間違えちゃった魔女   作:さよならフレンズ

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縄張り争い

 俺は午前四時頃、肌寒い気候の中立ち尽くす。俺が男達を焼き尽くしてから三日間が経過していた。当たり前なのだが毎日が晴れの日ばかりという訳ではない。今日の都内上空は灰色のどんよりとした雲で覆いつくされている。パラパラ、と僅かに水滴が屋根を叩く音を俺は楽しんでいた。

 俺は温かい陽光を浴びることができる晴天も好きだが、水が何もかもを洗い流してくれるような感覚がする雨の日も好きだった。天気の移り変わりに風情を感じながら、閉店している飲食店の屋根下で雨宿りをする。まばらであった雨は次第に強まっていく。衣服が濡れるのは野外生活で致命的であることは分かっており、今日は一日中雨かもしれないため流石に出歩くことができそうもなかった。

 だが拾ってきた青色の汚いバケツに水が溜まるのが楽しみであることもまちがいない。

 逃亡生活三日目にして、早くも俺はホームレス生活に順応し始めていた。

 とは言うものの、バケツに水が溜まり晴れるまでやることがないのもまた確か。

 焼き肉屋の壁にもたれながら、暇なので警察につかまるのはいつであろうかと考えてみる。

 日本の警察は案外優秀だ。一週間はもたないのではないか?

 まあ捕まるまでの僅かな間、ホームレスを精一杯楽しめれば満足であることには変わりない。何とかなる、と俺はいつも通りの楽観的な思考を崩さなかった。

 

 ひたすら待つが、雨脚は一向に弱まる気配を見せない。風も次第に強くなっていく。俺は壁にもたれかかるのをやめ、目を閉じ腕を上に持っていき軽く背筋を伸ばした。このまま、今日も何事もなく平穏な一日が始まり、終わる……。

 リラックスしながらもそう考えていた俺は、鳥の鳴き声を間直で耳にして目を開けた。

 何かと思って見下ろすとそこに居たのは何てことはない、全長50㎝程の単なるカラスだった。小さな黒い目をクリクリとさせた灰色の嘴をしたカラスは、屋根の下で雨に濡れた翼をバサバサと動かし、雨粒を振り落としているようであった。俺は膝に手を当てて少し目線を下げると、にこやかにカラスに話しかけることにした。五百円を拾って貰った縁があるし、現在路地裏で生活している俺にとっては馴染み深い鳥だ。どうせ暇だし、誰かが見ている訳でもないだろう。

 

「お前も雨宿りか、大変だな」

「……」

 

 勿論喋る訳もない。カラスは不思議そうな顔で、俺を見上げるだけだ。

 

「カア」

 

 数分間羽を乾かしていたカラスは俺に向かって一声鳴くと、雨が降っているにも関わらず再び屋根の外に旅立って行った。

 ここまでは何気ない日常の一場面でしかない。俺はニュースを見る手段がなく、人気の少ない路地裏で佇んでいたため、今全国で同時に起こっている前例がない緊急事態を知る由もなかったのだ。

 

 

 正史編纂委員会は大慌てだった。本日の午前零時から日本中のありとあらゆる鳥類が一斉に狂ったかのように暴れだし、人間を襲い始めたからだ。ハト、カラス、キツツキ、フクロウと言ったメジャーな鳥から鷹や鷲等の猛禽類、人に飼い慣らされたインコまでが人間に襲い掛かり、的確に人間の眼球を突き動きを奪った後に、喉元を突いて止めを刺す。

 まるで自分達こそが食物連鎖の頂点であるかのように鳥たちは甲高く鳴き大暴れし、人間達は屋内に入ることを余儀なくされた。自衛隊は銃器で大量の渡り鳥達を迎え撃ち、打ち落とそうとしている。

 

 地震の前触れ、というにはあまりにも不自然であった。発電所を集団で襲う、スピーカーや携帯電話を的確に壊すなど鳥たちは明らかに知性を有し始め、人間を効率的に殺戮してきている。たった数時間で日本全土は大打撃を受けていた。晴れている地域で天を覆う鳥の大軍を仰ぎ見た市民の誰かが、こう呟く。『神の裁きだ』と。正史編纂委員会に所属する呪術師全員がこの異常事態に何もできなかった。まさか四百年の間日本に全く現れていなかったというのに、まつろわぬ神がこの短期間に二柱も現れるなど誰も想像していない。前例がない故に後手に回り明確な対応策が取れず、お互いが誰にもない責任を擦り付け合い、右往左往するばかりである。

 最早文字通り神に祈るしかないという事態が続く中、都内で二つの激しい呪力がぶつかり合っている、という在野の呪術師からの報告が彼らの耳に入ったのは事件が起こってから四時間程のことだった。

 

 

 カラスが飛び立ってから十分程が過ぎただろうか、雨脚は相変わらず強いままだ。

 俺は大きく深呼吸した。雨に流され、浄化されていくかのように空気が澄んでいるのがよく分かる。俺が屋根から頭だけ出して覗き込むと、バケツに入った水はかなり溜まっている。これなら明日分くらいの水分を確保することはできそうだ。

 正に恵みの雨だと、そう感じていた俺は、呑気に明日晴れたらどうするか等と考えていたのだが……。

 

 唐突に俺の全身を、走り回りたくなるような謎の衝動が襲った。

 まるで元気ドリンクを飲んだかのように体中が熱い。俺は内から湧き出るような衝動に戸惑いを隠しきれなかった。

 

「……?」

 

 よく分からない、俺は記憶喪失の前は躁鬱にでもかかっていたのだろうか?

 しかし今までは俺は健康体であると自分では思っている。発症するにしても唐突すぎやしないか。

 当然ながら今屋根から外に出たら全身がビショ濡れになることは間違いない。

 俺は今から何かするわけでもないのに、まるで仕事前のサラリーマンのように急にやる気を出している自分の暴走している感情がさっぱり分からなかった。すると体内の無駄なエネルギーに戸惑う俺の前方から、一羽の大きな鳥が歩いてくる。

 全長一メートル程だろうか?嘴は他のカラスと比較すると大きく尖っており、足先の爪は大きく発達、そして全身は黒い毛で覆われている。

 一見単なるカラスに見えるその鳥は、俺からは大きさも相俟って『どこか今までのカラスと違う』印象を受けた。気品が溢れるカラス、とでも形容すべきだろうか……?

 清潔感のあるカラス?高級感があるカラス……?俺はこのカラスに相応しい形容詞をうまく発見できなかった。

 集中力を高めてそのカラスをよく見たのなら、雨に打たれているにも関わらず全身が全く濡れていないことに気付いたかもしれない。しかし俺はそんなことに気付かず、馴染み深い存在に再び気易く声をかけていた。

 

「お、ここら辺のカラスのボスか?お前も雨宿りするつもりか?」

「……」

 

 カラスは俺を見上げると羽ばたき始め軽く浮遊する。羽が落ちることはなく、その羽ばたきは妙に絵になるものだった。俺がボーっと眺めていると、カラスは何の予備動作もなく俺の胸部に嘴を向け凄まじい勢いで矢のように突進してくる!

 

「……!?ゲホッゲホッ」

 

 カラスが壁に衝突し、その質量に似つかわしくない凄まじい轟音が響き渡る。

 俺は右足で大きく右前方に跳躍してかわしたものの、左脇腹の肉が大きく抉られてしまった。大量の血が滝のように流れる、痛いと言うよりは熱いに近いと感じる程の損傷。俺は大きく吐血し咳き込む。口の中に血の味が広がった。

 振り向くと、俺の背後の飲食店を貫通して直径五十センチ程の大きな穴が空いている。

 流石に能天気な俺でもゾッとせざるを得なかった。もし俺が避けなければ、今頃心臓を貫かれて死んでいただろう。

 俺は命の危機に、自然と意識が『切り替わる』のを感じる。俺に危害を加えるのなら、平穏な居場所を奪うのなら、何者であっても倒すほかあるまい。

 

「たかがカラスとは言え、容赦するつもりはないぞ」

 

 俺は一時的に行方を眩ませ、視界から消えたカラスに対しどうして打ち落としてやろうかと闘志を剥き出しにしながら、僅かに心の片隅でカラスと仲良くできなかったことを残念がった。

 

(さっきのカラスみたいに一緒に雨宿りすればよかったのに……そんなに俺を追い出してここを独り占めしたかったのか)

 

 先程雨宿りをしたカラスは単なる偵察兵であったことを、青年は気づいていない。

 そして今から起こる戦闘がまつろわぬ神と言われている者との日本存亡をかけた初の戦いとなることなど、青年は微塵も思ってもいない。

 青年がこれから戦う理由は単に己の命が狙われたからであり、雨に濡れたくないためである。

 

 今青年の、カラス相手の縄張り争いで雨風を凌げる屋根を確保するための戦いが始まろうとしていた。


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