バスケットボールの夏の大会が、近づいていた。
私がいま目標としているのは、この全国大会への出場権を得ること。和子が送ってくれた手紙と、日記にも似たノート。それらをじっくりと、何日もかけて読んで出した結論だ。
もちろんそれは、最終目標に向かうための第一段階でしかないんだけど、でもそこからはじめようと、私はそう考えたんだ。
和子がくれた手紙は、もちろん和子のお母さんにも見せた。その内容を警察にも相談したんだけど、はっきりした証拠がないことが、致命的だった。相手の具体的な名前がなかったこともあり、たぶん警察は、積極的に動くようなことはしないのだろう。
でも、1人の刑事さんがそっと耳打ちしてくれた。少しずつ調べていくからと。必ず犯人は捕まえてみせるからと。
私は、その刑事さんの言葉を信じ、ひとまず夏の大会に専念することにしたのだ。そして、全国大会に出場し、和子の願いを実現させることに取り組んだ。
和子の願い・・ 和子は私への最後の手紙に書いていた。全国大会に出場して、湊山中学のチームメイトに会ったら、胸を張って言うのだと。『私の友だちは、こんなにステキなんだ。私のやりたかったバスケットは、これなんだ』って。
相手には、なんのことかわからないかもしれない。それでも、いい。そう言ってやりたいんだ。
実は今、その目標の実現まで、あと1勝というところまできていた。
でも、最後の相手は、最強・最大の難関。つまり、決勝の相手は、聖フェリシア学園高等部なんだよね。
「美奈ぁ、美奈、美奈ぁ!」
ほら、あの声。たぶん今、フェリシア学園バスケット部の実質的リーダー役をやっているはずの鴨居京子、通称、京ちゃんは、元気いっぱいのようだ。
決勝戦の開始およそ30分前。私は、コートのかたわらで、フェリシアのチームメイトたちと再会した。
「元気だった? 病気とかしなかった?」
「うん、大丈夫だよ。由香と真美も、元気そうだね」
「ねえねえ、私の名前、忘れてないよね」
「うん、聡子。少し背、伸びた?」
「残念でしたぁ、伸びてませんよぉだ。でも、胸は美奈よりは大きくなったでしょ」
変わってない、変わってないよ、この人たちは。みんな明るくて、元気で。
「ねえねえ、ウルトラセブンは? 一緒の学校になったんでしょ、いないの?」
「うん、今日はちょっとね」
「なんだ、会えるの楽しみにしてたのに。まさか、バスケ辞めちゃったの? 試合、出てないよね」
「まあね」
辞めたんじゃない、死んだんだよ。でも、そのことを京ちゃんたちに言うわけにはいかないんだ。
「でも、さすがに美奈だよねぇ」
「ホントですよね」
「なにが?」
「美奈が星城に行ってから、星城ってどんなところだろうって、これでも、いろいろと情報集めたんだよ」
「そんなことしてたんだ」
「うん。やっぱり気になってたし。でさ、怒んないでよ、星城のバスケット部ってさ、やっぱりレベルは低いんだよね」
「そうそう、それが美奈が入っただけでいきなり県大会の決勝。これはもう、美奈の実力の証明だよね」
「そんなことないよ」
ありがとう、みんな。でも、なんとかここまで勝ち抜いてこれたけど、これでいっぱいいっぱいだよ。みんなの実力はよく知ってる。どう考えても勝てるはずがないんだ。話題を変えよう・・
「ねえ、フェリシアの連勝記録ってまだつづいてるんでしょ?」
「うん。今147試合、でも今日で終わるんだよね」
「え!」
まさか、まさか京ちゃんたちは、和子のことを知っている? それに、私がやろうとしていることも気づいてるってこと?
「今日の試合、美奈が勝てば私たちが負けるんだし、私たちが勝っても美奈が負けることになるじゃない。どっちかが負けるんだから、それで連勝記録は終わりだよ」
「そんな。私は関係ないよ、フェリシアが勝てば記録は続くんだよ」
「ダメだよ。これは美奈が始めた記録なんだ。美奈や私たち全員で作ってきた記録なんだからさ。だから、その誰かが負けたとき終わるんだ。美奈だって、賛成したよ」
そうだった。中等部を卒業するときそのことを言い出したのは私だった。でもそれは、みんなを励ます意味だった。勝手に抜けていく私からの、みんなへのエールのつもりだったのに。
「そんなことより、試合がんばろうよ。美奈がいなくても、私たちだってやれるんだってとこ、みせてあげるから」
「うん」
「どっちが勝ってもうらみっこなしですよ」
「もちろん」
「正々堂々、やろうよね」
「あたりまえでしょ」
「ね、試合終わったら、どこか行こうよ。カラオケとかさ」
「あ、賛成。もちろん反省文は覚悟のうえでだけど」
「でも、美奈はもういいんじゃない、反省文」
「あ、そうか」
試合前の、ほんのひととき。和やかな笑いの中、私は試合後にみんなとカラオケに行こうと約束してわかれた。これから、かつてのチームメイトと試合をすることになる。
和子の思い、全国大会で湊山中出身の選手たちに会い、友だちができたんだぞと自慢するんだという思い。和子の代わりにそれを実現するため、かつてのチームメイトたちと戦うんだ。でも、その困難さといったら・・
私は、和子のようにできるんだろうか。あの頃、私のいたフェリシアのチームと対戦した湊山中の、和子のように・・
理由を話せば、京ちゃんたちは、何も言わずに負けてくれるだろう。でも、だからこそ、和子のことは話せないんだ。そんなことで全国に行っても、意味なんてないんだ。湊山中の出身者に会ったとしても、胸を張って和子の友だちだ、なんて言えなくなるんだから。
くじけそうになる自分にそう言い聞かせ、私はコートの上に立った。
京ちゃんたちは、ちゃんと練習は続けていたようだ。中学時代そのまま、ううん、もっと磨きのかかったプレーは、さすがだ。ならば、結果は明らか。でもね、和子。私は、やるだけのことはやったんだ。許せ、和子・・
試合後、私は、試合前の約束どおり、カラオケボックスにいた。メンバーは5人。中等部時代のレギュラーメンバーだ。
「おつかれさま」
「うん。いい試合をありがとう」
「それはこっちのセリフ。でも美奈は、なんかあせってた感じがしたよ」
「そうそう。らしくないプレーもあったよね」
「そうかもしれないね」
みんなの指摘は、たぶん正しいのだ。私だって、それをわかっていて、あえてやっていたところもあるし・・ 私は、その理由、つまり和子のことをみんなに話し始めていた。カラオケボックスの部屋の中なのに、歌声はしない。ただ、私の話し声が続いた。
「そんなこと、今頃言わないでください」
「そうだよ。せめて試合前に言ってくれてればさぁ」
「だから!」
みんなの反応は予想どおりだった。だから、私は少し強い調子で、みんなの声をさえぎった。
「だから、言えなかったんだよ。そうなるってわかってたから。みんなの気持ちはありがたいけど、これは実力の世界なんだから」
「そうですね。きっとそんな結果は、川原さんも望まないのでしょうね」
「だね。でもウルトラセブン、かわいそう」
「ホントだよ。そんなところでよく、あれだけのバスケットやれてたよね」
「うん」
「スゴイ人だったんだ。私も友だちになりたかったよ」
「うん」
そして、誰も何も言わない時間が、数分。たぶん5分とたってはいないと思うけど、それは、長い沈黙のときに感じられた。
「ねえ、美奈。あんた、フェリシアに帰っておいでよ」
「え?」
それは、永井由香の一言だった。すぐに神野真美が賛成する。そして、鴨居の京ちゃんが・・
「賛成です。このままでは、美奈にも危険がおよぶかもしれません。そうなる前に戻ってくるべきです」
「そうだね。学校には、私たちが頼んでみるよ。美奈のことだもん、きっと許してくれると思うよ」
「そ、そんなことできるわけないじゃない」
「でも、やってみなきゃわからない・・ それが、美奈の口ぐせじゃないか。やる価値はあると思うよ」
「だめだよ、きっと。私はフェリシアとは違う学校を選んだんだもん。許してくれるはずないよ」
ここで、疑問が1つ。私は、フェリシアに戻りたいのだろうか。これまで考えたこともなかったけれど、その可能性はあるんだろうか。その万に一つの可能性が実現したとき、私はフェリシアに戻るんだろうか。
「とにかくさ、西崎先生には話してみるよ。どーせ、カラオケに寄ったこと白状しなきゃならないんだしさ」
「そうですね。怒られついでに、美奈のことを報告しましょうか」
「賛成。知ってる美奈? 西崎先生ってさ、いまだに美奈のこと話題にするんだから」
「え?」
「そうなんですよ。まだ美奈が寮にいるつもりなんだと思います。部屋もそのままにしてありますし」
「そうそう。あ、そうだ。全国大会でさ、私たちがウルトラセブンの友だちだぞって湊山のOBに言ってあげるよ」
「でも、それは意味ないと思いますよ。実際、私たちは川原さんの友だちではないわけですし」
「それでもいいさ、気は心ってやつだよ。ね、全国大会は美奈も一緒に来なよ」
「それは、もちろん応援に行くよ」
「よし。試合にも出してあげるからね」
「それは、ムリだと思いますけど」
「大丈夫だよ、ほら、聡子なら美奈に似てなくもないじゃない。こっそり入れ替わっても相手チームにゃわかんないって」
「あはは、むちゃくちゃなこと言ってる」
結局、誰も歌なんて歌わなかったと思う。ならばカラオケじゃなく、体育館のロビーとか、そんな場所で話をしていれば、きっと、反省文など提出しなくてよかったはずなのに。
私はまた、泣き虫になっていた。
※
夏の全国大会も終わり、あと1週間ほどで9月という頃。
2学期はもうすぐだ。この2学期の、私の目標。それは、なんとしても和子を追い詰めたグループに関する証拠をつかむこと。
和子の手紙にもあったように、和子の死のあと、あのグループは活動を控えたであろうことは、十分に予想できる。でも、あれから3カ月ばかりの時がたち、夏休みという長期の休みも挟んだことで、活動を再開させるはずだという読み。これは、フォーリーも同意見だった。
もちろん、それまでの間、何もしなかったというわけではない。和子のお母さんとともに、警察にも何度も足を運んだ。ただ、例のグループは警察関係にも強いようで、警察はあまり積極的に動いてはくれないようだ。ならば、こちらから強力な証拠を示すしかないんだ。少しずつでも、手をつけていくしかないんだ。
『でも、危険なのは変わりませんよ』
(わかってるよ、フォーリー)
『あなたが、もう少し魔術が使えれば・・』
(それは、仕方がないよ。そんな努力、これまでしてこなかったしさ)
そう、せっかくフォーリーの記憶が私のなかにあるのに、魔術師の記憶があるのに、私はロクにその魔術を使えなかった。せいぜい、あの遠くを見る魔法に頼るだけ。それでも、その魔法で、中居先生が生徒会室の隣の教室へと出入りしていることはわかったのだ。あの部屋は生徒会室の中を通って行くことができること、そしてその部屋で、数人の先生方と話しをしている場面を、何度かみた。
話し声さえ聞ければ、もっと詳しいことまでわかったのだろうが、それは、ムリだった。私の能力が、フォーリーの要求に応えられないからだ。
怪しいのは、中居先生と生徒会。たぶん、生徒会の誰かが関係してる。だから、あの部屋を中居先生たちが自由に使えてるんだと思う。たぶんあの部屋で、和子は裸にされ、写真を撮られたりしたんだ・・
電話が鳴った。
「はい、佐伯です」
「あ、美奈。私だよ」
「聡子、聡子だよね」
「正解! えへへ、ホントは京ちゃんがかけるって言ってたんだけど、私がジャンケンに勝ったんだ」
「ジャンケン?」
誰が私のところに電話をするか、それをジャンケンで決めたということかな。きっと、負けた京ちゃんは悔しがってるんだろな。
ちなみに、鴨居の京ちゃんと水野聡子の2人は、寮に入っている。私もそうだった。
その寮の管理を引き受けて下さっているのが、これまで何度か名前の出てきた西崎先生だったりする。西崎先生は、数学の先生でもある。
「そうだよ。だって京ちゃん、ジャンケン弱いんだもん。私、3連勝!」
「へえ」
「えーとね、何から話そうかな」
「ちょ、ちょっと聡子」
時間的に考えても、これは寮からの電話だろう。その電話で、こんなにのんびりと話していていいはずがない。用件は簡潔明瞭に、これは鉄則だ。
「お、呼び捨てですかぁ。正義の美少女、幸せの伝言ガールの聡子ちゃんにむかって」
「ご、ごめん」
でも、しょっちゅう聡子って呼び捨てにしてた気がするんだけど。
「まずは報告。あのさ、全国大会で全部の学校に声かけたんだけど、湊山中の出身者って誰もいなかったよ」
「うん、私も応援に行ったとき、いくつかの高校に声かけてみたけど、いなかった」
誰も、湊山中の出身者はいない。なんのことはない、つまり、湊山中の強さは、和子がいたからこそのものだったんだ。改めて、和子のスゴさを実感する。
「それから美奈、二度は言わないからよく聞いてよ」
「う、うん。なに?」
「今度の日曜日の午前10時からだって」
「なにが?」
「なにがって、面接だよ。美奈は、学科試験は免除してくれるってさ」
「学科試験を免除?」
「うん。それと当日は、遅刻厳禁、制服着用のこと。もちろん星城高校の制服だからね。場所は・・」
「ま、待ってよ。それって何?」
「何って編入試験じゃないの。とにかく10時までに職員室に来てくれればいいってさ。いま、西崎先生が」
「え! 西崎先生、そこにいるの?」
「もちろんだよ。代わろうか?」
まさか、まさか西崎先生が。本当に、電話に出てくださるのだろうか。それよりも聡子ちゃんは、西崎先生のまえで、よくあんな調子で電話できてたもんだ。あ、そうか。私をからかおうとしてるんだな。そうか、そういうことか・・
「こら、聡子。あなたねぇ・・」
「佐伯さん、なんです、その言葉遣いは」
「あ! す、すいません・・」
ウソ、本当に西崎先生だ。この声は、西崎先生だ・・ いつもいつも怒られてばかりいたけど、でもこの声は、懐かしい・・
「鴨井さんたちから、おおよその事情は聞いています。つらいことがあったのですね」
「い、いえ。その、なんていったらいいのか」
「何も言う必要はありません。でも、今度の日曜10時に職員室に来るのは忘れないこと。いいですね」
「でも先生、私は」
「わかっています。星城高校でやることが残っていると、そういいたいんでしょ」
「・・・」
「いいですか、佐伯さん。これは本来、警察に任せるべきことなのです。それはちゃんとわかっていますね」
「はい、でも」
「でもあなたは、亡くなったお友だちのために、何かをしたい・・」
「そうです。私にはまだ、和子のためにできることがあると思うんです。だから」
「それはそれ、これはこれです。面接は時間どおりに行いますので、必ず来るように。実際に転校するのは1カ月や2カ月あとになってもかまわないんですが、面接の日は変更できないんです。あなたもフェリシアで教育を受けていたのですから、その意味はわかりますね。面接でどうすればよいかについても、よく知っているはずですね」
「あの、先生」
「なんですか」
「止めないんですか?」
たぶん西崎先生は、私がやろうとしていることがわかっているんだと思う。警察を動かせるだけの証拠をつかもうとしているんだということを。
「私が止めたら、あなたはやめるのですか?」
「そ、それは・・」
「あなたが小学校に入りこの寮に来たときからずっと、あなたを指導してきたのは誰だと思ってるんです。それくらいわかりますよ」
「先生」
「あなたは、私が思っていたとおりに育ってくれています。こういうときはこうしなさい、こんな場合はこうするべきだと、この私が教えてきたのです。そのあなたがやろうとしていることなのですから、私には、止める理由がありません」
「・・・」
「教師として、こんなことをいうのは間違ってるのかもしれません。でもあなたにできることがあるというのなら、そのとおりにすべきです」
「西崎先生・・」
「たしかに危険が伴うことは否定できません。でもね、これだけは覚えておいてください。たとえどんなことになろうとも、あなたがどんなに傷つけられたとしても、この私が責任をとります。いつでもフェリシアに戻ってきなさい」
私ってば、泣いてばかりだ。本当に、泣き虫になってしまった。
「面接は、そのための保険だと思ってかならず受けにきなさい。そして、合格しなさい。いいですね」
「は、はい」
西崎先生の声、その声も涙声だ。先生も泣いているような気がする。
「美奈ちゃん、京子だよ。西崎先生、涙でお化粧、ボロボロだよ」
「う、うん」
「あんな先生、始めてみた。なんかさ、美奈がうらやましいよ」
「そうだね」
「あはは、西崎先生がね。私は、すべての生徒を愛しています、だってさ」
「うん」
「美奈、時間に遅れたらだめだよ。絶対に来るんだよ」
「わかった。行くよ」
「中等部の校舎じゃないからね。ちゃんと高等部の職員室に来るんだよ。場所はわかるよね」
「うん、知ってるよ」
「美奈はフェリシアの制服持ってるだろうけど、それを着てきちゃだめだよ。ちゃんと星城高校の制服でくるんだよ」
「わかった、ありがとう」
「美奈・・」
その日の電話は、きっとフェリシア学園の寮はじまっていらいの長電話だったに違いない。よくもこんなに長い間・・ 他の寮生たちはどう思ったのだろう、そこに西崎先生がおられるのに・・
※
スピードと正確さ。その両方を兼ね備えたバスケットプレイヤーがいた。弾むように明るく笑う少女がいた。周りの誰もが思わず笑顔になるような、そんな雰囲気を持った少女がいた。
でも、それらはみな、過去形で言うしかない。だって、その少女はいなくなってしまったから・・ 和子があのままバスケットを続けていれば、きっと全日本の代表選手くらいにはなっていたと思う。和子がそばにいてくれたら、私はずっと笑っていられたと思う。でも、どんなに想い描いても、彼女はもういない。
いよいよ、2学期だ。和子を追い詰めたグループにつながる何かを見つけるため、本格的に、行動を開始するのだ。勝負のとき!
『少し、大げさに過ぎるのではありませんか』
(そうかな。でも、決意だけはしっかり持っておかないと)
2学期最初の日。私は、いつもより早めに教室に来ていた。この日は、始業式だけだから、学校は早く終わる。終わり次第、私は生徒会室に行こうと考えていた。怪しいのは、生徒会室の隣の部屋。その部屋は、生徒会室のなかからしかいけないのだ。ならば、生徒会室に入ってみるしかない。
それも1回だけではだめだ。何度か、継続して入れる理由を作らないと・・
その、ちょうどいい言い訳が、フェリシアへの転校の話だった。偶然のように出てきた話ではあるんだけど、私は実際にフェリシアの編入試験を受けている。そりゃ、学科免除で面接だけだったけど、正式な編入試験には違いない。まだ結果は出ていないけど、この際、それを利用させてもらおうと、そう考えていた。
そのとき、ぐっと腕をつかまれた。そして、教室の隅に引っ張っていかれる。沙希ちゃんだった。
「美奈ちゃん、これ。お父さんから預かってきた」
「え?」
それは、白い封筒だった。わりと厚みのあるその封筒を受け取る私。
「これは?」
「たぶん捜査資料だと思うよ」
「捜査資料?」
「うん。川原さん、自殺したんでしょ。その件についての資料だよ」
「え! ちょ、ちょっと待って」
和子が死んだことは、もちろん誰もが知っていることだ。でも、その原因は事故ということになっているはずだ。自殺したなんて、和子のご両親や私を含めても、ほんのわずかの人しか知らないはずなのに。
驚いている私。たぶん眼をまん丸にして、驚いているであろう、私。その私を、沙希ちゃんは何度もうなずきながら、見ている。
「私のお父さん、刑事なのよ」
「あ!」
その一言でピンときた。和子についての捜査をお願いしに、何度も警察署に足を運んだ。総じて相手にしてもらえなかったけれど、1人だけ話を聞いてくれた刑事さんがいたんだ。たぶんそれが、沙希ちゃんのお父さんなんだ。
「伝言もあるよ。何度も警察署に来てくれた女子高生さん。少しずつ進展状況も知らせるから、くれぐれも早まったことはしないように」
「あ、あの、沙希ちゃん」
「美奈ちゃんが考えてること、わかるよ。私だって、同じこと考えてたことあるし」
「同じこと?」
「私にお姉ちゃんがいるって言ったよね」
「うん」
たしかに、そのことは聞いた、でも、それ以上というか、他にはなにも聞いてないんだけど。
「お姉ちゃんはいま、田舎の親戚のところにいるけど、たぶんお姉ちゃんは、川原さんと同じめにあったんだよ。そして、同じことをしようとした・・ たぶんって言うのはね、お姉ちゃんが、何も話してくれないからなんだけど」
「そ、そうだったんだ」
「今では、だいぶ元気になったんだよ。笑ったりすることもあるんだって」
「う、うん」
こんなときの返事は、どうしたらいいんだろう。よくわからない。
「川原さんの手紙は、いい手がかりになったらしいよ。やっぱり、星城には、おかしなグループがあったんだ。それがはっきりわかったって」
「沙希ちゃん」
「お姉ちゃんのときはね、ホントに何も、手がかりがなかったんだ。お姉ちゃん、ショックでその頃の記憶をなくしちゃったのか、口を閉ざしてしまっんだ」
「あの、私。なんて言ったらいいのか・・」
「何もいわなくていい。それに、何もしなくていいんだよ。お父さんが、ちゃんと調べてくれるから」
「う、うん。そうだね」
「でもね、警察っていってもサラリーマン社会と同じでさ、上司の命令とかが優先されちゃうんだ。だから、捜査もしにくいみたいなんだけど、お父さん頑張ってるから。だから、長い目で見てやってよ。ね」
「うん、ありがとう」
そのとき、始業のチャイムが鳴った。沙希ちゃんと話をしたのは、そこまでだった。それから、ホームルーム。担任の中居先生が教室にくる。この先生が、きっと何か重要なことを知ってるはずだ。でもまだ、なにも証拠がない・・
それから2時間たらずで、学校は終わりとなる。クラスメートたちはすぐに帰っていくが、私は、自分の席に座ったままだった。そんな私を、沙希ちゃんはしばらく見ていたと思うが、その沙希ちゃんも帰ってしまったところで、私は、ゆっくりと立ち上がった。
生徒会室に行くつもりだった。少し時間を置いたのは、もちろん、私の気持ちをしっかりと固めるため。沙希ちゃんにもらった警察からの資料も、あらかじめ目を通しておいたほうがいいのかもしれないけれど、それを学校で開くわけにはいかないだろうからと、まだ見てはいなかった。
さあ、行くぞ!
『1年B組佐伯美奈さん、至急、職員室の中居先生のところまでくるように』
呼び出しの放送だ。せっかくその気になっていたのに・・ ちょっぴり不満気味。でも、無視するわけにもいかない。生徒会室と職員室は1階と2階なのだし、早く用事をすませて、生徒会室に行こうと、そう思った。
「佐伯美奈です。入ります」
ドアの前でそう言ってから、開ける。星城では、適切な大きさの声ではないからやり直し、なんてことは言われたりしないんだろうな、などと考えながら。フェリシアにいた頃、そんな注意を受けたことがある。
職員室のなか。そういえば、ここに来るのは初めてかもしれない。中居先生はどこにいるんだろう・・ 思わず見回してしまった。
「あ!」
「おう、佐伯。どうだ、なつかしいんじゃないのか?」
「先生、どうしてここに・・」
西崎先生がいた。星城高校の職員室に、西崎先生が。そのとなりに中居先生がいるから、私が間違えてフェリシアの職員室に来ているわけじゃない。もちろん、フォーリーの魔法で、遠くにいる先生を見ているわけでもない。
まちがいなく、西崎先生だ。面接試験のときには会えなかった西崎先生がいる。とたんに、緊張してくる。背筋がピーンと伸びたような、そんな感じ。
「佐伯さん、ちゃんと言うことがあるはずですよ。基本でしょ」
「あ、あの・・ 佐伯美奈です。放送で呼ばれて来ました」
「はい。わかりました。あの、中居先生、よろしいですか?」
「ええ、どうぞ。いやあ、さすがはフェリシア学園ですね。私も見習わなければ」
「ありがとうございます。では、佐伯さん。今日はこれを持ってきたんです」
差し出されたのは、一枚のカード。もちろん見覚えのあるそのカードを、フェリシアの生徒たちはチェックシートと呼んでいた。
「もちろん、覚えているわね」
「はい。でも、私は・・」
「あら。関係がないとでも言うつもりですか」
そのカードは、聖フェリシア学園の初等科、つまりが小学校に入学したとき、すべての生徒に配られるものだ。今回の目標、前回目標の達成度、そして評価者のコメント欄が設けてあり、ある期間を定めて目標を立て、その期間経過後に、評価者と話し合いの場を持つわけだ。生徒は、目標達成のためこれだけ努力をした、あるいはしなかったなど、正直に話す。評価者は、それについてアドバイスをしていく。そして、新たな目標を立てる。その繰り返しによって、向上につなげていこうというのが趣旨だ。
評価者については、生徒が自由に選べることになっている。私は、最初からずっと西崎先生に評価をお願いしてきたんだけれど、実はこのカード、途中でやめることもできるのだ。実際、学年が上がるにつれて、チェックシートを行っている生徒の数はどんどん減っていく。中学生ともなるとほとんどいないらしいし、もちろん高校生ではゼロになる、とうわさされていたりする。現に、私の友だちで続けている人は、誰もいなかった。
「私は、高等部に進学しませんでした。だからもう・・」
「そう言うけど、あなたからやめるとは聞いていません。それにちゃんと目標は書かれているわよ。ならば、約束の期間が来ればその評価をしないといけませんよね。今日がその日です」
そんなバカな・・ 私は、差し出されたカードを改めて見る。たしかに目標欄には“新しい自分を見つける”と記入されてはいるが、でも、その文字は・・ よく似ているが、私の字じゃない。たぶん書いたのは西崎先生だろう。でも、なぜ? なぜ、そんなことをするんだろう。
それはわからないけれど、とにかくいまは、西崎先生の言うことに合わせておいたほうがいいのかもしれない。
「あなたの目標がどこまで進んだのか、それを確認するために来たんです。アドバイスもしてあげられると思いますよ。では、はじめます」
「あの、先生。ここでやるんですか」
「え?」
そこで、西崎先生は初めて気がついたように、視線を横に向けた。そこには、中居先生をはじめ、数人の先生がいた。そして、興味深げにこちらを見ていた。
「そうね。ここでは、皆さんに迷惑がかかってしまうわね。困ったわね」
「いや、私たちはかまいませんよ。他校の生徒指導のやり方を見学できるんですから」
「でも、ご迷惑でしょうから。それにこのチェックは、2人だけでやるのが基本なんです」
「そうでしたか」
「佐伯さん、フェリシアの指導室のような部屋はないのかしら?」
「指導室はありませんけど、私のクラスだったら、もう誰もいないはずです」
「そうね。中居先生、その教室を使わせてもらってよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。佐伯、案内してやれ」
「はい。先生、こっちです」
「はい。それでは皆さん、私はこれで失礼いたします」
お手本のような、西崎先生のお辞儀。って、もちろん私は幼い頃からずっと、それをお手本にしてきたわけだけど、でも西崎先生も役者だ。きっと先生は、星城高校の様子を見に来られたんだと思う。チェックシートは、その言い訳に違いない。まさか先生が、こんなお芝居をするなんて、思わなかった。
廊下に出て、教室へと向かう。職員室からは、誰もついてこない。西崎先生はそれを確認している。
そして、教室への道のり。西崎先生を見ても、すれ違う生徒たちのだれもが、あいさつをしない。他校の先生であり、見覚えがないからなんだろうけど、そんな生徒とすれ違うたび、先生の表情が微妙に変化するのが面白い。きっと、注意したいんだろうなって思う。それを我慢しているんだ。
クスッと笑ってしまう。その瞬間に、注意される。
「佐伯さん、何がおかしいんです。あなたがちゃんと案内してくれないと、私には道がわからないんですからね」
「はい。でも先生。先生でもウソをつくんですね。意外でした」
「ば、ばかなことを言わないで。いつ私がウソをつきましたか?」
「すみません、訂正します。ウソをついたんじゃなくて、ウソを書いたんですよね」
一瞬、先生の表情が変わった。でも、軽いため息とともに、すぐにやわらかな表情に戻った。
「まあ、あなたまでだませるとは思ってませんでしたけどね。でもね、佐伯さん」
「はい」
そのとき、私の教室に着いたところで、ちょうど先生を教室内に招き入れたところだった。
「私は、あなたの代わりに、あなたの気持ちを文字にして、このカードに書いたのです。これは、あなたにとって必要なことなのですよ」
「わかっています。ありがとうございます」
「とはいえ、こうでもしないと学校の外に出られなかったのは事実ですけどね」
「は?」
「まあ、いいわ。ところで佐伯さん、帰りの準備はできてるの?」
「それは、大丈夫です。今日は、荷物もほとんどありませんでしたから」
「そう。それじゃ行くわよ」
「行く?」
「ええ。星城高校に来る途中に見かけた、よさそうなお店があるのよ。そこに行きましょう」
??? はてなマークが、3つくらいで足りるかな? 4つ、5つくらいは必要かもしれない。だって、西崎先生の言ってることの意味がわからなかったんだ。でも、教室を出て行く先生に、私はあわててついていくしかない。
その店は、星城高校からみて駅の向こう側。駅から反対方向にある、ちょっとおしゃれな感じのする店だった。フェリシアの友だちでいえば、真美あたりが気に入りそうな店だ。もちろん私もだけど、でも、学校に来る途中に見かけるような場所では、けっしてない気がするんだけど。
「さて、佐伯さん」
その店の奥の席に、私たちは座った。注文は、ホットコーヒーにオレンジジュース。
「ここがどこなのか、わかっていますね」
「あの、喫茶店です」
「そのとおりです。それにあなたは、学校帰り。制服のままですね」
「せ、先生!」
ま、まさか!?
学校帰りの寄り道、制服のままの商店への立ち寄りと、喫茶店への出入り。それらはすべて、校則違反。事前許可のない限り、絶対にゆるされない行為・・
でも、それはフェリシアの校則なのだし、なにより私をここへ連れてきたのは、西崎先生だ。
その西崎先生の顔は、笑っていた。先生の笑った顔なんて、私でもめったに見ることはないんだけど、たしかに笑っていた。どこか和子の笑顔を思い出させるような、そんなやさしい笑顔で。
「ウソのチェックシートのことは謝ります。それとこれとでおあいこにさせてくださいね。ここはもちろん私のおごりにするから、それでいいでしょ?」
ニコッと微笑む先生を前に、驚きで声もない私。その私に、なおも先生は・・
「それとも、久しぶりに反省文でも書いてみる?」
「あ、いえ」
「まあ、たまにはいいじゃない。あなただって、喫茶店に入ったことくらいあるんでしょ」
「そ、それは・・」
もちろん、ある。あるけど、それを西崎先生のまえで認めてしまってよいものかどうか。まさか、誘導尋問ってことはないと思うんだけど。
「知ってるわよ、県大会決勝戦の帰りには、カラオケに寄ったそうね」
「・・・」
「そういえば、そのときの反省文は、どうなってるのかしら。私、まだ受け取ってない気がするんだけど」
「あの、私も書くんですか?」
「あたりまえでしょ。あれから一カ月は経つというのにほったらかしとは、どういうことですか」
「えっと、その、だから・・」
だめだ。完全に西崎先生のペースになってしまっている。フェリシア在籍時代には、なにかにつけお世話になり、また指導を受け、そして怒られてきた先生だ。私なんかが、相手になるはずもないんだけど、でも、一言くらい反論できるとしたら、この点しかない。
「先生、フェリシアの校則では違反ですが、星城では違反にはならないんです。それに反省文という制度もありませんし・・」
「あはは、そうなの。それは知らなかったわ」
このとき西崎先生は、本当に楽しそうに笑った。声をあげて。そんな先生を見るのも、もちろん初めてのことだった。
「それじゃ、もう固いことはなしでいいわね。いろいろと言い訳を考えてきたんだけど、ムダになっちゃったわね」
「あの、先生。どういうことですか?」
訳がわからない・・ それが正直な感想。でも、目の前に座っているのは、確かに西崎先生だ。ずっと笑顔だし、口調もいつもよりは柔らかでやさしい響きがあるんだけど、それは、ときおり私の前でだけ見せてくださる、先生の素顔。
きっと今回も、そうなんだと思うんだけど、でも考えてみれば、あの先生が生徒を喫茶店に誘うなんて、信じられないことだ。
「今日1日、わたしとつきあいなさいってことよ。このあとカラオケにも行くつもりなんだからね」
「えぇ!」
「星城の校則では、別に禁止されたりしてないんでしょ。だったら、いいじゃない。私だって、行ってみたいわ。それとも忙しい?」
「い、いえ。でも、先生はいいんですか?」
「私?」
「はい。こう言ってはなんですけど、先生だけでした」
「なにが?」
「校則を守っておられた先生です。私の知る限り、生徒手帳にある校則をキチンと守っておられたのは、西崎先生だけでした」
そこで、西崎先生は軽くため息をついたように見えた。それから、コーヒーを一口。そして。
「イヤな言い方するようだけど、校則は生徒たちのもので、教師には関係ないのよ」
「でも、先生は・・」
「私だって、守ってないことはあったわよ。たとえば私は、お化粧してるわよね」
「そ、それはそうですけど」
もちろん、校則ではお化粧は禁止だ。でも、めだたない範囲でやっている生徒は大勢いたし、考えてみれば、それらのことで西崎先生から注意を受けたという例は、ほとんど聞いたことがない。それは、まさか・・
「あのね、佐伯さん。あなたがフェリシアに戻ってきたら、まさか、喫茶店に誘うとか、遊びに行くとかできるはずないじゃない。そうでしょ?」
「そ、それは」
「いまがチャンスなのよ。思い出は必要なんだから」
「でも、先生」
コーヒーを飲む、西崎先生。フェリシア学園にいたときの先生のイメージとは少し違うけど、でも、今の先生のほうが、よりステキに見えるのはどうしてだろう。固いイメージがなくなっているからかな。
「あなたはしらないだろうけど・・」
コーヒーカップを、ゆっくりとテーブルにもどす。私は、オレンジジュースを飲もうと伸ばした手をひっこめる。
「佐伯さんが学園に入学してきた日、私も教師として始めて、フェリシアの門をくぐったのよ」
「そうなんですか」
「そう。その私の初めての生徒が、あなた。もちろん水野さんや永井さんたちもそうよ。あのクラスにいた32人全部が、そうなんだけど・・」
ここで、先生は改めてあのチェックシートを私の前においた。
「このシートの評価者は、生徒が選ぶのよね。もちろん、途中でやめることもできる。評価者を選ばなければいいんだものね」
「はい、そのとおりです」
「あのときの32人のなかで、私を選んだのが何人いたか、知ってる?」
「いえ、そこまでは・・」
「3人よ。他の29人は、担任だった坂下先生が評価者になった。当然よね。でもあなたと水野さん、岩田さんの3人が、副担任だった私を選んだのよ」
水野さんとは、同じバスケット部の聡子のことだ。岩田さんは、小学校2年のときのクラス替えで別のクラスになって以来、一緒になったことはない。
「岩田さんは、2年になってから、新しい担任の先生を相手に選んだみたいね」
「そうですか」
「水野さんとは、4年間。あの人は、もうこのチェックシートはやめると、正直にそう言ってくれたわ」
フェリシアでは、毎年、クラス替えが行われる。その基準は成績だ。単純にペーパー試験の成績だけでなく、マナーとか生活態度なども加味されての判断となるのだが、表面上、たくさんの人たちと知り合うきっかけを作るためとされている。
チェックシートの評価者は、各自が自由に選べることになってはいるものの、担任の先生を選ぶのが普通なのだろう。もしくは、やめてしまうか。
そんななか、私は小学校6年間、そして中学校3年間、あわせて9年もの間、西崎先生にお願いしていた。ウワサでは、たぶん西崎先生が一番厳しかったようなんだけど、他の人にするなんて、考えたことはなかった。
「あなただけが、ずーっと私を選んでくれた。だから、あなたが私の最初の生徒だってそう思うのかもしれないわね」
「ありがとうございます」
「あら、そこでお礼を言うのは変じゃない?」
「そうですか」
「だって、お礼を言いたいのは私のほうなんだもの。ありがとう、美奈ちゃん。私なんかを選んでくれて・・」
え! 美奈ちゃんだって。聞き間違いでなければ、西崎先生が、私を美奈ちゃんと呼んだ。だいたいフェリシアの先生は、たとえ小学校1年生であれ、さんづけで名字を呼ぶのが普通だ。というか、それ以外の先生なんて、1人もいないのに。
「どうしたの?」
「だって、先生、いま私を・・」
「いいじゃない、別に。私はね、あなたとは教師と生徒じゃなく、そうね、たとえば姉と妹とか、そんな付き合いがしてみたいの。卒業したらそれで終わり、じゃなくてね。そりゃ年齢は一回りほども違うけど、そんな姉妹はきっとたくさんいるはずだし、友だちになれたりするんじゃないかな、なんて思うのよ」
「と、と、友だち・・ ですか・・」
「それに、あなたはそろそろ、始めようとしている。そうでしょ?」
「あ、それは・・」
先生が言うのは、和子を追い詰めたグループに近づこうとしているということだ。2学期最初の今日、私は、生徒会室に行くつもりだった。西崎先生が来ていなければ、いま頃はたぶん・・
「止めに来たんじゃないわよ。いつか電話で言ったように、必要なことならやるべきだと、私も思うから。でも結果はどうなるかわからない。成功するのかそれとも失敗するのか」
「私は、必ず証拠を見つけます」
「佐伯さん。たとえ証拠を見つけたとしても、それが成功だとは限らない。そのときあなたが無事かどうかなんて、わからないのよ。例えばあなたがレイプされたことが証拠となるのかもしれない。それとも、あなたのお友だちのようして撮られた写真が証拠になるのかしら。そのときあなたはどうするの?」
「私は、そんなことには・・」
「あなたにはフェリシア学園があるわ。そして、西崎由紀子がいます。バスケット部の友だちだっているでしょ。そんな仲間との楽しい思い出、いい思い出があれば、どんな苦境も乗り越えられる。仮にそうなったとしても、立ち直れる。間違った考えを抱くことはない。私は、そう思うんです」
「・・・」
「心の支えであり、励みとなるような思い出。戻りたいと思わせる1日。今日1日が、あなたにとって、そんな1日になればいいとそう考えています。なにか質問はありますか?」
「西崎先生・・」
「質問がなければ、お昼を食べに行きましょう。何がいい?」
表現が正しいのかどうかわからないけど、私は、不覚にも涙をこぼしていた。西崎先生の真っ白なハンカチを濡らしてしまうのが申し訳なかったけど、その涙は、しばらくの間止まらなかった。
その日は、本当に楽しかった。西崎先生は、まるでお姉さんのようだった。こんな話、京ちゃんや由香、真美に聡子・・ ううん、フェリシアの生徒の誰に話したとしても、絶対に信じてもらえないだろう。
私と西崎先生だけの、秘密。たぶん一生忘れない、思い出の1日・・・