──目の前にいる、見た目は10代、頭脳も...きっと10代。
その女の子は、ふわりと宙に漂いながら、見下ろすように俺へ告げた。
「待っておったぞ……ずっと、待ってた」
「ムラサメ様」
「うむ!元気そうでなによりだ」
満足げに頷いて、頭上より高い位置から降りてくる。
まるで地面に立つかのように足を伸ばしたあと、じっと俺を見つめてくる。
「お主背、伸びたな」
「そう、ですね。もう10年ですから」
乾き切った喉から必死に声を出したが、震えてしまってまともに喋れた気がしない。怖いわけじゃない。むしろ見慣れた光景だ。 世間一般的に見て、ふわふわ浮かぶなんてありえないわけで、かと言ってじゃあつまり幽霊?というわけでもない。
まだこんな幼い見た目をしてるが、彼女こそ"叢雨丸"の管理者───いわば、"叢雨丸"の魂のようなもので神力を司る神様のような存在。
とは言うものの、ガチの神様という訳では無い。
緊張をほぐそうと、俺はちょっとだけいじりネタを披露する
「ムラサメ様は……まぁ、相変わらずのようで。どこが、とは言いませんが」
「お主、久方ぶりの再会で早々とどこを見て言っておるのじゃ?噛むぞ?」
「キシャーッ!」まるで猫が威嚇するような声を上げ、鋭い歯をカチカチと鳴らした。
冗談はここまでにして、
「佳正、何を1人で喋っている」
「あぁ、いえ。目の前にムラサメ様がいるから」
不自然な行動を取っている俺に対し、玄十郎が声をかける。
玄十郎には、ムラサメを
違う。正確には
そもそもの話、"叢雨丸"は神刀で穂織の土地神から授かった特殊な刀。"叢雨丸"本来の力を発揮するには神力が必要。その神力とは……人の魂で構成される。魂を刀に宿し、それを神力として振るう──それが”叢雨丸”だ。
つまりはまぁ言ってしまえば、
「そうか、それは気づかなかった。ムラサメ様、ご無礼をお許しください」
「うむ!気にするでないぞ玄十郎」
一見会話が成り立っているように見えるが、玄十郎にはムラサメの声は届かない。だから、見える誰かがフォローに入ることで成立するちょっとめんどくさいところはある。
だけど、このロリっ子が正真正銘の神使であることに変わりはない。
「で、どうするのだ佳正」
「……」
本来の目的を思い出す。
穂織には遊びで戻ってきたのではない。あくまで、萩原佳正の役目を逃げずに果たすためだ。だから、ノーという答えは無い。
「あぁ、やりますよ。"叢雨丸"を抜きます」
玄十郎と、ムラサメの前で決意の言葉を露わにする。
その為に俺は戻ってきた。今更後に引く事になんの意味があるというのだ。
「うむ、よろしい。では話をつけてくるから、少し待っておれ」
そう言い残して玄十郎は、役員の人と列を成す観光客の元へ向かう。
やはり威厳のある玄十郎を前にすると息が詰まる思いになる。嫌いというわけでない。むしろ俺に対し優しく時には厳しく接してくれる玄十郎は尊敬の意しかない。
「ふぅ……」
「お疲れのようじゃの」
「別に疲れているわけじゃないですよ。ただ、ちょっと息苦しいだけです」
「息苦しい?」
ムラサメのオウム返しに、特に反応することなく。
交渉する玄十郎の後ろ姿を追う。
───老いたな、と少しだけ思った。
テキパキと動き回る姿を見ると、健康的な生活を送り、きっと得意の剣道も昔の捌き方が健在なのだろう。だけど、髪の色や少しやつれた顔がそれを物語っているように感じる。
そう思いながら待っていると、玄十郎がこちらを振り向いて手招きをしている。
どうやら許可が降りたらしい。
深呼吸して気持ちを引きしめ、玄十郎の元へ……。
───第二輪 喪失 ───
俺は、10年前の"叢雨丸"の所有者
この事を話すのには前置きが非常に長くなる。まずは"叢雨丸"の伝承が事実だ、という所から始まる。
"叢雨丸"の伝承が事実、それは妖怪の存在も真実であることを示す。叢雨丸に退治された妖怪は死ぬ間際に
"祟り神"は無差別に人を襲う訳では無いが、"叢雨丸"に携わる者──特に
10年前、当時の朝武家の巫女姫が"祟り神"の呪いに冒され、命を落とした。恨みを晴らした"祟り神"にとってはいわば、お祭りのようなものだったのだろう。住処である山奥から降りてきた奴らは、穂織の町に大群でやってきて、建物を壊しては雄叫びを上げ、町の人々に恐怖を与えた。
これが──
この乱で、朝武家を守ろうとして父と母も命を落とし、俺自身も命の危機に晒された。友人も、大切な人も……。
そんな時、目の前に現れたのは御神刀"叢雨丸"だった。
そしてその"叢雨丸"が、俺の前にまた現れる。
俺の緊張とは別に、"叢雨丸"は岩に突き刺さってもなお神々しさを放っており、思わず一歩後ずさってしまう。
「言っておくが佳正」
「なんですか?」
「お前がここで"叢雨丸"の所有者として、もう一度穂織に残って役目を果たすならそれでいい。だが、中途半端な覚悟なら、ここで手を引け」
確認と忠告を残す。
わざわざそうするという事は玄十郎の心の中では、俺を所有者としてこの問題に関わらせたくない。そんな感じで心配してくれているのだろう。厳しい爺さんだが、根は優しい人だ。
それを知っているからこそ、俺は敢えて静かに頷き、"叢雨丸"に向き直る。
言葉は要らない。態度で示す。それでこそ、穂織の男だと思う。
列を為していた観光客は何事かと、ざわめきながら俺が"叢雨丸"に手を伸ばす瞬間を待ち構えてる。
「久しぶり....お前、ずっとここにいたのか」
当然反応は無い。
ただ静かに冷たく光る刀身には一点の曇りない清冽な肌合いを持ち、たぐいなき刃にはムラサメの神力と歴史が刻まれている。反り返った細身の刃は、雅趣と精緻と最強の強度を極めている。"叢雨丸"とはそういう刀だ。生半可な気持ちで手にできる代物ではない。
一度深呼吸して、目を瞑る。
畏敬。恐怖。端整。気力。"叢雨丸"から迸るこれらのすべてが、これこそが、"叢雨丸"の真髄。
──佳正。佳正
"叢雨丸"から俺を呼ぶような声が聞こえる気がする。
こいつも、俺を待っていたのだろうか
「佳正」
「うん。わかってるよ」
玄十郎の声を聞き、俺は岩に突き刺さる御神刀に手を伸ばす。
数多の観光客が触ってたにも関わらず、柄の部分はひんやりしていて、まるで長年ここで誰にも触れられず祀られていたかのような崇高さを感じる。
手が滑らないように、柄をしっかり握る。
「(ただいま。相棒)」
岩に刺さる固さを感じつつ、俺は特に力を入れずゆっくり引き抜く───
「……あえ?」
おかしい。俺が予想してた感触と違う。
もう一度確認のためにだが、"叢雨丸"は御神刀。神力を司るモノ。神器と言っても過言ではない。単純な力では抜けるものではなく、言ってしまえば資格のようなものが必要になる。それは"叢雨丸"に所有者として認められること──と、勝手に思っている。
「ふんっ!ふんぬーっ!」
今度は少しずつ力を入れてみる。
単純な力では抜けないと頭ではわかっていても、ビクリともしない御神刀を前に力で解決する他ない。
おかしい。実におかしい。俺は10年前、"叢雨丸"に認められた所有者だぞ?
「何をやっておるのじゃご主人。そんな抜き方じゃ"叢雨丸"を扱えないのはお主が1番わかっておろうに」
「んな事わかってますよ!でもこれっ!ふんっ!力を抜いても!ん゛ーっ!ビクともしないんですよ!!」
ムラサメのため息を背後にしっかり聞きながら、より一層力を込めて引き抜く。ダメだ。これでは今はまでの観光客と何ら変わりない。
一度手を引き。荒れた呼吸を整える。
そう、今のは何かの間違いだ。何せ十年ぶりに”叢雨丸”に触れるのだ。感覚が無くなっていても何らおかしくない。
「ふーっ」
吸って、吐いて、吸って、吐いて。
何度か繰り返してようやく整ったところで、もう一度"叢雨丸"に手をかける。
心を無にしてゆっくりと──
「……っ!?んぬーっ!?」
それでも"叢雨丸"は抜けません。
「なんで抜けないんだ?」
「わからぬ。わからぬけど……」
「ムラサメ様はなにかお分かりで?」
「もしかするとじゃぞ?お主が10年も穂織を離れ、そして"叢雨丸"から離れた事で、所有者としての資格と効力を失ったのではなかろうか?」
なるほど、と俺は納得する。
「あるいは」
「まだ、なにか?」
「そうじゃの。可能性として考えうるのはお主の"叢雨丸"所有者としての権利は
「……」
イマイチピンと来ない俺に、ムラサメがむーっと少し考える素振りを見せてから、
「お主が所有者になったきっかけは、まぁ忘れるわけないよな」
「それは忘れるわけありませんよ」
穂織の町に突如現れた"祟り神"を前に、窮地に追いやられた俺と、その時一緒に行動していた親しき
逃げ場を失い、その目の前に現れたのは"叢雨丸"だった。
「その時のお主の守りたい気持ちや怒り、様々な感情が"叢雨丸"を引き寄せた、かもしれないのう」
「ええと?つまりは?」
そう言われて尚、頭の回転が遅い俺に対し、ムラサメは眉をひそめて自信なさげに、いや。応えづらそうに続ける。
「つまりは、当時の爆発的な感情で"叢雨丸"は一時的に所有者として認めただけであって、
「……」
俺は"叢雨丸"の所有者ではない?
一瞬、ムラサメが何を言っているのか理解できなかった。"叢雨丸"は所有者にならなければ扱うことは出来ない。その"叢雨丸"を、10年前に俺は手にし、"祟り神"を退治したことだってある。しかし今となっては扱うどころか、岩から引き抜くことさえままならない。
理解したくない現実に、嫌な汗が身体中から吹き出る。
一体何をしに穂織に戻ってきたのかわからなくなる。
「佳正」
「玄、十郎さん」
こういう時に限って、玄十郎の声には怒気が混じっているように聞こえるから困る。振り返ったらどうなるのか想像したくない。玄十郎の声が怖くて耳を塞ぎたくなる。
「抜けぬ、のか?」
「……すいません」
肩を落とすように、静かに玄十郎の息が漏れる音が聞こえる。
「気を落とすでないぞ元 ご主人。吾輩としてはお主が穂織に戻ってきたこと後何よりも嬉しいのじゃ」
「俺は、
「約束……とな?」
「はい」
──約束
それは、穂織に住んでいた10年前。
幼馴染の
俺が成長して、ケジメをつける決心をした時に、必ず果たすと誓った約束。
その時の彼女の残した笑みを決して忘れない。
なのに……
「っ」
「ご主人?!大丈夫か!?」
不意に視界がぐにゃりと歪み、立っていられずその場に跪いてしまう。
「佳正!」
あれほど怖く感じた玄十郎の声が遠く聞こえる。
ムラサメの声も正面から、背後から、或いは遠く離れたところから聞こえる。
わからない。
俺には何もわからないことが多すぎる。
"叢雨丸"は扱えない。それは、何も出来ない俺にとって致命的であり、更に窮地へ追い込まれる。
祖先の遺した
──────────────────
───目を覚ました時、俺はどこかの天井を見上げていた。
頭が回らず、ボーっとしている。
しばらくして、俺は気を失い誰かに運ばれてここにいるんだと察した。誰が運んだのかは置いといて、俺はどこにいるのか把握するために、ゆっくり上半身を起こして辺りを見回す。
一言で纏めるなら、和。以上、解散。
ビジネスホテルとはかけ離れた畳貼りの床に、木材のテーブルに座布団、クローゼットにブラウン管テレビ。デジタルのこのご時世、繋がるのだろうかと少々不安が残るが、これはこれで良い雰囲気を放っている。
テレビの横にある襖。
その襖の左下にある小さな穴には見覚えがある……というより、その穴を開けた張本人がここにいる。
俺だ。
「ここ、爺さんの部屋か?」
つまりここは志那都荘か?
健実神社から、それなりに距離のあるここまで運ばれたことになる。
「ムラサメ様?」
彼女の名を呼ぶが、返事は全くない。
健実神社、というか"叢雨丸"の近くにいるのだろうか。
「あれ?起きた?」
ふと、襖の奥から若い女性の声が聞こえた。
どこかで聞いたことのあるような気がする声の主は、襖越しにシルエットを写す。
「襖、開けるね?」
「あ、はい。どうぞ」
静かに襖が開かれる。
淡いピンクの長髪を左右で束ね、お淑やかに黄色い着物を可憐に着こなしているお姉ちゃん感溢れる女性が入ってきた。
「玄十郎さんから帰ってきたぞ!って聞いた時は耳を疑ったけど。ホントに帰ってきたんだね
「その呼び方……え?まさか?」
「そう、そのまさか」
穂織に住む女性で、俺のことを"マサ坊"と呼ぶ人は1人しか思い浮かばない。
「
そう名乗る女性は、舌をぺろりと出しておどけてみせる。
俺の3つ上で幼い時によく遊んだり、色んなことを助けてくれた親しい仲の1人だ。ちなみにマサ坊というのは芦花独特の呼び名で、
「やーやー。見ないうちに男前になっちゃって。すっかりイケメン顔じゃない」
「そういう芦花姉は綺麗な美人さんになっちゃって。弟は悲しいよ」
「む?なんで悲しいのかな?」
「廉太郎にしょっちゅう説教をしてた姉御肌な馬庭家の芦花様の姿が見えなくてねぇ。穂織の名物だったのに」
「姉御肌じゃありませんー。名物でもないですー。もー生意気になっちゃって、このこのー」
10年前が最後に会ったわけで、そうなると気まずくなるかなぁと当たりをつけてたわけだったが。このコミュ力お化けの芦花を前にするとそんな心配は杞憂に終わった。
「大丈夫?健実神社で倒れたって聞いたからお見舞いに来たんだけど。はいこれ」
そう言って差し出したのは袋に入れられたリンゴやみかん、スポーツドリンクなどなど。芦花は、俺の予想を遥かに超えたお姉さんへと成長していた。
「大丈夫、わざわざありがとう」
「熱でもあった?」
「いいや、そういうわけじゃないよ。長旅の疲れだと思う」
特に深く話す必要もなく、適当に誤魔化して差し入れを受け取る。
ずっしりとした重みがなんとなく心地よかった。
「あとから
「小春?あぁ……」
小春とは、廉太郎の実の妹で一個下。
流石にそんなに見舞いは必要ないよ、と芦花に告げると、安静してなさいってピシャリと怒られた。
「なにか行動起こすのは明日からにしなさいって玄十郎さん言ってたよ。」
「いや、玄十郎さんには申し訳ないけど、今日中にやりたいことがあと一つあるんだ」
思い腰を上げ、うんと背伸びをする。
体調に問題は無い。気を失う前の記憶もちゃんとある。
あまり悠長に構えている暇はないが、"叢雨丸"が扱えない以上今のところ足踏み状態だ。
「とりあえず、戻ってきた挨拶くらいはして回りたいよ」
「なるほどね。じゃあ先にどこに行く?」
「先にー。玄十郎さんは?」
「玄十郎さんはまだ健実神社。あ、そうそう。部屋は布団だけ畳んでくれればそれでいいって」
事後処理とか、春祭りの準備で忙しいのだろう。
ここで寝かせてくれた感謝の意を込めて布団を綺麗に畳み、簡単なメモ書きをテーブルに置く。
「先に小春に会いに行こう。見舞いに来るって話だから元気なこと伝えておきたい」
正直、なんて顔を見せればいいのかわからないな相手ナンバーワン。会いたい相手ナンバーワン。だからこそ、このモヤモヤした気持ちをとりあえずは外に投げておきたいのだ。
「小春ちゃんならバイトだよ」
「バイト?ここで?」
「なんかバカにしてるでしょ」
「してないよ。まぁ、そうか。今となっては観光地だし、人手不足だもんな」
志那都荘を出て、目的地に向かう途中の坂道で芦花はそう言う。俺の知ってる穂織と今の穂織は違う。ここでバイトができることに妙なギャップを感じてしまうのも致し方ない。許して欲しい。
「そうそう。ウチが甘味処やってるって覚えてる?」
「まぁ……?」
「そこでバイトしてるの。ちなみに私はそこで正社員として」
「正社員?あ、そうか。芦花姉は─」
──もう成人、と言いかけて口を閉じる。
なんとなくここから先の発言はNGな気がした。あと何故か芦花の後ろに白衣を着た女性がたっているような気がした。
年上、年齢の話は女性の前では禁句。今学んだ。
「甘味処、ウエイトレス的な仕事?」
「それもやっているけどね。経営を任されちゃってるの」
「甘味処で経営……原価を抑えろーとか、こういう顧客が増えてるからメニューを新しく立案しろーだとか、そういう?」
「まさにその通り」
ビシッと指を突き立てて自信満々に言う芦花
「最近はほら、国内だけじゃなくて海外からの観光客が増えてきてね。今までの和菓子だけだと厳しくてねー。色んなことわからないからお父さんに経営関係全部丸投げされちゃったの」
なるほど、と納得してしまう。
芦花の親父さん……話した回数こそ片手で数えられる程度だが、昔からよくいる職人魂ギラっギラの人だというのはよく印象に残っている。
今の世の中、経営者一人後からじゃ運営が上手く回らないから外部にアドバイスを仰ぐ人も多いらしい。そのくらい業界によっては競争が激しい。こんな小さな田舎町でもそういった競争があるのだと、実感した瞬間だった。
「じゃあ今は休憩?それともサボり?」
「まさか。お父さんからおつかい頼まれたの。それをさっきマサ坊に渡したよ」
つまりあれも業務の一環だったというのか?
その真意を聞くには少々勇気がいりそうだ。
「にしても小春かぁ……」
「なに?」
「いや、単にちっちゃい頃すげぇ懐かれてたの覚えてるから、向こうは何も覚えてないと気が楽だなーって」
「ははーん。さては照れちゃうんだね?」
ニヤニヤと小馬鹿にした笑みを浮かべる芦花にちょっとだけイラってしたので軽く小突く。
「そんなちゃちゃ入れるなって」
「ごめんごめん。あ、ほら。ここだよ」
芦花の足は
連れて俺の足も止まる。この昔から変わってない建物を見ると、タイムスリップしたような気がする。
「どうする?なにか軽く食べてく?」
「いや、お腹は空いてないし小春の顔を少し見るだけだから」
いや、嘘。正直お腹はすいているが、残念ながら甘い物は得意な方ではない。昔どこかで食べた甘いスパゲティがトラウマとなり、以降食べられなくなってしまった過去がある。
そんな俺を知らずに、芦花は暖簾をくぐる。
しばらくして芦花より声の高い少女と思われる声が聞こえる。
が、中々店から出てこない。てっきり出てくるのかと思いきや、顔を見せない。どうしたもんかと店に近づいた時に、ぴょこりとドアの横から顔がでてきた。
「……」
「……」
双方沈黙。
ピンク色の髪を揺らす幼顔の少女──それが、小春だろうか。
声をかけようとして近づくとひょいっと隠れる。そして離れると顔を出す。
近づくと隠れ、離れると現れ、近づくと隠れ、離れると現れるを繰り返す。
子猫みたいで可愛いと思ってしまったのはヤバイ。
「……小春?」
「ひゃうっ!」
ビクリと反応して、観念したかのように出てきた少女は確かに10年前の面影を感じる。
「まさ、にぃ?」
「おう。まさにぃだ。久しぶり」
鞍馬小春。
さっきも言ったように廉太郎の妹で昔からの付き合いがある人物の一人。何故か廉太郎は嫌われているが、俺は好かれている自信がある。なんとまぁ無駄な自信。
「随分大きくなったね」
「え?そう?え、えへへ……」
俺に褒められた小春はたいそう嬉しそうにはにかんで、頬を染める。
一個下の割にはまぁ……色々ほにゃららなところはあるけれど、それが小春の魅力だろう。うん、これ以上はNGだ。
「芦花姉から聞いてたけどここでバイトしてるんだな」
「そうなの。高校生になってから始めたからまだまだ新米なんだけどね、やること多いから結構忙しいんだー」
甘味処のバイトとなると接客皿洗い掃除とかそのくらいだろうか。お菓子作りはもっぱら芦花の父さんだろうし。にしても芦花と小春がウエイトレス……2人の相違点は多々あれど、きっと人気になるだろう。
「今も?」
「まぁね。お姉ちゃんに代わってもらってるの。すぐに戻らなきゃ」
「なるほどな。今は10年振りに顔出しに来ただけだから、また後でゆっくり話そ?」
仕事の邪魔も良くない。
小春にそう告げると、若干寂しそうな顔を一瞬見せ、すぐに笑顔へと戻る。
そう言った我慢する立ち振る舞いは10年前となんにも変わっていなかった。
10年前の穂織と今の穂織。
俺たちはその10年間はお互いに空白で、それぞれの道を歩んで成長してきた。でも、俺や廉太郎、ムラサメに芦花、そして小春との絆は何一つ欠けてなくて、むしろ互いの再会を喜び合うことが出来た。
外部からは忌み嫌われる土地ではあるけれど、穂織は俺たちにとって……まぁ、出会いの酒場みたいなものだ。
出会いと別れ、そして再会が混じり合うこの町で──俺は、この先どんな道を歩くのだろうか。
こうして佳正は"叢雨丸"の所有権は失った。だけど、ただそれだけの事。まだまだ彼には、選択肢がまだある。
彼の選ぶ道は、吉と出るか凶と出るか……