのか──〉
ビーチ内通信の調整のため、エラー娘は多摩の傍にいる。この会話は聞こえているのだ。振り返った先にはアウターヘブンの艦娘たちがいる。私をじっと見つめながら、戦いの準備をしている。
かけるべき言葉は何となく分かった。それが求めている言葉だと。エイユウとして語るものは一つしかない。遺伝子か、模倣子が知っていることだった。だからこそ、スネークは言葉を変えた。
「ここまでの護衛感謝する、ここからは私だけで十分だ」
自分がエイユウとは思えないから、自分自身の言葉を搾り出した。これが正解は分からなくても。
「お前達は、お前たち自身を護れ。お前の全てを護り抜くんだ」
どんな顔をして、私を見ているのか。
直視するのが恐くて、それっきり振り返らなかった。分かるのは一つだけ。大穴へ向けて真っ直ぐ突き進む私に向けて、一つも攻撃が来なかったということ。それだけだった。
*
護衛艦隊と別れてスネークは中枢海域を進む。ある一線を越えた時から、姫級の姿を見かけなくなった。別れた彼女たちが抑えてくれているのか、それとも違う理由があるのか。不気味な気配が海を覆っている。
遥か上空を見れば、艦娘、深海両方の偵察機が飛び交っている。しかしそれぐらいしか、他者の気配を感じ取れない。今までが騒がしかった分、静けさが耳に突き刺さる。私以外に生きているのは、隣にいる青葉ぐらいだった。
「お前はついて来るんだな」
「当たり前じゃないですか、護衛一隻ぐらい、いたって良いでしょう」
「要らないとは言っていない」
いや、いないと本当に不安になる。
元々死の気配が立ち込めるビーチだが、ここまで深まると、『死』さえも感じなくなってくる。生と死の境目にある世界がより深まり、どちらの概念も消えてきている。オカルト染みた感覚が、海一杯に広がっている。
生きても死んでもない。終わることができないまま彷徨い続ける。そんな錯覚を覚えそうな空間だった。どうせ敵の気配はない。スネークは青葉を近くに寄せると、彼女の手を握った。若干恥ずかしいが、とにかく生きている人の感触が欲しい。
青葉は何も言わずに、スネークの手を握り返す。彼女も同じような恐怖を感じていた。しかし、青葉はこの恐怖、終われない悪夢に覚えがあった。それは、彼女が艦娘として生まれ落ちた時に思ったことだった。
「今更ですが、青葉たちって、何なんですかね」
「サイキックアーキアによって建造された生体兵器──という回答とは、別の質問か?」
「建造された時、少しだけ思ったんです。こうやって艦娘として蘇るのなら、青葉たちの終わりは何時になるのでしょうか」
その疑問は、大変な訓練や戦いによって忘れ去られたが、この空間に踏み入れたことで思い出していた。
当然、艦娘は一度沈んでいる。戦いにしても、解体されたにしても死んでいるのだ。
しかし、サイキックアーキアというイレギュラーによって、再び生を得ることになる。軍艦そのものではない。それでも、かつての記憶を持っているのだ、
ならまた沈めば終わるのかと言われたら、今度はD事案が起きる。軍艦のミームを、別の側面から表す運び手となるのだ。更に沈んで今度こそ消えたとしても、海底のサイキックアーキアに捕食され、また別の存在の『糧』になる。
生きるとは、そういうことなのだ。
例え死んでも、誰かが継承してくれる。遺伝子も模倣子もそう受け継がれてきた。艦娘も同じこと──と言えば聞こえは良い。
「何度沈んでも、消えても、解体されて人になっても、根幹になった『艦』の記憶は残っていく。青葉自身の残したいものは残せないまま。けれども、『青葉』は生き続ける。それが良いこととは思えないんです」
艦の史実が、良いことだけとは限らない。青葉からしても、残したくない思いでは少なからずある。いや、なまじ生き続けた分、他の艦より多いはずだ。記憶から生まれた私たちは、生き続ける限りその記憶を、他者に感染させていく。その気がなくても、重巡『青葉』の依代である以上は。
「D事案で、見せたくなった面を見せていた方々を見ると、余計に……」
神通のことか。それとも、ヴァイパーの艦だった深海海月姫のことか。轟沈をトリガーにして、そんなことまで残してしまう。私たちにとって死は終わりではなく、新たな生になっている。だとすれば、『終わり』は存在するのだろうか。
「希望的観測だが、それでも、いつかは終わりが来る筈だ」
ハッキリ言って、全く根拠のない励ましだった。終わりがあるとすれば、それこそサイキックアーキアが全て絶滅した時だが、現実的とは言い難い。スネーク自身も、最後を迎える方法を知らないのだから。
「誰からの記憶からも、消える日がいつかは来ると?」
「来る、いつかは分からんが」
「ですよねぇ」
記憶を元に生まれた。ただそれだけで、生死の考え方がここまで違う。
いや、そもそも既に終わっている物を、無理矢理動かしているのだ。私たちと人間は決定的に違う。私たち艦娘は、どこまでいっても屍者でしかない。
解体され、人間社会に溶け込んだとしても、本質はきっと変わらない。根元に居座った艦娘としての考え方、屍者の意志は残り続ける。屍者は世界の中で、その模倣子を撒き散らしていくのだろう。
生きている人は屍者の思いを受け継ぐのではなく、屍者が自身の意志を示すことは、果たして正しいことなのか。ここまで狂った世界で今更だが、それは世界の在り方を歪めてしまうのではないか。
「この戦いは終わらせなければならない。後のことは後で考えれば良いさ。沈まない限りは、自分自身のまま、自分の意志で動くことができる」
「はあ、結局いつも通り、戦うしかない訳ですか」
「本当に悪い、こんな世界に呼び込んでしまって」
中枢棲姫は、この理を持って世界を壊そうとしている。本物の屍者だ。私は元仲間として責任をとらねばならない。屍者だろうが何だろうが、この務めを譲る気はない。私たちがいなければ、彼女たちは蘇ることもなかったのだから。
終わりがない戦いに、一つの終わりを与えること。それが私が私自身に課した務めだった。