もしも将棋が指せなくなったら   作:にゃんころがし

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清滝鋼介

 次の日、俺は将棋会館の棋士室を訪れていた。棋士室の敷居をまたぐと、何人かがこちらを見る。

 

 その内の一人が、真っ白な腕を振って俺を迎えてくれた。

 

「八一さん♡ こっちです!」

 

 俺を呼んでいるのは椚創多(くぬぎそうた)七段。初の小学生棋士であり、プロ入り3年目にして順位戦では俺と同じ順位戦B級2組。竜王戦でも3年連続昇級という規格外の中学2年生である。

 

 奨励会員時代だった頃と比べ、プロ入りしてからは親も彼の活動にあれこれ言わなくなったらしく、奨励会員時代よりも練習を積んでいるらしい……怖い。

 

 そんな創多と盤を挟んでもう一人、モデル級のイケメンが軽く手を挙げて挨拶してくる。

 

「よっ、竜王」

 

鏡洲(かがみす)さん、居たんですね」

 

「なんだ、居ちゃダメなのか?」

 

 鏡洲飛馬(かがみすひうま)五段は、30歳というギリギリでプロ入りを決めた棋士だ。才能が開花するまでに多くの時間を要したが、彼もたったの2期でC級2組を抜けている。

 

「いえ、居ちゃダメなんてそんな事……でも、鏡洲さんは明日大事な対局ですよね?」

 

 俺が言うと、鏡洲さんはいやいやと首を振る。

 

「どの口が言ってんだか……。タイトルの挑決控えた奴に言われてもねぇ」

 

 鏡洲さんが言うと、創多もニコニコと笑みをこぼす。

 

「全勝で挑決進出! 流石八一さん♡」

 

「創多、褒めても何も出ないからな」

 

 そう言って、何の気なしに創多の頭をわしゃわしゃすると、創多は嬉しそうに目を細める。

 

「八一さんも清滝先生の応援ですか?」

 

「うん。創多も応援だろ?」

 

「そうですよ。僕も早く清滝先生と公式戦で指したいなぁ」

 

 創多が棋士室のモニターを見ながら呟く。モニターに映っているのは、俺の師匠である清滝鋼介九段の順位戦だ。

 

 師匠は3年前まで調子を落としていたが、清滝道場という独自の研究会を開いたことを皮切りに、調子をメキメキと上げていき……。

 

 順位戦B級1組(・・・・)8戦5勝3敗が今期の師匠の成績だ。まさか、調子を落とした五十路の棋士が、B級1組にリバイバルするとは、多くの人が予想していなかっただろう。

 

「この局に勝ったら、本当にA級返り咲きの可能性が出てきますからねぇ~」

 

「全くだ。本当に清滝先生は凄い」

 

「僕が頑張って昇級し続けても、清滝先生も昇級し続けちゃうからなぁ」

 

 師匠は本当に調子を上げていて、他のタイトルでも実績を出していた。今年はタイトル挑戦に近いところまで何度も行っている。

 

 俺自身、最近になって師匠に呼ばれてVSをする機会が数回有ったことも有り……先月師匠が順位戦を2連勝したタイミングでこんな記事が大きく載った。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 浪速の重鎮、完全復活か?

 

 順位戦も中盤に差し掛かり、昇級・降級の星勘定が始まった今日この頃、関西の重鎮が昇級レースに名乗りを上げている。

 

 清滝鋼介九段。B級1組を第八局時点で5勝3敗としており、昇級の可能性は十分だ。8年前に名人挑戦した清滝は、3年前にC級1組にまで順位を落としたが、その後3年でB級1組にまで昇級し、B級1組でも会心譜を残し続けている。

 

 そんな清滝に話を聞いてみた。

 

「ズバリ、好調の理由は何ですか?」

 

 私が発したストレートな質問を受け、清滝はにんまりと笑みを浮かべる。

 

『やっぱり、若さでしょうな。関西の若者に揉まれ直して、自分まで若返ったんやと思います』

 

「具体的な名前をお訊きしても?」

 

『具体的な名前と言われても、一杯居るとしか言えんのですが……強いて言うなら、椚くん、鏡洲君は大事な研究仲間ですし、八一や銀子にもまだまだ手が掛かってしゃあないですね』

 

「九頭竜竜王ともご研究を?」

 

『家だと思っていつでも来いといってます』

 

 若き新鋭達が棋界を席捲(せっけん)する流れの中、同じく『若い力』を携えた重鎮が、彼の弟子や仲間とともに活躍するのは、至極当たり前のことなのかもしれない。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 師匠の先手番で相居飛車の急戦調。ガッチリ囲う将棋を本分としていた数年前の姿からは想像もつかないような展開の速い将棋だ。

 

 師匠の力が出せる良い形だと俺は感じていた。

 

 盤に顔を向けて検討している鏡洲さんが座り直す。

 

「形成互角、か……」

 

 鏡洲さんの言葉に、創多がうなずく。

 

「そうですね。ソフトの評価値だと清滝先生の微不利ですけど……」

 

「ですけど、何だ?」

 

 創多に問いかけると、彼は中継モニターを見て楽しそうな顔をする。

 

「こういう将棋なら清滝先生の力がでるでしょう」

 

「創多も変わったよなぁ」

 

 創多は清滝道場に参加し始めてから、本当に変わって――――そして強くなった。昔はソフトの評価値絶対主義者だった彼は、師匠の泥臭い将棋に触れて、いつの間にか勝負師になっていた。

 

「八一さん、どうしました?」

 

「いや、どうもしてないよ。あっ、指した」

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ――パチリ。

 

 軽快な駒音が対局室に響き、わしの桂馬が歩を超えて中段に跳ねる。駒を通して盤の弾力が指先に伝わった。

 

 瞬間、目の前に座る対局相手が顔をしかめる。このタイミングでの桂跳ねは予想外だったのだろう。

 

 対戦相手は関東の34歳。若手とは言えないが、まだまだ指し盛り伸び盛りの棋士だ。10年もすれば、50代のわしなんて、桂馬に飛び越えられる歩のように抜かされてしまうかもしれない。だがっ――――。

 

 相手は自然な応手をしてきた。わしは中盤の(ねじ)り合いを制すべく、必勝の駒音を響かせる。

 

 ――パチンっ。

 

 歩を突き捨て、強引に駒をぶつけていく。眼鏡を外して袖で拭き、再び掛ける。クリアになった盤面には複雑に絡んだ小駒たちが……それと重なるように駒の効きが結ばれて、脳内を凄まじい勢いで動いていく。

 

「ほなっ、胸を借りさせてもらうで」

 

「――――くっ……これは……」

 

 そうや、読め。読んで読んで読んで読んで読みまくればええ。読みを入れるのは若者の特権や。

 

 体力に勝り、読みの力も全盛期の30代。そんなB1棋士に読みの力で勝てるとは思っていない。多少読み筋を外して、自分の舞台に引きずり込まにゃ、息つく暇なくやられてしまう。

 

 そのための桂損速攻。駒損を承知で敵陣をかき乱して勝機を待つ!

 

 対局相手は、脇息に肘をついて深く読みを入れている。わしが指したのは最善主ではないかもしれん。やが、狙いの分かりにくい手や。

 

 ――パチンッ。

 

 強手。若者らしく、思い切りのいい手やな。

 

 こうこうこうこうこう……これを取って、ここに打って……こうして……よし!

 

 ――パチン!

 

 しばらく経った後、わしは敵陣攻略の足掛かりを作りつつあった。取って打っての空中戦。小駒が動くたびに敵陣が少しずつ変わっていく。

 

「あやとり、メンコみたいなモンやな」

 

「……?」

 

 おっさんが子どもの頃は、あやとりやメンコで遊んだもんや。あやとりのような細かく細い攻めを繋げていって……。

 

 おっさんの感覚というのは恐ろしいもので、この年になって何となく(・・・・)良さそうな手っていうのが浮かぶようになってきた。

 

 己の魂に蓄積された棋譜が、経験量がわしに気付きを与える。長年培ってきたわしだけの手順、わしだけの将棋。

 

 若い感覚を手に入れたことでブラッシュアップされた記憶が、わしに輝く一手を見せてくれる。

 

「ほれ、これでどうや?」

 

 わしの一手に、再び相手の指が止まる。顔色を見るに、形勢がわしに傾き始めたと気付いたか。おっさんは顔色を読むのが得意や。最近は娘の顔色ばっかり(うかが)う毎日。

 

 相手は必要以上に形勢を悲観しているようだった。さもありなん。勢いの有る棋士は、有利な局面を見るときが多い。

 

 やから少しの不利でも悲観するし、それが焦りに繋がるときも有る。若い頃のわしがそうやった。おっと……疑問手、チェックやな。

 

 相手が指した疑問手を(とが)め、生じた有利を徐々に広げていく。開いた空間に歩を垂らし……。

 

 ――ハンデはきっちりもろうたで。

 

 ▲2二歩成

 

 苦虫を噛みつぶしたような相手の顔を見て一呼吸。序中盤で有利になったとはいえ、まだまだ油断ならん。

 

 歯を食いしばって再び読みを入れていく。

 

 わしは戦い続ける。この一手一手が、名人への道だと信じて。


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