異なった歴史を辿った地球のドイツを召喚してしまった結果 作:やがみ0821
「連日、マスコミは大賑わいだ」
ヒトラーは溜息混じりにそう告げた。
彼の執務机に置かれた主要な新聞はどれもこれも9日前に正式発表したことを、今もなお一面で取り上げている。
しかし、それも無理はないとヒトラーとしても思う。
正直、今でも信じられない。
夢で、寝て起きたら地球に戻っているのではないか、と思うことはよくある。
だが、現実は非情だ。
とはいえ、朗報もある。
海外領土の位置が正確に分かったことだ。
それが判明したのは5日前のことで、海軍の測量艦や民間の測量船を動員し、大急ぎで護衛をつけて調査に向かわせたのは3日前のこと。
今日に至るまで、地球にはいなかった未知の魚類がちらほらと本国や海外領土の沿岸で確認されている。
この世界の特有種の調査と地球の魚介類の保護の為、漁船が取った魚介類は未知のものであれば研究所へ、既知のものであれば市場へは出さず、養殖へと回すこととなった。
おかげで各地の漁業組合からは商売にならない、何とかしてくれと陳情がきている。
政府が買い上げるという形になっているが、それでも厳しい状況だ。
また、商売にならないのは漁業組合だけではない。
他国への輸出、他国からの輸入が完全にストップしている為、RFR社をはじめとした大企業から中小企業まで、非常によろしくないことになっている。
当然、金融市場も。
とはいえ、ドイツ政府の対応は迅速だった。
「地球から異世界への転移を発表し、そして更に国家非常事態宣言、防衛準備態勢の引き上げ……そこに加えて、諸々の対策を発表したのが効いた。海外領土がついてきてくれたことは僥倖だ」
1946年時点でニューギニア、南西アフリカ、東アフリカ、カメルーン、トーゴ、サモア、青島、黒龍江省一帯、ニューカレドニアがドイツの海外領土であり、それぞれ州となっている。
このうち、ニューギニアはニューギニア島北東部及び周辺の島嶼、南西アフリカはナミビア、東アフリカはタンザニアの大陸部分であるタンガニーカ、ルワンダ、ブルンジだ。
これらはドイツの生命線と言っても過言ではない。
原油、銅、ウラン、ダイヤモンド、金、ニッケル、コバルト、錫やタングステンなどの国家に必要な天然資源の大半が、これらの海外領土で産出する為だ。
「方角的には変わらないが、距離的には近くなったのは有り難い」
例えば東アフリカ州はドイツ本国から見て大雑把に言えば南にある。
地球では本国から直線距離でも片道7000km程であったが、現在ではその3分の1程度で本国に到着することが東アフリカ州から飛び立った哨戒機により判明している。
他の海外領土も同じであり、全体的に本国に近くなっているので、輸送コストが地球の頃よりも下がるという試算が出ている。
とはいえ、それも海の安全が確認されてからだ。
当面は航空機による輸送に頼るしかなく、船便と比べると非常にコストは高くなるが、背に腹は代えられない。
他にも気候の変動が心配されている。
急に気温が下がったり上がったり、あるいは天気がおかしくなったりということは今のところはないが、油断はできない。
まだこちらの世界にきて明日でようやく10日目だ。
これから気候の急激な変動があるかもしれない。
「しかし、クワトイネか。アールヴの連中は強かだな」
ヒトラーは時計を見る。
時刻は9時30分を過ぎたところだ。
この後、10時には昨日、パーペンから連絡があったクワトイネの案件に関する協議が待っている。
昨日のうちにやることができれば良かったのだが、処理すべき国内案件が多すぎて今日になってしまった。
今回のクワトイネの案件は戦争が絡むかもしれないことから、主要な閣僚が全員出席する。
ヴェルナーも国防大臣であるので、閣僚の1人であるのだが、彼は現役軍人である為、政府からの要請がある場合にのみ閣議などに参加できる。
現役軍人が政治に関わると碌なことにならない、というのが彼の持論であり、ヒトラーをはじめ、多くの政治家達から支持を得られた為、そのように制度が整えられている。
そして、軍からは最大の懸念事項として、もしも神話に出てくるような怪物がいた場合、安全保障上、極めて重大な悪影響があるという報告が数日前に出されている。
その報告を持ってきたのはヴェルナーで、彼はヒトラーに頭を下げて言った。
予算をくれ、軍拡をさせてくれ、と。
無制限な軍拡は経済的に大問題だ。
とはいえ、何もしないというのは自殺行為でしかない。
少なくとも、地球への帰還の目処が立つか、最悪、それが叶わないならばこの世界において確固とした生存圏を確立するまでは軍備増強もやむを得ない。
「同盟国と貿易先の確保。最低限、その2つが達成できればあとは何とかなる」
同盟国は安全保障として、そして貿易先は言うまでもない。
安全が確保でき、経済が回れば国民が飢えることはない。
「外交的にはともかく、最大の問題は財務省だ」
財務大臣のクロージクを説得するのは非常に骨が折れる仕事で、他のどのような仕事もそれに比べれば些事に思えるくらいだ。
緊急事態ということで押し通すしかないとヒトラーは決めた。
「軍拡ですか? 仕方がないでしょう」
予定通りに始まった協議、ヒトラーが何気なく軍の予算について、クロージクに話を振ったところ、そんな言葉が返ってきた。
クロージクの言葉にヒトラーはヴェルナーへと視線を送る。
しかし、彼は首を傾げてみせた。
自分は何もやっていない、という意思表示だ。
「……いや、流石に私もこのような事態なら、そうするしかないと思いますよ」
ヒトラーとヴェルナーのやり取りを見て、財務省を何だと思っているんだ、という渋い表情になるクロージク。
彼に対し、ヒトラーは苦笑しつつ、告げる。
「本題に入りたい」
ヒトラーの言葉に一同は注目する。
「クワトイネの案件だが……彼らの提案をそのまま呑むかどうか、妥協点は見つけられるか、まずはそこから始めたい。なお、軍事行動により彼の国をどうこうするというのは控えたい」
ヒトラーの問題提起に外務大臣のノイラートが発言する。
「パーペンがその後も粘り強く交渉しているが、芳しくはない。国交を結ぶことはできるが、おそらくアレコレと理由をつけて、我が国をロウリアとの戦争へ引きずり込むつもりだろう。だが、見返りである彼らの持つ情報はこの世界における手がかりにはなる」
手がかりという言い回しに、出席者の全員が裏取りは必要であると理解する。
クワトイネが誠実であるという保証はどこにもない。
むしろ、彼らの言っていることは実態とは真逆かもしれない。
つまり、クワトイネがロウリアへと戦争を仕掛けようとしており、人間殲滅を目標に掲げているという可能性もありうるのだ。
「ロウリアを含む、あの大陸にある他の国家にも外交団を派遣し、状況を確かめたい、というのが外務省の意見だ。派遣の際には海軍と空軍の護衛を頼みたい」
ヒトラーが頷く。
そこへクロージクが発言する。
「財務省としては、先に言った通り、軍拡もやむを得ないと考えております。国債を発行するしかないでしょう。ただし、先の欧州戦争と同じ規模で発行できるとは思わないで頂きたい」
地球では戦後は戦中に開発された技術の特許で大きく利益を得ることができたが、この世界では下手をすれば特許の概念があるかも怪しい。
「もしも、我が国に比肩するか、上回る国家がこの世界に存在し、非常に好戦的であった場合は?」
ヴェルナーの問いかけにクロージクは苦々しい顔になる。
「基本的にはどんな国家とも外交によって解決して頂きたい。それが無理なら、非常に苦しい決断ですが、やるしかないでしょう……開戦と同時に本土侵攻がないだけマシと思うことにします」
クロージクの皮肉にヴェルナーは苦笑する。
先の欧州戦争時、フランス軍はアルデンヌの森を通り、電撃的にドイツ領内へ侵攻してきたからだ。
「国内に関してはどうか?」
ヒトラーの問いに内務大臣のヴィルヘルム・フリックが答える。
「現状では落ち着いております。暴動なども特には起こっていませんが、現在の経済的な閉塞を早期に解決しなければ、まず間違いなく最悪の事態になります」
ヒトラーは頷き、告げる。
「クワトイネとの交渉は継続するとし、あの大陸にある他の国にも外交団を派遣する」
妥当なところで纏まり、特に異論は出ない。
「経済的な閉塞を解決する為、クワトイネと貿易を行いたいが、まずは事実を確認してからだ」
ヒトラーはそう続け、更に問題を提起する。
「もしも、クワトイネ側の言い分が真実だとした場合、どこまでやるか? クワトイネへの支援……例えば軍事顧問団の派遣や武器の貸与などに留めるか、それとも我が軍が直接介入するか……」
全員の視線がヴェルナーへと向けられる。
「ロウリアとやらがどの程度の軍備であるかによる。だが、現状では陸海空軍、全てにおいて兵力が不足している。物資の集積も戦争を行うには程遠く、精々がゲリラを追いかけ回す程度にしか集積されていない」
だろうなぁ、とヒトラー達は全員が納得する。
そもそも平時において軍の予算を決めているのが政府である。
ヴェルナーは平時における予算決めの協議に呼ばれるが、前年比で減ることはないが、目に見える程に増えたこともない。
平時の軍なんてそんなものだ、とヴェルナーとしては達観していた。
ヴェルナーは言葉を続ける。
「たとえ今、この場で1000億マルクの軍事予算が決まり、戦時体制への移行が決まったとしても、どんなに早くても成果が出るには3ヶ月は掛かる」
「……何とかならないか?」
ヒトラーの問いにヴェルナーは告げる。
「現段階では陸軍や海兵隊などの地上部隊を投入することは不可能だ。そもそも現地の地形や気候など、全ての情報が不足している。未知の風土病があってもおかしくはない」
「地上部隊を投入する場合は最低、どのくらい掛かる?」
「2ヶ月から3ヶ月だ。現地の調査と物資の集積、そこから始めなければならないからな」
「空軍は?」
「すぐにでもできるが、空からの攻撃で陣地の完全破壊や敵軍の壊滅は不可能だ。勿論、それなりのダメージを与えられるだろうが」
「一応、聞くが……海軍は?」
「海軍は沿岸部しか攻撃できない。たとえミサイルを撃ち込んだとしても、現在開発段階にある巡航ミサイルでもない限り、内陸部には届かない。あと測量をしなければ沿岸部には近づけない」
「どうにかならないか?」
ヒトラーの2度目の催促にヴェルナーは溜息を吐いてみせる。
「それはどういう意味でだ?」
「今すぐにやれる手はないのか? こちらに被害が出ないもので」
「あるにはあるが、やった後の補充費用が莫大だ。だが、ロウリアが我が国と同等の防空体制であったとしても確実に打撃を与えられるだろう」
「どこに対して打撃を?」
「首都などの都市だな」
戦略爆撃か、とヒトラーらは理解し、同時に何を使うか、予想ができてしまった。
答え合わせはヴェルナーにより、すぐにできた。
「大陸間弾道ミサイルだ。ミサイルサイロにあるやつでも、車両移動式のやつでもどちらでもいい。アレは慣性航法装置という、外部からの電波などによる支援がなく、搭載するセンサーのみで目標に向かって飛んでいくようになっているからな」
長距離を飛ぶと誤差は大きくなるが、都市を狙えばどこかには当たるだろう、とヴェルナーは続ける。
「勿論、それをするにもデータは必要だ。目標の方角と距離は最低限欲しい」
「却下……と言いたいところだが、いざというときに使えないというのも困る。ところでドナウの乙女は?」
「変わらずだ」
ヒトラーの問い、ヴェルナーの返答。
その意味を理解できない者はここにはいない。
ドイツが密かに開発し、アフリカで地下実験まで済ませてあるが、その後、量産されていないものだ。
使わない、というのは政府内部の統一された決定であったが、このような全く想定されていない事態になった場合、最後の保険でもあった。
ドナウの乙女は開発計画のコードネームであったが、そのまま使っても政府や軍では問題なく通じる。
「選択肢としては現状では通常弾頭の弾道ミサイルもありうる、ということでいいか?」
「そういうことになる。とはいえ、我が軍単独である必要はないだろう。元はクワトイネの戦争だ。介入するにしても、空軍による航空支援のみに留め、占領はクワトイネに行ってもらえばいいだろう」
なるほど、とヒトラーは頷きながら、問いかける。
「直接介入しない場合の支援……軍事顧問団や武器の貸与に関してはどうだ?」
「彼らが我々のドクトリンに適応できるか疑問だ。精々が、銃の撃ち方を教えるくらいになるだろう。それでも彼らからすれば天地が引っくり返るようなものかもしれない」
ヒトラーは頷き、告げる。
「現状としては情報収集という方針は変わらない。ただ、我々はより大きく動く必要がある。なるべく多くの国に外交団を護衛付きで派遣し、空域や海域、大陸の調査を全力で行うものとする」
ヒトラーのその言葉が協議の実質的な締めくくりであった。