これは、何と言い表すべきか。
赤い海の中央に大穴が空いている。奈落の底に鎮座するのはアーセナル級の一隻だ。改めて、非現実な光景だと感じた。これまで何度も味わってきたあり得ない光景が、また広がっている。
いくら未来が予想できないと言っても、こんな未来は誰も思わなかっただろう。屍者が跋扈し、あの世がこの世に座礁して、終わりが曖昧になった世界。その世界は海から始まった。海から生まれた命が、海に終わろうとしている。
決して交わってはならない領域に接触した以上、既存の生命は滅ぶことになる。中枢棲姫はそれを目指して、あの艦の中で準備をしている。ここからが本番なのだ。青葉と繋いだ手を離し、二人は奈落目がけてダイブした。
実のところ、『大穴』が観測されたのはこれが初めてではない。
数年前の大規模作戦でも一度観測されたことがあり、大穴への突入も行われている。この時のデータが残っていたから、スネークたちは奈落へのダイブを決断できた。
落ちる。ことは無かった。
スネークたちは大穴の側面を、そのまま航行していた。地続きの地面を走るように、傍から見れば崖にくっついているような見た目になる。重力が歪んでいるのか、空間が歪んでいるのか、ともかく落ちることは無かった。
しかし、ある一線を越えたらしい。
今まで静まり返っていた海が騒ぎ出す。奥にあるアーセナル級を護るように、無数の深海凄艦が姿を現した。今更だが止まる気は欠片もない、青葉も同じ気持ちのようだ、闘志に溢れた目線で敵を睨んでいる。
あと少しなのだ。あとは突破すれば辿り着く。もうミサイルの残弾を気にする必要はない。スネークはG.Wに向けて叫ぶ。ありったけを打ち出せと。爆炎の中を切り裂いていく。そう考えた。
〈駄目だ〉
しかし、G.Wは拒絶した。
〈当然だろう、見れば分かる〉
ミサイルを一発だけ発射する。深海の対空砲火を容易く潜り抜けて、あっと言う間にアーセナル級の眼前に迫った。だが、そこでミサイルは爆散した。スネークには見えた。アーセナル級の放った対空砲火、いや、CIWSに撃ち落とされたのだ。
〈向こうも我々を想定して、ある程度改造をしてきたようだ。深海凄艦に落とされる量を考えたら、まず当たらない〉
護衛の数減らしをするにも、恐らく敵は
「どうしましょうか」
「どうするって、それでも突撃するしかないだろ」
「それしかありませんか!」
無傷で、というのは不可能だろう。潜入した後の行動に支障があるかもしれないが仕方がない。スネークと青葉は艤装を構え、無謀な突撃を慣行しようとした。それしか方法がないのだから。
たたし、それは二隻だけならの話だ。
背後から爆音が轟いた。
砲弾が頬を掠めて飛び、深海凄艦が爆散する。足元を雷撃が通過し、戦艦級が大破する。スネークが後ろを振り向くと、二隻の艦娘が立っていた。
「おい、私のこと忘れていただろ」
「……心外ですね」
片方はガングートだ。別の場所にだが、同じタイミングで突入していたのだ。彼女はいて当たり前だ。だが、もう片方については驚いた。こんな偶然が起きるとは思ってもいなかった。赤い海を探照灯で照らして、一隻の軽巡が立っていた。
「神通、なのか」
「お久しぶりとだけ、言っておきます」
淡白に告げるなり、神通は敵艦隊に向けて突撃していく。あらゆる方向から砲撃が来るが、その全てに真正面から突っ込み、最低限度の動きで回避する。最高速度を保ったまま敵戦艦に肉迫し、巻き込まれるギリギリのところで雷撃を放っていた。
一瞬の出来事に他の深海凄艦が絶句する中で、ガングートが正確な砲撃を叩き込んでいく。その砲撃さえ目晦ましの代わりにして、神通は次々に敵艦を沈める。強い。以前より、いや、一度だけ目にした先代の神通より強くなっている。
「何をぼんやりしているんですか、早く行ってください。これなら十分囮になりますから」
私を睨む神通の目つきは冷徹だった。任務に徹しているのだ。そりゃ、本陣を目の前に棒立ちしていたら呆れるだろう。
「途中までは私が盾になる」
「すまない……お前たち、どうやって此処まで来た?」
護衛のガングートに尋ねる。ここのビーチは中枢棲姫の領域。彼女に繋がりのある艦でなければ、永遠に迷い続ける。ガングートと神通はどうやって来たのか。ガングートは指先を、遥か上空へ向けた。
「あれが案内してくれた、道さえ分かれば、縁とかは関係ないからな」
「水上偵察機、サラトガのか」
「その途中で神通と出会ってな、奴も実力を買われて連合艦隊入りしたらしい」
私を助けるために、深海海月姫と闘いながら目印を残してくれたのだ。私を、私の仲間が必ず気づくと信じていたのだ。本当に、どうして信じてくれるのか。神通にしても同じだ。彼女だって自らが率いている部隊がある。その責務よりも、私の援護を優先させたのだ。
「
「ガングートは分かるのか」
「ああ、とても
簡単なのか、余計に分からない。流されて戦ってきた名ばかりのエイユウに何を期待するのか。やることはやるつもりだ。迷いではなく、純粋な疑問をスネークは抱く。私の悩む姿に、ガングートは意地悪く笑みを浮かべた。
「勿論教えてやらん、屍者の帝国を創った一因のお前には言わん。言う必要性もない。つまり嫌がらせだ」
「嫌がらせって、お前……」
「さあ
ガングートが背中を思いっきり蹴り飛ばす。同時にアーセナルが迎撃装置を起動させるが、彼女の砲撃と、自立稼働を始めたG.Wのミサイルが道を開く。
侵入する時は艤装を放棄する。スニーキングの邪魔になるからだ。最低限度の兵装だけ纏い、スネークはブースターに身を任せる。僅かに開いた兵装展開のハッチへ、青葉とともにその身を投げ込んだ。
*
武装用のハッチの隙間は、当然人の出入りは想定していない。その中へブースターで無理矢理飛び込んだせいで、あちこちに体をぶつける。その度に受け身をとりながら、二人は隙間を突き進む。
ゴールは唐突に現れた。思ったより床が近い。受け身が間に合わず、何か所かにダメージを受けてしまった。艤装を背負っていた青葉は、重さの分負担が大きそうだ。顔を顰めながらも、辺りを警戒している。
「動けるか」
「このぐらいで、舐めないで下さいよ」
「なら良い、まず隠れるぞ」
アーセナル級はほとんどの兵装が自動化されている。中枢のAIが制御しているのだ。ミサイルの装填エリアでも、担当する敵艦は見あたらない。しかし、内部で護衛している敵艦はいる。今も足音が次々に接近して来ている。
とは言え、艦内という狭い空間で主砲や魚雷は使えない。機銃や深海の力で汚染した銃火器、肉弾戦がメインになる。だから来る敵艦は予想ができた。柱の影から、集結した敵艦を睨み付ける。
「まーた、スペクターですか」
「恐らく、残存しているスペクター全艦が集められている。見つかれば命はないな」
「いつも通りってことですね」
ツェリノヤルスクで遭遇したような、小型の武器しか持っていないタイプだ。その分小回りが効くし、動きは素早い。そもそも隠れられる場所がそう多くない。今までのような慎重な進む方はできないし、時間が許してくれない。
〈スネーク、聞こえているにゃ〉
「多摩か、どうした」
〈ちょっとヤバイ、時間がなくなってきた。アーセナルの上部装甲が展開。内部から大型のミサイルが見えてきたにゃ〉
内部には、私から奪ったレールガン・ユニットが僅かに見えるらしい。正確にはそれを発射する為の人工衛星を打ち上げるのだ。誰も手出しができない軌道衛星上から、核の槍を突き付ける。神にでもなったつもりだろうか。
「そっちから猶予時間は計算できないのか」
〈猶予はない……と言いたいけど、連合艦隊の空母機動部隊が妨害に入っているにゃ。けど姫級と交戦しながらやってるから、長くは持たない〉
恐らくサラトガの部隊だ。この海は異常だ。恐らく沈めた海月姫も間もなく復活する。発射時はアーセナルのCIWSも支援するだろう。いつまで航空戦力を回せるかは全く期待できないし、してはいけない。
〈暫定で10分、もしくは、アーセナル級を一時的にでも機能停止に追い込めれば〉
「その方が現実的か」
〈アーセナルの構造はスネークの方が知っている、こっからは任せるにゃ。ボスも期待しているにゃ〉
「……あいつの期待かぁ」
私のベースはあくまでソリダスだ。あいつには近いが別人。良い感情も抱いていなかっただろう。だから私自身も期待に応えようという気が起きない。そうでなくとも、今まで一度も会わず、ただ監視だけしてきた男を好きになれる訳がない。
何より思うのはこの疑問だ。いくら悪運が強いからと言って、海のど真ん中のプラントが沈んで、生きて帰れる可能性はあるのだろうか。MSFの壊滅時と違い、マザーベースの残骸さえ綺麗サッパリ消えていたらしい。ここまでの被害で無事なのか。
奴は、ボスは生きているのだろうか。
エマニュエル・ゴールドスタインという架空の人物がいる。小説1984において、主人公の属する国家を支配する『党』を脅かす最大の敵として描かれている。革命勢力のトップであり、様々な破壊活動には全て彼が関わっているとされる。
しかし、作中に置いて彼が実際に登場することはない。全ては誰かの言葉や、媒体を通じて語られるのみである。ゴールドスタインは、国民の敵意を煽り、意志を統一するためにいる架空の人物かもしれないのだ。
同じことは『党』の指導者であるビッグ・ブラザーにも言える。架空の人間を崇拝し意志を一つにする。アウターヘブンの生き残りたちは、そうやって兵士を統一しているのではないか。
連合艦隊は中枢棲姫の撃破を目指している。それが唯一の方法だと信じて。私たちも同じだが、これは真実なのか。奴を沈めれば、本当に戦いが終わるのだろうか。確かめることのできないまま、足掻くしかないのだろうか。
「スネーク、行きましょう。真実は、青葉も知りたいですから」
「お前もか、いったい何を」
「青葉たちが建造された理由が、本当に世界を滅ぼすためなのか。もっと良い理由なのか、確かめられる内は、追いたいです」
中枢棲姫は真実を知っている──可能性が高い。
青葉のそれは、現実を認めたくないが故の逃避だ。その現実がただ言葉で聞いただけの、証拠のないものだから否定できる。今ならまだ、進むだけの猶予がある。進まなければ死ぬ。これは紛れもない真実だ。
「もしもそれで、奴の言うことが真実だったら、お前はどうする」
「沈んでも深海の一部に、解体されても、遺伝子や模倣子で人間を脅かすのなら、答えは一つしかないでしょう」
「……完全解体、死を選ぶか」
奴の計画を瓦解させるのに最も効果的なのはこの方法だ。侵略者の艦娘がいなければ、根本から瓦解する。青葉はそれ程の覚悟を抱いていたのか。死ぬ気が全くなかったスネークは、驚くしかなかった。
「って言うのは理想論ですけど。できるなら、沈む以外の道を望みたいです。あいつの計画を瓦解させるために、遺伝子や模倣子を、何一つ残せなくても、それでも……生きていたいと、青葉は思います」
良く効く言葉だし、考え方でもある。
自分が死んでも、誰かが引き継いでくれれば生きているのと同じだと。ならば、誰も引き継がなければどうなるのか。いや、いるだけで模倣子を撒き散らす私たちに、そんな生き方ができるのか。
*
「さて、どうしたものか」
スネークを送り出し、再び敵艦隊と相対して、ガングートは呟く。
沈めた端から復活する以上撃破は不可能。最初から時間稼ぎしか考えていない。しかし、戦艦一隻と軽巡一隻で、どれだけのことができるだろうか。
「あんな連中よりも、少しでもアーセナル級を攻撃した方が良いです」
「
普段は散々使えねぇとぼやいていたアーセナル級だが、敵に回るとここまで厄介だとは。攻撃は全て迎撃され、距離を離せば不可避の攻撃が突っ込んでくる。奴にとってはあと数分だけ持てば勝ち。戦略的にもかなり不利な状況だ。
〈二人とも良く聞け〉
「何か策があるのか、G.W」
〈策と言う程でもない、アーセナル級は私が引き受ける。お前たちは残敵から私を護衛しろ〉
力押しでしかない。しかし、シンプルだからこそ有効に思えた。
現状それしか策もない。ガングートと神通は迷わずに提案を呑む。ならば時間も惜しい。G.Wは残っていた全てのレイを展開し、水上へと浮上する。
浮かばなければミサイルを撃てないからだが、敵もそのチャンスを見逃さない。G.Wは唯一の脅威だ。潰すべく無数のミサイルが発射される。本来であれば迎撃など不可能な速度。神通は、冷静に主砲の狙いを定め、発射した。
G.Wのすぐ目の前でミサイルが誘爆する。神通の主砲が当たったのだ。ツ級flagshipのやった方法と同じだ。どれだけ速度が早くても、着弾箇所が分かれば、後は
今度はお返しにと、G.Wが無数のミサイルを発射する。CIWSはあるが、全力で撃てば押し切ることができる。できる限りのダメージを外から与えれば、多少なりとも、ミサイルの発射時間を遅らせられる。
「待って、何かが水中から来ます」
潜水艦にも注意を払っていた神通が叫ぶ。直後、ミサイルを遮るように大量の水柱が立ち昇る。数十本、そして数十メートルの巨大な影が見えた。影は機銃を放ち、防ぎきれなかったミサイルを叩き落としてしまった。
まるで巨人にも見えるシルエット。アフリカで苦しめられたあの兵器の姿に、神通は目線を細める。
「メタルギア・イクチオスの量産型か!」
〈レイの代わりに、奴等を搭載していたようだな〉
「まだ、あんなに残っていたとは」
ツェリノヤルスクの製造工場を破壊してから供給が途絶え、ついでに世界各地で残滅作戦が行われた。イクチオスへのヘイトはそれだけ高かったのだ。同時に深海凄艦への報復心が高いことも意味する。それも中枢棲姫の目的だが。それでもまだ破壊し切れなかった個体が残っていたのだ。
メタルギア・イクチオスの相手は何回かしたことがある。ガングートも少しだけだが交戦経験があった。奴の最大の脅威である新型核を乗せた爆撃機はないらしい。その代わりに、出鱈目に向上した運動能力が武器だ。
形容し難い唸り声を上げながらイクチオスが次々と跳躍する。もう半数は水中へ一瞬で潜航する。神通は下からの敵を叩く。ならば上からのはガングートの担当だ。空中での姿勢制御は効かない、狙いを定めるのは簡単だ。
すぐさま一隻が砲撃を喰らい姿勢を崩す、しかし別の個体までは破壊できない。巨大な衝角を槍のように突き出す一撃を、ギリギリのところで回避し、そのまま
「
ガングートはイクチオスを投げた。
奴は所詮、潜水艦の質量しか持たない。戦艦級の馬力をもってすれば、頑張れば投げ飛ばすことができる。その先は、後ろから攻撃を狙っていた深海凄艦たちだ。突然空から降ってきた質量体に、陣形が一気に乱れる。
そうなれば、散開したレイに一隻ずつ狩られるしかない。甲板に爪を立て、超至近距離からの水圧カッターや機銃で武装が壊されていく。それでも潜り抜けてくる個体もいるが、その動きを先読みした神通の雷撃が出迎えた。
「軽巡棲姫に比べれば、どうということはありません」
背後の深海凄艦と、イクチオス軍団が一時的に封じられる。その隙を突いて再びG.Wがミサイルを乱射する。アーセナルも負けじとミサイルを乱射する。飛び交う爆炎をもろに浴びながらも、砲撃の手を緩めることはない。
「早い所、中枢棲姫を沈めてくれないですかね」
「さっきからお前、妙に辛辣だな」
「ちょっと苛立っているのは自覚していますよ」
戦闘に関係ない話だ。そういう話をして緊張を解す。少し気を張ったら、プツンと切れてしまいそうだった。
「何だってスネークさんは、ああ卑屈になってるんですか」
「気づいていたのか」
「顔を見れば分かりますよ、単冠湾の時や、アフリカ遠征の時はもっと、自信がある感じでした」
神通はそういった戦いの時しか見ていないのだ。ある種、エイユウの一側面しか知らない。思い込みとはこういうものか。ガングートからすれば、あの情けなさは、むしろ好感を抱かせるものだ。
「成長しているんだよ、あいつも」
「成長、なんですか」
「そうだ、そもそもお前と数か月しか違わない上、艦としての命はたった数時間なんだぞ」
建造された期間は眠っているも同然の状態。スネークの人生経験は虚無に等しい。知っているのはあらかじめ内蔵された『蛇』と『愛国者達』の模倣子だけだ。生まれたて同然の状態で、この世界に現れたのだ。
「やっと悩みだしたんだろうさ、自分自身の在り方に。お前だったそうだったと聞いたが」
「なるほど、納得しました」
私の知らない頃のスネークは、もっと酷かったのだろうか?
その疑問を頭の端に置き、ガングートと神通は再びアーセナルを睨み付ける。怒涛のミサイルの応酬により、海は地獄絵図と化していた。
それでも押されている。感覚がそう警告している。
もう少し手数がなければ。二人の顔を汗が流れたのは暑さだけが理由ではないだろう。その時だった、背後に陣取った深海凄艦が、次々と轟沈していることに気づいたのは。
誰よりも小さな陽炎が、孤影がそこにいた。