自分の病室に戻り、ベッドに横になる。みゆきさんほどではないのだろうけど、それなりに疲れたことは、確かだった。あの人は、大丈夫なんだろうか。
それに、フォーリーやキュウラの記憶がシュリン・ファウに戻ったと言っていた。何度呼びかけてもフォーリーからの返事がないのは、まさか、シュリン・ファウに戻ったからなのだろうか。
仮にそうだとしても、私に何も言わないで行ってしまうなんて、フォーリーらしくない、と思ってはみても、フォーリーからの返事がないのは、相変わらずなのだった。
(フォーリー、ウソだよね。フォーリーがいなくなるなんて、そんなわけないよね)
あいかわらず返事はない。
でもいま、フォーリーからの返事があったとして、私はどんな返事を期待しているのだろう。ふと、そんなことを考える。
みゆきさんは、言った。キュウラが別れを告げに来たとき、フォーリーの思いが届いたから魔法は消滅すると聞いたのだと。フォーリーは、キュウラと仲直りする日が訪れることを願い、2人の記憶を子孫に残す魔法をかけたんだ。だから、それが実現したとき、魔法の効果は消えるのだろう。それは、仕方のないことかもしれない。
ただ言えることは、それは、フォーリーのせいじゃないってこと。キュウラとの仲違いの原因などの詳しい事情は知らないけれど、フォーリーの願いが叶えられた、つまりキュウラと仲直りできた結果なのだとしたら、きっと私は、喜んで受け入れなければいけないんだと思う。フォーリーに、よかったねと、そう言うべきなんだろうな。
でも、フォーリーが応えてくれないと、それもできないんだよね。スーッと、涙がこぼれたのがわかった。
そして、眠った。
※
「止まれ!」
その瞬間、すべての音が消えた。空気の流れすらも停止した場所では、なにが起こっているのか、あるいは起ころうとしているのか、想像してみるしかない。
冷静にその場面をみれば、あるいは、その場所を中心とし、なにもかもが遠くへ飛ばされようとしていることがわかるのかもしれない。
まさに吹き飛ばされる寸前といった格好の1人の少女。なにもかもが、動きを止めた場所。しかし、その少女に駆け寄ろうとしているもう1人の少女だけは、ゆっくりとではあるが、動きを見せていた。少しずつ、その少女のもとへと近づいていく。
・・だ、ダメだよ、キュウラ・・
声? 停止した空気の流れのなかで、声が伝わるものだろうか。それは、もう1人の少女の発した声。いや、彼女の想いなのかもしれない。
・・私の話を聞いて欲しかった。私は、キュウラを助けたいって、そう思っただけなんだよ・・
そんな少女の声、想いは、キュウラに届いているのだろうか。
・・だめだ、これ以上は時間を止められない。あなたを助けられないよ。ちゃんと謝りたかったのに・・
時間を止める? それは、この少女のしたことなのだろうか。
・・そうだ、いいこと考えた。今はダメでも、いつかきっと、あなたに会って仲直りするんだ。そのための最後の魔法 きっと、2人はまた会えるよ・・
小さな光の輝き。その光が、2人を包んでいたのは、わずかの間だった。次の瞬間には、そんな小さな光の何百、何千倍もの光と、すさまじい爆発。その爆風が、なにもかも吹き飛ばし、全てを消し去ってしまったのだろう。そのあとそこには、なにもなかった。
※
『美奈、美奈・・』
え?
『私の声が聞こえますか?』
う、うん。聞こえるよ。フォーリーだよね。どこにいるの、いまどこにいるの?
『私はいま、シュリン・ファウにいます。キュウラと一緒です』
キュウラと・・
そこで、目が覚めた。いや、単に目をあけただけなのか。見えるのは、病室の天井。そして、朝の光。いや、そんなことよりも・・
(フォーリー、いるんだよね)
『いますよ』
(私、須藤みゆきって人に会ったよ。ねぇ、フォーリー)
『知っています。彼女が、キュウラの記憶が宿っていた少女です。その少女のために、1つだけお願いがあるのです』
(なに? 私にできること?)
『あなたでなくてもいいのかもしれません。でも私には、あなたにお願いするしかないのです』
(いいよ、フォーリー。OKだよ)
フォーリーのお願いが何なのか想像もつかないんだけど、それが何であれ、断るつもりはなかった。だって、フォーリーが私にお願い事をするなんて初めてのことだし、他に相手がいないことも本当だろうと思うから。
(それで、何をすればいいの?)
『私の最後の魔法に協力してほしいのです』
(最後? 最後ってどういうこと?)
『キュウラの記憶の宿主、つまり須藤みゆきさんに会ったのでしょう?』
(う、うん)
そうだ、彼女の様子を見に行かないといけない。昨日の長話が、彼女の体調に影響したかもしれないから。
『とても心苦しいのですが、私は、これを最後に美奈のもとを去ることになります。キュウラと彼女は、すでにお別れを済ませました。キュウラの最後の魔法とともに』
キュウラの最後の魔法? そう言えば、みゆきさんがそんなことを言っていた。最後の魔法を残して、シュリン・ファウに戻ったのだと。そのとき、フォーリーも一緒だって言ってたと思うんだけど、フォーリーはまだこっちにいたんだろうか。
(つまりフォーリーは、私とお別れしに来たんだね)
『あなたと別れたくはなかったのですが、こういう結果となってしまいました』
(でも、最後に、私に会いにきてくれたんだよね)
『私は、私の最後の魔法とともに、あなたのもとを去ります。本当は、その魔法であなたのために、なにかしてあげたかったのだけれど』
(私のことはいいんだよ。それよりもさ)
『なんです?』
(フォーリーは、ずっと願っていたんでしょ。そのキュウラと会えたんだよね。そして仲直りできたんだよね。いま、一緒にいるんだよね)
『そうです。シュリン・ファウのミューナの里に・・ 姉妹仲良く、一緒にいます』
(よかったね、フォーリー)
『喜んでくれるのですか?』
(もちろんだよ。フォーリーの願いがかなったのなら、私は、喜んで見送ってあげる)
『ありがとう。でも考えてみれば、あなたには、何もしてあげることができませんでしたね』
(そんなことないよ。私はフォーリーと一緒にいれてよかったと思ってる。それって、すごいことなんだよ)
『美奈・・』
(でもさ、最後に1つだけわがまま聞いてもらうからね)
『わがまま、ですか』
(うん。みゆきさんに聞いたんだけど、フォーリーは治癒の魔法ができるんだってね)
それは、昨日のみゆきさんとの会話のなかで出てきたことだった。キュウラが、フォーリーならばみゆきさんの病気を治すことができた、と言っていたと。
『できますよ、一生懸命に勉強しましたから。でも、それが・・』
(わがままっていうのはさ、フォーリーが最後に魔法を使うのなら、その魔法をおねだりしたいんだ)
『治癒の魔法を、ですか?』
(うん。みゆきさんの病気を治して欲しいの。彼女、小さいときからずっと病気で苦しんできたんだよ。私と会ったときだって、苦しそうだったし)
『いいのですか、私の最後の魔法なのですよ。それを別の人のために使ってもいいのですか?』
(いいんだ。私は、おかげで健康だし、友だちもたくさんいるし、不自由はないもん。フォーリーがいなくなっても、きっと頑張っていけると思うんだ。でもみゆきさんは、どうかな? きっと話し相手のキュウラがいなくなって、寂しい想いをすると思う。だからさ、せめて健康な身体にしてあげたいんだ)
それは、私の本心だ。キュウラとフォーリーがシュリン・ファウに戻ってしまうことに、もはや、反対するつもりはない。もちろん、生まれてからずっと一緒にいたフォーリーがいなくなることに、寂しさを感じないわけじゃない。できることなら、引きとめたい。でもフォーリーのことを考えたとき、この結果が一番いいことは明らかなんだ。私には、反対なんてできないよ。
それに、みゆきさんだ。私には、フェリシアの仲間がいる。星城高校にも、森山沙希さんという友だちができたけれど、須藤みゆきさんは、どうなのだろうか。昨日の話からいけば、キュウラを失った彼女の痛手は、私なんかとは比べものにならないと思うんだ。だから、わがまま言わせてよ。ね、フォーリー・・
『美奈・・』
(お願い、彼女を治してあげて)
『私は、あなたと一緒にいれてよかったと思います。いま、心の底からそう思っています。ミューナ一族の誇りとして、あなたのことは、ずっと忘れません』
(誇りとか、そんなのどうでもいいけど、私も、フォーリーのことは忘れないよ。で、私はどうすればいい? 何か手伝える?)
『あなたから、少しだけ分けてほしいものがあります。私の方から、そのことをお願いするつもりだったのですよ』
(え?)
『いま、ベッドに寝ていますね?』
(う、うん)
そう言えば、朝、起きたままだ。そのまま目は開けているけれど、横になったまま。
『そのまま寝ていてください。あなたの体調に影響しますから』
(どういうこと?)
『あなたの生命の力を取り出し、彼女に渡すのです。本来ならば、体調に影響のない程度、ごくごく少量で済むのですが、今の私では、そうはいかないのです。結果、どれだけの量をあなたから取り出してしまうのか、予想もできません。おそらく、たくさんの生命をわけてもらうことになるでしょう』
(いいよ、それで)
『いいのですか?』
(うん、だってその分、彼女が元気になるってことでしょ。だったら、何も不満はなし。すぐにやって)
『本当にいいのですか?』
(ほんとに、いいよ。さぁ、早く。みゆきさん、いまも苦しんでるかもしれないから)
『あなたの世界の医療技術がどの程度のものか、あなたの生命力がどれほどのものか、私にはわかりません。もしかすると、あなたの大好きなバスケットボールはできなくなるかもしれないんですよ』
その一言には、さすがにすぐ返事ができなかった。フェリシア学園に戻って、また京ちゃんや聡子、由香、真美とバスケットをしたいのは、確かだから。でも、それと比べられるようなことじゃないんだよね。
(フォーリー、もう何もいわなくていい。私の気持ちは変わらないよ。それにこれは、私のわがままなんだから)
『わかりました。では・・』
(まって、最後に一言だけ)
『なんでしょう』
(ありがとう、フォーリー。私なんかと一緒にいてくれて)
『それは、私の言う言葉です』
ゆっくりと目を閉じた美奈。そのとき美奈がつぶやいた言葉は、フォーリーに届いただろうか。『また会えるよね』といった、その言葉は・・・
※
コンコン...
ノックの音がする。看護婦さんだったら、返事も待たずにドアが開くはずだけど、開く様子はない。そしてまた、ノックの音が。
「どうぞ」
これが自分の声だとは、とても思えない弱々しさ。でも、ずいぶんマシになってきたとは思うんだけどな。
ドアが開き、顔を見せたのは、神野真美だった。
「いま、よろしいですか?」
「う、うん。椅子があるからさ、そこに座ったらいいよ」
私は、懸命に身体を起こそうとするのだが、なかなかうまくいかない。腹筋のせいなのか、それとも背筋か、あるいは手の力が足りないのか。とにかく、身体のバランスがとれていない感じだった。
「美奈、手伝いましょうか?」
「ううん、いいよ。もう大丈夫だから」
ようやく身体を起こしたところで、ふと思いだしたのは、私が初めて須藤みゆきさんの病室を訪ねたときのことだった。あのとき、みゆきさんが、ようやく身体を起こした様子と、今の私が、同じように思えた。
真美は、ベッドの横に椅子を寄せ、そこに座った。私や聡子なんかと違って、その仕草はとてもおだやかで、上品な感じだ。
神野真美。彼女とは、フェリシア学園の初等教育科、つまり小学校の4年生のときからのつきあいだ。そのとき、彼女と初めて同じクラスになったんだ。
その頃の私は、聡子と京ちゃん、それに永井由佳とは大の仲良しで、いつも一緒にいた。真美のほうはといえば、1人で静かに本を読んでいたり、予習などしたりしていたように思う。
よく言えば明るく元気な子である私と、おとなしくて控えめな真美。フェリシア学園では、そんな両極端ともいえる2人のどちらが、よりよい評価を受けるのかといえば、答えはあきらかなんだ。ときには問題を起こしたりする私より、真美のほうが、先生方の評価は高い。
佐伯は、神野をよく見習いなさい・・
いったい、何度言われたことだろう。そんなことが続くうち、真美のことを意識するようになったのかもしれないけれど。
「具合はどうですか?」
「これでも、ずいぶん良くなったんだよ。真美には、信じられないかもしれないけどさ」
「そうですね、水野さんの報告とはずいぶん違うので、戸惑っています」
「ごめんね、10日したらフェシリアに戻るなんて聡子に言ったのに、その約束は守れないかもしれない」
水野さんとは、つまり聡子のことだ。真美は、誰であろうと、その名字をさん付けして呼ぶんだ。なぜ私だけが例外なのかについては、真美がその訳を話さないため、誰も知らないんだ。
それはともかく、聡子がお昼から学校をさぼってお見舞いに来てくれた日の私は、少しの疲れというか、だるさを感じていただけ。筋肉痛のような痛みもあったけど、元気だった。それが、たった3日前のことなのだ。なのになぜこうなってしまったのか、真美には不思議だろう。
でも、理由はわかってるんだよ。これは、私がフォーリーにお願いしたことなんだ。私の生命力を、みゆきさんにわけた結果なんだよ、真美。
「美奈のお母さまから、詳しいご報告はいただいてますし、実はさきほど、お医者さまにもお会いして、容態は伺っています。そのことは、気にしないで下さい」
「うん。でも、聡子は怒るんだろうな」
お医者さまの診断では、とくに筋力の消耗がはげしいのだそうだ。内臓の機能低下もみられるそうで、まずは体力をつけ、身体の機能を回復させていく必要があるとのこと。少しずつ動き、筋力を回復させていかねばならない。でも、必ず元通りになれるよと、そう言って下さった。それを、そのまま、母を通じてフェリシア学園に連絡してもらっている。ちなみにフェリシア学園からは、登校するのは退院後でかまわないということで了承いただいている。
ところで須藤みゆきさんのほうは、めにみえてよくなったそうだ。看護婦さんにお願いして彼女の様子を知らせてもらったのだが、順調に回復しているらしい。その際、みゆきさんから、今度は私があなたのところにお見舞いに行くから、という伝言をもらっている。そのとき、ゆっくり話しましょう、と。
ただ、その伝言が看護婦さんを通じてのものだったので、当然、看護婦さんからマークされることになり、そのお見舞いは、まだ実現していない。でも、もうすぐだと思う。
「そういえば、お聞きになりましたか?」
「なにを?」
「星城高校の、例のグループのことです。今朝ほどから、新聞などで大きなニュースになっていますよ」
「知ってるよ。それがキュウラの最後の魔法のおかげだってことも」
「え?」
「ううん、なんでもない。昨日の夕方、星城高校の友だちがお見舞いに来てくれたとき、教えてくれたんだ。その人のお父さんが刑事さんなんだよ」
あわてて、ごまかしたけど、さすがに真美はけげんな顔をしていた。ごめんね、真美。たぶん説明しても、魔法のこととかは理解してはもらえないと思うんだ。
「とにかく、解決してよかった。これで和子の悔しさも、少しははれたかなって思う」
「きっと、川原さんも喜んでいるんじゃないでしょうか。私は、そう思いますよ」
「そうかな」
「それに、美奈が危険な目にあうこともなくなったわけですし」
真美の言葉に、にっこりとほほえみを返す私。ちゃんと笑えているかどうか不安はあるけれど、真美は、いつもと変わらぬ顔で私を見ているから、大丈夫なんだろうな。
フォーリーの最後の魔法は、私の生命力をみゆきさんに分けるというもの。フォーリーは、魔法が不完全なため、私の身体には大きなダメージが残るって言っていた。そして、そのとおりになったんだけど、でも頑張れば回復するんだから、気にしてない。
それより問題は、キュウラの最後の魔法のことなんだ。
いまの段階では、想像するしかないんだけど、おそらくは、三村良介さんを自首させるための魔法だったと思うんだ。
三村良介さんは、これまで自分がしてきたこと、そしてその周囲の人たちがしてきたことを、全て警察に白状したのだという。結果、中居先生も含めた6人が逮捕されるらしいけど、それはきっと、キュウラの最後の魔法のおかげなんだ。
私は、そう思っていた。彼の自首によって、事件は解決。和子のことにも一応の決着がついたことになる。そして私は、星城を退学しフェリシア学園に戻るわけだけど、でも、事件のことは忘れても、和子のことだけは一生忘れることはないだろう。
やっぱり悲しすぎる結果だよ。ねぇ、和子・・
「と、ところでさ、真美」
「なんでしょう?」
「まさかとは思うんだけど、今、お昼すぎだよね。学校は、どうしたの?」
「ああ、そのことですか」
もしかすると、聡子のように学校をさぼってお見舞いに来てくれたのだろうか。まさか真美が、そんなことをするとは思えないんだけど。
「いわゆる、エスケープというものです」
「ほ、ほんとに!」
「ええ。美奈は、私にいろいろな経験をさせてくれますよね」
ほんとうなのだろうか。真美は、フェリシア学園始まって以来とまで言われるほど、優秀な生徒として、評価は高い。先生方に、言葉遣いやしぐさのすべてが、そのままお手本になる、とまで言わせた彼女。
そんな彼女に、バスケットボールをやらせた私。そして、何度か反省文の提出を伴うようなことにも巻き込んでしまった。私なんかと出会わなければ、ただの1度も先生方から注意を受けることなく、もちろん1枚の反省文すら提出することもなく、ナンバーワンの成績で卒業したんだろうなと思う。
「ごめんね、真美。私のために、そんなことまでさせちゃって」
「いいえ、そういう意味ではありません」
「え?」
「美奈は、私が迷惑していると受け取ったのかもしれませんが、そうではないのです」
「真美・・」
「むしろ私は、感謝しているんです。あのとき、美奈に会わなかったら、私の学園生活は、とてもつまらないものになっていたと思うんです。出会いって、不思議ですよね」
なんと返事をしたらいいのかわからず、ただ、息苦しさに深呼吸をしているだけの私。真美が言葉を続ける。
「美奈のおかげなんですよ。美奈と会っていなかったら、たぶん今も一人ぼっちだったはずです。なのに、他にも3人のお友だちができました。そのお礼がいいたくて、来たんです。今なら、誰にもじゃまされずに美奈とおはなしができるんだと思ったら我慢できなくて、美奈の体調のことも考えず、来てしまいました」
「で、でも、ちゃんと先生には言ってきたんだよね?」
「いいえ、誰にも内緒で来ました。だって、必ず引き留められますから。そうなれば、それを無視するだけの勇気は、まだ私にはありません」
「で、でも・・」
「美奈、覚えていますか?」
あのね、真美。勇気がないって言うけど、誰にも内緒で学校を抜け出すなんて、すごい勇気だと思うよ。あ、そうか! 真美は自宅から通っているから、学校を欠席しただけなのか。とすれば、そんなに大きな問題にはならないのかもしれないな。
その真美の表情は、とてもおだやかなものに感じられた。
「どんな学校でも、どんなところでも、仲良しのグループはできるものだと思います。でも私は、どのグループにも入れなかった。入れてもらえなかった・・」
「4年生のときのことだね」
「はい。美奈は、水野さんや鴨居さんたちといつも一緒でしたから、教室の片隅で、ただ本など読んでいるだけの私など、相手にする必要はなかったと思うんです」
「そんなことないよ」
「ましてや、一部の人たちからいじめられるようになった私なんか、無視して当然・・」
4年生になったばかりの、たぶん4月の終わり頃だったと思う。どういうきっかけだったかは今もって私にはわからないのだが、真美の言葉遣いや態度、いつも静かに読書している姿、予習を欠かさない姿勢など、先生方にはとても好評なそれが、クラスメートたちの反感を買ったんだ。
たぶん先生方から、真美の言葉遣いやしぐさのすべてがお手本なのだから、よく見習うように、と言われ始めたことで、彼女の日頃のおこないというのが、疎ましく感じられたんだろうなと思う。なんとか、真美の落ち着いた態度と、その丁寧な言葉遣いを崩してやろう、そして先生方の人気を失墜させる・・ 真美へのいじめは、こんなつまらないことで始まったんだと思う。
「その頃、私が毎日、どんなことを考えていたか、美奈にはわかりますか?」
「わかんないけど、でも、よくがまんしてたよね」
そう、真美はがまんしていたんだ。表面上、いつもと変わらぬ真美だったから、私はそんないじめがあるなんて、気づかなかった。でも、真美の読む本が汚れているのをみて、おかしいなって思ったんだ。あの真美が、本を汚すなんて変だ。
真美は、誰かに汚されてしまった本を、その汚れを丁寧に拭ってから、読んでいたのだ。
いじめに気づいた私は、怒った。後々、真美や京ちゃんたちに聞いたところでは、それこそ、鬼のような顔ですさまじく怒ったらしい。騒ぎに気づいた先生方にさえ、ありとあらゆる非難の言葉を浴びせた私の反省文の提出を経て、真美へのいじめは、終息に向かった。
「あの頃、早く5年生になりたいって、毎日、そう思っていました」
「5年生に?」
「はい。そのときクラス替えが行われますから、坂下さんたちと違うクラスになれば大丈夫だと、そんなことばかり考えていたんです」
「そうだったの」
坂下さんとは、4年生のときのクラスメート。真美をいじめていたグループの中心的な場所にいた人だ。
「でも、あの日以来、私の思いは変わったんです。ずっと4年生でいたい、と思うようになりました」
「どうして?」
「先ほども言いましたが、5年生になるとき、クラス替えが行われるからです」
いつか言ったかと思うけど、フェリシア学園では、学年があがるたび、必ずクラス替えが行われるのだ。
「美奈と、別のクラスになりたくなかったんです」
「あ、でも5年のときは別のクラスだったよね」
「はい。でも、美奈にバスケット部に誘ってもらえましたから」
「そうか、真美がバスケット部に入ったのは、5年生になるときだったね」
「ええ。あの頃は、運動量に身体がついていかなくて、大変でしたけど」
「あ、もしかして真美。今まで聞いたことなかったけど、バスケット部に誘ったのって、迷惑だった?」
「ち、違います。そんなことは、絶対にありません。私、とても嬉しかったんです」
「よかった・・」
今の真美の表情からすれは、それは本心のようだ。とりあえず、ほっとしたところで、私は、大きく息をはく。やはり、長話は体調にひびくようだ。
真美が、私を気遣って、ベッドに寝かせてくれた。たしかに、身体を起こしているよりはこのほうが楽なんだけど、でも、真美がいるのにいいのかな?
「美奈、私の心の中には、美奈がいるんですよ」
「え!」
その言葉には、ドキッとさせられる。私の中にフォーリーがいたこと、そのことを思い出させてくれるからなんだけど、でも真美が、どうしてそんなことを言い出したのかは、わからない。ただ、真美のほうを見ているだけの私。
「美奈には言ってませんでしたが、5年生になって、同じ教室に美奈がいなくなると、何人かは、ふたたび私に辛くあたるようになっていました」
「そうだったんだ」
「はい。でも、私は大丈夫でした。なぜなら・・」
「私が、心の中にいたから?」
「そうです。私はいつも美奈と一緒でした。美奈は、いつも励ましてくれました。『まけないで』『真美なら大丈夫だよ』とか、『笑ってよ』『ちゃんと顔を上げて』『いつも見てるよ』 そんなことを言ってくれるんです」
何も、返事ができず、ただ真美の顔を見ていた。なんだか、私がフォーリーに頼っていたのと同じような感じを受ける。フォーリーは、立派に私の支えだったけど、こんな私が、真美の支えになれていたんだろうか。ちょっと疑問だ。でも、真美は・・
「あのとき美奈がいなかったらと思うと、いまでも、恐くなるときがあるんです」
「恐い?」
「はい。私は、私のままでいられたのか、自信がないからです。もしかすると、この世に・・」
「真美!」
「は、はい」
思わず、大きな声が出た。と同時に、軽く咳き込んでしまう私。真美が何を言おうとしたのかくらいは、想像がつくんだ。でも、そんなことを言わせたくなかったから、あせってしまったみたいだ。真美は、そんな私を落ち着かせ、肩まで布団を掛けてくれた。
「大丈夫ですか?」
「うん、平気だよ」
「少し眠ったほうがいいですよ」
「そうだね」
そのとき、本当に眠かったのかどうかは、わからない。でも、真美の言葉のとおりに目を閉じたら、すぐに眠気が襲ってきた。寝ちゃうのかな・・ 真美が来てるのに、寝ちゃっていいのかな?
「美奈、子守歌がわりに聞いて下さい」
私は、コクッと頷いただけ。真美の声が、遠くに感じられる。だんだんと小さくなっていく・・
真美は、何を話しているのだろう。眠り込んでしまう、そのとき。ねぼけ頭に、割り込んでくるのは、もちろん真美の声。え? でもこの声って・・ この感じは・・
まるで、フォーリーみたいだ・・
※
目を開けたとき、すでに消灯時間を過ぎているのか、病室のなかは、暗かった。真美は、私が寝ている間に帰ってしまったのだろう。悪いことをしたな。
ゆっくりと、身体を起こす。この動作には慣れてしまったのか、昼間ほどには、辛くはないみたい。それとも、私の身体が回復してきたのかな?
そのとき、コンコンと、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
消灯時間を過ぎているはずだから、断ったほうがいいのかもしれない。寝たふりをしていればよかったんだろうけど、私は、そう返事をしていた。
ドアが開く。
「いいかしら?」
「みゆきさん!」
ドアを開けたのは、須藤みゆきさんだった。彼女はすばやくドアを閉め、私のベッドのそばへとやってくる。
「ごめんなさいね、夜中に」
「いいえ、いいんです」
彼女の使った夜中という言葉に、無意識に視線が動く。壁に掛けられた時計は、11時半を少し過ぎたところだ。
「昼間に来ようとしたんだけど、看護婦さんがいい顔しないでしょ。それに、誰か来てたみたいだったから」
きっと真美のことだろう。私は、うなづいた。
「私ね、すごく元気になったの。身体に力が入るし、息苦しくなんかないし、数日したら退院できるだろうって、そう言われたの」
「そうですか、よかったですね」
みゆきさんは、うれしそう・・ なのだろうか? 当然そうだと思ったのに、実際の彼女の表情は、簡単には表現できない複雑なものに思えた。
「あの、どうかしたんですか?」
「どうして、こんなに急に元気になったんだろうって、そんなことを考えてたの」
「え?」
「そしてあなたは、おなじときに体調を悪くした。答えは明らか、あなたのおかげなんでしょ?」
私がそんなことをできるはずがない。つまり、フォーリーの魔法のことを言ってるんだろう。でもそれを、みゆきさんに素直に伝えて良いものか、悩むところだ。
「キュウラたちは、シュリン・ファウに戻っていった。そのとき、フォーリーも1つだけ魔法を使ったはずなんだけど」
「えっと、それは」
「あなたは、もちろんフォーリーの最後の魔法がなんなのか、知ってるのよね」
「はい、それは知ってますけど」
「教えて」
ここで、改めて考える。教えた場合と、そうしなかった場合の、それぞれを。でも、じっくりと考えている時間なんて、ない。即断即決する必要があった。私は、教えないことを選択した。
「フォーリーとの約束なんです。教えられません」
そんな約束なんて、していない。でもフォーリーは、このウソを許してくれるだろう。だって、言わない方がいいと思ったんだ。きっとそのほうがいいんだ。ね、そうだよね、フォーリー。
「だったら無理には聞かないわ。でもね、キュウラの最後の魔法のことは、聞いてもらうわよ」
「はい」
それは、望むところだった。きっと三村良介さんが自首したことに関係しているはずなんだ。その結果、和子を追いつめた人たちが逮捕され、法の裁きを受けることになった。少しでも、和子の無念をはらすことができたんだ。
「三村良介のことは、知ってる?」
「はい。会って話をしたことがあります」
「じゃあ、彼が売春グループに関係していたことは?」
返事はせずに、うなづくだけ。彼が間違いなく関係していることはわかっていても、どの程度の関与なのかは不明だからだ。
「彼は、なぜあんなことをしたんだと思う? そんなこと考えてみた?」
「い、いいえ。そこまでは」
「私のせいなの。私が彼に頼んだのよ」
「そ、そんな」
まさか、まさかそんなことが・・ 信じられなかった。唖然とする私に、みゆきさんは、なおも衝撃的な言葉をつづっていく。
「私、身体が弱いでしょ。走ることはもちろんだし、満足に歩けやしない。他の同世代の女の子たちは、キレイな服を着て、楽しそうに街中を駆け回っているのに、私はいつも、ベッドに寝たまま。この不公平さはいったいなに!?」
「・・・」
「だから、彼にお願いしたの。周りにいる女の子たちを不幸にしてって」
私は、みゆきさんを見ていた。言葉は強い調子なんだけど、でもその顔、その表情がとても悲しそうなのはなぜだろう。つらそうなのはなぜだろう。
「わかったでしょ。私はそんな女なのよ。フォーリーの最後の魔法で、病気を治してもらう価値なんてない女なのよ。なのにどうして、そんなことをしたの? あなたはなぜ止めなかったの? 自分を犠牲にしてまで、どうしてそんなことができるの?」
「みゆきさん、私はあなたがそんな人だなんて思いません。だから、後悔なんてしてません」
「ウソよ」
「ほんとうです」
部屋のなかが薄暗いのでよくはわからないんだけど、みゆきさんの目には涙がにじんでいるような気がする。それがまぶたにたまっているような・・
「息苦しいんでしょう? 身体が満足に動かせなくてもどかしいでしょ? 私のためにそんな目にあったのに、それでも、私をいい人だって言うの?」
「そうです。信用します。だって、みゆきさんが本当にひどい人なんだとしたら、私の身体に影響がある魔法を、フォーリーがあなたのために使うはずないと思うから。それに、わざわざこうして会いに来てはくれないと思うから」
自分が言ったことの全てを、素直に納得できているわけじゃない。ひっかかりというか、まだ1つだけ、疑問が残っていることもあるし。でも、みゆきさんが、自分で言ったような悪い人ではないことだけは、わかるつもりだ。星城での事件は自分が三村良介に依頼したのだと言っているが、本当にそうなのか。そこには、何か理由があるのではないか。
みゆきさんは、なにごとか懸命に考えているようだ。そして私も。
「バッカじゃないの。信じらんないわ。いったい何を考えてるの? 私には理解できないわ」
「みゆきさん・・」
「だって、そうでしょう? キュウラはフォーリーに裏切られ、絶望しながら死んだのよ。なのに、キュウラがフォーリーを許すはずがない。きっと、その理由がこれなのよ」
「理由?」
「キュウラへのお詫びのつもりだってこと。私を元気にすることで、フォーリーはキュウラに許してもらったのよ」
そうなのだろうか。あのフォーリーがそんなことをするだろうか。
みゆきさんは知っているようだが、私はキュウラとフォーリーが仲違いした原因を知らない。フォーリーは、そのことを私に話してはくれなかった。せめて、そのいきさつを知っていればみゆきさんに何か言えたんだろうけど、今の私は、ただ黙っているしかなかった。
「そうでなきゃ、私を残してシュリン・ファウに戻るはずないのよ。仮に戻るにせよ、絶対にフォーリーなんかと一緒に戻ったりしないわ」
「でもみゆきさん、私は、良かったと思っています」
「良かった、ですって?」
「はい。フォーリーは、シュリン・ファウのミューナの里に姉妹仲良く、一緒にいるって言いました。姉妹仲良く・・ キュウラとフォーリーは仲直りできたんです。私は・・」
みゆきさんの顔。その表情は、とても悲しそうに見えた。強い調子の言葉と、怒ったような顔。でも、その目は、悲しそうだった。
「私は、キュウラが死んだときの事情は知りません。フォーリーが裏切ったなんて信じられません」
「私がウソを言ってるっていうの?」
「いいえ。でも、何か事情があったと思うんです。フォーリーが、2人の記憶を私たちに残したのはなぜだと思いますか?」
「知らないわよ、そんなこと」
「そこまでして、伝えたい事情があったんだと思います。どこかに誤解があったんだと思うんです」
「・・・」
みゆきさんは、何も言わずに私のほうを見ていた。表情は、少しこわばっているみたいだ。私は、言葉を続ける。
「そしていま、誤解は、きっと解けたんです」
「・・・」
「フォーリーの想いは伝わったんです。だから2人は、仲直りできた。私は、とてもすてきなことだと思うんです」
「・・・」
「みゆきさん、私たち、どこかちょっとだけ誤解してるところがあるんじゃないでしょうか。それが解決すれば、私たちだって、きっと仲良くなれると思います」
こわばったみゆきさんの表情から、すっと力が抜けたみたいだ。そして、ちょっぴり笑みを見せてくれたのだが、聞こえてきたのは、私の期待した言葉ではなかった。
「仲良くなんて、なれないわ。する気もない。だって私は、もうすぐ退院するんだもの」
キッと、私をにらみつけるみゆきさん。垣間見せてくれていた笑顔も、消えた。
「最後に1つだけ、言っておくわ。三村良介は私のふたごの兄なのよ」
「ま、まさかそんなこと・・」
「本当よ。家庭の事情で、別々の家に引き取られて育ったから名字は違うけど、私たちはふたご。だから彼も、キュウラの意識はともかく、知識の一部を受け継ぐことができたんだと思う」
なるほど、そういうことだったのか。私のなかに残っていた、大きな疑問。それが、このことだった。フォーリーは、キュウラの記憶は女の子にしか宿ることはないと言っていたけど、一緒に生まれたふたごだったら、可能性はあるんだろう。だから、魔法も使えたわけか。
「あの、三村さんは今も・・」
「魔法のことなら、彼も、そして私もあなたも、もう使えないわ。キュウラがそうするって言ってたから。最後の魔法は、私たちの魔法の力の全てを燃やし尽くし、消滅させることでもあったのよ」
「なるほど、そうだったんですか」
そこで、みゆきさんはくるりと身体の向きを変え、ドアのほうを向いた。そして。
「ごめんなさい。三村良介がしたこと、謝っておくわ」
「え?」
「彼が、魔法の力でしたこと。あなたに迷惑かけたこと、キュウラから聞いた。お詫びの言葉もないわ」
「みゆきさん」
「ほんとは私、彼に頼みごとなんかしてないよ。幼いときに別々の家に引き取られてから、会ったこともないしね」
「だったら、なぜ」
「なぜ、あんなこと言ったのか・・ さあ、なぜかしらね」
周囲の女性たちを不幸にしてくれと、そう三村良介に頼んだりはしていない。背を向けたままで、みゆきさんはそう言った。たぶん、それが事実だろう。ではなぜ、彼はあんなことをしたのだろう。これは想像だけど、みゆきさんは、その理由に心当たりがあるのではないか。
「でも、許されるなんて思ってないよ。あなたの大切な友だちが死んだんですものね」
「みゆきさん」
「ごめんなさい、もう、帰るわ。きっともう、あなたと会うことないんだろうけど」
引き留める言葉は、いろいろとあるだろう。でも、何も言えなかった。体調のこともあるけれど、何より頭の中が混乱していた。あれこれと、思うことがありすぎた。和子のことは、きっとキュウラを通して知ったのだろう。
みゆきさんは、私と会うことはないと言い残して、病室を出ていった。そのみゆきさんを、追いかけていくことすらできない私。
(そうか、そういうことなんだね、フォーリー)
フォーリーとキュウラの時代から私まで、どれだけの年月を経てきたのかは知らない。フォーリーとキュウラの記憶は、きっと何人もの人を経て、私とみゆきさんのもとにたどり着いたんだと思う。そしてめぐりあった2人は、互いの想いを告げ、誤解をとき、元の姉妹に戻った。
フォーリーの想い、キュウラの想い・・ みゆきさんの怒ったような顔のなかにあった、悲しそうな目。そして、私。
みゆきさんは、会うことはないと言った。でもきっとまた、会えるだろう。