間違えちゃった魔女   作:さよならフレンズ

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第一歩

 温かい一筋の風が草木の間を通り過ぎ俺の頬をなでるように吹く。

 俺は山道を山頂へ歩きながら、額から僅かに出た汗を拭った。

 何とも言えない土と草木の香りが鼻孔を擽る。俺が踏みしめた雑草は一瞬靴の重みに屈し垂れたものの、足を離した瞬間また力強く空に向かって茎を伸ばす。

 俺は小学生程度の身長のまま東京の都心付近を離れ、群馬県に到着していた。

 以前より小さくなった体は本当に若返っているようで代謝が良く、かなり汗をかく。

 

 青年から少年へと俺の風貌は大きく変化した、最早殺人者として逃亡する必要はないだろう。それにも関わらず都心を離れた俺にはとある考えがあった。

 

(これだけの力を持つ自分が都内に居るのは、きっと良くないよな)

 

 以前のカラスとの戦いで思い知ったことだが、今の俺は端的に化け物と言って間違いないだろう。謎の力をかなり掌握した俺は、その気になれば都市一つを炎で包み込むことができる。死ぬような負傷も、体の一部を炎にして小さくしてしまえば生き残れる生命力に、雷のような速度を見切れる動体視力。明らかに普通の人間ではない。勿論今の俺にその気はないが再び他者にナイフを向けられる、暴行を加えられる等の脅威が迫った場合に自身を抑制できる自信はない。

 最悪独房の中で炎を撒き散らして罪のない看守を殺害することにもなりかねないだろう。以上のことを考えると、今の俺が東京都内にいるのは危険だと考慮し、群馬へ移動してきたのだ。

 

(これからは群馬で暮らすか。まあ、何とかなるだろう)

 

 もう、呪術云々に関しても痛々しいという言葉で目を背けることはできない。

 くよくよ考えるのは性に合わないが、大いなる力に大いなる責任が伴うのは間違いない。俺が楽観的であることと現状を正しく理解せずに悲観的にならないのは全く別のことであり、俺はその程度には分別は付いていた。

 

「……」

 

 小さくなったせいで身の丈に合っていないボロボロの汚いTシャツと、大きいズボンに幾度も足を取られそうになりながらも俺はゆっくりと山の頂に向けて歩みを進めた。

 この格好のせいで群馬にくるまでも大変だった。人目を避けながらJRを乗り継がなければならなかったのだ。群馬まで金銭が持ったのは、小銭を集めていたおかげである。孤児院に引き取ってもらうこともできない。恐らく身長が縮んでいるのは一時的なものでしかない、と俺は感覚で理解していた。

 

「何とかなる、何とか……」

 

 どんなに精神が逞しい人間であっても、限界というものは存在する。

 それが幼くなった子供の肉体に精神が引っ張られているのなら猶更だった。

 独りぼっちであり名前も戸籍もなく、訳の分からない力に振り回されている。最初に事情を詳しく知っていそうな三人は、もう殺してしまった。

 そのせいでホームレスになり、カラスの怪物と戦い、今も逃げ続けている。

 俺の歩みは、絶望的な現状を改めて整理した瞬間から徐々にゆっくりと遅くなっていった。

 鶏のような速度から次第にカタツムリのようにのろのろとしたものとなり、最後に尻もちをつく。そもそもこんな格好で登山することが無謀だったのかもしれない。

 周辺を見渡しても俺のまわりは鬱蒼とした木々に覆われており、誰も居ない。

 大人の自分とは違い森林浴を楽しむ余裕さえも今の俺にはなかった。

 

「……グスン、グスッグスッ」

 

 溜まったコップから水が溢れるように、決壊するのは早かった。

 俺はボロボロの服でペタンと地べたに座り込みながら、自然と鼻水と涙が出てくるのを抑えきれなかった。これが大人の姿のままだったのなら精神が成熟しており、平気だっただろう。だが今の幼い俺は感情をコントロールすることができなかった。貴重な水分が眼球を潤わせ、雫となって零れ落ちていく。俺が手で拭おうとしても、嗚咽と鼻水は止まることがない。情けなさと、恥ずかしさと、孤独感で俺は胸が一杯だった。

 

(子供の精神というのは、思ったより厄介だなあ)

 

 精神に引っ張られながらもどこかで冷静に考えることはできているが、つまりはこれがカラスとの戦闘で俺が失ったものなのだろう。泣きながら客観視できている自分も居るものの、感情のほうが先に限界を迎えてしまう。

 森の中で下を向き、涙を流し続ける俺は明らかに親とはぐれて迷子になって泣いている少年に見えただろう。

 そんなありさまの俺を見つけたら、放っておけない人間が居るのもまた確かで……。

 

 下を向いて泣いている俺の元に土を踏みしめ、迷いなく進んでくる何かの足音が聞こえた。動物のものではない、間違いなく人間の足音である。こんな山奥に誰だろうと思うものの、俺の直感では敵意はなさそうだと感じ取る。

 もし善良な人間であったのなら、次に俺に取る行動は大体決まっている。

 お父さんやお母さんはどこかな?とか。迷子かな?とか見れば分かることをわざわざ言ってくるのだ。

 そして俺に扶養してくれる存在が居ないと分かれば、孤児院に連れていくに違いない。

 いずれにせよいいことはないだろう……泣きながらも俺はそう予想していた。

 

 俺に近づいてきた人間は、俺の真正面に到達して立ち止まる。吐息さえ聞こえるような二人の距離で人間の取った行動は俺の予想に反したものだった。

 

「今までよく頑張ったね」

 

 ポン、と俺の頭に手がおかれる。

 女の人なのだろうか?俺の視界からは白を基調とした制服、赤いネクタイが見えるだけだ。

 風に靡いた前髪が、僅かに俺の額に当たる。そんなことも気にならず、俺は自分の嗚咽が自然と激しくなるのを感じた。

 

――そうだよ、俺は頑張った。

 

 身を護るために人を三人殺めてから今まで人と触れ合うことは殆どなく、逃げ続けてきた。

 カラスとの死闘の後もう俺は都会に戻るつもりはなく、このまま人気のない山奥で一生を終えるつもりだった。

 いつ暴発するか分からない、爆弾のような自分は他の人間と共に暮らすべきではない、そう思っていた。

 

そのはずなのに……。

 

「……グスッ」

 

 俺は涙を堪えるために鼻をすする。ただ今までの自分の努力を肯定して貰えるだけで、ここまで救われるものなのか。事情も聞くこともなく、頭を撫で続けてくれる少女に再び涙腺が崩壊するのを抑えきれなかった。

 声をかけた人物に向き直ろうとするも、拭っても拭っても流れてくる涙で視界は常にぼやけている。

 それでも目鼻の整った端正な顔立ちと、緑なす黒髪から今頭を撫でてくれている人間が美少女なのは分かった。

 

「今まであなたがとても頑張ってきたことぐらい、恵那には分かるよ」

 

 恵那というのはおそらく少女の名前だろう。俺は自分の感情をコントロールするため、自分の頬を両手で軽く叩いた。

 これ以上少女の善意に甘えるわけにはいかない。彼女とて俺の悩みを解決できる存在ではないだろう。

 それよりもこの心優しい少女を巻き込みたくない。敢えて少女を遠ざけるように俺は少女を見上げ、睨み付ける。少女は一変した俺の鋭い眼光に驚き、冷や汗を流しながらも決して後退することはなかった。

 

「ありがとう。だが恵那さんと言ったか、あなたは俺と関わらないほうがいい。あなたの想像を超える化け物がここにいるのだから」

 

 俺は淡々と突き放すことにする。気狂いの少年だと思われ立ち去るならそれでいい。

 だが少女の反応は、又しても俺の予想に反したものだった。

 

「恵那も、よく他の人達に化け物って言われるんだよね。恵那ってなんと神様をおろせるからさ」

 

 困ったかのようにどこか自嘲気味に話す少女の言葉に、目をぱちくりとさせ絶句したのは俺のほうだった。

 俺が退治したカラスのボスは凄まじい、まさしく神を連想させるような力を持っていた。もしかしてこの少女もそうなのだろうか……?

 

 考え込む俺の仕草に気が付いたのだろう。少女はにんまりと猫を連想させるような可愛らしい表情をする。

 

「私の名前は清秋院恵那って言うんだけど、恵那に事情を話してくれないかな?」

「……分かった、俺も現状を把握したい。まず呪術という単語をあなたは知っているのか?」

「うん、おっけーかな。勿論恵那は知ってるよ」

 

 例え神殺しであったとしても、人が一人で行き抜くには限界がある。

 木々が風によって揺れ動く中のこの邂逅が全ての始まりだった。

 

 神を殺し、死闘のせいで若返った青年と、神がかりを使うことができる少女。

 この二人の出会いにより、やっと神殺しは自分の周辺の情報を把握することができた。

 群馬の山奥で野垂れ死ぬはずだった少年は清秋院恵那との出会いで生きながらえ、彼の存在はゆっくりと呪術師や魔術師の間で知れ渡っていくこととなる。

 

 名前も戸籍もなかった青年が神殺しという常識外れの存在として認知され、後に世界中を揺るがせるその第一歩であった。

 




今までの主人公の言動を考えると泣くことに違和感があるかもしれませんが、完全に子供の精神に引っ張られています。

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